聖誕祭1


 グレッグミンスタ―城の空気が浮ついている。
 戦の前の代物ではない。それは戦争の情報の最前線で動くルックでなくともわかる。これはもっと軽くて明るいものだ。
 ウィンディに呼ばれて歩く途中、ルックは周りの兵士の姿をそれとなく観察する。
 うれしそうな声。内容に混じる単語は家族や恋人、そして故郷。久しぶりに帰るのだと。大きな荷物からこぼれるのは、色鮮やかな包装紙。帝都で評判の菓子や流行の品。
(聖誕祭か)
 大切な人とともに過ごし、贈り物を交換し合うのがこの地の習慣らしい。赤月帝国ではその由来を深く意識することはないようだ。
 それはそうだ。赤月帝国では祝われるべき人間は、存在しない。
 ハルモニアと違って。
 すこしばかりの寂しさを覚えた自分に驚きながら、帰郷する兵の列に彼はなんとなく理解した。
 どうして、このタイミングで自分が呼ばれているのか。
 そしてそれは、数時間後に予想もつかない展開へと跳ね返ってくるのである。



「荷物まとめて」
 十人中の十人が無表情、それとも不機嫌と判断するだろう顔。
 けれども、ほとんど四六時中顔を合わせていたテッドからしてみると、どこかわくわくとした――まるでこれからとっておきの悪戯を仕掛けようとしている子供――だとわかる様子でルックは短く指示した。
 もっとも、言われたほうは寝転んだまま動こうとはしない。
 いらだったルックが紋章の実力行使に出ようとしたのを見計らって、一言。
「おれに持っていけるほどの荷物があると?」
「……っ」
 テッドは虜囚だ。それも手続きを踏んで牢の人になったのではなく、寵妃の一声で狩られた。身ひとつで。ルックが共犯者ともいえる関係だからこそ、城の中を徘徊し、個人的にいろいろなものを手に入れているが、本来ならばそんなことができるはずがない。支給されたボロ布一歩手前の服と下着だけが、この城に来て新しく得たものだ。
 ちょっとした皮肉のつもりの言葉は思いのほかルックに突き刺さったらしい。
 よく思い返してみれば、あのタイミングでルックが来なければテッドは逃げることができた可能性もある。普段は忘れている事実。けれども、今のルックにしてみれば傷つく真実。
 親友とは違う。
 少年の性質を理解しているはずなのに、つい忘れてリンに対するのと同じように振る舞ってしまうことがある。
 反省しながらテッドは上体を起こす。どうやってフォローしようか。
 正直、ルックのようなタイプと付きあったないうえに、彼の場合はハルモニアの神殿育ちという特殊な環境が加わる。テッドの『言葉』がルックに通じない。けっこうある事だった。
 けれども今回ばかりは彼の心配も取り越し苦労だった。
 しばらく顔を俯けていたルックは、次には表情をくるりと変えていた。
「じゃあ、前言撤回」
「は?」
「強制連行あるのみ」
「え?」
 宣言と同時、ルックはクローゼットから袋を取り出す。以前、大森林方面に遠征してから彼はいつでも出られるように旅の一式を常に揃えるようにしていた。
 それから、濃いネズミ色の外套をテッドに放る。季節柄、昼間であっても外を歩き回るにはつらい。たいした距離ではなくてもだ。北国育ちのルックはあまり必要を感じなかったが、テッドはそうではないだろう。
 投げられたそれを慌てて受け取ると、テッドは釈然としないまま袖を通す。
 決して逃がさぬように監視されている自分が、看守の手引きで堂々と外に出ようとしている。
 あの魔女に、一体どんな心境の変化があったのか。
 それとも罠か。だとすれば仕掛けたのは魔女か、目の前のハルモニアのスパイか。ルックに謀られる可能性を考える自分がいやだったが、自分が親友を優先して考えるのと同じように、ルックがヒクサクを優先して考えるのを知っている。己の知らないところで情勢が変わっている可能性は多いにある。
