奏幻想滸伝
          東奔星走4


 数日後、招集された軍人たちと顔を合わせる。
 ルックを試すつもりなのか、軍人たちの力量を見極めるためか。どちらにしろ人数は全体で三人のごく少数の編隊だった。
 ルックの前にいるのは若い男女だ。ふたりとも帝国軍士官の赤い制服を隙なく着こなしている。
「それでは改めて。私がカイリ、こちらがバレリアだ。 私たちはもともとクワンダ様の部下としてパンヌ=ヤクタにて仕官していたが、 昨年グレッグミンスターへ異動になった」
 男が隣に立つ女性を指し、紹介する。 バレリアと呼ばれた女性は、軍人らしいきびきびとした動作で軽く頭を下げた。
「バレリアです。今回の作戦では同行させていただきます。 私もカイリもパンヌ=ヤクタ地方、エルフの村の近くで育ちました。 帝都出身の者よりも地の利はあるだろうとウィンディ様より指名されました」
「そういうことだ」
 説明にルックはとりあえず自己紹介した。
「僕はルック。所属は情報部。その前は魔法兵団。ウィンディ様から今回の任務を頼まれた」
 必要最低限だけの挨拶。 不機嫌な口調は今回は本物だった。 常のルックは『不機嫌そう』ではあるが、真実『不機嫌である』ことはあまりない。
 それが何故かといえば、城の小間使いと間違われたからである。 指定された時間より早く部屋についてしまい、 部屋の中を見て回っていたところに彼らが到着した。
 そして開口一番に。
「ここは今から大切な会議に使われるんだ。 掃除は後にして、出ていってくれないか?」
 である。
 反射的に冷笑を。ついで棘のこもった正論を流そうと思ったところでウィンディが入室した。おかげで誤解はとけてもルックは不完全燃焼である。
「さて、任務の内容は頭に入れていただけたようですし、準備はよろしいかしら」
 ウィンディがさりげなく会話に入り込んだ。
 ドワーフの大金庫の中など、人間の誰にとっても未知の世界だ。通常の使い手では瞬きの紋章でも行くことはできない。 その不可能を可能にするのがウィンディの持つ真の<門>の紋章だった。 彼女は世界中のどこへでも<門>を作り、開くことができる。
 ルックがまとめた荷物を抱えて頷いた。 残りの二人も、各で持参した荷を担ぎ上げた。
「それでは頼みましたよ。それとルック。 危ないと判断したら、無理をせずに外へ一度転移なさい」
「わかりました、ウィンディ様。 必ずや良いご報告を差しあげます」
 


