東奔星走1 |
クワンダ=ロスマンがグレッグミンスターを訪れたのは、リン=マクドールが出奔してしばらくしてのことだった。 彼がその情報を得たからではない。 ウィンディが彼を城へ招いたのである。 先だっての事件については、公には秘されている。赤月帝国の貴族でもマクドール家は名門中の名門。 それが反逆罪を疑われ、挙げ句に家人をつれて失踪したとなれば宮廷に激震が走るのは必須だった。 皇帝から高い評価を得ていたものの、 家門としては中堅どころであったシルバーバーグ家の息女オデッサが反乱と地下活動に身を投じたときとは、比べものにならない影響がある。 しかも、兄であるマッシュの影に隠れがちだったオデッサと比べて、リン=マクドールは将軍家の唯一の後継者。 幼い頃から政治的には表舞台に立っていた。 皇帝バルバロッサもそれを考慮し、明らかな反逆を認められない以上は事を荒げることを良しとしなかった。 それでも彼が屋敷を捨て、首都から脱出したことは確かである。 本来ならば家の問題として当主であるテオ=マクドールを尋問すべきだが、彼は都市同盟との重要な戦いに赴いている。 そこで妥協の産物として、将軍家と親交の深いクワンダを招き、密かに今後について話し合うことになったのである。 あくまで、表向きは。 「おおルック。ご苦労さん」 部屋に帰ると、寝台に寝転がってテッドが本を読んでいた。 ここ数日で当たり前になってしまった光景にルックは溜息をつく。手にしていた書類を机に放り出すと、広げてあった本を覗き込んだ。 「初級紋章学?あんた、こんなの読んでるの? 必要ないだろ」 「いや、面白いぜ?300年も真の紋章を宿してたけど、逃げる方ばっかりに頭を使ってて、実際の理論なんか全然さっぱりだし」 視線を頁に落としたまま、テッドは答える。 その考えが理解できないとばかりにそれを見て、ルックは備え付けの茶器に手を伸ばした。 適当に茶をいれようとして、茶葉が増えていることに気がつく。 「どうしたの、これ」 「ああ、お茶のことか?城の中を冒険してたら厨房に行き当たってさ、親切なお姉さんにもらった」 「あまり出歩かないでよ。こっちだって危険な橋を渡ってるんだ」 「ウィンディはあんな裏道通らないから大丈夫だって。いい薫りだろ」 はぐらかそうとするテッドを一瞥して、溜息と一緒に言葉を零す。 「ウィンディが毎日、僕のいない時間に様子見に来てるのはわかってるんだ。そのときに脱走しているのがばれたらどうするのさ」 彼女がブラックルーンの力に信頼をおいているために、今は穏やかな軟禁状態ですんでいるのだ。 もし実際の状態を知ったならば、どういう態度に出てくるかは容易に想像がつく。 ウィンディは躊躇うことなくブラックルーンにかける呪を強化し、テッドのこころを押しつぶし。 場合によっては廃人にまで追いつめるかもしれない。 「この300年物の逃亡者であるテッド様を甘く見るなって。いざというときの演技力もばっちりだぜ。……おまえに迷惑はかけない」 「どうだか」 ひらひらと手を振るテッドに呆れた視線をくれてやる。湯を注いで砂時計を引っくり返す。 現在、テッドにかけられているブラックルーンの呪いは、出来る限りをルックが真の紋章で中和している。 ブラックルーンを宿せば即座に発動が開始する精神を蝕む呪いも、影響を表していない。 それでも中和しきれなかった呪いはある。 ひとつめがウィンディの命令への絶対服従。 ふたつめが逃亡の禁止。 そして最後が、自殺の禁止だった。 これは彼女がテッドを必要としていることをありありと示していた。そのせいもあって、テッドはルックが驚くほどに大胆に振る舞っている。 砂時計の砂が落ちきる。 横目で確認して、ルックはカップを持ち上げた。まだ、熱い。 そのままテーブルに紅茶を戻した少年を見て、テッドは何がおかしいのかにやりと笑った。 「……何」 「いや、別に?」 こちらを見つめたままのテッドに居心地の悪さを感じて、ルックは手にしていた情報部の資料を机の上に広げた。 「それ、仕事か?」 「まあね」 そっけなく返して読みはじめる。まともに相手をしてこないルックにも慣れたのだろう、テッドも自分の持つ書物へと戻る。 気づかれないよう密やかにルックは息を吐く。 まったく、つかめない相手だ。何を考えているのかさっぱりわからない。 長く生きているからかと考えるが、ある意味非常にわかりやすいウィンディという人間もいる。 