「あら、ノージュ。とうとう馬車から追い出されちゃったの?」 馭者の隣に腰掛けているレアノージュを見上げ、徒歩の女性が話しかけた。一見すると、女性が座り、男であるレアノージュが歩くのが順当のようだが、実際のところ、彼女のほうが体力で勝っているので誰も何も言わない。 「そう。リエン様に席を譲ったら、ここしか場所が空いてなくて」 「同じ<恋人>どうし、話し相手になるとは思わなかったのかしら。他の人たち」 「私なんてガーデンに着いたらおさらばですから。臨時要員はつらいんです」 大げさに肩をすくめると女がわざと大きな声で言う。 「ノージュの実力なら、うちに入ってくれるとありがたいんだけどなあ」 「冗談。私もノインも扱いにくいですよ」 負けず劣らずの声量でレアノージュも返した。 馬車の連中に聞こえるように。 ざあんねん。 やはり大げさな調子で返すと、女は再びもくもくと歩き出した。 それを確認して、そっと息を吐いたレアノージュに馭者がこそりと尋ねる。 「ノージュ。他の術者の連中とうまくいっていないんですかい?」 「私は仲良くしておきたいんだけどねー。どうやら、相性が悪いらしくて」 こればかりはどうしようもない事実だった。 今回の仕事では、春夏秋冬すべての精霊をカバーするために、他に精霊術学を使う者が三人いる。全員が術者だ。 一般的に、術者と<精霊の恋人>はあまり仲が良くない。 研鑽を重ねて精霊術学を扱えるようになった術者は<精霊の恋人>を「幸運な怠け者」と呼び、資質で精霊を操る<精霊の恋人>は術者を「努力の優等生」と呼ぶ。 術者であっても優秀な者はかなり高位の精霊まで使うことができるし、<恋人>であってもまるで名ばかり、普通の人間よりもちょっとだけ加護が篤い程度の場合もある。一概にどちらが優れているということはないのだが、世間の認識では<精霊の恋人>の方がありがたみがある、とのことなので溝が埋まる気配はない。 レアノージュは特段、そういった意識はないのだが、彼の精霊の使い方が術者の面々の気に障ったらしい。一方的に嫌われてしまったようだった。 「だったら、巫子様も<精霊の恋人>でしょう?大丈夫なんですか?」 「あんな小さい子供相手には自粛するだろ、普通。相手は中央四季祀殿に仕える立派な巫子様だし。私みたいにふらふらしている不良<恋人>と同列に扱うような馬鹿はしないと思うよ」 リエンは<精霊の恋人>であると同時に、中央四季祀殿の唯一無二の巫子であるという揺るぎない尊敬の柱がある。 レアノージュに向けるのと違う感情を抱くだろう。 「天下のスーヴェニア家だから、逆の意味ですごいことになってそう」 ちらりと後ろを振り返りながら彼は言う。馬車の中でどんな会話が繰り広げられているのか気になったが、あいにくと声が聞こえてくるわけがない。 「スーヴェニア家って、あの聖女ローズマリーの直接の子孫の?」 聖剣王を倒し、大陸を救った名高き<精霊の恋人>ローズマリー=リリス=スーヴェニア。彼女は今でも民から尊ばれている。リエンはその血を最も濃く継いでいるのだ。ないがしろにする理由がない。 「でも、ノージュだって、ローズマリーの血筋でしょう?バージニア家の出身なんだから」 「それはそうなんだけど、少数精鋭のスーヴェニアと人海戦術のバージニアじゃ、比較にもならないって。バージニアは人数が多すぎて、祀殿の保護もないし」 「そうなんですか」 「そうなの。精霊術学の世界じゃ有名だからね。それでますますレッテル貼られている感じ」 確かに馭者の指摘した通り、血筋を辿ればレアノージュもれっきとしたローズマリーの家系である。 スーヴェニアとバージニア。 前者は優れた<精霊の恋人>を必ず遺した。だが、すべてのちからを一人に集約するように、必ず子は一人か二人しか生まれなかった。 後者は<精霊の恋人>を生む確率は高かったが、先ほどレアノージュが人海戦術と表現した通り。能力の低い子供を、数だけは多く生み出した。 結局、祀殿は<剣鎮め>の儀式の巫子として有益な人間を輩出するスーヴェニア家を手厚く保護し、バージニア家を役立たずとして切り捨てた。