> 月を抱けば Maria on the Moon |
STAGE 7−4 |
春日まりあと春日いつきは双子の姉妹だった。一卵性ではなかったけれども、そうと見紛うほどに外見はよく似ていた。 まりあは芸術の――歌の道に進み、いつきは科学者として注目を浴びた。 もし、それで終わっていたならば過去は変わっていただろう。 練習に練習を重ねてやっとまりあが可能とした七重音声。 それを、いつきは練習もせずにあっさりと為してしまったのだ。姉妹ふたりのちょっとした戯れの場で。 「詳しくはプライベートに触れるから、触れたくはないけれど。アリアさんはそのふたりの情報を元にして作られた人間だから、……理論的には純血の月民。アリアさんの本名、知ってるかい?」 ゆるゆると首を横に振った。 なんだか思考がついていかない。 途切れない歌声に、攫われてしまったようだ。 ああ、だからセイレーンなのか。 セレーネ・セイレーン。ひとを惑わす、最高の歌姫の名誉の称号。 鈍い音が舞台を覆う。 「甘い」 女が笑う。 「この程度、防げないとでも思ってたの?わたしがフォールじゃないのは知ってたでしょうに」 銃声は五発。 そのどれもが彼女には届いていない。どうやって跳ね上げたのか、床であった部分が跳ね上がって壁となっている。 しかも、木か合成樹脂の板だと思っていたが思い違い。音からするにもっと固い……合金だ。 「くそ」 「なんでもいい、片付けろ!」 思わぬ事態に男たちはいきり立っている。とにかく怒鳴りあっているのが、全部敵とみなして間違いないだろう。 わかりやすくていい。 それに物騒なことも言っていた気がする。声が聞こえなくても、くちびるの動きが読めれば、だいたいの内容は把握できるものである。特にこういう連中の場合は。 ヒールの靴を投げ飛ばす。動きにくいことこの上ない。 両方ともが今まさに引き金をひこうとしていた男たちの頭へクリティカル。その場に声もなく倒れたようだ。御愁傷様、ヒールの部分に鉛を仕込んでおいたのだ。 「誰か武器!」 叫べば間髪入れずに無反動式の銃が投げてよこされる。 それを受け取りながら、すべらかにセーフティを解除。天井を狙って二発。反響が収まる前にむき出しだったケーブルの類が落下してくる。何人かに直撃。いい感じ。 「マリア様、大丈夫ですかー?」 落ちてきた埃の凄まじさに声がかけられる。ただし、返事をするわけにはいかない。場所を教えてしまうことになる。 自分で招いたこととはいえ、視界の悪さには閉口させられた。 そのまま、身を屈めて連続する銃弾をやり過ごす。まさしく数打ちゃ当たるを実行してきている。 「紫野、目くらまし」 マイクに向かって呟いて、ぎゅっと目を閉じる。見計らったタイミングで照明が何度もフラッシュする。 その隙をついて舞台袖に転がると、そこへあらかじめ隠してあった銃で照準を合わせる。 準備のおかげで視界は良好。 だが、引き金を引く必要もなかった。 すでに立っている的は一人だけだ。それも、取り押さえられるまでは時間の問題、という姿勢でだった。 安全装置を元に戻しながら、アリアは踏み出した。 高いヒールでも足場の悪さをものともしない。 「ご苦労様」 「いいえ、他ならぬマリア様のためですから」 拘束されている男は、このやりとりに顔を上げた。 「マリア、だと?」 「そう」 言うと、彼女は流れるような仕草で床で埃にまみれたテーブルクロスを拾った。 それを素早く、男の口を塞ぐように巻き付ける。 「こんな女が、とか……唾を吐くのだけは止めてよね」 こういう種類の男の常套句は聞き飽きている。かつて、彼女がこの<スラム>で実権を握るまでにうんざりしたものだ。 アリアは微笑んだ。まさに聖母の笑み。 「わたしがこの<スラム>のまとめ役。本当だったら、こんな事態を引き起こした時点で始末するんだけど」 自分の領域を侵されたのだ。そうするのが普通である。 「もしかして助けるんですか?!」 「こいつら、そのうちマリア様にも手ぇ出すつもりだったんですよ!」 リーダーの決定が絶対であっても、さすがの甘い処遇にアリアを取り巻く人間たちから不満があがる。 対するアリアは肩をすくめて言い放った。 そう言われることは予想済み。 「こいつを単に叩いたって、次が送られてくるだけだもの。でも」 予備動作もなく、アリアの膝が男の股間に叩き付けられた。 悶絶している男の頭頂部、彼女は銃をつきつける。 「動かないで」 かちゃり、わざとらしい音。 「どうせだったら、ロシアンルーレットでもしましょうか?」 彼女の言葉に応えるように運ばれてきたものは、跪いた男からは見えなかった。 歌う歌う、音の連なり。 途切れない。客席からは物音ひとつしない。フォールの舞台とは大違いである。 それもそうだ。 この声に聞き惚れない筈がない。 「くやしい」 「何が」 「何もかもが。……どうして」 どうして、舞台に立たせられたのが自分であったのか。今日のように舞台に立つ予定があるのであれば、最初からアリアがこの仕事を受けていればよかったのだ。 これに比べれば、自分のそれは児戯に等しい。鼻で笑う代物、あるいは良くて微笑ましい子供騙しに違いない。 そういえば、と思い出す。 かつて一度、アリアと紫野が手に入れたチケットで舞台を見に行ったことがあった。当代一の歌姫であるレファンシアの舞台。最後まで聴く必要もないとアリアが席を立った。そりゃあそうだろう。彼女からすれば、レファンシアも足下にも及ばない。 「答えは、いくつかある」 思いもかけず、紫野から言葉が放たれた。 「ひとつは……っと!」 