聖誕祭2


 明けて次の日。
 勝手知ったるなんとやら。テッドはひとり屋敷を歩き回っていた。
 誰ともすれ違わない。
 戦争が始まる前は、決して多くはなかったが貴族の館らしく使用人がそろっていた。それが今では影もない。由緒ある将軍家の身内、しかも直系嫡男が反乱の旗印となっているのだ。蟄居閉門でもおかしくない事態に、必要最低限の生活を強いられているに違いない。
 ただ、テッドが覚えている廊下よりも幾分かすっきりしているのは話が別だろう。クレイズ率いる追撃部隊を相手にしたときに調度品を台無しにしてしまった記憶がある。今回のことと言い、テオには世話になりっぱなしだ。
 と。
 彼はひとつの扉の前で足を止めた。
 把手はぴかぴかだった。汚れをぬぐったあとに使う者がいなかった証拠だ。
 慎重に握る。そっと開く。鼻をかすめた空気はほこりっぽくて、部屋がしばらく閉め切られていたことを如実に語っていた。
 床にはそれまで敷かれていなかった絨毯。ベッドには真新しいシーツとカバー。あの日の出来事を隠すためのアイテム。惨状がそのままではないのは、将軍の指図なのだろう。
(きっとこれをめくれば血染めの床が出てくるんだろうな)
 高価ではないとわかる足下の感触に、テッドは本当に申し訳なく思いながらも机に辿りつく。引き出しの鍵はかかっていた。てっきりウィンディの手で家捜しをされたと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
 意外だと思いながら、いつもの隠し場所である壁の絵に手を伸ばす。
 錠は、思いのほか重かった。
 この家を離れていた時間を思う。この家で過ごした時間も。
 引き出しは癖がある。ちょっと引っかかるそれ。がたがた揺らしながら、テッドは現れた品に目を細めた。
 見覚えのないモノが入っていた。
 しばらく前、テオがルックへ突きつけた『事実』。ハルモニア神聖国神官長の姿が描かれた本。
(こんなところに入れているってことは、テオ様も思うところがあるんだろうな)
 こんなことをする意味をテッドはひとつしか見つけられない。
(どうやらおまえの父親はおれと同じことを考えているようだぞ、親友殿?)
 これを見つけて、お前はどうする?
 予想するだけでも楽しい。
 もっとも、テッドの目的はそれではない。
 書の下には自分の日記帳。愛用のペン。細々とした雑貨。
「お、あったあった」
 財布。
 がまぐちをぱちりと開けて、中身を確かめ。
「うわ、これっぽっち?」
 予想外に少ない金額に思わずぼやく。
 日頃の感謝を込めて、ルックにプレゼントをあげようと思ったのだ。本人は北国生まれで平気だとさんざん話しているが、彼の格好は見るからに寒い。せめてちょっと外へ出るときには外套一枚、マフラー一本、手袋ひとつ。そのどれかをしていってほしい。かわいい弟分に風邪をひかれては面白くない。
 外套は無理でも、それ以外ならなんとかなるかと考えていたテッドだったが、思ったよりも現実は厳しい。
 ああ、あのときリンと一緒にまんじゅうとか焼き鳥とか、とにかくもろもろ。グレミオさんの料理があるのに買い食いなんかするんじゃなかった!
 これではおくすりですら買えない。
 うちひしがれるテッドだったが、ふと背後を振り返った。扉のそばに気配を感じたのだ。
 堂々としたそれに肩のちからを抜く。テオだろう。
「テッド」
 案の定、姿を表したのは将軍だった。
「すまないな。一通りは綺麗にしたのだが」
「いえ、ぼろぼろになってしまったのはおれが原因です。おれが謝りこそすれ、どうしてテオ様が謝るんです?」
「む。いや……」
 当然の反論に、テオの目が泳いだ。なるべく机を見ないようにしている。
 勝手に人の机を暴いてしまったことに引け目を感じているのだ。
(罪人のおれに、遠慮する必要なんてないのに)
 ウィンディは将軍に対してテッドを自らの手下のひとりとして紹介した。けれども、事の発端では彼は明らかに赤月帝国の犯罪者だった。なれば、そのように恐縮する必要などどこにも微塵もない。
 とりあえず、机の中身を散らかしたままだと律儀なテオはずっと目をうろうろさせたままだろう。
 急いで、しかし決してそれを悟らせないように片付けると、財布だけ持ってテッドは歩を進めた。
「もういいのか?」
「はい。これを取りにきただけですから」
 財布を軽く投げる。ちゃりんと、これまた軽そうな音が鳴る。
「ケーキ食べさせてくれるお礼に、ルックに何かプレゼントでもと思って」
 お金がなさ過ぎたのは伏せておく。この季節は、どこの店でも人手が足りない。何時間か手伝えば、今からでもそれなりのポッチは貯められる。
 楽観的に考えていた少年に、将軍が無情の真実を告げる。
「悪いが、屋敷から外へは出れないぞ」
 もっとも、テオは『稼ぐ』ことについてではなく『買いにいく』ことについて語ったわけであるが。事実には違いない。
「え?」
「陛下から、聖誕祭のあいだにお前たちを屋敷で預かる許可は得ている。しかし、屋敷から外へ出しても良いかというとな」
 バルバロッサは問題ないだろうが、ウィンディはどうか。あの魔女の不興を買うことに感じるところなどないが、それによって今後、少年たちふたりが不利な立場に追い込まれる可能性は見落とせなかった。
 彼らを純粋に心配しての台詞だったが、目に見えて落ち込んだテッドを目にして将軍はあせった。中身が三百歳だと知っていても、男の目には成長途中の少年にしか見えないので、余計に。
「テッド」
「なんでしょう?」
「執事頭が言うには庭の掃除の手が足りないそうだ。ルックがケーキを作っているおかげで余った手を回しても、心もとないとか」
「!」
 ぱっと顔を紅潮させ、テッドはがばり頭を下げた。
「ありがとうございます!」
 そのまま、駆けていく。庭か使用人の部屋か玄関か。どこに行けばいいか教えてもいないのに。
 自分よりも遥か年上の人間を表すにはおかしいとも苦笑しつつ、微笑ましい思いでテオはテッドを見送った。
 さて、テッドを通じてルックに渡すプレゼントには何が良いか。



