> 月を抱けば Maria on the Moon |
STAGE 5−1 |
巨大なスクリーンをヒツギは見上げる。 「ここ三年間の失踪者および死亡者」 <エデン>の情報へリンク。 ヒットした件数の多さにうんざりとするが、今回は条件がかなり良い。絞り込むのは簡単だろう。 「病死は除外」 声に反応して、カウントが一気にダウン。 <マリア>の話していた情報を吟味。如月財閥にあった春日文書が関係しているならば、いい条件が加えられる。 争いに敗れたとはいえ、最初に正統な後継者として育てられたヒツギにとって。如月財閥の過去の情報など、いくらでも持っているのだから。 「音楽業界、芸能界の関係者」 さらにカウントが減少。はじき出された名前は五十人程度になった。 対面したときの顔を思い出す。あれはどう見ても二十歳には届いていない。人種によって年齢を計りにくいことを考慮しても、十代半ばといったところだろう。 それを考慮に入れれば、さらに減る。 結局残ったのは二十人前後の名前だった。 リストアップにヒツギくちの中で音を転がした。 彼女が名乗った名前。 「フォール=アルファ」 カウントはゼロ。 「当たり前だな」 <エデン>出身の<スラム>の住人(ワケあり)が本名で堂々と生活しているわけがない。 けれども、これが本名とほど遠いかといえば答えは否である可能性が高い。 人間、とっさに偽名を名乗るとすると、自分の周りの人間の名を使ったり、あるいは自分の名前をもじったりするのだ。 二十人の名前を呼び出して、ひとつひとつ確認する。 ちょうど列の半ばで、ヒツギの視線がとまった。 「ビンゴ?」 フォンテール=グリークファースト。 名は『フォール』に通じるし、姓のグリークファーストはギリシア文字の最初、アルファに言い換えられる。簡単な言葉遊び。 迷わずに彼女の個人情報を呼び出す。いくつかのブロックが現れるが、意識するほどのものではなく突破する。 スクリーンにウィンドウが現れては閉じる。暗い部屋を光が瞬いては消滅する。今はあらわにしている緑の瞳が、思い出したように鮮やかに浮かび上がる。 光芒はすぐさま静けさに変わった。 スクリーンには少女の姿が映し出されている。 音楽学校を在学中、十三歳で舞台デビューを果たしている。これは珍しいことでもなんでもなかった。幼い頃から英才教育を受けていた側から見れば、遅いくらいである。 両親は既に死亡しており、叔母夫妻が面倒を見ていたようだった。行方不明になったのは二年前で、捜索届も出されている。 備考欄にある文句が、ヒツギの目に飛び込んでくる。 「如月財閥のパーティにゲストとして招待?」 並みいるベテランを抑えてということで話題になったらしい。そして、その一ヶ月後に彼女は<エデン>から失踪したのだ。パーティに出席する前に。 これだ。 関連証言をコール。 彼女のクラスメイトのもの、音楽学校の教師、叔母夫妻、同じ劇場で働いていたレファンシア=デディ。 全てのファイルをこじ開ける。 いいえ、そんなはずはありません。あの子は大変名誉なことだと喜んで。 ときどき、深刻な顔で悩んでいたようですわ。大きな舞台だから失敗は出来ないと怯えていたようです。 フォンテールが自分からいなくなるなんてことないと思います。それも誰にもなんにも言わずになんて! あの年頃の子供ですもの。怖くなって逃げ出してしまったに決まっていますわ。無責任なこと。 学校では自信がないのであればお断りするようにと言いました。本人も無理そうであれば教師を通じてきちんと申し上げると頷いていました。 なにより、責任感の強い彼女が誰にも言わずに消えてしまうなんてことはありえません。 それぞれに耳を傾けて、ヒツギは情報を別に入力した。 人物検索。 今度は、今まで使っていた端末とは異なり、誰もがアクセスできる一般のものだ。 「レファンシア=デディ」 ヒットは一件のみ。彼女の略歴だけを拾い上げる。過去に何かの事件に巻き込まれていれば、先ほどのように肉声が証言として拾えるはずだ。それも同時検索をかける。 「当代一の歌姫、ねえ」 きらびやかに飾り立てた中年の女性が映し出される。美しかったが、どこか刺の雰囲気をもまとっていた。 最新の記事は<エデン>の新聞だ。どうやら、如月財閥のパーティの席で一曲歌ったらしい。 記事には今後彼女に如月という強力なスポンサーがつくかどうかの憶測が並べられていた。 「しないだろうなあ、あいつなら。だいたい、二年前に呼ばれなかった時点で鍵の可能性は低いんだし」 如月財閥が数年おきに歌姫を招待したパーティを開くのは、春日文書の鍵を探すためだ。それ以上でも以下でもない。 あの文書を読むために、それが入ったケースの鍵を開けるために。 どうしても月民の喉を持った人間が必要なのだ。それも二人も。 「もしかすると、出し抜けるかね」 レファンシアが、その後、如月財閥から援助を受けたという情報、受けるという噂のかけら。それがないことから予測できるたったひとつ。彼女は条件に合わなかった。 つまり、まだ文書は開かれない。 「……これは、アリアさんにも頑張ってもらえるかな」 原石は、彼らの手の中に。 *** 手にした紙片を睨みつけて、紫野が唸っていた。 大きさはちょうど紙幣くらい。だが、本物の金銭であったならば彼がこんな難しい表情をしているわけがないだろう。なんといっても節約にかける医者。 ただでさえ苦しい診療所の維持にとって、たとえどんな端金であっても崇拝するに値する。 