二回の休憩を挟み、一行は淡々と進んでいく。 トラッドを出発し、次の中継地はシュトラウスである。秋季地方の中核都市のひとつだ。 馬車と徒歩の団体が一日では辿り着けない。また、本当であればせめて街道沿いの宿場まではとも思うが、そんな小さな場所ではこの大人数全員が清潔なベッドにありつけるわけがない。 それならばいっそ、全員で不便を我慢するほうが平等だ。 そのための大前提として、安全の確保。 ちょうど薄暗くなるかならないかの時に目の前に現れた森に、彼らは先へ進むのをあきらめた。具合の良い事に、その手前は短い丈の草ばかりの見晴らしの良い野原だ。 炊事と用心を兼ねた火が勢いよく焚かれた。 雑談する集団の合間を縫って、レアノージュは相棒の肩を叩いた。 「食事、一緒にいい?」 まるで小さな頃から変わらない誘い文句に、ノインは無言で場所を空けた。 屈強な戦士ばかりの座に混じれば、ひょろっとした体格のレアノージュはさらに細く見える。 「術者の仲間たちはどうした?」 「んー」 スープを受け取りながら、彼はちょっと肩をすくめる。 「仕事仲間だからって、四六時中一緒に居たら息が詰まるなあとか」 「おまえ、今日は馬車から追い出されてたろうが」 「それにノインもできるだけアレから離れてろって言ってたなあとか」 「俺に責任転嫁するな」 <恋人狩り>が本当なら、護衛対象からなるべく遠ざかっていた方が良いとの忠告はノインが昼間のうちにしてある。 しっかりそれを守っているように見せかけて、その実、馬の合わない連中から逃げ出してきたのがレアノージュの本音だろう。 ノインを見慣れ始めた連中にとっても、彼がちょっとでも無表情を崩したとわかるのが面白かったようだ。 職業柄、相手のプライベートに探りを入れるのは禁忌とわかっていつつも、この程度は大丈夫だろうとの浅い質問が飛んだ。 「二人で組んで長いのか?」 「十年だよ」 さすがに秘密にすることではない。レアノージュはあっさりと答えたが、この数字には周囲が驚いた。 「十年前つったら、ノージュは何歳だ?」 「七歳」 ざわめきが大きくなる。 トラッドでリエンが追われているときにレアノージュ本人が追っ手に確認したとおり、そのくらいの年齢の<精霊の恋人>は祀殿で教育を受けていなければいけないのだ。 「家庭の事情って言うのもあったし、いろいろ審査されてなんとか、特例って感じだったってノインが教えてくれたけど」 当時は幼すぎて覚えていないし、よくわからない。 いつもの決まり文句でレアノージュはノインへ説明を振り変える。そうして、これまた今までどおりに、周りの視線はノインへと移った。 「ノージュの場合は、祀殿での教育の進み具合が速かったらしくてな。なんとか許可が下りた。家庭の事情は……まあ置いておいて」 あまり個人に深入りしないのが、仕事を上手にこなすコツ。 男たちもわきまえているから、レアノージュの『家庭の事情』とやらは通り過ぎ、代わりにふたりの関係にひっかかった。 もしかして、とひとりがスプーンを振りながら身を乗り出す。 「おまえら、親戚なのか?」 便利屋のような仕事だから、それこそ旅や仕事で知り合ったのが、ここまでずるずると続いていると思っていた。 だが、ここにきて血のつながりを意識させるような事実を示され。 全員がある可能性に気がつく。 レアノージュは十七歳。 ノインは、はっきりと聞いた事はないが、三十から三十半ばまでの年齢に収まるだろう。 体格が似ていないのは、鍛え方の違い。あるいはレアノージュが母親似のためとか。髪の色合いは一緒だし、瞳の色が違うのはレアノージュが<精霊の恋人>だからだし。 これはもしかして、ひょっとすると……。 「親子?」 誰もが口にするのをためらっていた単語が、うっかりと誰かから落ちた。思いのほか、響く。 期待と恐怖の入り混じった雰囲気をノインが吹き飛ばす。 「たしかに血は繋がっているが……軽く数百年単位で遡るぞ」 そうかー、良かったー。 冷静な否定に一同は安堵する。彼の出した数字には、些細なこととばかりに意に介さない。