 ルックは正直、ブッシュドノエルを作ったことはない。けれども、ずっと作ってみたかった。
 というのも、ケーキを作るのは年に一度。ヒクサクの誕生日、つまり聖誕祭にヒクサク本人に強請られてである。神官長は何が楽しいのか、「誕生日だから」という理由でケーキにロウソクを立てたがる。推定・年の分だけ。
 それをクリアするにはとにかく平たいケーキが条件だった。
 前提の段階で理性で却下されていたモノがようやく作れるとあっては、無表情をつくろいきれるものではない。
 初めのうち、不安そうにルックを見守っていた料理人、使用人たちも今では自分の仕事に集中している。彼らにしてみれば、明らかに特権階級(仕草からわかる)にある異国の客人(外見からわかる)を厨房へ入れ、さらには料理までさせていることに当然のように抵抗を覚えた。が、その慣れた手つきを見てむしろ感心したようだった。
 今はもう、まったく気にしていない。グレミオという前例があったせいもあろう。
 それよりも作業がスムーズに進められるようにと秤やカップ、刷毛や泡立て器などを絶妙の気遣いで並べていく。
 ルックがケーキの生地をオーブンに入れて一息つくときには、とうとう温かいココアまで差し出された。
「どうぞ」
「……ありがとう」
 礼を言ってマグカップを両手で抱える姿に料理人たちの視線も緩む。
 現在、屋敷に残っているのは、家人に思い入れが深く出て行くことを拒んだ者ばかり。当主であるテオにも絶大な信頼を寄せている。ある意味、得体の知れないルックにもこうして傍にいることに疑問をはさもうとはしなかった。ここに彼ら自慢のご子息様がいればどんなにかと想像するくらいである。
「どのくらいで、オーブンから出しますか?」
「ここのは初めてだから、様子を見ながらにしないと」
「でしたら、ちょうど良い塩梅になりましたら、私どもで出しておきましょう。その間にルック様はお庭を散策されては?ミルイヒ様のお庭とはまた違った趣きある庭でございますよ」
「……」
 勧められて、ルックはココアをすする。どうしようか。
 ここで席を外せば、まず間違いなく彼らは片付けをしてくれるだろう。そんな迷惑はかけたくない。客人だからちょっと図々しいくらいで良いとかいう意識はルックには毛頭ない。
 そのうえ、庭とおぼしき方向からはとても馴染みのある気配がする。
(テッド)
 彼のことだ。久しぶりの外の感覚を満喫しているのだろう。
 だったら、嫌でもウィンディの存在を思い出させる自分が視界に入るのはよろしくないんじゃないだろうか。
 ちょっと。否、かなりずれた気遣いをしているルックだった。
 自分が行った方が喜ぶのでは?という思考は働かない。
 言葉を濁したままの少年に、何人かが目配せする。こういう態度は見た記憶がある。それこそご子息様のかつて見せていたアレだ。
 理由がないと動けない。
 プロの彼らは迅速に動いた。
 しばらくして出されたのは、盆に載せられたもうひとつのカップと二人分の菓子の包み。
「これは?」
「お客様をお使いに出すのは非常に失礼とは存じておりますが……」
「だから何?」
「これをテッド様に持っていってくださいませんか?差し入れです」
 声音こそ神妙だが、表情はそれを裏切っている。
 見透かされていることに気がついて、ルックの頬に朱が差した。
 これじゃあ、どんな言葉でも照れ隠しだ。
「まったく、客を使うなんてとんでもないね」
 それでも吐かずにはいられずに、ルックは盆を手にした。
「テッド様の居場所はご存知なのですか?」
「庭だろう?そのくらい分かる」
 だから案内はいらないと言下に告げた態度に、周りは密やかにさざめいた。
 何かおかしなことしたかと首をひねりながらのルックには、彼らの心情はわからない。
 やっぱり類は友を呼ぶのですね。うちのリン様と似たようなことをおっしゃっている。などという静かな感動なんか。