なので、今でも<精霊の恋人>の中でも多いバージニアの家名を持つ人間は、ちょっと扱われ方がぞんざいだったりする。 「私、強い方なんだけど。おかげで信用ないみたいで」 「雇われているみなさん、実力者ですからね。点数が辛いだけですって」 手綱を巧みに動かしながら、馭者はうっとりと思い出す仕草だ。 「だって、ノージュはあのノインさんの相棒を務めているくらいなんですから!」 力説する様子に、ああ、そっちねと彼は苦笑する。 彼の脳裏には襲撃者を突風のごとく切り伏せるノインの姿が浮かんでいるに違いない。 襲撃が重なるたびに相棒は実力で信頼をつかみとり、今ではかなり重要な仕事を任されるまでになっている。 いつものパターンだなあと、のんびりとレアノージュはあくびを噛み殺した。 そしていつものごとく。 自分もノインも。 ひとつの場所に長く居られるような存在じゃないのだから、それは無理だよと思った。 外から聞こえてきた会話に、隣に座っているヘレナという夏季の術者がぴくりと身動きしたのをリエンは感じ取った。 子供らしく遠慮なく、ちょっと聞いてみようかとも思ったが、それはやはり大人げないだろうとこころに留める。 ここは聞こえなかったふりだ。それかもしたら、外の景色に夢中になっているという設定。 リエンは夏季と秋季、つまり火と風の精霊に愛されている。 秋季の精霊たちは少女が興味を示したと感じとるや否や、小さくなって聞き取りづらかったレアノージュたちの会話を耳元に運んで来ていた。もちろん、周囲の術者たちには声は届いていない。 (ノージュ、バージニアの出身なんだ) 今更ながら、彼女はレアノージュの名前すらきちんと知らなかったことに気がついた。 (バージニアだからって、そんな卑下することないのに) レアノージュの周囲を取り巻く精霊でわかる。彼ははっきり言って、強い。 世間の常識ではバージニアは確かに弱いけれども、例外があることはリエンだって知っている。何しろ、リエンの二代前の<剣鎮め>の儀式の巫子はバージニア家の出身だったと世話係の女性から聞いていた。巫子は強い<精霊の恋人>でなければ、絶対にいけない。 そう教えてくれた女性の、やさしい闇のような姿を思い出し、リエンはあわててそれを脳から追い出そうとする。 今は中央四季祀殿に戻ることが先決だ。プリメラがどうしてあんなことをしたかなんて推測もできないのだから。戻って、会って、直接確かめるしかない。 トラッドの祀殿に駆け込めば、事は単純に終わったかもしれない。だが、こんな大それた事件を起こした以上、プリメラは処罰されているに違いない。 短い時間で考えた結論は、なんとか自力でガーデンに戻り、祀殿にたどり着く前に抜け出す。そして、どこかに囚われているはずのプリメラを探し出すこと。 ぎゅっとまぶたを閉じ、女性の幻影を振り払う。 そんな少女を見て、ちょうど良い具合にヘレナが話しかけて来た。 「眩しかったですか?」 「いいえ。ただ、こんなに次々と変化する景色を見たことがなかったので、つい、じっと見てしまいました」 これは本当のことでもある。 「私、ガーデンにある中央四季祀殿の巫子の専用の塔にずっといましたから。見える景色なんて、あんまり変わりません」 土地柄、春夏秋冬はきれいに巡ったが、窓の外の風景が劇的に変わることはありえない。 「こんなに大勢の知らない人に囲まれるのも初めてで、本当はとっても緊張してるんです」 これも事実。 祀殿でリエンが交流を持っていたのは、世話係の女性数人と、精霊王から人間へ授けられた器の守護者たちくらいだった。皮肉なことに、リエンが一番仲良くしていたのは剣の守護者である。 こんなことになってしまって、彼女はさぞ心配していることだろう。 いや。 どんなに心細く思っていることか。 ただでさえ、過去の守護者が事件を起こしたということで、マイカへの風当たりは強いのに。 知らず胸を強く押さえていた。 その仕草が健気に思えたのだろう。 「大丈夫ですよ。我々は巫子殿の安全を最優先しておりますゆえ」 「そのためのレアノージュですから」 「そうそう。