奏幻想滸伝
          東奔星走5


 焦魔鏡を手に入れた一行は、十数日をかけてパンヌ=ヤクタへ辿り着く。
 それだけの日数がかかってしまったのは、第一に転移術の使い手である少年が肝心の城へ直接跳ぶことができなかったこと、 第二に頼んでおいた迎えが待ち合わせの場所に来なかったことにある。
 運ぶのは人の背よりも巨大な鏡。見る者が見たら――ドワーフに見つかったら――すぐに帝国の行動が明らかになってしまう。 それを防ぐために彼らはドワーフの村の近くでは夜の間に、離れてからは休憩をはさみながら、少年の目視を最大に転移を繰り返した。
 瞬きの紋章は魔力の消費が大きい。いざというときのための力を温存しながらの行軍だったために、これだけの時間がかかってしまったのだ。
 切り出した石をそのままに積み上げた武骨な、だが頑丈な城塞。まさに<鉄壁>の名に相応しい城は、夕闇にあってさらに闇に沈んでいるようだった。
「おかしいですね」
 バレリアが異変を訴えた。
「篝火が焚かれていない。それに歩哨の姿もありません」
 日暮れとともに閉じられるべき扉は開け放たれたまま、無人で口を開けていた。これでは侵入しようと思えば誰でも容易に果たせてしまう。
「嫌な空気」
 ぽつりとルックが呟く。 魔力の高くないふたりには感じ取れないようだが、ここの城塞には淀んだ魔力が充満していた。 おそらくウィンディのブラックルーンの影響だろう。
「どうしますか?」
「どうするもこうするもないだろう。こっちは任務だ。それに約束の迎えを寄越さなかった責任もあるだろ」
 顎で城をしゃくって示し、カイリがずんずんと歩き出す。
 彼の突出した行動は馴染みのものであり、残り二人は焦魔鏡を乗せてある台車に取り付いた。紐をひっぱり、からから、門を潜る。
 と。
「何者だ!」
 暗がりからばたばたと険しい顔をした兵士が飛び出してきた。あっという間に囲まれ、剣を突きつけられた。
 内心の驚愕を微塵も出さずにカイリが腕を組み、ふんぞり返る。
「我々はウィンディ様より任務を賜った者である。ロスマン様ご所望の品を運んできたところだ。将軍に直接品を引き渡したい」
 堂々とした口上に包囲してきた兵がざわめいた。隊長らしき男が傍らの男に耳打ちする。 ひとつ頷いて駆けていく男を見送って、残りは掲げていた武器を降ろした。 見届けて一歩進み出る。
「失礼。確認を現在行っている。しばし待たれよ」
 カイリに断ると、バレリアとルックをじろりと不躾に眺めた。 軍服を身につけているバレリアはともかく、ルックは年齢といい見かけといい、なぜこのような子供がいるのかと理解に苦しむのだろう。
 十分ほども待たされただろうか、季節は初夏のこと。寒さは気にならないが、じっとりと湿った空気が足下から這い上がってくる。 強行軍を続けたせいで疲労した身体には堪える。さらにルックにとっては、ブラックルーンの力場が不快感を増長していた。
 カンテラを提げた一団がやってくるのが見えた。 オレンジのぼんやりした光に浮かび上がる制服は明らかに高位の将校だ。
「ご苦労、下がっていいぞ」
「はっ」
 命令に列が割れる。
 エンブレムの階級を素早く確認してルックは密やかに息をついた。たらい回しにされることはなさそうだ。……早くここを出て、 グレッグミンスターに帰りたい。
「どうぞ、こちらへ。お約束の物をクワンダ様が直々に確認したいそうだ。 ついて参られよ」
「はい」
 打って変わって敬礼の間を三人は導かれる。布の被せられた焦魔鏡は他の兵士が運んだ。
「灯を点さないのは不用心なのではありませんか?」
 辺りを注意深く眺めながらバレリアが問う。廊下も階段も闇が濃かった。
「私たちは一年前までここに務めていましたが、雰囲気が変わったようですね」
 カイリも続く。彼自身、記憶との違いに戸惑っている。
 先頭を行く男が答える。妙に平坦な声だった。
「クワンダ様のお力は絶大です。 もう、ドワーフやエルフども、それにコボルトどもも取るに足りない存在なのですよ」
 油の焦げる臭い。