 ただ、そうだとしても冒頭の少年の様子から、悪いことではないだろうとも思うのだ。
 そんな彼の内心の葛藤を知ってか知らずか、ルックは実に楽しげに告げた。
「聖誕祭の休暇だ」
 要約すればそれに尽きる。
 クワンダ=ロスマン、ミルイヒ=オッペンハイマーと次々と連敗し、将軍を切り取られた帝国軍は疲弊している。テオが帰還して士気は高まっているが、物資が少なく、さらに季節がら戦をするにも適していない。ただ、物資云々は反乱軍も同じこと。多少の小競り合いはあろうが、特に首都であるグレッグミンスタ―で劇的な戦況の変化があるとは考え難い。
 そこで、毎年のとおりに許可された兵士たちはちょっとした休暇を取り、それぞれの故郷に帰っている。
 最初、ウィンディはこれに猛反発した。帰郷先で、そのまま反乱軍にそそのかされたらどうするのか。あるいは、本人にその気がなくても地域ぐるみで反乱軍に毒されている場所もあると。
 もっとも、これは帝国軍の不利と質の低下を露呈するものだ。
 バルバロッサが気付かれぬよう誘導し、落としどころとして示されたのが緊急招集された場合にすぐ対応できると判断された者についての帰還だった。去年に比べて著しく審査は厳しくなったが、もともと地方から徴兵された者は簡単には帰れないことを覚悟している。表面上、大きな問題はない。
 さて、ルックの場合である。彼は、書類上では身寄りがないことになっている。ずっと城で過ごすのが当然だ。
 ルックもそのつもりだったのだが、何を考えたのか横槍が入った。
「横槍?」
 久しぶりに堂々と城の廊下をテッドは歩く。聖誕祭が近いというのに普段通りすぎる光景に違和感を覚える。
「そう、それがあんたも出られた理由」
 少年の言葉は少なかったが、テッドは気にしなかった。ルックのちからが満ちているあの部屋であれば知らず、ここはウィンディの勢力圏だ。必要以上に仲が良い様子を彼女に見られるのは得策ではない。
 エントランスに出る。
 こうして青空の下へ立つのはどのくらいぶりだろうか。
 眩しげに細めた視界。そこにある威厳漂う男の姿にテッドはぽかんとする。
 今までの疑問を納得させるだけの人物。
 ウィンディの腕の中という傾き閉ざされたテッドの世界で、信頼できる数少ない人間。
「テオ様……」
「約束通り連れてきましたからね」
「うむ。では行こうか」
「ああ。しかしその前にいくつか買い物をして行こう」
「構いませんよ」
 少年の口調は敬語モードだ。テッドにとってはあまり耳慣れないながらも、テオに気にした風はない。とんとん滞りなく進んでいく会話についていけないテッドの腕をルックがとった。
「何ぼうっとしてるの?」
 行くよ。
 促される。ただでさえ他人との接触を嫌うルックとは思えない行動に、テッドは本当に為すがままだ。
 そんな彼らを見て将軍は評する。
「昔とは逆だな」
「え?」
「お前を屋敷に連れ帰ったばかりのころ、よくリンにそうやっていていただろう」
 良くも悪くも繕うことばかりを覚えた子供を外へ連れ出すとき、テッドがしていた仕草にそっくりだった。立場逆転だとの苦笑まじりのそれに、テッドは思わず手を振りほどこうとしたが、意外なことにルックは離れようとしない。
「これでも監視者だからね。逃げられないように捕まえておかないと」
 もっともらしい少年の台詞。けれども、弾んだ気配を抑えきれていない。
 テッドの知る彼は完全にインドア派で、好んで喧噪の街へ繰り出すような性質ではない。その少年をして、今回の聖誕祭の休暇はすでに楽しいものらしい。
 年相応に見える様子を指摘して、ルックの機嫌を悪くするのも馬鹿げている。
 結局、テッドは引っ張られるままに久しぶりのグレッグミンスタ―の街を巡ることとなり。
 マクドール邸にたどり着く頃には、日はとっぷり暮れていた。



