東奔星走2 |
グレッグミンスター城でのすべての情報はウィンディに集まる。 皇帝バルバロッサが知るよりも早く、彼女の耳に入るようになっているのだ。 これは特にウィンディが望んだことだ。 そして本来ならば、皇帝の寵愛を得ているとはいえ一介の魔術師に過ぎない彼女の思うとおりになっているのは、 ひとえに皇帝が政治に無関心になっていることも原因である。 玉座にいるだけの皇帝と政治に積極的な寵妃。 瑣末事から重要なものまで、情報がウィンディに集中していくのを妨げる者は今の宮廷にはいなかった。 新しくもたらされた知らせにウィンディは眉をひそめた。 これからクワンダとの会見が待っている。その準備のために人払いをしておいたのだが、常から最優先を命じていた情報がもたらされたのだ。 後でお持ちしますと言われたが、いてもたってもいられずに書簡を受け取った。 差出し人はサンチェスとある。 たしか、解放軍を名乗る反乱組織に潜り込ませてある手駒だ。貴族でありながら帝国に歯向かう小娘につけてある。 現在は組織の中でも幹部として安定した力を保っている。 封を解いて、紙面に目を走らせる。 そこにはいくつもの彼女の求めていた情報が書かれていた。 知らず、紙を握りしめながら彼女は呟く。 「見つけたよ、ソウルイーター」 今度は逃がさない。 だが、急くことはあるまい。 新たなる継承者であるリン=マクドールは、解放軍に身を寄せている。サンチェスのおかげで情報は筒抜けだ。 彼らが潜んでいるアジトの場所も、所有している武器の数さえもわかっている。 もうしばらく様子を見てから、一気にアジトを急襲するのがいいだろう。 焦るのは良くない。 再びテッドのようになる可能性もある。 だから。 「こちらの問題から片付けないと」 ハルモニアを打ち倒すために。 まずは、東を押さえなければいけない。 さらに赤月帝国の力を強化するために、人間に従おうとしないモノたちを潰さなければ。 強い視線で宙を睨み、静かに瞼を閉じる。 復讐の炎を眠らせる 来訪の鐘が鳴る。 瞳を開く。 意識した憂いの表情。 さりげなくドレスの裾を直す。 緊張した面持ちで男が入ってきた。顔を認めて、ウィンディは立ち上がる。 「遠路はるばるようこそいらっしゃいました、クワンダ様」 名を呼ばれ、男は無言で頭を下げた。しかし、その顔には隠しきれない失望と意外の念が浮いている。当然だ。彼は皇帝に招かれたのだから。 「どうぞ、お座りになって」 椅子をすすめれば、彼は無言で腰を下ろした。 男と向き合い、ウィンディは思案する。さあ、どうやって始めよう。 切り出したのはクワンダだった。 「本日は皇帝陛下を交えてマクドール家の問題についての話し合いだ、と伺ってきたのだが……」 「申し訳ございません。陛下はご気分が優れないと言って、お部屋のほうへ。ですが、まずは陛下からこれをお預かりしておりますの。 何か質問がありましたら、私のわかる限りお答えいたしますわ。マクドール家については、この後に」 瞳を伏せて、彼女はついと封筒をテーブルクロスに滑らせた。 クワンダは無言でそれを受け取り、目を通す。そのあいだも、彼女は無言で言葉を待っていた。 「ウィンディ様」 黙読し、クワンダが首を傾げていた。明らかに戸惑っている。しかし、それも予想の内の行動。 「これは本当に皇帝陛下の思し召しなのだろうか。兵を以てコボルト、ドワーフ、エルフを討てなどと」 「……まあ」 ウィンディは呟く言葉に疑問の響きをのせる。 もちろん、勅命の内容など知っている。彼女が皇帝に進言したのだから当然だった。それを悟られないようにしなければいけない。 五将軍は皇帝に直接意見こそしないが、内心ではウィンディを快く思ってはいないのだ。 「そのようなことを陛下が?」 「ええ、そうです。確かに私の預かるパンヌ=ヤクタ周辺ではエルフとドワーフ、そして人間の関係は良好とは言い難い。 だが、それはすでに長年のことであり、彼らに干渉しない限り、害はありません。それを今さら……」 クワンダの言い分はもっともだ。三者は友好を結んでいるわけではないが、具体的な諍いがあるわけではない。 種族として「なんとなく」相容れないだけだ。 手を出さなければいいだけなので、今まで帝国も静観の姿勢をとってきた。 彼の口調は、わざわざ火種を撒くだけではないかと匂わせていた。 けれどもウィンディはまったく動じない。 