大義迷分4 |
「テオ将軍、ご子息のことはご心痛察しますわ」 謁見の間を辞したテオは、そのままウィンディに別の貴賓室へと誘われていた。 黙り込んだままの将軍に彼女はかまわずにティーポットをとり、自分のカップに紅茶を注いだ。男は口もつけていない。 皇帝の寵妃手づから入れた茶に手をつけていないのは無礼にもあたるが、どちらも気にした様子はなかった。 「ウィンディ様のお気になさることではありません」 言外に『お前には関係ない』とテオは断ずる。 女はおっとりと微笑む。余裕のある表情であり、態度だった。 「そんな。つれないことを」 「いいえ。これは身内の問題です。あれがどのような気の迷いから陛下に逆らったかは存じませんが、私自身で対処いたします」 「大切な唯一の息子さんでしょう?」 手加減してしまうのではないか、と。当然の疑問にテオはふっと笑った。 「我が息子は幼少より帝国に忠義篤くと育てました。それゆえ、陛下に理由なく刃を向けるようなことはありません」 「信頼しておりますのね」 まっすぐな男とは対照に、女にはからかいの色さえもあった。けれども、テオの言葉の裏を敏感に嗅ぎ取っていた。 テオは『理由なく』と言ったのだ。すなわち、反逆には、それを起こすに値する原因があると。それもウィンディにあると彼は告げている。 バルバロッサには責はないと確信があるところが、彼の彼たる所以だろう。 「けれども、過ぎた力を持てば人は変わってしまうものです」 「……」 テオの視線はそのままウィンディに返される。鋭く、それはお前のことだろうと語っていた。赤月帝国という強力な力を手に入れたおまえは、一体なにを望むというのか。 音なき問いには構わない。ウィンディ自身でいうならば、この男にどう思われていようと、それはどうでもいいのだ。 「あなたの息子さんのことを言っているのですよ?」 うっとりと、彼女は蒼い瞳を揺らす。開け放したままだった窓からの風が、金の髪をそよがせた。 「……我がマクドール家は、赤月帝国建国の折より筆頭将軍家としての地位を保っております。帝国において、我が家よりも高きは仕えるべき皇帝のみ。 あれが皇帝になったでも言えば話は別ですが、生まれながらの権が今さら過ぎるもないでしょう」 マクドール家よりも権力を持つのは、ただ皇帝のみ。過ぎた力など、どこからも調達などできはしない。 「誰が権力のことなど言いました」 ぴしゃりとウィンディが断ずる。 「あなたの息子が、リン=マクドールが手に入れたのはもっと危険な力です。扱いを誤れば、この世を支配し、滅ぼすことすらできる力です」 すっとウィンディの手が扉に伸ばされた。ぱちりと扇が鳴る。 「入っていらっしゃい」 「はい、ウィンディ様」 聞き覚えのある少年の声に、テオは軽く目を開いた。滑るように扉を開いて踏み込んできたのは、見知った顔。 茶の頭がウィンディに向かって丁寧に下げられる。 将軍の驚きを無視するように、彼女は顔を参入者へと向けた。 「テッド、調子はどうかしら」 「ありがとうございます。ウィンディ様のおかげで、問題はありません」 「そう、それは良かったわ。それにしても災難ね」 嘆息すると、彼女はテオに再び向き直った。 「まさか、あなたともあろう人があんな少年に真の紋章を奪われるなんて」 真の紋章。 唐突に現れた単語にテオは反応しきれなかった。 そんな将軍に構わず、テッドは軽く肩をすくめた。テオの良く知っている彼の仕草だった。 「仕方ありません。おれも油断していましたから。まさか、自分が真の紋章の継承者だということを明かした途端に、紋章を無理矢理奪われるとは思いませんでした」 「そういうことなのです、テオ将軍」 テッドの言葉をウィンディが継いだ。 「私とテッドは旧知の間柄です。あなたが都市同盟の討伐に発って一ヶ月ほどでしたでしょうか。 テッドがあなたの屋敷に身を寄せていると部下を通じて知ったのです。そこで、魔法兵団に入り、皇帝陛下に仕えてみてはどうかと声をかけたのです」 彼女は語る。 最初はテッドは戸惑っていたこと。彼の持つ真の紋章が、なんらかの悪影響を帝国に与えるのではないかと心配していたこと。 けれども、その魔力を皇帝による帝国の繁栄のために使おうと最終的には決心したこと。 「なにより、あなたへの恩義を少しでも報いることができればと言っていました」 黙ってテッドが頷く。 「それで、入団について知らせるために、おれは一度屋敷に戻ったんです。リンも近衛隊に入って順調に仕事を進めていて、おれはほとんどそのあとにくっついて回っているだけでした。 