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月を抱けば
Maria on the Moon
STAGE 3-2


 しゃらりと武器をおさめる。腰に巻き付けた途端に、それは一見してアクセサリーにしか見えなくなった。
 床には物騒な兵器を床に転がしたままの人間がいくつか存在していた。それが確かに息を失い、『死体』となっていることを確認して<マリア>は暗がりに声をかけた。
「もう、大丈夫よ」
「お手数をかけました」
 物陰から濃い紫のベールを深く被った少女が現れた。衣装は裾をひく白。外見から年齢は読み取りづらかったが、二十歳にはなっていないだろう。 幼さと神秘的さを同居させたアルトだった。
「いいのよ、からだがなまって仕方なかったの。最近じゃ、裏方に回ることも多くなったし」
「それだけお体を大切になさってくださいませ、<マリア>」
「そっちこそ、表舞台に出ることが多いんだから注意してよね。<ストーリーテラー>」
 呼ばれて少女はくすりと笑った。
「今回のは<アクター>がドジったんです。大目に見てくださいな。ところで<メシア>は?」
 いつも彼女の傍らにある姿が見えずに少女はこくりと首をかしげた。ベールに縫い付けられた色とりどりのビーズがきらきら光る。
「今日は雨だから後方支援」
 理由に少女はぽんと手を打つ。
「ああ、そうでしたね。濡れちゃうと彼、動けなくなっちゃう可能性もありますし」
「そうなのよねー。はやく全部を片付けたいわ。ああ、そうだ」
 話していて思い出したのだろう。<マリア>は影にたたずむ少女に向き合った。
「新しい情報はない?」
<ストーリーテラー>はいいえと否定する。
「この間お教えした如月財閥の情報以上は、今のところ」
「……そっか。まあ、あっちは今は未だ手の出しようがないし」
 あっさりと割りきり、時計を見た。そろそろ<メシア>を拾って、帰らなければならないだろう。
 背を向けた女性に<ストーリーテラー>は声をかける。
「このほかで、聞きたいことはありませんか?自慢じゃありませんけど、この連邦の情報を私以上に持っている人間がいるとは思えませんが」
 根拠のある自信に彼女は記憶を辿った。
「ああそうだ。ねえ、この子の保護者知らない?」
 胸元から一枚写真を取り出す。<ストーリーテラー>は写真をよく見るためにベールを挙げた。東洋人の色を濃く残した面があらわになる。
「印象的な色彩の子ですけれど、この子が?」
「うん、記憶喪失でうちで預かってるの。どうやら<エデン>出身らしいんだけれど、どうにも身元がつかめなくて」
「そういう人探しならば、<ハデス>に尋ねた方が早いでしょうが」
 いいながらも、少女は預かっておきますと写真を袖へ収めた。
「らしき人物に関わる情報があれば、研究室にお知らせしますわ。それとも、お母様から連絡を差し上げた方がいいかしら」
 出された名前に彼女は苦笑する。
「これは単純に私的な人探しよ。お母様のお手を煩わせることはないわ。直接、連絡をちょうだい」
 頷いて、少女は改めて一礼した。
「それでは、今日はありがとうございます。<メシア>にもよろしく伝え下さいませ」
 ふたりして並んで歩いた先、突き当たった左右へと延びる道路でかっきり背中を向けて歩き出す。
 土砂降りの雨だったが、傘もささずに歩いていた彼女たちの姿を見た者は誰もいなかった。