そうするとテッドの性格ゆえということなのだろう。 だが、彼と似たような人間などルックの知るなかにはいない。 自分の世界が広いようでいて狭いことを自覚しているが、こんな理不尽な状態の中でも笑っていられる人間など信じられない。 考えるのはやめよう。 思考を切り替えて、目の前の報告書に集中する。 書かれているのは帝国に叛意ありと認められている集団の一覧だった。 どれもこれも山賊や農民などの烏合の衆、帝国に対しては決して脅威となり得ない。 にも関わらず、どんな集団にでも必ずひとりは密偵が放たれているのはさすがだった。 ウィンディの指示だというから、彼女も用心深い。 その彼女も、まさか彼女の御膝元、帝国魔法兵団に堂々と宿敵の手が潜り込んでいたとは思っていないようだが。 さて、どうしようか。 赤月帝国をウィンディの私物にするわけにはいかない。現在でさえ、多くの民が倒れ、国は疲弊している。 しかも皇帝はウィンディを諌めるつもりはさらさらないときた。 このままウィンディが影の女帝として君臨を続けると仮定する。 まずは都市同盟だ。時間はかかるだろうが、相手は長年の宿敵だけあって人心を煽るのも容易い。その後はハイランド皇国。 ハイランドはハルモニアの友好国だが、狂皇子と呼ばれるルカ=ブライトの動き如何ではどうなるかわからない。 さらにまずいことにあそこには真の紋章がある。 数十年前に<始まり>の足跡が途絶えたのもあのあたりだ。 現在、ウィンディが手にしている真の紋章は<門>と<覇王>、<八房>、さらに正統なる主を離れている<月>。 ここに<獣>と<始まり>が加われば事態の収拾をつけるのは困難だ。 どうやっても彼女には消えてもらうしかない。 ただ殺すだけならば楽なのに。 それではいけないのだ。 ウィンディを殺しただけでは、首をすげ替えただけでは、すでにこの国の落陽は止められない。逆に強力な支配者を失ったことで、暴走する。 文字どおりに国が滅ぶ。 それは避けたいというのがハルモニアの意向だ。 もともと赤月帝国の祖は遡ればハルモニアだ。 彼女も、だからこそ赤月帝国を標的にしたのだろうとは、『父』の弁。 赤月帝国とハルモニア神聖国、ふたつの国をぶつけることで疲弊させ、最終的には滅ぼすつもりなのだと。 ハルモニアの系譜を引くものは、彼女にとってはすべからく敵。 帝国はハルモニアと地理的に隔絶しているため国交はほとんどない。友好国でも敵対国でもない。 もし、この件に<門>の紋章が絡んでいなければ関わることはなかっただろう。 言い返せば、ウィンディさえ穏便に取り除くことができれば、今後も介入しない。それはハルモニアも望んでいることだ。 考えられる一番良い手段は政権交代。 皇帝バルバロッサを引きずり落とせば、彼女は後ろ盾を失う。だが、皇帝には後継者がいない。 となると残された手段はただ一つ。 <黄金皇帝>以上の理想を体現する者による、革命である。 膨大な資料に羅列された反乱の意志ある者たち。 このなかに、この国を導く力を体現する者がいるのだろうか。 「へえ、帝国も手を抜かずにやってることはやってるのか」 耳元での声にルックはぎょっと身体を強張らせた。いつのまにか。テッドが背中からかぶさるようにして手もとを覗き込んでいた。 それほど書類に熱中していた記憶はない。にもかかわらず、この近距離まで気づかなかったのは不覚としか言いようがない。 微か顰められた眉から読み取り、テッドが告げる。 「鍛えに鍛えた300年の技だぜ。気にするなって」 「……野生児か」 低い声を聞かなかったことにして、テッドは話を戻す。 「それにしても、よくもまーこんなに育ったこと」 びっしりと数頁に記された名前にテッドもあきれる。どんな国にも体制に不満を持つ者は存在するが、これはずば抜けている。 「数だけはね。質はどうだか」 密偵の存在を許してしまっているのだから、どうしようもない。それに、ただの山賊のリーダーが帝国をどうにかできるとは考えられない。 組織が小さければカリスマ性だけでどうにかなるが、大きくなればなるほど正統な手腕が必要になる。 どれもこれもぱっとしないものが多い。 ざっと目を通して幾つかの目星はつけたが、ルックは所詮他国人だ。しかも、最初からウィンディに狙いを定めて帝国軍に入った。 おかげで、軍に対して民衆が辟易していることは知っていても、逆にどこに期待を寄せているかがわからない。 