奏幻想滸伝
          東奔星走3


 ウィンディの目の前に立ったのは三人。 情報部部長と精悍な顔つきの男性、表情の読み取れない少年。
 不機嫌に彼女は鼻を鳴らした。
「も、申し訳ございません。諸事情から情報部には現在、余剰人員がない有り様で……」
 額に汗する男を一瞥し、ウィンディは視線を戻す。
「まあ、仕方がないでしょう。それだけ仕事熱心だというの証明ね」
 身を縮ませる男を無視する。用があるのは、呼び出した人間 にだ。
「あなたが、サンチェスとの連絡係かしら?」
「はい、ウィンディ様」
 力強く青年が答えた。 憧れの寵妃を前にして、顔を上気させている。
「先日の報告書を読ませてもらったわ。 現在、あの組織は逆賊であるリン=マクドールを匿っているとか。 ……犯罪者を庇いだてする以上、その罪は明らか。静観の段階は過ぎました。 アジトを強襲し、犯罪者を捕らえるよう手配なさい」
 低く諾の意を呟くと、青年は頭を下げる。 従順な態度に気を良くして、次に彼女はルックへと視線をずらした。
「おまえ、ドワーフの大金庫を知っているかしら?」
「話だけは聞いたことがあります。 実際に目にしたことはありませんが」
「そう、まあいいわ。 おまえはドワーフが大金庫にひそかに隠し持っている焦魔鏡という武器を運び出し、 パンヌ=ヤクタのクワンダ=ロスマン様に届けなさい」
 命令に、少年は困ったように首を傾げた。 おずおずと言葉を発する。
「ウィンディ様、それは瞬きの紋章でドワーフの大金庫に入れ ということでしょうか?」
「ええ、その通りよ」
「申し訳ありませんがウィンディ様。それはできません」
 きっぱりとした否定。情報部長が声無き悲鳴を上げた。 意外な拒否の言葉にウィンディも柳眉をひそめる。
 しかし、ルックは冷静だった。丁寧に説明する。
「瞬きの魔法などは、行ったことがある場所にしか使えません。 少なくとも、僕はそうです。 ドワーフの大金庫に入ったことのない僕にはできません」
 明確で正当な理由にウィンディは表情をやわらげる。 たしかに、少年に理はある。
「心配しなくてもよくってよ。 私が金庫の中に転移魔法で送ってあげますからね。 おまえは金庫の中で焦魔鏡を探して、見つかったら鏡ごと外に転移すればいいの。 もし、自分以外のものを転送するのが難しいのならば、一度城に戻って私に報告しなさい。あとは私がいたしましょう」
「わかりました。ウィンディ様のお手を煩わせないように努力いたします。 ですが、ウィンディ様」
「まだ、何かあるのかしら?」
 改まった疑問の調子。
 まっすぐと視線を合わせながら、少年の声。
「僕ひとりの潜入任務では万が一の事態のときに、 どうすればいいのでしょうか」
 当然の疑問だった。
 どんな仕事であれ、複数の人間が組む。仕事を早く円滑にするためだけではなく、最悪の事態に陥った時の報告義務を果たすためだ。 ゆえに最低でも二人組で仕事をするのが基本だ。
「そのために誰か、手の空いている人間をと要求したのだけれど」
 ウィンディとて、この任務に慣れていない少年ひとりを行かせるつもりはなかった。 武術に優れた軍人や、経験豊かな情報部員と組ませるつもりだったのだ。 最低でも、ルックを含めて五、六人。素人と確実性を考慮した、彼女なりの最低ラインだ。
 考え込んだウィンディにルックは意外な提案をした。
「僕ならば、あとひとりかふたり、付けていただければ結構です」
 少年の自信過剰ともとれる発言に、本人とウィンディ以外の 全員が慌てた。彼女の場合は、その仕草を微塵も出さなかっただけだが。
 何を生意気な。思わなかったわけではない。
 しかし。
 反らすことなくこちらを見上げてくる緑。
 そこには少年特有の過大な自己評価は見当たらない。否。 彼の感情自体が認められない。少なくとも見抜けない。
 強い、無機質な視線。 今まで向けられたことのない種のそれに、彼女の背中を震えが掠めた。
「たいした自信だこと」
 ウィンディが口角を上げた。
 面白い。ここまで言うのだ。試してもいいではないか。
 少年が死のうが生きようが、大勢には影響しない。 これは今の作戦に、より成功と確実を与えるための補足のようなもの。