「どこでしょう、ここは」
 しばらく階段を下りたあと、突如として明るくなった空間にフォールは呆然と呟いた。
 真っ平らなフロアに足をつけると自動で照明が点灯、これは驚くしかなかった。
 物置かなにかだろうと思っていたのだ。
 きっとリーチェが何かを無意識のうちにいじってしまい、そのせいで扉が開いてしまったのではないかと考えたのだ。
 しかし、たどりついた先はまったく予想と異なっていた。
 まるでドラマに出てくるような軍の基地や、あるいは政府の秘密基地のようだ。大きなスクリーンに天井までもを埋め尽くす巨大なコンピュータ。 今は電源が落とされているらしく、機械たちはうんともすんとも言わなかった。
 反対側にはアルミの棚があり、辞書のような分厚い本と何冊ものファイル、それから写真立てが並んでいる。
 迂闊に触ってしまっては何が起こるかわからない。 ただでさえも、自分はクラッシャーであると理解しているフォールは入り口で一歩を踏み出すことはおろか、指一本だって動かせない状態だった。
 視線だけをきょろきょろと動かす。
 いっかいのスラムの教会にあるような設備ではなかった。必要とも考えられなかった。
 どういうことなのだろう。
 いったい、これはなんなのだ。
 彼らは、教会のふたりは知っているのだろうが、彼らこそ何者なのか。
 巡らせて、はっとする。
 戻らなければ。
 都合のいいことに、彼らは今、教会にいない。すぐに地上に戻って見なかったフリをすれば、きっと大丈夫だ。なんの問題もないはずだ。
 言い聞かせて、階段へと足をかける。
 ふと、その歩みが止まる。
 先ほど視界に収めた風景に違和感を感じたのだ。
 もう一度振り返り、棚にそっと近寄る。
 写真立てをじっと見つめた。文字なんてあの距離から読めるわけがないから、これが原因だろうと思ったのだ。
 果たして、そのとおりだった。
 写真に写っているのは、三人。どのくらいの年月を経たのか、写真はやや褪せた風合いを醸し出していた。
 フォールは彼女らを見る。よく知っている顔だった。
 ひとりはこの教会のアリア=ルージュ。ひとりは片割れの紫野栄。
 そしてもうひとり。青年の傍らで微笑む女性。髪型こそ違えど、顔はアリアに瓜二つだった。
 初めて見る、否。
 顔だけは古い音楽の本で見たことがある女性。フォールが幼い頃から憧れ続けた、あの。
「春日、まりあ……?」
 こぼれた名前に混乱する。
 どうして今まで気がつかなかった。
 彼女たちがこれほど似ていることに。
 並べなかったから、だろうか。髪型が違ったからだろうか。そうかもしれない。
 呆然としながらも、写真立ての枠に書かれた文字をなぞる。
 1187年、5月、11日。セレナルデパークにて。春日まりあ&いつき、紫野栄。
 それは奇蹟の歌姫が自殺する、たった一ヶ月前。
 そして今から百年以上の昔。


 そおっと扉を開ける。
 誰も起こさないように、明かりをつけるのはやめた。もともとそんなことをしなくても、アリアは暗闇でもあまり不自由しない体質であり訓練を重ねさせられた。 紫野に至っては、部屋が明るかろうが暗かろうが関係ない。
 礼拝堂の扉を開ければ、出かけるときよりも明らかに整っている部屋が目にはいった。
「感心感心。きちんとやってくれたみたいね」
「そのためにお金を払ってるんだから、さぼってたら追い出すよ」
 ため息をつきながら、紫野は評する。
 ふたりは迷いのない足取りで説教台へ向かう。
 アリアがおもむろに息を吸い込んだ。
 と、それを紫野が制する。
「どうしたの?」
 目の前で中途半端に挙げられた手に、彼女は首を傾げる。
「アリアさん、ここ」
 なめらかに動いた指先は、闇のなかで白く浮かび上がる。 いくらなんでも紫野ほどには目の良くないアリアは、示されたそこを凝視するのをあきらめてポケットからペンライトを取り出した。 丁寧に照らすが、彼が何を言おうとしているのかよくわからなかった。
「このほこりの具合」
「ほこり〜?なにこの期におよんで小姑みたいなことを言ってるのよ」
 人差し指で、ぴ。ここがまだ汚れいていましてよ?まったく、なんて使えない子。ドラマの典型的なシーンが頭の中で再生される。
「違うって。そりゃ気になるけど」
 気になるんだ、とアリアは密やかにため息をつく。たしかに、こういう性格だったことは識っているが、肯定されてしまってもまた複雑な気分である。
「動いた跡がある」
「は?まっさか。そんなことあるわけないじゃない」
 紫野の指摘に、彼女は詰めていた息をはいた。
「でも、あるんだよ」
「……本気で言っているわけ?」
 静かな言葉には、沈黙しか返らない。それこそが真実だと雄弁に語っていた。
「でも、誰が」
 瞳を瞬かせるアリアに対して、彼は淡々と事実を重ねていく。
「僕たちはこの礼拝堂自体に鍵をかけていった。昼間はフォールとリーチェがここを開けて、また鍵を閉めた。そして、今帰ってきたときに、僕たちが鍵を開けた」
 不法な侵入者ーー例えば、空き巣や泥棒ーーが鍵を開けたとは、彼らにとってはとうてい考えられないことだった。 他の部屋ならばともかくも、ここだけは普通の技術で開けることができるような代物ではないのだ。
「でも、いったい」
「ストレートに聞いて、答えてくれるとは思えない。これからの行動に注意するしかないだろう?」
 偶然、この教会に雇われたフォール。
 偶然、この教会に拾われたリーチェ。
 いままで考えなしに接してきたのは間違いだったのかもしれない。


 そうして、芽生えたのは疑いと一縷の望み。



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