> 月を抱けば Maria on the Moon |
STAGE 5−2 |
「今度のコンサートなのですが、成功するでしょうか」 神妙な顔でレファンシアは目の前の占い師に問いかけた。 鮮やかな布を何枚も重ねた占い師は、やんわりと頷くと、ふたりの間に置いてある水晶玉に手をゆっくりとかざした。中空で撫でるような動きを繰り返すたびに、占い師の薄いヴェールに縫い付けられた色とりどりのビーズがランプの灯火にあやしくきらめく。 レファンシアがここを訪れたのは初めてだった。むしろ、占いに縋るのが初めてだ。 前回の如月財閥のコンサートから一ヶ月。先方からコンタクトをとってくる様子は一向にない。それゆえに彼女は焦っていた。今までの経験から考えて、色よい返事であれば舞台から二、三週間で連絡がくるはず。それがないということは、なにか向こうのお気に召さないことがあり、自分が切られた、という予測がある。 これはかなりのショックだった。 自分では、最高の空間を創りあげたと確信しているだけに。 どうしても納得できない。 諦められない。 なれば、すぐに次の手を打つまで。 長い舞台生活で身につけた処世術のまま、彼女はコンサートのチケットを一筆を添えて送りつけた。 この時点で。相手が来てくれるかどうかは別として、レファンシアはちょっとのミスも許されなくなったのだ。 言うまでもなく、一瞬一瞬の舞台のうえで生きる人間として、常にミスなど許されてはいない。だが、それだけではないものが彼女を不安にさせていた。 先日の完璧な舞台。完璧な歌。完璧な構成。 自分で最上であると確信していたものが砕かれてしまったのだ。 それを踏まえて、どう修正すればいいのか。 誰もが認める当代一の歌姫には、相談する人間もいなかった。 そこで、最後の藁が占いだったのだ。 人伝に聞いた事のある占い師。過去や現在を恐ろしいほどに見抜き、託宣するという。 かの占い師に縋った人間のすべてが救われたわけではない。逆に破滅の途をたどった者もいる。そうと知りながらも、手を伸ばさずにはいられなかった。 それに自分であれば、どんな方を授かったとしても、自滅なんてしない。するわけがない。 うまく立ち回る事には誰よりも長けているのだから。 ぎらぎらとした瞳で射抜けば。それを意に介さずに、占い師の娘は顔を上げた。ヴェールのせいで判然としないが、かなり若い女だった。 「成功とは、如月財閥を射止められるかということでしょうか」 「!」 紡がれた直裁的な言葉にぎょっとする。慌てて表情を取り繕ったが、動揺は抑えきれなかった。 それもそのはず、レファンシアはスポンサー云々の話すらも出していなかったのだ。如月の話は霞ほども。 「ライバルの存在によりますね」 レファンシアの反応に構わず、娘は淡々と続けた。 「すべての競争者が消えれば、貴女の出番もやってくるでしょう。けれども、如月を満たす存在がひとりでもいる限り、貴女の望みは果たされません。 光も影も、そこにしかありません。スポットライトの中にはないのです」 前半しか、耳に入らなかった。 ライバル。競争者。そんなものがどこにいる。 頭のなかで猛烈な勢いで計算が働く。記憶を探る。否、探るまでもなく。 いたではないか。……いるではないか。 消したはずの娘。この自分を押しのけて如月財閥からの指名を受けた人間。 既に生きてはいないものと高を括っていたが、それが間違っていたとしたら。 実際に、あの小娘の死体を見ている人間はいないのだ。<スラム>に落ちたという話だったが、しかも裂心症を引き起こす雨の下だったという話だったが。 にも、関わらず。 あれが、今も未だどこかで生きて。歌っているとしたら。 ぞくりと寒気が這い上がった。 どこまでも低い可能性。しかし、無視できるわけがない。どんな些細な目でも潰しておかなければ。 「貴女を脅かす影は貴女の足下にあります。光の世界から、貴女を取り巻く世界をご覧なさい。 見いだした後の行動は、卑小なわたくしには推し量る事はできません。正も誤も貴女次第です」 ふんわりと言葉を切ると、占い師は立ち上がった。終わり、ということだろう。 曖昧な言葉の連続であったが、彼女は満足していた。占いとは、所詮はこういったものだろうと思っている。 聞く話によれば、こちらが求めれば求めるだけの具体的な方策すら授けてくれるという。が、それだと今までのレファンシアの所行を話さなければいけなくなるかもしれない。 風聞が第一の商売、華麗な歌姫の闇を曝すなどとんでもなかった。 「ありがとう」 尊大な調子で言うと、席を立つ。 扉に向かって歩く彼女の背中。濃く薫きしめた異国の空気の中、占い師の声が追いかけて来た。 「ご武運を」 どこか虚ろな雰囲気のそれには、気がつかなかった。 それどころではなかったから。 久しぶりに着たイブニングドレスはすかすかした。 