 漂う異臭にルックは眉をひそめた。なにか、ざらつく気配を感じる。ブラックルーンだけではない。もっと他の。 言うならば動物的な存在感が、背筋をぞわりと撫でる。
「どうぞ、こちらです」
 軋んだ音を立てて、扉が開かれた。 なんとなく固まって、三人は戸をくぐり。
 反射的に動きを止めた。
 ちょっとした広間になっているそこに置かれた椅子には、男が座っていた。浮かべた表情と異様な光を宿す双眸のアンバランスさ。
 けれども彼らから自由を奪ったのは、そんな雰囲気的なものではなかった。
 小山のような巨大な影が椅子の後ろにうずくまっている。生臭い吐息。異臭。
 硬直した彼らを余所に、案内役の将校は当然のように男の前に膝をついた。
「クワンダ様、ウィンディ様からの遣いをお連れいたしました」
「ご苦労」
 にやりと笑い、椅子から立ち上がる。ゆらりとした動作は、まるで幽鬼。
 しずしずと台車が運ばれ、覆いが取り払われた。松明を反射して焦魔鏡が鈍く光った。
「おお、これが!」
 クワンダが縋るように鏡に取りついた。 撫でるように表面に手を這わせ、うっとりと見上げている。……とても、帝国五将軍に数えられるような人間には見えなかった。
(ブラックルーンのせい、か)
 ルックは内心毒づく。ウィンディがブラックルーンにどのような性質を与えているか彼は知らない。 これが闇の紋章を元にしていると彼女は述べていたが、そんな生易しいものではない。今すぐにでも吹き飛ばしてやりたい。
 彼の豹変の原因を理解しているルックはまだ良かった。そうでないふたりは、かつての上司の変貌に完全に言葉を失っていた。
 クワンダは周囲も目に入らないように、譫言のように羅列する。
「これで、これでドワーフやエルフどもを抑えられる」
 無言が支配するなか、その低い呟きは嫌でも耳に入ってくる。
「これを使って、思い知らせてやるのだ。赤月帝国の偉大さを。バルバロッサ様の素晴らしさを」
 バレリアが顔を背けた。ぐっと握りしめられた拳が小刻みに震えている。想像を超えた姿に耐えられないのだろう。カイリも同様だった。 平然としているのはこの城塞の兵士だけである。違和感すらも感じていないらしい。
「まずは手始めにエルフだ。 エルフのあの忌々しい森を焼き払ってくれよう」
 一瞬の間。
 動いたのはカイリだった。
「な、なにをおっしゃるのですか!」
 部下にあるまじき詰問の調子に、クワンダが顔だけを男へ向けた。 両手は鏡の表面にぺたりと添わせたままに。
「言葉通りよ。この焦魔鏡を使ってエルフの森を焼き尽くすのだ。次はドワーフだ。やつらが人間を殺すために作ったこの武器で、皆殺しにしてくれる」
 熱に浮かされた台詞に、カイリは激情を爆発させる。
「そのために、まさか。そのために、焦魔鏡を……!」
 今にも走り出しそうなカイリをバレリアが止めた。しかし、とどめる彼女の腕も震えている。顔色は蒼を通り越して白くなっていた。
 ふたりを捉えたクワンダの視線に残虐な色が加わる。 ちらりと背後の小山に意識を流しながら、腕を組んだ。
「ほう、お前たち。一介の軍人に過ぎぬ身で逆らうか。 この<鉄壁>のクワンダ=ロスマンに」
 連なる声が合図だったように、小山が動いた。ぐうっと迫る長い首。気味の悪い光沢を放つ鱗。わずかに開かれた口からは牙と涎が覗いた。
「おまえたちのような蛮族に与する者など、裏切り者など!こいつに喰われてしまえ!」
 怒号とともに巨体に似合わぬ速度で竜が動いた。
 獲物を引き裂くための鋭い凶器が迫る。
 恐怖に強張ったふたりは動けない。彼らは訓練を積んだ軍人だ。だが、こんな戦いは、凶悪な力は知らなかった。
 思わず目を閉じる。
 遮断した視界に、音が響いた。
「切り裂け」
 空気が唸った。続いて絶叫。
 最初のそれが少年のもので、痛みと憤怒を露にした叫びが竜のものだと理解するよりも早く。
 彼らの姿は広間から消失していた。


<2005.1.4>


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