怯えた表情を作り、囁くように告げた。やんわりと視線をそらす。 「クワンダ様はご存じないのですか?」 「何をです?」 思い通りにクワンダが問い返す。表情を崩さぬままに、ウィンディは一段と声をひそめた。 「焦魔鏡のことです」 「『焦魔鏡』……とは?」 「クワンダ様は、ドワーフが非常に技術に優れていることをご存じですわね?」 食らい付いた。 確認して、ウィンディは続ける。 頷いたクワンダはそれでもいぶかしげだ。 ウィンディは言葉で畳み掛ける。 「そしてドワーフはエルフと人間を嫌っています」 また、首を縦に肯定。それは周知の事実だ。 「ですから、そんな彼らがエルフと人間を滅ぼすための武器を持っていてもおかしくはありません」 静かな言葉に、クワンダが思わず席を蹴った。 「まさか!」 「ええ、『焦魔鏡』とはドワーフがそのために作った武器です」 叫びと淡々と。対照的な声は交互に。己の態度に気がつき、クワンダが慌てて姿勢を正した。 「すみません、ご無礼を」 「いいえ、私も陛下の前で同じことをしてしまいましたわ」 お気になさらずと彼女は柔らかく微笑んだ。 「その鏡はなんでも炎を迸らせて、遠く離れた街や森をも一瞬で焼きつくすことが出来るのだとか。 今はまだドワーフの大金庫の中に隠されているそうです。 でも……」 「いつでも使用できる、ということですか」 「はい」 頷いて、ウィンディは膝の上においた拳を強く白くなるほどに握りしめた。 「それを知った陛下はドワーフの長に『焦魔鏡』の廃棄をお命じになりました。しかし、長は陛下の命をはねつけたばかりかこう言ったのです」 ウィンディはクワンダを見上げる。縋るように。訴えるように。 「『おまえなど、我らの武器の前では虫けらにすぎない』と」 「なんだと!!」 再び、クワンダが立ち上がった。顔は怒りに染まっている。それもそうだろう、敬愛する皇帝を侮辱されたのだから。 テーブルに両腕をつき、クワンダはまくしたてた。 「わかりました。それほどまでに言われては動かないわけにはいきますまい。ドワーフの言葉は帝国で安寧を享受する民にあるまじきものです!」 「ありがとうございます、クワンダ様。陛下もお喜びになることでしょう。ですが」 興奮した男を宥め、ウィンディは続ける。 「真正面から兵を出しては危険ですわ」 「む、それもそうだ」 彼女の言葉にクワンダも同意する。敵にはこちらの想像を絶する威力の武器があるのだ。相手は無傷のまま、こちらを全滅させることさえもできる。 「しかし、それでは……」 どうしようもない。何もしないまま多くの兵士を失うことになる。 幾通りもの作戦を立てては廃棄している男を眺め、ウィンディはこころで笑う。 もう少しだ。 悩み続けるクワンダを横目に、彼女はすっと席を立った。そのまま机の引き出しを開け、箱を取り出す。 そっと、彼の目の前に差し出した。 「クワンダ様、これをお使いになってください」 「これは……?」 おそるおそる、クワンダが手を伸ばす。中からはつややかに黒い封印球が現れた。 「ブラックルーン、と言います。この紋章には人を操る力があるのです」 「人を、操る……」 魅入られたように。クワンダの視線はブラックルーンに釘付けだった。 「そう。これをつければ、ドワーフとエルフ、そしてコボルトを互いに争わせることも出来る」 のろりとクワンダがウィンディの顔を見た。 「部下は、殺されない……」 「帝国は、傷付かないわ。傷付くのは、帝国に牙をむいた裏切り者」 幼子に言い聞かせるように言葉を紡ぎながら、彼女は彼の手を取る。 まるで導かれるように。 抵抗はなく。 次の瞬間には、箱の中からブラックルーンは姿を消し、男に宿っていた。 「勅命よ。私の帝国に逆らう者たちに裁きを」 女王の態度でウィンディは命じる。 躊躇の欠片さえもなく、クワンダが膝を折った。 「御意のままに」 それに満足して彼女はクワンダに退出を命じる。 背中を向けた彼に、ふと思い出した。 念のために試すつもりで告げる。 「そういえば、帝都を出奔したリン=マクドールだけれど」 あなたはどうするべきだと思うかと続けようとして。 「決まっているでしょう」 即座に冷たい返事がある。 「帝国への反逆者へは死を」 それを最後に扉が閉まる。 ひとり残されたウィンディから作り物ではない笑みが溢れた。 「ええ、そうよ。