瞬間、フォールは凄まじい遠心力で振り回された。視界がぐるりと廻る。紫野の肩越しに、入り口からだらしない足取りで入り込んでくる男たちが見えた。 「ようやっと見つけたぜ」 「それはご苦労様」 紫野が呟く。慎重に角度を調整しながら、フォールが完全に背に隠れるように調整した。 「おまえには用はねえよ。後ろのお嬢ちゃんさえ渡してもらえりゃあ、お前には勘弁してやらあ」 「そうそう。まったく、替え玉を用意するなんて舐めた真似をしやがって」 「しかも何だ?<スラム>のリーダーを囮にするなんざ、頭の回路がいかれてやがるのか?」 ホールに行った奴らは全滅だーー。 並べられる言い分に、フォールは戸惑う。 何を言っているのだろうか。スクリーンの映像では、淡々と舞台が進んでいるように見えるのに。 (淡々と?) 待て、それはおかしくないか?これだけの舞台であっても、あの場所は酒場なのだ。演奏中であっても、当然のように料理の注文のやりとりはあるわけで……あそこまで客席がしんとしているわけがない。 ならば、あの映像は何だ。 偽物。 すぐさま浮かぶ。 でも、そうする必要がどこにある? フォールの混乱をよそに、青年がうそぶく。 「お生憎とそちらの命令を聞くようには出来ていませんので。退散するなら、今のうちでお願いします」 「へ、丸腰のひょろひょろが言うじゃねえか」 紫野の身体を舐め回すように眺めて、男が一歩進んだ。 ゆっくりと威圧感をもって進んでくる男と紫野とは体格が違いすぎた。確かに世の中には細くても筋肉で引き締まった肉体というものはいくらでも存在する。しかし、紫野のそれは明らかに運動とは無縁のそれにみえる。 いくらなんでも無理だ。 「あ、あの……」 「その案は却下です。……まあ、見てなさい」 男たちが要求しているのは自分なのだから、それを差し出せば。言おうとした言葉は実体を持たないうちに否定される。 見ていろと言われても、どう青年は対処するつもりなのだろう。こんな状況で。心細さが強くなって、さっきまであれほど反発していた背中にフォールはすがりついた。 (え?) 途端に彼女は違和感を覚えた。 (何、これ) 固い。 そして……冷たい。 布越しであれ、人間がふたりぴたりくっついていれば、じんわりと熱を感じるはずだ。 それがない。 今まで、こんなシチュエーションに置かれたことがなかったから気がつかなかった。 頭の芯が冷えていく。 これは一体、何だ? 思考を停止させたフォールに現実を思い出させたのは、男たちの焦ったような怒号。 おそるおそる紫野の肩越しに見れば、足下や天井から火花の噴水が湧きあがっていた。それだけではない。どうやって作動させたのか、火災の際に噴射される化学消化剤が容赦なく彼らを襲っている。 白い煙にまみれながら、誰かが発砲した。 だん、という衝撃が紫野をクッションにフォールまで伝わった。 「紫野さん!」 「大丈夫。狙いなんか合っちゃいない」 「そうじゃなくて!」 撃たれたのだ。 それをどうしてそんな冷静にしていられる。 「傷は」 「この程度なら、僕は壊れないし、やばいパーツがいかれたわけでもない」 言葉に、彼女が視線を泳がせた先。 彼の左腕、真ん中のあたりが不自然に『破れて』いた。そこに命中したのだろう。それなのに、肉が焦げるような、あの吐くような臭気はしなかった。むしろ、なにかもっと人工的なものが灼けるような匂い。 呆然とするフォールの台詞を奪うように、消化剤から這い出た男が叫んだ。 「お前、ドールか!」 「外身はね」 ドール。裂心症で著しく減少した労働人口を補う為に作られた機械人形。 「馬鹿な。ドールに人格が……」 「だから外身はって言っただろう?」 ま、親切に説明する必要もないか。 呟くと同時、男の顔面付近にあった床から火花があがった。爆発にしては不自然なそれは決して大きなものではなかったが、もろに直撃を受けた男はそのまま気を失ったらしい。ぴくりとも動かなくなった。 「さて、まだやるかい?」 フォールを背中にかばったまま、紫野が見渡した。煙越しの相手たちが怯むのが、はっきりと伝わる。 当然だ。人間相手であれば、数撃ちゃ当たる方式で突撃すれば、目的の少女を始末できるだろう。しかし、疲れを知らないドールが相手では、数の有利は格段に減少する。さらに目の前のドールは規格外と認定。よく仕組みはわからないが、一連の不可解な電気トラブルもタイミングを考えれば、得体のしれないドールがやったと推測できる。 ホールの本体は全滅。こちらも勝ち目なし。 男たちの決断は速かった。 じりじりと後退する。顔には精一杯の虚勢があった。 「判断は誉めておこう……でもね」 紫野が呟くのが聴こえた。 けれどもその声音は剣呑そのもので。 フォールはびくりとしがみついたままだった背中から離れる。 「そこに伸びてる仲間を見捨てようとするのも、一度受けた仕事を放り出そうとするのも」 ばきりと床から音がした。見れば、紫野の右手が床をぶち抜き、むき出しの電気配線に触れていた。人間であれば触れられもしないだろうそれに、彼は自分の指を容赦なく突っ込み、平然としている。 「何よりもアリアさんを狙ったのが赦せないんだよね」 宣告に、フォールは思わず瞳を閉じた。耳も塞ぐ。 何が起きるかとか。 まったくわからなかったけれど。 知ってはいけない光景が広がる気がしたのだ。 そんな態度に青年が笑ったのが、なんとなく分かった。 ねえ、どうして笑えるの……? その後のことは実際、よく覚えていない。 |
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