Lover's contracT
080203







第1章



「ノイン。この子、リエン=カクトゥス=スーヴェニア様。中央四季祀殿の巫子様です」
 もう疲れました。
 そう大きく顔に書いて、レアノージュは相方にリエンを紹介した。猫背気味のレアノージュとは対照的に少女はすっくと背筋を伸ばしている。その姿には、幼いながらにも『貫禄』というものが感じられる。
 そんな少女の態度をどう感じたのかは、相方の表情からはわからない。何せ、彼は基本的に無表情。ただわずか跳ね上がった眉の角度から、「厄介ごとか……」との嘆きが聞こえてきそうだった。
「リエン様。これが私の相方のノインです。顔が怖いのは地ですから、気になさらず」
「気になるのは急に敬語になったノージュなんだけれど。せめて『様』付けはやめてくれない?」
「と言われましても」
「私がやらせたって言えば怒れる人間なんていないもの?」
 泣く子供には勝てないというが、権力を持った子供にも勝てるものではない。レアノージュが観念して両手を上げると、リエンは満足そうに頷いた。
 そんな彼らのやりとりに低い声が滑り込んだ。
「……そこで勝手に打ち解けられていても困るんだがな」
 言わずと知れたレアノージュの相方だった。ソファに長身を深く沈めている。髪も瞳も服装も黒一色。露出している顔だけが、人形のように白い。
 反応したのは意外にもリエンの方だった。
 よれたワンピースの裾をちょっとつまんで、礼をする。
「初めまして。私、リエン=カクトゥス=スーヴェニアと申します。お二方とも中央四季へ上る途中だと伺い、お願いがあって参りました」
 年齢を感じさせない言葉遣いである。祀殿の頂点に立つ中央四季祀殿のなかでも巫子という特別な位に就いているだけある。
 レアノージュはこころで感嘆のため息を落としたが、相方は現実で重苦しいため息を落とした。
 さすがにリエンが反応する。
 隣で肩が震えたのを見逃さず、レアノージュは慌てて付け加えた。
「い、今のはリエンさ、じゃなくてリエンに対するのじゃなくて!確実に『何、面倒事を運んできたんだ、この馬鹿が』っていう私に対するのだから!気にしないでください!ええ、ぜひとも、まったく!」
「よくわかってるじゃないか」
 横柄に組まれていた腕が解かれ、ノインの指先がまっすぐにレアノージュを示す。
「仕事中に勝手にもうひとつ、仕事を入れようとするのは御法度だと常々言い聞かせていたはずだったが」
 その頭は飾りか?
 指摘にレアノージュはうっと詰まる。特に今回の仕事は報酬も大きいがリスクも大きい。そこにこんな危険要素をさらに加えるなんてと言いたくなるノインの気持ちはよくわかる。――ノインの立場を考えれば、なおさらに。
「それを……」
「ちょっとお待ちなさい」
 縮こまったレアノージュを救うのはリエンの声。ノインの台詞を遮る。
「今、受けているお仕事というのは何ですか?」
「仕事には守秘義務がある」
 そっけないノインにリエンは負けない。守秘義務の単語を無視したのは、年齢ゆえに理解できなかったからか、あるいはそれと知った上でか。
「そのお仕事が祀殿に関係するなら、何も言わせません。私、祀殿にとってはなくてはならない、ちょっと特別な巫子なんです」
 いたずらっぽく告げる。
 少女の頭上で視線が行き交った。
 レアノージュとノインのふたりが受けているのは、祀殿に関する仕事であるのは間違いなかった。直接の依頼主は普通の商人で、仕事内容は荷物の護送だが、荷を届ける先はずばり中央四季祀殿である。
 さらに、リエンの口ぶりも気になった。
 彼女が祀殿で大切にされているのは間違いない。強力な<精霊の恋人>というのもそうだが、それ以上に、ふたつの精霊に愛されているというのが非常に稀なのだ。
 そして、そういう存在が就くことができる『特別な巫子』が何であるのか。
 困ったことにふたりには見当がついてしまったのだ。
 ついでに言えば、気がついてしまった以上は見過ごせないということにも。
 状況的に折れるしかないのは明らかだった。
 せめてもの腹いせとばかり。聞かせるための長い嘆息と共に、ノインが立ち上がった。
「そこの巫子様には、こっちの詳しい事情は説明していないんだろう」
「うん」
「なら、今のうちに説明しておけ。後でわかってから、いろいろと騒がれたくはない」
「えっと、じゃあ」
 よどみない足取りでノインは扉に向かった。ノブに手をかけ、初めて振り返る。
「今回の仕事は俺たちだけじゃない大所帯だ。他の連中に話をつけて来る。中央四季祀殿の巫子様の要請なら、いくらなんでも連中ははねのけられないはずだ」
 今回の依頼主は祀殿とも縁の深い商人だ。これを利用しないわけがない。盛大に恩を売るに決まっている。