 それに、ルックは異動した情報部で着実に仕事をこなしてい るようだが、厳しい任務を徐々に与えて鍛えていくのも悪くはない。
 ふと、妹の姿が脳裏をよぎった。 共にハルモニアへの復讐を誓ったが、それは時間によって押し流され。最終的には袂を分かった。
 妹はちっぽけな島に弟子とふたりきりで暮らしている。 世界で一番殺してやりたい男の複製だという弟子の姿を見たことはなかったが、一度だけ、島を訪れた時に妹はそれについて話した。
 あれはハルモニアに一石を投じるもの。 その波紋を大きくするために、持てる知識と技術を与えるのだと。
 そのときはさんざん妹を詰った。 村を焼かれたあの悔しさと怒りと忘れたのかと、家族を友人を殺された無念さを忘れたのかと。 思わずローブの胸をつかんで詰め寄った。
 盲目の妹は穏やかに。
 白い顔に微笑みさえも浮かべて。
 自分の育てた種がやがてあの国を喰い破る。 それを私は高みから眺めたい。
 静かに言葉にした。
 復讐を他人任せにしたとしか見えなかった態度に腹が立って、以来、ウィンディは島を訪れていない。
 だが、目の前に少年を置いてウィンディは妹が少しだけ理解できた気がした。
「いいわ、そうしましょう。 同行する武官が決まったら連絡するわ」
「わかりました、ありがとうございます」
 丁寧に下げられた茶色の頭を見ながら、ウィンディはこのきまぐれが気に入った。
 この少年を育ててみよう。 そして、自分の駒として、最大限に利用するのだ。
 ……隣にいるのが、妹でないことを。 僅か落胆した自分を見ない振りをした。



「で、おまえはしばらく城を空けるってわけか」
「そういうこと」
 これまでの経緯を渋々ながら説明し、ルックはテッドを見上げた。 同じように立っても、テッドの方が背が高い。
 それに密かに懐かしさを感じてしまい、テッドは苦笑を押し隠した。
 リンに初めて会ったときは、たしかこのくらいの身長差だったのを思い出したのだ。 親友は、今では成長の止まったテッドを追い越してしまった。
「……さっさと教えてほしいんだけど」
 ルックが不機嫌に手にしていたものをテッドに押し付ける。
「あのなー、こういうのは自分でやらないと覚えないぞ」
「だから教えてほしいっていってるだろ。 そっちが木偶みたいにつったってるんじゃないか」
「悪い悪い。その袋を持っていくのか」
「そう」
 ひらひらと謝罪に手を振ったテッドにルックは素直に頷いた。
 ルックが持っているのは麻の袋だ。 背負うのにちょうどいい大きさで、旅人が好んで使うものである。
「とりあえず、おくすりは必需品だろ。あとは毒消しと……」
「そんなの、癒しの風で充分だよ」
「魔力はできる限り温存しとけって。 そのドワーフの大金庫とやらはどのくらいデカいかわからないんだろ? こんな準備が必要なくらいだし」
 少年の反論を封じて、テッドは慣れた手つきで品物を揃えていく。
 てきぱきとしたテッドをルックは興味深げに眺めていた。 ときどき、これは要らないのかあれはどうなのかと尋ねてくるだけだ。
 昔、マクドール家にひきとられて間もない頃のことを思い出す。
 天気のいい日で街の外れの森に探険に行こうとテッドが誘った。 手ぶらで飛び出そうとしたリンを引き止めて、もっとささやかだったが準備をした。
 将軍家嫡男とはいえ、生粋の貴族に間違いなかった親友も、こうやってテッドをじっと眺めていた。
 一時間ほど前に部屋に戻ってから、ルックはぱたぱたと動き回っていた。 いつもは仕事を持ち帰っているために机の前に座っておとなしくしている。 あるいは読書にいそしんでいる。どちらにしろ、活動的ではない。
 それが今日に限ってはクローゼットを開けたり閉めたり、かと思えば引き出しを引っ掻き回したり。 寝台の下の引き出しを調べたり。そんなこんなを半時ほど繰り返して、途方に暮れたように座り込んでしまった。 手に旅行用の袋を握りしめて。
 その後、無言のままテッドを袋を交互に見つめること数十分。
 悔しさと不本意をそのままに、ルックは彼に袋を突き出して言ってきたのだ。 『しばらく出かけなきゃいけないんだけど』。
 それだけで何を言わんとしているのかわかってしまったテッドだったが、 からかい半分に身を乗り出した。
『それはご苦労様』
『だから。その』