巫子様がここへいらっしゃることを秘密にしている以上、襲撃のうちいくつかはノージュに向かいますから」 口々に三人の術者たちは言う。 あなたたち全員を合わせたよりも、私の方が強いんだけれど。正直を殺しながら、リエンはふとひっかかりを覚えた。 この一行が度重なる襲撃を受けているのは知っている。レアノージュは運んでいる法霊石が狙われているのだと話していた。 けれども、今の彼らの台詞から導かれるのは、法霊石だけではなく『レアノージュも』狙われていることになるのではないだろうか? 思い立って尋ねてみる。 すると、彼らは一様に顔を見合わせ、気まずそうな雰囲気。 これは何かある。 子供であるとはいえ、巫子として海千山千の祀殿の頑固者たちと時に衝突したりしながら付き合ってきたリエンである。 じっとりとその、<精霊の恋人>の証である瞳で彼らを凝視した。 耳慣れない単語に、ノインは聞き返した。 「<恋人>狩り?」 横を歩く男は神妙に頷いた。 「お前はずっと宿に居たから知らないかと思っていたが、やっぱりか」 トラッドでノインは外での情報収集はしていなかった。彼は人から話を引き出すことは巧くない。そういった役目は基本的に相棒に譲っているのだが、その相棒は巫子との騒動に巻き込まれていたために、今回ばかりは役立たずだった。 もっとも、その単語自体はノインの記憶の底にはあった。 「それはあれか?<精霊の恋人>ばかりが狙われて襲われて、最悪、殺されるとかか?」 「ずばりその通りなんだが、よくわかったな」 実は知っていたんじゃないかと頭を掻いた男に、ノインは呆れたふうを装った。 「小さいときに習っただろう。ガー……<聖剣王>が反乱中に<精霊の恋人>を目の敵にして狩りまくったって」 「うーん。覚えがないぞ」 「それはお前がまじめに聞いてなかったからだろう」 「かもしれん。俺はなにせ席にじっとしているのが苦手でなあ」 豪快に笑い飛ばす男を見て、ノインは歩調を落とした。話を聞く態勢。 過去のことを知っていても、今起こっている物事とはまったくの別物である。相棒が<精霊の恋人>である以上、たとえ噂に過ぎなくても不穏を無視するわけにはいかない。 「だろうな。だが、教科書が役に立った経験など数えるほどだからな」 にやりと頬を歪めて続きを促す。 違いないと豪快に笑い、男はちょうどよい話し相手を得たとばかりに言葉が流暢に飛び出して来る。 噂はトラッドで拾ってきた事。地方よりも中央で事件が多く起こっている事。そのため、秋季の端からやってきた自分たちは知らなかった事。四季の精霊、老若男女に関わらず起こっている事。 「事故の可能性は?」 <精霊の恋人>は精霊に自動的に守られる。が、精霊の寵愛も無限ではない。一般人に比べれば、可能性は低いとはいえ、事故死は否定しきれない。 噂になるくらいなのだから、そんなあまい観測も吹き飛ぶ『とっておき』があるのだ。 果たして、男はそれを披露した。 ノインの胸を無骨な拳で小突く。 「心臓を一突き、だぜ?」 「短剣?長剣?」 「さあ、そこまではね。全員真正面から一撃で、凶器は現場に残ってないとは聞いたぜ」 「そうか」 なるほど。わかりやすい殺人だ。 そして、ノインには嫌なくらいに記憶を刺激するものだった。 ちらりと後方に視線を流す。 そちらには法霊石と<剣鎮め>の儀式の巫子を乗せた馬車がある。彼が育てた相棒も。……<精霊の恋人>がふたり。 レアノージュもリエンも<精霊の恋人>としては規格外だ、との認識がノインにはある。片方はずっと身近にいるからこその実感、片方は肩書きゆえの直感。 彼らを心配するのは無駄だろう。 そうは思うのだが。 「心配か?」 「まあな」 「だな。なんてったって相棒だしなあ」 うんうん納得する男に、ノインは苦笑にとどめる。 心配なのは、もし<恋人狩り>とやらで彼らが襲われた場合に確実に巻き添えを食らうであろう、大事な依頼の法霊石である。 次の休憩中にでも、せめてレアノージュだけは法霊石から引き離しておこう。 ノインは密かに誓った。 |