ふたりはそれにほっとした。 冗談にしか聞こえない数字、でも事実だから別に構わないのだが、詮索されるのは嫌だ。 どうやら彼らの興味は一段落したらしい。 ふたりの関係を詮索する言葉はぴたりとなくなり、シュトラウスに着いたら何をするかといった話題になる。 やれ、名物はなんだ。どこの酒屋が良い、どこそこの料理屋だ、いや違う。武器ならあそこだろう。 鍋が空になる頃には女性の話になり、なぜか怪談に突入した。年若いレアノージュをからかって遊ぼうとしたのだが、前者ではどうにもうまくいかなかったためだ。 度胸試しという点では怪談に分がある。ただ、多少の小競り合いや反乱は別として、血みどろの戦争と呼べるものはここ二百年ほど起こっていない。さらに彼らがいるのも別に古戦場というわけでもないから、自然と怪談も都市伝説的な代物になった。 「シュトラウスってったら、あれだよな。レイジデスヨ通り」 「ローズブッド通りの先にあるっつう、噂の幽霊通りか?」 旅人や地元の人間に、名前だけは知られている。けれども、地図を見てもそんな場所はない。どころか、行こうとしても行けるものではないという、幻の通りである。 「幽霊通りというか、……アレがごろごろ潜んでいるって聞いたぞ」 一段とひそめられた単語をノインが頓着もなく暴く。 「アレって、吸血鬼のことか?」 「……おまえ、直球で言うなよ」 そんな相棒をレアノージュがなだめるが、別に彼も気にした風はなかった。 どのみち、こういう会話では『アレ』を暴露する役が必要なわけで、そういう点では問題なし。 「ああ。ローズブッド通りと言やあ、シュトラウス随一の花街だ。浮かれ騒いで身ぐるみ剥がれた馬鹿の戯言かと思いきや、そうでもねえらしい」 気持ちよく女と遊び、夜中に店を出る。帰ろうと歩いていて、ふと気がつけば人通りがない。眠らぬ街でこれはおかしいと思う。足下から這い上がって来る冷気。街灯が不気味に瞬く。そして背後から……。 「ぬいぐるみを抱いた少女が現れてこう言うんだ」 『おじさん、おじさん』 フリルのたくさんついた赤いドレスにウサギのぬいぐるみ。夜を溶かしたような黒い髪と瞳。太陽を知らないような白い肌。誰もがかわいらしいと褒める容姿。 あやしいと感じつつも、男は無視できない。 「呼びかけられて屈んじまったらそこでお終いさ」 『喉が渇いちゃったの』の台詞と同時、喉を食い破られてその血を――。 ひいと息を飲むはずの場面。 が、あろうことか吹き出した人間がいた。 「ノイン」 「いや、すまん」 非難の眼差しにノインは軽く謝る。しかし、謝っているとは思えない言葉がそれに続く。 「どうせ襲われるなら妙齢の美女のほうが良い」 「それはお前の趣味」 レアノージュの鋭い突っ込みが入る。が、ノインの意見の方が世間一般かもしれなかった。が、今度は張り合うようにレアノージュが呟いた。 「……相手の趣味に合わせて出てくる吸血鬼が違うのかな」 「年寄りなら用意できそうだが、さすがに幼女は無理だと思うぞ」 「ナルシストだったらどうするの?」 「俺はそれを考えたおまえの思考に万歳だ」 あまりに脇道にそれたレアノージュの疑問にさすがのノインも乾いた反応を返す。次いで、周りにぴしゃりと言う。 「ともかく、吸血鬼が人間の生き血を吸うということ自体が間違った前提なのに、どうしてそういう話になるんだ」 至極当然の指摘に、それもそうかと男たちは納得する。 吸血鬼。そう呼ばれ、忌まわれる者は確かに存在する。が、その名はまったくもって正しくない。彼らは人間の血を求めるようなことはしない。ただし、人間と相容れないことに違いはなかった。 彼らには精霊の加護がほとんどないゆえに、祀殿に従う世界から弾き出されているのだ。世間から隠れたり正体を隠したりしながら、ひそりと生きている。 「それにだ」 不思議な笑みを浮かべ、ノインが腰に手をかける。臨戦の合図。 男たちにも形容し難い高揚が走る。 「俺たちが恐れなければいけないのは、当面のお客さんだろう?」 彼の言葉が終わると同時、森の影が躍り出た。 |