 テッドはすぐに見つかった。
 ブラックルーンと<生と死>と、ちからを補助している<風>という混沌とした紋章の気配をたどるまでもない。
 庭のど真ん中で箒を動かしていたからだ。
「ルック」
 遮る物のない視界だったから、テッドは手を休めると少年が近づいてくるまでじっと待つ。
「持ってきてくれたのか。ありがとな」
「押し付けられたんだよ」
「そうか」
 この屋敷の使用人の性格を思い出して頷く。どこの馬の骨とも知らぬテッドのことも、嫡男の友人として丁寧に扱ってくれた。
 盆を渡すでもなく、ルックは興味深げに首を巡らせている。
 庭がめずらしいのだろう。
 幾何学的に整えられたハルモニアの様式とは全く違う。ハルモニアを踏襲したグレッグミンスターの城とも違う。なるべく自然を生かしたままにと雑多な木々が枝を伸ばしている。――そう見えるように計算されている。
「面白いだろ。かくれんぼとかできるぞ」
「何それ。子供っぽい」
 足下の落ち葉の山に注がれた視線は、こんなになるまで掃除しないなんてと語っている。
 リンが離反してから屋敷の維持に手一杯で、庭にまで配慮が行き届かなかったとはルックには思いもよらないだろう。
「んー。じゃあ、焼き芋とか」
 これだけ落ち葉があればできる。冬の醍醐味だ。ふたりでそれも悪くないと思ったテッドだったが、当のルックはきょとんとしていた。
 まるで言われた内容が理解できないと。そんな表情。
 もしや。
 鈍い反応に、それしかないよなとテッドはこころの内で呟く。
 密偵なんてやっているし戦慣れしているし料理までできてしまうしで忘れがちだが、ルックはハルモニアの神殿の人間。普通、そんな人間が焼き芋を知っているわけない。リンだって知らなかった。
「急に黙ってなに?それより、これ、受け取ってくれない?」
 腕が重いと差し出されたカップを受け取る。ココアはぬるまっていた。それでも冷えた身体にはありがたい。
「いやー。相変わらず寒そうだなと思って」
「あんたがひ弱なんだ」
「ルックが寒さに強いだけだ」
 答えながらもテッドはまだ考えていた。
 ルックと焼き芋。
 やりたい。とてつもなく、やりたい。落ち葉はあるし、厨房へ顔を出せば芋だってあるに違いない。
 が。
「ルック、今から時間あるか?」
「ない。ケーキ途中だし」
 あっさりと撃沈。けれども、裏を返せばケーキの支度が終われば――例えば明日ならばヒマなわけだ。
 問題は攻略法だよなと、新たな楽しみを見つけてにやりとするテッドを不審な目で眺めて、ルックは庭に目を戻す。
 枝は裸だった。春になれば、さぞかし若葉が眩しいだろう。ハルモニアには杉や樅といった針葉樹が多い。白く塗り込められる冬でも落ち着いた緑をくれる貴重な存在だが、芽吹く勢いの鮮やかさがルックは好きだった。
 春になったら、またここに来ても良いだろうか。……無理だろうか。
 話せば笑って許してくれる気もする。
 けれども、その庭には自分しかいない気がした。
 テッドは城の部屋に逆戻りだし、将軍は出立する。
 そんななかで緑の庭に立ったとしても、きっとつまらない。もしかすると寂しいとすら感じてしまうかもしれない。
(たいがい毒されたね)
 ちょっと前まではこんなふうに考える日が来るなんて、想像すらしていなかった。
 胸元の指輪に手をやる。銀の円。遠い国の玉座を守る主とのつながり。
 あの方は、この変化をどう思われるだろう?
 笑うか、あきれるか。不思議なことに怒られることはない気がする。単なる直感だったが、だったらいいかと思う。
「今からは無理だけど。明日だったら、つきあうよ」
 するりとこぼれた声にテッドの驚く顔。
「失礼なヤツだね。そっちから誘ってきたくせに。それともなに?今日じゃなきゃダメなわけ?」
「嘘をついているんじゃないかと言うか意外と言うか攻略方法を考える楽しみを奪われたと言うか……」
 ごにょごにょと続けるテッドにルックの眉が上がる。内容はほとんど理解不能だったが、最初の一言は許し難い。
 ロッドを手にしてはいなかったが、幸いにして別の武器がある。
「失礼なこと言ってるんじゃないよ!」
 テッドの頭から、小気味の良い盆との衝突音が響き渡った。


  


<2007.12.21>