あまりの質の低さにうんざりして、軍内の人間とも交流を避けていたのも災いしてしまった。 では、テッドはどうだろう。 思いついて、身体を反転する。 「あんたが入るなら、どこにする?」 「おれは流れ者だから、どこにも入らないさ。まあでも」 茶化した調子ながらも、視線は一点を見つめている。 辿った先の名前。 オデッサ=シルバーバーグ。 彼女の名はルックも耳にはさんだことがあった。恋人が殺されたことを契機に、貴族ながら帝国に叛旗を翻した女性。 宮廷では「バカなことを」という見方が非常に強い。 「貴族の女性が愛ゆえに反乱活動に身を投じる。一般大衆にとっては話題性もあるし、なにより分かりやすいだろ。 それにほら、貴族っていうだけでなんだか有難味があるんだよ」 「そういうものなの」 「そういうものだ。わからないか?そういうの」 理屈ではない感覚的な答にルックは首を傾げたが、それよりも気になることがある。 シルバーバーグという家名だ。 古くより続く軍師の家系。知略を用いて、軍を、ひいては国を動かす者たち。 彼女は抑えておくべきかもしれない。 攻撃ではなく、保護の対象として。 記憶に大切にしまいこんで、ふとテッドがマクドール家に住み込んでいたことを思い出した。 「あんた、オデッサ=シルバーバーグに会ったことは?」 「あるわけないだろ。おれがテオ様に拾われたのは、オデッサさんがいなくなってからだぜ」 それに、と肩をすくめる。 「いくら屋敷に住ませてもらってても、相手は貴族でおれは孤児。リンなら会ったことあるかな。でも、家の格式が違うしなあ」 平民から見れば一括りの貴族でも、宮廷内での立場の差は歴然としている。マクドール家とシルバーバーグ家でも同じことがいえた。 付け加えるならば、たしかにシルバーバーグはバルバロッサから多大な信頼を得ていたが、それも今は昔だ。 マッシュ=シルバーバーグは隠棲生活を送り、レオン=シルバーバーグは行方をくらまして久しい。 「そういえば、聞いてなかったんだけど」 次の書類に取りかかるために正面に身体を戻して、視界からテッドを排除する。 「あんた、<生と死>を誰に継承したの?」 「あれ?おまえ、知らないの?」 「知るわけないだろ。僕が追っていたのは真の紋章の気配であって、特定の人間じゃない」 少年の言い分は正しく。 テッドも隠すまでもないことだと判断した。遠からず、ウィンディも継承者が誰であるか突き止める。すでに指名手配だってかかっている。 「リン=マクドールに」 出された名は将軍家嫡男のものだった。 「あんたとはどういう関係だったの」 「いわゆる親友ってやつ。……おれにとっては恩人でもある」 親友。恩人。 重い単語に少年は鋭く返す。 「よくそんな大切な人間に真の紋章なんていう呪いをかける気になったね」 大事であればあるほど、その人の幸せを願うものではないのか。 リン=マクドールはまだ十六歳だったはずだ。成長し、きっと誰かを愛して子を持ち、老いて死ぬ。 将軍家だからこそあったはずの、ある意味、恵まれた未来。 紋章を継承したことで彼はそのすべてを失った。 しかし、テッドの声はどこか楽しげですらあった。 「ばーか。あんな大層な紋章、信頼できる人間にしか預けられないだろ」 「でも」 テッドの理論はわかる。 真の紋章の力は強大だ。 持ち主如何によって、災厄の中心となる。現在のウィンディのような人間には絶対に渡すわけにはいかない。 理屈ではわかる。だが。 釈然としない様子のルックの頭をテッドはぽんと叩いた。 「それにさ、あいつは帝都にはいられない人間だったし」 加えられたのは、理解し難い言葉。テッド自身もそれがわかったのだろう。 苦笑いする調子で繋ぐ。 「おとなしくテオ様の跡を継いで、皇帝に忠誠を誓うなんて器用な真似はできない人間だってこと」 誰よりも近い場所に居たからわかる。将軍家に生まれた以上は仕方のないこと、と。 割り切っていた面もあったが、あれは与えられた旗に従順に動く人間ではない。少なくとも自らの旗を自分で選ぶ人間だ。 従うことのできる旗が見つからなければ、自らが旗となる。 「今頃、どっかの反乱組織に潜り込むくらいはやってるだろ」 彼の故国を守るために。 <2004.12.18>
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