「ふわあ、紋章ってのはすごいもんだな」
 突如として入れ替わった風景に、カイリがのんきに感心した。
「ここがドワーフの大金庫か。 噂には聞いていましたが、まさか本当だったとは」
 バレリアも周囲を見渡して、広さに驚いている。 複雑に入り組んだ通路をときどき見え隠れする物体がある。
「なにあれ」
 見たこともないそれに、ルックが身を乗り出した。
「モンスターか?」
「違う」
 けれども動物ではない。 それ以前に生きていないのだ。 その証拠に息をしていない。宿している真の紋章のおかげで、そのくらいは簡単にわかる。
「からくり、ではないでしょうか」
 慎重に腰の剣に手をやりながら、バレリアが呟いた。
「……だね」
 実際に目の当たりにするのは初めてだが、たしかに図鑑に載っていた物を彷彿とさせた。
 もっとよく観察しようと上半身をのばしかけたところで、 後ろへと強く引かれそのままカイリに倒れ込んだ。
「なにするのさ」
「遠足に来ているんじゃないんだ。 さっさと目的の焦魔鏡を探そう」
 子供扱いにまたむっときたが、男の理論は正しい。
「わかった」
「どちらに進む? 場所によっては罠があるだろうから慎重にいかなければ」
 辺りを警戒しながらバレリアが問う。
「どっちに進んでも同じなんじゃないか?」
 カイリが肩をすくめると適当な方向に歩き出す。 いい加減さにルックは溜息をつき、バレリアは慣れているのか何も言わない。 黙ったまま進もうとするふたりに、ルックはふと疑問をぶつけた。
「そっちって出口だけど。あんたたち、どうして外に出ようとするわけ?」
 彼にとっては当たり前の事実だったが、歩き出していたふたりが猛然と少年の元に戻ってきた。
「それを早く言え!」
「わからないわけ?」
「普通はわかるわけないだろう!どうして初めて来たおまえがそんなことわかるんだ!」
 今にも法衣の胸をつかんでがくがく揺らしそうな男を必死で女が抑える。
 いさめられて落ち着いたのか、 それでも「子供の理屈だったら承知しないからな」という視線で睨まれる。
 ルックにとっては新鮮な体験だった。 ……国では、ひとりを除いてルックのこういう場面での主張を疑う者はいない。 こんな風に見られることもない。
「僕は風の紋章が得意だから。風の流れを読めば、だいたいの空間の把握はできる」
 真の紋章を持つことは伏せる。ウィンディに気づかれれば面倒だし、国を出る時に使用については転移以外を固く禁じられた。 自らを追い込む理由もなければ、使えないものを主張してもどうしようもない。
 ただ、これだけでも紋章に詳しくない軍人を感心させるのには充分だったようだ。
「そうか、じゃあおまえがいれば最悪道に迷って生き倒れる心配はないわけだな」
 ぽんと手を打ち、男はさきほどとは反対方向に突進していく。
「……だから、そんなふうになりそうなら外に瞬きの魔法で飛ぶってば……」
「聞こえていませんね、完全に」
 溜息ばかりを道連れに、一行は焦魔鏡を目指す。