 自分たちのような流れ者とは違って、他の連中は依頼主に何年も雇われているから、どう動くべきかすぐに理解するだろう。
 廊下に消える男の背中にリエンはまっすぐに叫んだ。
「ありがとうございます!」
 表情は見えなかったけれど、多分、ノインはちょっとだけ顔をゆるめただろう。
 そんなことを思って、レアノージュは立ったままだった少女に椅子を勧める。彼女の身分を考えれば、最初にそうしなかったのは大失態だったが、文句を言われることはなかった。
「お茶は?」
「説明は急がないの?」
「帰ったときに飲み物の一杯もなければ、ノインが不機嫌になりますので」
「巫子の機嫌よりも、そちらのほうが大切なの」
 湯が充分あることを確認しながら、レアノージュは頷く。
「相棒の機嫌は生死を分けますから」
 ティーポットに茶葉と湯を放り込んで蒸らす。カップは三つあった。
 リエンが座ったのを確認して、正面に腰を下ろす。
 時間が来たところで手際良く注いで、差し出した。
「基本的にこういう商売では仕事内容を話すわけにはいかないんですが、今回は場合が場合なので特別です」
 レアノージュは前置きして始める。
 リエンに教えてあったのは、彼らが荷物の護衛をしていることと、その荷物の送り先が中央四季祀殿であるということだけだ。
 荷物の内容は教えていない。しかし、それが一番の重要だった。
 荷物の中身は法霊石。最高級の品で、<剣鎮め>と呼ばれる祀殿の儀式で使われるものだ。
 儀式の名前にリエンが声を上げる。
「……私、その儀式の巫子よ」
 レアノージュは軽く頷いた。そう気がついたからこそ、ふたりは彼女の頼みを聞くことにしたのだ。
 なにしろ、この<剣鎮め>、祀殿の中では最も重要な儀式とされている。
 由来は五百年ほど前に起こった『聖剣王の乱』と呼ばれる戦いだ。
 祀殿が精霊から与えられた四つの器。そのうちのひとつである剣を守る立場にあった男は、他の三つの器の守護者を次々と殺害し、大陸全土を支配しようとした。そのときに自ら名乗ったのが、<聖剣王>である。十年にわたる戦火の末、彼はローズマリーという<精霊の恋人>に、自らの持つ剣で倒された。このとき、もともと神聖な器であった剣に<聖剣王>の怨念が取り憑き、穢れてしまったという。そして、ローズマリーの遺言に従って、怨念を払うべく行われるようになったのが<剣鎮め>である。
 これだけ聞くと、ただの伝統ある行事とも思える。
 もしレアノージュが<精霊の恋人>でなければ、彼もそう考えていたかもしれない。
 だが、彼が今まで受けた教育は、この儀式が失敗すれば『とんでもないこと』が起こるとことごとく告げるのだ。
「その儀式の巫子が誘拐されて、さらに儀式のための法霊石の輸送には襲撃が入る。……これで見過ごしてるわけにはいかないでしょう」
 さらりと述べられた単語にリエンの目が瞬いた。
 言葉を噛み締めて、尋ねる。確認のために。
「えっと……襲撃?」
「そう。私たち、このトラッドに来るまでの間に十五回も襲撃されてまして」
 いくらお宝を積んでいてもあり得ない回数である。そもそも、中央四季が例えばこのトラッドのような、もっと近場の商人に法霊石を用意させなかったのが、何かを感じさせるに十分な材料だ。
「そういう状況でよければ、お供させていただきますけれど、リエン様?」
「様付けは止めてちょうだいって言ってるでしょう」
 冷めてきたお茶に手を付けながら、少女は笑う。
「そういう状況こそ、巫子の出番なんじゃないかしら?」
 まるで楽しむかのような様子にレアノージュはうらやましいような気がした。



「そういえば、ノージュ」
 図らずも祀殿の重要人物を迎えたために、一行の出発は明日となった、その夜。
 大人びた言動をしていても、身体はやはり子供。ベッドに入って数分で寝息を立て始めたリエンを確認して、ノインはおもむろに切り出した。
「おまえ、この子に俺のことをちゃんと言ったのか?」
「……」
「言ってないな」
 あからさまに視線をそらしたレアノージュにノインは呆れを隠さない。
「後でばれてから騒がれたくないと言っただろう」
「いや、平気だと思う、よ?」
 しどろもどろの相棒にノインは畳み掛ける。心なしか、笑っているように見えるのが逆に怖い。
「根拠は?」
「……私が平気だったからじゃ、ダメ?」
 あんまりな理由に、ノインが両の拳を組み合わせた。
 再教育が必要だなと呟く彼に、レアノージュの謝罪攻撃が始まる。
 いつもと変わらない、けれども確実に変わった夜が更けていく。







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