 もごもごと言いよどんでいる様に悪戯心を刺激された。 が、思いとどまる。相手は十歳そこそこのお子さま。 対する自分は三百歳の海千山千。ここはひとつ大人な態度を。
 思ってはみたものの、するり出た言葉は。
『黙ってちゃわからないぞ、ルック君。 その袋はなんなのかな?』
『うるさいよ』
『よーし、じゃあお望み通り黙っていよう。 ひとっことも言わないもんね』
 わざとらしく顔ごと視線を明後日に向ければ、まるで親の仇に対する視線。 ルックのそれは、もはや条件反射の台詞だと推測がつくが、こちらの態度もある意味条件反射だ。
『……なにを持って行けばいいのかわからないんだよ。 あんた、旅暮らしが長いみたいだし、詳しいだろうから』
『だから?』
『教えてよ』
 ぷいと投げられた台詞は素っ気なかったが、悔しさと恥ずかしさが滲み出ていた。 もちろん、テッドは断る理由もない。ただ、ふと気になって尋ねてみたのだ。
『どこに行くんだよ。 たしかおまえの仕事って、転移魔法で行き来するだけじゃなかったっけか』
 先日、ウィンディはそんなようなことを話していた。 それをふまえれば、旅支度がルックに必要であるわけがない。
 返答など期待していなかったが、ルックは面倒くさそうに説明してくれた。 テッドは城から出られないのだし、第一にルック自身が赤月帝国に、ましてやウィンディに忠誠を誓っているわけではないのだから、情報に対する抑止力など存在しない。
 おかげでテッドは囚われの生活ながら正確な情勢を知ることができる。 ウィンディのもたらす偏った情報ではなく、第三者から見た客観的な見解。
 ウィンディが五将軍のひとりである<鉄壁>クワンダ=ロスマンを招集したこと。
 彼にブラックルーンを授け、支配下においたこと。
 東部の制圧に乗り出したこと。
 そして、帝国が戦を決定するために、 ドワーフが所蔵する焦魔鏡を手に入れようとしていること。
 ルックは焦魔鏡を運び出すため、ドワーフの大金庫への潜入を命じられたと言う。 金庫がどのくらいの大きさがあるかテッドはぴんとこなかったが、ルック曰く「山ひとつ、くり抜いたくらい」だそうだ。 調べた本にそう載っていたらしい。
 それを金庫と言ってしまっていいのか悩む所だが、目的の鏡が巨大金庫のどこにあるかはわかっていない。 話を聞く限りでは念入りに準備をすべきだと判断したルックだが、肝心の「持ち物」をどうすればいいかわからなかったのである。
 そこで冒頭の会話に戻る。
「にしても、仮にも金庫なんだよな。 どうしてこんなきっちり準備が必要なんだよ」
「モンスターが出るって言ってた」
「……どんな金庫だ、それ」
 溜息と吐き出されたテッドの言葉にルックも頷く。 彼も呆れたような表情をしていた。
「ドワーフは道具を好む種族なんだってさ。 モンスターというよりむしろ器械やからくりに近いのかもね」
「そうか。じゃあ、おくすりは力の限りに詰め込むぞ」
 宣言して、テッドは寝台の上に胡座をかいた。 彼のまわりには半円を描くようにおくすりや毒消し、身代わり地蔵などが並べられている。 特におくすりは山と積まれていたが、それをみるみる袋に納めていく。
「その理屈はなんなのさ」
 かき集めたおくすりをぎちぎちに袋に押し込みはじめるテッドに、ルックは理解に苦しむとばかりに呟く。 その顔には、あれを背負うのかとうんざりとした表情が早くも浮かんでいた。
「そういうところじゃあ、普通に野山にいるようなモンスターはいないだろ。 だとすると、モンスターが落としてくれるアイテムはまったくわからないし、 一度金庫に入ったらしばらく出てこないつもりだろ?」
 質問形の確認。
 まったくそのとおりだったので、ルックは黙る。 彼の場合、補給が危なくなったら金庫から転移魔法で脱出し、休憩をとってまた侵入することができる。
 ただ、それだとウィンディが期待する時間で成果をあげられない。
 納得するルックを傍目に、テッドは全体重をかけておくすりを圧縮する。 長年培われた経験で、力加減は名人級だ。
 機械的に作業をしながら、疑問が湧きあがる。
 じいっとこちらの手もとを見つめてくる少年は、この国の人間ではない。 どこか、他の国から間諜として派遣されてきたのは間違いがない。
 いったい、どこの国から?