 そして。

 入り組んだ迷路を抜けたその先に、彼らは目的の鏡が無造作に置かれているのを発見する。 それは頑丈な箱に入れられるでもなく、大きな布が適当にかけられているだけだった。
「うん、間違いない。ここに読みにくいけど、書いてある」
 しゃがみ込んだルックが指をさした。 鏡を支える足の部分にご丁寧に『焦魔鏡』の文字が彫られていたのだ。
「これが……」
 バレリアが呟き、感慨深く漏らした。 男がその後を継ぐ。
「ああ、これがあの『焦魔鏡』だ」
 ふたりの瞳には複雑な表情が踊る。 見過ごしてもいいものだったが、ルックのどこかにそれが引っかかる。……気持ち悪い。
 そのまま蓋をしてしまうのは容易いが、大切な任務で落ち着かないのは困る。 躊躇った末に、彼は首を傾げた。
「ねえ。あんたたち、このあたりの出身だって言ってたよね?焦魔鏡の存在は知ってたの?」
「……まあな」
 男が視線をそらした。 隣に立つ女性も地面へと目を這わせる。気まずい態度から、彼らが最初から焦魔鏡の存在を知っていたのは明らかだった。
 ルックにとってはそれが不思議だった。あの様子ではウィンディが鏡の存在を知ったのはつい最近のようだった。 さらにはクワンダは彼女が教えるまで知らなかったのである。なのに、ある意味下っ端に過ぎない士官たちが情報をつかんでいるとは。
 言おうか言うまいか。ややあっての葛藤のあとに口を開いたのは男だった。
「俺の住んでいた村はちょうどドワーフとエルフの中間の地点にあってな。 いろいろあるんだよ。ドワーフは人間を嫌ってるし、エルフも人間もそうだ。ドワーフとエルフの仲だって最悪だ」
 三者はお互い滅多なことがない限り交わろうとしない。 それでも、人や物の流れが完全に分断されてしまうことはない。特にエルフとドワーフは数が少ない。 彼らが生活していくうえで人間との交易に頼らざるをえないのも事実なのである。
 そうとなれば、様々な摩擦が生じるのが自然だった。
 ドワーフは人間とエルフに、エルフは人間とドワーフに、種族として優位に立とうとする。 対立する者を「取るに足りない」と評しながらも、意識しないではいられない。
「そうすると、何が起こると思う?」
 逆に返され、ルックは考える。 彼の知る世界は人間しか存在しない。ただし、確かに同じ種族かもしれないが、歴然とした差があった。 身分と階級である。格上の者へひたすらに媚びへつらい、格下の者には威圧的な態度で接する人間ならば、掃いて捨てるほど知っている。
 だが、それとこれとはまったく違うだろう。
 言葉の出ない少年にバレリアが堅い声で言った。
「子供の頃、エルフに石を投げられました。彼らは目がいい。 弓でも礫でも、狙いはひどく正確でした。おかげで怪我をしたことはありませんが」
「正確だと、当たらない?」
「ええ、彼らは人間に当たらないすれすれを狙って投げるんです。 人間が驚き、戸惑うのを見て、エルフは優れている、と確かめるんです」
 彼女の後を男が繋ぐ。
「俺はよく、ドワーフのじいさんにおどされたな。 お前ら人間なんか、ドワーフの武器の前にはゴミも同じだって」
 そんなやりとりのなかで焦魔鏡の存在も知ったのだと。
 何も返せないでいるルックに、ふたりは困ったようだった。
 暗い雰囲気を吹き飛ばすようにバレリアがさばさばと笑う。
「そんなエルフやドワーフは少数派ですけれどね。 それに、人間も彼らに対して同じようなことをしている奴らもいますし」
「そうそう。しかもあいつらはやたら長生きだから、記憶力がよくってさ。 俺のひいじいさんがやらかした不始末について、未だに文句つけてくるんだよ。俺、ひいじいさんの顔なんか見たこともないのにさ」
 おどけたように肩を竦めて、男は焦魔鏡と向き合った。
「ま、こいつをさっさと運び出しちまおう。これがあるから面倒なんだ。クワンダ様に預けてしっかり封印してもらえば、ドワーフの奴らももうちょっと謙虚になるだろ」
「たしかにね。 小さい頃、ドワーフに武器の試し切りの的にしてやるって言われたのが今でも忘れられないよ」
「かわりにエルフが増長したら笑えないんじゃない?」
 気安い会話にルックも思わず一言を入れる。 疑問が解消されてすっきりしていた。少年の言葉にカイリが頭をかいた。
「大丈夫だって」
「どうしてさ」
「ドワーフの奴らがこのお宝を盗まれたことは必死に隠すだろ? 俺たちは真実を知ってるけど、エルフはそうじゃない。人間にちょっと余裕があるだけの、今まで通りの生活になるだろうよ」
 つまり根本的な事態は改善されることはない。にもかかわらず。 どこか嬉しそうな男の笑顔にルックはもう一度尋ねた。
「それでいいの?」
「ああ、それでいいんだよ。この地方は。 それでこその故郷なんだからさ」