「これで多分平気。解禁」
 外はかなりの寒さのはず。しかし、そんなことは微塵も感じさせない薄着でルックは戻ってきた。
 それを聞いたテオから明らかに肩のちからが抜ける。
「解禁って?」
 ここまで。こんな事体になった経緯をまったく説明されないままにきてしまったテッドの疑問はもっともだ。
 対するルックの答えは簡潔。
「屋敷に簡単な結界を張った。目くらましさ。ただでさえウィンディはこの時期は感傷的になってるし、城も出たことだし、ここまでしておけばこちらの様子が筒抜けになることはないだろ」
 城内のルックの部屋と同じだ。あそこはウィンディの魔力が濃い分、このごろは彼女自身も年中監視しているわけではないらしい。逆に、完全に勢力圏外のマクドール邸ではそうもいかないだろうと予想して、ルックは風の紋章の封印球を利用した簡易結界を張ってきたところだった。完全に目を遮るのではなく、視界をちょっとだけぼんやりさせるようなものだそうだ。
 高価な封印球を使ったのは、自分の魔力を使うよりも道具を使ったほうが気づかれにくいからだ。
 しかし、テッドの耳に残ったのは別の内容だった。
 袋に入ったままだった様々な品をテーブルの上に広げていく少年に問う。
「感傷的?あの女が?」
 確かに計算高い反面、女性特有の感情の揺らぎをウィンディは持っている。が、それと『この時期』の結びつきが謎だ。『この時期』とは聖誕祭のことをさしているのだろうけれど……。
 綺麗に彩色されたロウソクをテオに渡しながら、ルックは当然と頷いた。
「それとは知らずに、世界中が復讐相手の誕生日を祝ってれば普通は不機嫌になると思うけど?」
「へ?」
「……あんた、三百年は生きてるんだろ?聖誕祭の成り立ちも知らないの?それともボケた?」
 説明する気配を微塵も見せない少年に、テオが苦笑する。
「テッド、聖誕祭はもともとハルモニアの救世主の誕生を祝う祭りだ」
 樅の木は北の大地に生える樹。ハルモニアの冬にある数少ない色。雪の白、空の青と並ぶ。
 頂点に飾る星は、選別の証にして頭上に戴く冠。
 いや。そんなことまで考える必要はない。
 ハルモニア神聖国の救世主など、唯一無二。
「そう。ヒクサク様の誕生日」
「……何歳だよ」 「さあ?」
 少なく見積もっても四百五十は超えている。ルックならば正確な年齢を知っているかとも思ったが、やはりそんなことはなかったようだ。なぜだかちょっと安心したテッドだったが、続く発言に裏切られる。
「いつも適当にケーキにロウソク立ててたし」
 テッド呆然。あの大国のトップがクリスマスケーキに自分の歳だけロウソクを?!
「多かったり少なかったりした分は、本人が調整してたし」
 テオも愕然。神秘のヴェールに包まれた(とはいえ、外見はルックとそう変わらないと理解はしているものの)神官長が、いちいち自分の歳だけ……。
 そんな理想を壊されたふたりをよそに、ルックは思い出しヒートアップ。
「それよりも、毎年前日にクリスマスケーキはチョコレートがいいとかショートケーキがいいとか!作る身にもなってよね!」
 だん・と小麦粉をテーブルに重々しく下ろす。
 語られる肖像についていけず、思わず沈黙を作り出してしまった残りふたりだったが、さすがは年の功というべきか。
 まずはテッドが立ち直る。屋敷にたどり着くまでにルックが購入した諸々をしみじみと眺めて、納得。むしろこいつ、無意識だったんだろうなあと理解しつつ。
「そうかー。ケーキはルックの手作りかー」
「はあっ?!」
 あの生きる伝説ヒクサクの御前に出しているものだ。不味いはずがないだろう。推定・神殿箱入り息子の少年の舌が肥えていないはずはなく、だとすれば料理の腕前も比例するはず。そんな良いところの坊ちゃんが料理できること自体が奇跡なのだが、あいにくテッドの親友は例外を地でいくリン=マクドール。そして、居合わせるのはその父親。誰も不自然に目をつぶる。つぶってしまった。
「そのための買い物ではなかったのか?」
 マクドール家はれっきとした貴族である。
 テオの感覚ではルックも同列に値する。
 ならば、料理をするのは道楽だった。普通は料理人の仕事だからだ。リンについて出奔したグレミオも腕前はプロ級だったが、趣味であることを明言していた。
 テオとしても勝手に自邸の台所を客人に貸すのもどうかと思ったが、相手はここ一年近く城に詰めいていた子供である。しかも、共に動いたのは数日でも、これが息子と似たような人種であると嫌でも気がついた。
 だったら余計にウィンディの前で窮屈な思いをしていただろうと、彼を止めなかったのである。
 それがまさかのこの反応。
 何か良い言葉はないかと迷う視線が、テッドのものと交わる。
 遥か年長者の余裕の滲む目に、彼は任せることにした。どちらにしろ自分よりも彼の方がルックとの付き合いは長く、深い。うまく対処できる。
 ルックと言えば、あれだけ嫌がっていたケーキ作りが聖誕祭の条件反射になってしまっていたことに愕然としていた。今回ばかりは神官長に責はない。
 ウィンディの目から久しぶりに離れた開放感に流された。
 すべて己の自覚のなさ。
 さりげなさを装って。けれども明らかにおずおずといった調子で周りを窺えば、つかの間の休息を満喫しようとしている見慣れた姿。
「チーズケーキが食べたいんだけどなー」
「チーズケーキか。昔の知人が好きだったな」
 とんでもない助け舟だが、乗ってやろうじゃないか。
(いちいち言い訳するのも見苦しい)
 常にない勢いで開き直ったルックがいつもの調子を取り戻した。
「目、大丈夫?この材料のどこからチーズケーキができるのか教えてほしいね」
 作るのはブッシュドノエルだ。

 


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