歩きやすさのための大きなスリットも以前は当たり前と感じていたのに、今では気恥ずかしさすら覚えてしまう。 もっとも、昔はこういった大人っぽい服を着れるのが嬉しかったから、そっちで気分がいっぱいになってしまっていたのだろう。 「はい、これ靴」 渡されたのは、これまた踵の細くて高い靴だった。ドレスに合わせて淡いピンク色をしている。 比べるアリアはまるでバラのような深い紅である。派手な色彩を見事に着こなしている。髪と瞳に合わせたように似合っていた。 「慣れてますね、アリアさん」 「まあね」 さらりと流す彼女は、これ以上は聞いても無駄だと言外に滲ませている。そもそもが<スラム>で暮らす人間に、どうしてこれだけの金のかかった衣服があるのか問題である。 アリアは長い髪をくるくるとまとめてアップにしている。器用にピンを差し込んで頭のてっぺんで留めていた。 似ていると改めて思う。 かつての偉大なる歌姫。春日まりあ。 純血の月民であるはずの彼女と、アリアが。こうやって衣装を整えればその感慨は深くなった。 渡された靴に履き替えて、つま先を確かめる。これなら大丈夫だろう。 仕上げに濃いピンクのオーガンジーのストールをまとって完成。アリアと言えば、たぶんフェイクファーであろう、豪奢な黒い毛皮を手にしていた。 「さ、行きましょ」 気軽に告げて扉を開ける。 途端、きゃ・と小さな声が足下に転がった。赤い目が不安げにこちらを見てくる。 「リーチェ」 「二人とも、お出かけなの?」 どうやら戸にへばりついていたらしい。「置いてけぼり」という子供らしい動揺にふたりは頭を撫でてやった。 大丈夫、すぐに戻るから。そう言うよりは、こうしたほうが伝わる。 手のひらの温かさにきょとんとし、リーチェはふたりの顔を交互に眺めた。今まで動きやすい服装の彼らしか見た事がないため、珍しかったのだろう。 「ふたりとも、そっくり」 「そう?」 即座にアリアが切り返した。たしかに、フォールもアリアと同感だった。幼い子供にはきらきらした衣装だけで目がくらんでしまったに違いない。 「明日の朝には戻ってるよ、リーチェ」 「うん……」 きゅ、と手を掴まれてフォールは困ってしまう。 あまりゆっくりしていては時間に遅れてしまう。 驚いた事に、この教会にはエアカーのような移動手段がまったくなかった。 急患のときにはどうするのか聞いたら、そもそもそんな一刻を争うような患者は診ませんという、医者とも思えない台詞が返された。 「ほら、紫野がいるから大丈夫よ」 アリアが助け舟を出す。紫野はチケットを譲ってくれたくらいだから、本日は留守番組である。 「うん……」 それでもリーチェは気乗りしないらしい。 「でも、りーちぇ、先生こわいもの」 「怖い?」 あの節約っぷりは鬼かと思うが、それ以外はのほほんとしてそんな感じはしない。子供は敏感だというから、なにか自分にはわからないことを悟っているのかもしれない。 「だって、おおきなおにん」 「あら、時間。急がないと」 時計を見てアリアが声をあげた。リーチェの声を遮るかたちになったそれを彼女は気にすることなく、フォールの腕を叩いて促した。 「あ、本当。遅刻しちゃいますね」 「ええ、ごめんなさいねリーチェ」 言葉と同時にアリアが歩を進めた。悪いと思いながらも、フォールもそれに倣う。 最後にそっと後ろを振り返ったとき、不安げにたたずむ子供の姿があった。 「アリアさん、ちょっとタイミングが悪くありませんでした?」 「たまたまそうなっちゃっただけよ」 ずんずん先を行く背中に声をかければ、ぽんと返事が投げられる。でも……、と重ねようとしたところでアリアが早い。 外への扉を開けながら。 「わたしにとっての最優先は栄なの。その彼をなにも知らないお子様に語られるっていうのが我慢できなかったと言うか……」 そこが本音らしい。 ずっと疑問に思っていた事がちらり頭をかすめた。 今更こんなことを聞くのはどうかと思うが。 「あの、お二人って恋人とかなんですか?」 「……」 沈黙が跳ねた。 うあ、どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。どうフォローしようかと思考を巡らせていると。 時間差でアリアの回答がきた。 「……恋人というよりは運命共同体かしら」 「はい?」 「……むしろ、親子?」 「はあ」 なんと返していいかわからなかった。どうやら独り言だと理解できてしまっただけに。 親子? その単語に、フォールの方が聞きたい。どう見ても同年代のふたりが親子であるのは不自然である。 それ以前に、どっちが親でどっちが子なのか。 想像しようとして、止めた。 どちらにしろ怖い事には変わりはなかった。 |
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