 今まで、テッドはそれが都市同盟だと思っていた。赤月帝国 と都市同盟は積年の仇敵である。互いの動向を探りあうための間諜は当然の存在だ。
 けれども、ここにきてその仮説に歪みが生まれてしまった。
 ルックが都市同盟の人間ならば、歩いて国境を越えてグレッグミンスターまで来たはずである。 彼は瞬きの紋章を宿しているが、それでは見たことのない場所に跳ぶことはできないからだ。 少なくとも一回は、赤月帝国領内まで旅装を整え、旅をしていなければおかしい。
 しかし、こうやって話しているとどうもその気配が感じられない。
 つまりルックはどこか他の国から、直接空間を繋ぐことで送り込まれてきたとしか考えられないのである。
 それだけの力と技術のある国。
 テッドの導き出せる結論はひとつだけ。
 ハルモニア神聖国。
 北方最大の国。強大な軍事力と永遠の指導者を戴く国。 紋章狩りの国。
 ウィンディの故郷を滅ぼした国。彼女の憎む国。
 テッドは幸いなことに、ハルモニアに目をつけられたことはない。
 が、紋章狩りの逸話はよく聞いた。<門>の紋章の一族の虐殺など、悲惨な話も多い。 それをふまえれば、かつて手に入れ損ねた<門>の紋章を手に入れようと、再びかの国が動いているのだとしても不思議はなかった。
 そう考えてよくよく見てみれば、ルックの色素の薄さは北方特有のものだ。
 ハルモニアは紋章学の研究が盛んな国でもある。 彼が魔術に秀でているのもそこに由来していそうだし、 なによりも真の紋章の継承者を間諜に使ってしまえる神経が並の国ではありえない。
「こんなもんだろ」
 無意識に作業を終わらせ、ルックにむかって袋を投げる。
 ほとんどがおくすりで、あとは毒消し、ナイフや布だ。
「あとは厨房に行って干し肉とか豆とか、携帯食になりそうなのをもらってこいよ。 水筒に水を詰めるのも忘れるなよ」
 しっかりとルックが荷を受け取ったのを確認して、 寝台に背中から倒れ込んだ。 寝転がったまま視線だけ動かせば、ルックが袋をいろいろな角度から眺めたり、 背負って感触を確かめたりしている。 どこか幼い仕草が微笑ましく、次いで親友との日溜まりの日々を思い起こさせる。
「おまえ、ここに来る時は誰が準備してくれたんだ?」
 ひとりでできないということは、してくれる存在がいたということ。 それは親や兄弟かもしれないし、場合によってはグレミオのような付き人かもしれない。
 テッドのアドバイスを実行するために扉を開ける背中に問えば。
「教えられないよ。……あっちに筒抜けになるからね」
 緑の視線が意味ありげに細められる。
 振り返ったルックの首元がきらりと光る。
(なんだ?)
 夕日を反射したそれの正体は定かではないが、身につけてい る場所から判断してペンダントの鎖だろう。
 彼は装飾品をつけるように見えなかったら、テッドには意外だった。
「お……」
「ありがとう」
 問うために発した言葉は、ルックのさらに珍しい言葉に遮られた。
 数日間共に過ごしたが、こんな明確な礼をもらったのは初めてだ。
 テッド自身、どんな表情をしていたのか。よくはわからなかったものの、なんとなくの種類としては間抜けなものをさらしていたのだろう。
 認めた途端、いつもの口調が感慨を吹き飛ばした。
「失礼な顔してるんじゃないよ」
 不機嫌な捨て台詞をあとに扉が閉められる。
 寝台の上に取り残されたテッドはごろりうつぶせになる。ぐしゃりと髪をかきまぜた。こぼれる溜息。
(わっかんねー、あのお子さま)
 それが正直な感想だった。


<2004.11.7>


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