そのとおりよ」 クワンダは数日間、グレッグミンスターに滞在した。 表面は今までの彼と変わりはない。正義に篤く、卑劣を嫌う。 最後の謁見で、皇帝に膝をついた彼は帝国に対するますますの忠誠を誓い、退いた。 城を辞するとき、彼は見送りに現れたウィンディを見つめて告げる。 「できれば焦魔鏡を押さえたいのです。さすれば、コボルトの動きを封じ、ドワーフとエルフをさらに険悪にし。 ……奴らが疲れきった瞬間にすべての反逆者どもを薙ぎ払って御覧にいれましょう」 主の不穏な発言にも部下たちは薄笑いを浮かべるだけだった。 諌める者も、眉をひそめる者さえもいない。ブラックルーンの効果が男だけでなく、周囲にも確実に及んでいるのだ。 男に息づく支配の力を確認し。 ウィンディは扇で顔をそっと隠しながら一言を与える。 「よしなにいたしましょう」 暗い満足をそれぞれに、ふたりは互いに背を向けた。 *** 真の紋章を宿しているウィンディには、物理的な障壁は意味がない。 どんなに厳重に隠してあっても。場所さえ特定できれば、直接そこへと至る<門>を開き、行くことが出来る。 従って、焦魔鏡を手に入れることは容易い。それが隠されている場所へと<門>を通じて運び出せばいいのだから。 ただ、ウィンディは自分でそれをする気はない。 理由はいくつかある。 ひとつはドワーフがどこに焦魔鏡を保管しているのか、特定していないからである。 置いておくならばドワーフが誇る大金庫だと見当はつく。だが、地下深くまで複雑に張り巡らせた大金庫のどこにあるのかはわからない。 モグラのように薄暗くじめじめとした空間を歩き回るのはごめんだった。 絶対に自分がやらなければいけないのであれば、どんなことでもする。覚悟はとうにできている。 が。 それ以上に自らの動けない理由があった。 バルバロッサだ。 もちろん、皇帝もブラックルーンを通じて支配している。それが、あまりうまくいっていないのである。 彼にブラックルーンを付けて久しいにも関わらず、先日宿したばかりのクワンダよりも効果が表れていない。 原因はだいたいわかっている。 バルバロッサの持つ<覇王>の紋章だ。彼は身体に直接紋章を宿しているわけではないが、まぎれもなく真の紋章の継承者である。 おそらく、ブラックルーンに耐性があるのだ。 おかげでウィンディは彼から目を離せない。 正気に返られては困るのだ。 それだけではなく、バルバロッサはウィンディが傍を離れることを嫌っている。あまり長い間、姿を見せないと城の中を探しまわる。 それこそ、公務に差し支えるほどに。 この行為はバルバロッサの評判だけでなく、ウィンディの宮廷内での地位を危ぶませる。皇帝をたぶらかした悪女になってしまう。 そうなれば、将軍たちやウィンディをよく思わない者たちはここぞとばかりに彼女を追い出しにかかるだろう。 ……行動を起こしていない将軍たちは、皇帝が自ら目を覚ますのを待っているだけなのだ。 クワンダの要請を無視することは簡単だ。すでにクワンダは彼女の支配下にある。説明も必要なく、納得するだろう。 けれども、ウィンディは最初からこの選択肢を放棄していた。 焦魔鏡は使える。 東部のドワーフやエルフ、コボルトを抑えるだけでなく、最終目標であるハルモニアへの牽制にも有効だ。改良を加えて射程距離を延ばせれば。 思考を練りながら、彼女はひとつの扉の前で立ち止まった。 ノック。 ウィンディは真の紋章による転移の術が使えるが、城内では極力抑えている。継承者である事実が知れると、厄介なことも多い。 返事を待たずに部屋に踏み込んだ。 机に山と積まれた書類。間を縫うように数人が忙しく歩き回っている。 扉の開いた音に反射的に目を上げて、来訪者の姿を認め。さっと沈黙が降りる。 「こ、これはウィンディ様!」 転がるようにして情報部部長が飛び出してきた。 「ほ、本日はどのようなご用件でしょう?」 そわそわ落ち着かずに両手を動かす。 男の頭の中ではウィンディに渡していた資料のどこかに落ち度があったのではないか、不興を買ったのではないかと、不安が渦となっている。 愛想笑いを浮かべる男を無視して、ウィンディは尋ねる。 「解放軍のサンチェスとの連絡係と手の空いている人間、それからルックを呼んでおいで」 <2004.12.22>
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