***


 毎日欠かさず、ウィンディはテッドの元を訪れる。時間は決まっていない。テッドの逃亡を警戒してのことかもしれないし、単に彼女が忙しいだけかもしれなかった。
 同室の人間が無口だろうが無愛想だろうが。 少々得体が知れなかろうが、ひとりではなかったことはテッドの精神的な負担を軽くしていた。 もちろん<ソウルイーター>を託した親友のことが気にならないわけではない。だが、孤独に置かれれば、そのことだけを悶々と考えてしまう。 それよりは健康的な時間を過ごせていた。
「おやおや、優雅なことだねえ」
 その日もウィンディは部屋に転移してきた。 豪奢なレースの衣装と踵の高い靴が、殺風景な部屋から浮き上がっていた。
「これくらいしかすることがないんでね」
 身を起こし、テッドは本を閉じた。 この部屋の主である少年のおかげで活字には困らない。 数こそ少ないが読みごたえのある良書が揃っている。
「余裕だこと」
 微笑みに棘を隠しながら、ついとウィンディの整った指がテッドから本を取り上げた。
「異界魔物大全。私の弱点でも探るつもりかい?」
「穿った見方をしないで欲しいなあ。もともとそれはルックの持ち物だ」
 いちおうの断りを入れて、ウィンディに見せつけるように右手を掲げた。暗く蠢く紋章。
「これのおかげで、おまえに逆らおうなんて気はこれっぽっちも起きないぜ」
「それにしては言葉遣いがなっていないようだけれどねえ」
「失礼いたしました、ウィンディ様」
 ふふふと口角だけで笑えば、途端にテッドの表情が抜け落ちる。機械的に紡がれた言葉に満足し、ウィンディは支配の力を弱めた。 少年の瞳に生気が戻る。
「かしずかれるのも嬉しいけれど、おまえには減らず口がよく似合う」
「そりゃあどうも」
 悪趣味なことで。 余計な一言は心のなかに留めておく。
「そうそう、今日は佳い知らせがあるのよ」
 わざとらしいウィンディの態度。自分にとっては碌なことはない。それにいくら無視してもどうせ勝手に話していくのだろう。
「おまえの親友の坊やだけれど、解放軍に転がり込んだそうだよ」
 解放軍。
 同室の少年が持っていた資料を思い出す。彼に示した名前、オデッサ=シルバーバーグ。 彼女の率いていた反乱組織の名前がそのような名前ではなかったか。
 必死に情報を辿るテッドの耳に、さらに女の艶やかな声。
「皇帝陛下に歯向かう組織に助力を求めるなんて。これで帝国への反逆罪が決定したわねえ」
 将軍家の嫡男という防御の切り札は無効となった。帝国が容赦なくリン=マクドールを叩くだけの準備が整ったのだ。
 テッドは必死で表情を抑える。女には申し訳ないが、暗い表情はできそうにない。 やりやがったな、という快哉を見せないのがやっとだ。
「今日明日にでもアジトに手が入る。解放軍のお嬢さんもかわいそうなこと。坊やを匿わなければ、もう少しは長生きできただろうに……」
「……殺すつもりなのか」
 オデッサを。
 低く確認したテッドに、ウィンディはさも意外そうに目を開いた。
「おかしなことを聞くのねえ。陛下に逆らう者は、世を乱すもの。 これまでは決定的な証拠がなかったから手を控えていたけれど、逃亡者を援護すれば、りっぱな犯罪者でしょう?罰するのは当たり前のこと」
 歌うように言い終えると、さらりと彼女はドレスの裾を翻した。衣擦れのこころよい音が響く。 純白のレースの手袋の下、右手に宿る紋章が鮮やかな光を浮かび上がらせる。
 力場が完成する瞬間、彼女の蒼い瞳がテッドを捕らえる。
「安心をし。おまえの大切な大切な坊やは殺すようなことはしないよ。おまえと感動の対面をさせてあげるつもりなんですもの」
 もとよりテッドの反応を期待してはいなかったのだろう。 ウィンディはそれを最後に部屋から消える。バルバロッサの元に帰ったのだ。
「……くそ」
 女の気配が完全に失せたのを確認して、テッドは拳を寝台に叩き付けた。しかし、それほど堅くはない寝台では、望んだ痛みは得られなかった。
 リンが解放軍と行動を共にしている。それはいい。彼は、誰かに従っていられるような人間ではない。
 貴族としての義務を父親から叩き込まれた親友が、帝国の実体を知って見過ごしたまま生きていけるわけがない。 自らに破綻が訪れる前に、彼は正しいと思う道を選ぶだろう。
 おそらくは、反逆を。間違いなく、粛正を。
 だからこの道は予想していたことだ。
 今さら、苛つく原因にはなりはしない。
 ささくれだった自分に命じる。落ち着け。
 では何故か。
 ……答えは簡単だった。
 もし解放軍のオデッサ=シルバーバーグが親友に深く影響を与えたのならば。
 彼女を喰らって紋章は力を増すだろう。


 恨んでくれていいと言った。
 それは真実。
 けれども。
(……因果を間違えるなよ)
 紋章のせいで人が死ぬのではない。
 人の選択によって、人が死ぬのだということを。
 どうか、それだけは惑わされないでくれ。


<2004.12.27>


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