「どうしたんですか」 扉にささっていた郵便を届けながらフォールが首を傾げた。 「ああ、うん、ちょっとね」 曖昧に濁しながらも、紫野は尋ねてきた。 「フォールは歌とかに興味ある?」 場違いな、しかしストレートな質問に彼女は頷いた。この程度ならば隠す事でもない。 「ええ」 「クラシックとかは?」 男女問わず、流行の音楽は好むが古典を聴かない若者は多い。 あからさまに確認する紫野にフォールはにっこりと返してやる。 「ここに来る前は、けっこうコンサートには行きました」 学校で、だが。ついでに言うと、舞台に立つ側だったことも何度かあるが。 駆け出し中の駆け出しであった彼女は、いくら将来を期待されていたとはいえ場数は圧倒的に足りなかった。 当然の事ながら、そういう経緯は秘密にしてある。 だから、音楽とは無縁そうな紫野がそういったことを尋ねて来たこと自体が不思議でもあった。 「なにを持っているんですか」 「ああ、これをもらったんだけどね」 さらりと曝されたのは、コンサートのチケットだった。二枚。それだけではなく、記されていた内容に彼女は演技ではなく目を剥いた。 「どこでどうやって手に入れたんですか?!」 「もらったんだけど、僕はこういうのに興味はないから。当代一の歌姫の舞台、とか言われてもねえ」 「それ以前にこれ、会場は<エデン>じゃないですかっ」 フォールの叫びが響き渡る。 主演があのレファンシアであることも場違いであるが、<エデン>で開かれる会のチケットがこんな<スラム>の町医者に流れてくることは、絶対にどこかで間違っている。 絶叫にひかれたか。別室で作業をしていたアリアがひょいと顔を出した。 「あ、それ、わたしも行くのよ」 「アリアさんも?というか、こんなものがここにあるってことが反則な気がするんですけど!」 「時々くれるのよ。<スラム>の住人でも、仕事で<エデン>を出入りしてる人間もいないわけじゃないし、その関係で」 いいのか。それでいいのか。疑問はもたないのか、この女性は。 なんだか神経質になっている自分がばからしい。 チケットを指で挟んで、しげしげと眺める。 行きたい。欲望はまっすぐにそこへたどりつく。 ずっとまともに歌を聴いていない。<スラム>には劇場もあったが、フォールが満足できるレベルでは到底なかった。 一方で、危険だと囁く声がずっとある。 忘れられない。忘れるなどありえない。 自らがこの<スラム>に落ちてきた理由。 指先にちからがこもった。指定された席を確認する。正確な位置はわからないが、舞台から遠いだろうと見当がつく。 それに、劇場は暗い。アンコール後のざわめきの中、さっさと抜けてしまえば、平気なんじゃなかろうか。 「これ、アリアさんもいらっしゃるんですか?」 「うん」 肯定に追加。 「こういうのには行くようにしてる」 内容に驚いた。なんというか、彼女は。 「興味ないかと思ってました」 「あんまり深い興味はないわよ。どうせ聞くなら歴代のセレーネの記録を聴いた方がましだし。でも、こういうのをもらったらさぼったら失礼でしょ」 言外に現在の歌姫のレベルの低さに文句を言っているアリアに苦笑してしまう。 それにしても、こんな<スラム>の教会にも面倒なしがらみがあるらしい。基本的に、どこの世界も変わらないのかもしれない。 「じゃあ、行かせていただきますね。全然興味のない先生がいらっしゃるよりも有効な活用法だと思いますし」 にっこりと本心から笑いながら、チケットを受け取った。 「よかった。これでこの紙切れも浮かばれる」 冗談でない言い様に、フォールもほっとする。ありがたみのわからない人間に聴かれるよりは、自分が出向いた方がマシというものだろう。……相手がどう思うかは別として。 「そんなに苦手なのに、今まで行ってたんですか?」 「そう」 「ふうん……」 頷いて、ふと思ったことを口にする。 「それだったらチケット、売ってしまえば良かったのに」 「え?」 言葉に青年が身を乗り出した。 「だって、出演者が有名だったり演題が人気だったりすると、争奪戦になって高値がついたりしますよ」 学生時代、友人と共同戦線で入手に奔走したものだが、前日や前々日になるとネットオークションでお目にかかった。 そういうものには驚くような値段がついていて、手を出せるわけもなく溜め息ばかりをついていたが、あれは紫野のような人種が売りに出しているものだと予想がつく。 回想にふけっていた手をがっしと掴まれた。 瞬きを忘れてしまった砂色の瞳がフォールを凝視している。 「紫野さん?」 「フォール、今からでも考え直さない?それはこの教会の貴重な財さ……げふっ」 すべてを言い終える前に医師は床に沈んだ。背後には凶器のファイルを振り下ろした姿勢のアリアが立っている。 「往生際が悪いわよ」 そして、自分の行状をすっぱりと流してフォ−ルに笑いかけた。 「行きましょ。採寸しないと」 「はい?」 「だって<エデン>のコンサートよ。格好くらいはどうにかしていかないと不審人物で捕まってしまうわ」 「はあ」 アリアのいい分はもっともだ。 未だに床に沈んでいる、というかめり込んでいる紫野は不安だが、彼の相棒であるアリアの明るさから推測するに心配するようなことはないのだろう。 回復するまで待っていて、また奪われそうになったらたまったものではない。 大丈夫だろう。 あっさりと見限って、フォールはアリアの後を追った。 |
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