たしかにリンの側であいつの手助けをするのもいいでしょう。でも、おれは自分にしかできない役目をしたかったんです」 淀みなく、迷いなく。少年の声は続いている。 「おれは、あいつがそんなおれの考えを理解して。送り出してくれると思っていました」 しかし、そうではなかったのだと。 魔法兵団への入団が認められたところまでは、リン=マクドールは祝福してくれた。それで、テッドはリンに自らが真の紋章の継承者であることを明かしたのだ。 彼は周囲に紋章の存在を隠し続けることに限界を感じていたし、それに良い機会だと思ったのだ。 「おれの紋章を見たとたん、リンの態度が変わりました」 そして有無を言わさずにテッドに襲いかかった。とっさにテッドも応戦したが、リンを傷つけまいとする遠慮がどうしても抜けきれなかったことで、紋章を奪われてしまったのだ。 「おれがかつて持っていた……、リンが今持っている真の紋章は<ソウルイーター>」 「正式には<生と死>を司る紋章です。27の真の紋章のうち、最も禍々しい力を持つとされています」 静かにウィンディが補足した。 「テオ様、たぶん、リンはおれの紋章を見て、どこかが変わってしまったんだと思います。27の真の紋章は世界の根源。世界を支配する力です。だからあいつ……」 紋章のことについて明かすべきではなかったと、テッドの固い瞳が語っていた。 「……テッド、もう後悔するのはおやめなさい」 「わかっています。けれど、はやく紋章を取り戻さないと、大変なことになってしまう」 ぐっとテッドの拳が握られていた。皮膚を破りそうなほどに、堅く力がこもっていた。一方で、話し続ける表情は、どこか一定だった。 どう表現して良いかわからない違和感をテオは感じた。 そもそも、テオはこの少年がまとう魔力の大きさ、闇の深さを初めて肌で感じていた。まるで初めて会う人物にも思えてしまう。 しかし、屋敷でもふいに感じることのあった、表現しがたいアンバランスの正体を納得できた気もしていた。 「テッド、もう下がりなさい。300年も宿していた紋章を奪われた負荷は、あなたが思うよりも遥かに大きいのよ。あまり無理をしないように」 「わかりました」 結局、テオが話しかけるタイミングを失ったまま、少年は部屋を出て行った。 ウィンディは沈黙で見送った。 しばらくの後、テオが絞り出す。 「300年、……?」 「……真の紋章を継承した者は、基本的には不老の体になります。紋章自身の持つ力と、不老、そして永遠の命」 これが「過ぎた力」でないと、誰が言えるだろう。 ウィンディが席を立った。話は終わり。そういうことだ。 腰を折り、彼女は顔を伏せた。 「私の話は以上でございます。テオ将軍、なにとぞ、事情のご理解のほどを」 男の足音が遠ざかるのを耳で拾いながら。 うつむいたウィンディの顔は華で彩られていた。 完全にテオが去ったのを確認して、ウィンディは扉に向かって声を投げる。 「名演技だったわねえ、テッド」 「……うるさい!」 震える怒鳴り声に、彼女は満足だった。 「ああもすらすらと出てくるなんて、本当に良くできたお人形さんだわ」 ノブを回す。遠慮なく扉を開くと、床に蹲っていたテッドを楽しげに見下した。 手つきだけは優しく、少年の頬をなでる。テッドはそれを振り払うと、無言で立ち上がった。彼女と目を合わせることなく、部屋を出て行こうとする。 そんな彼の背中をウィンディはまるで慈しむように見つめた。 「この次も同じように頼むわよ。かわいいかわいい、お人形さん」 言葉が終わるか終わらないか。テッドは耐えきれずに駆け出した。 魔女の笑い声が背中をどこまでもついてくる気がした。 ばたんと音を立てて、テッドは扉を閉めた。栓をするように、全体重をかけて寄りかかる。 「くそ」 浮かぶのは悪態ばかり。他のどんな表現も、うまくまとまってくれそうになかった。 ブラックルーンの支配力の前に、どうすることもできなかった。ウィンディが望むままに、彼女の望む言葉を吐き出した。 ずるずるとそのまま床に腰を下ろす。力なく床の一点をぼんやりと眺める。 どうすればいいのだろう、自分は。 どうすれば真実が伝わるのだろう。 ウィンディの目をくらませることができるとは思えなかった。そもそも、テオ=マクドールとどのようにして連絡を取ればいい。 いくら目と鼻の先にテオがいるからといって、自分は城を出られない。城のなかでウィンディの目をくらますことができるとは思えない。 空転する思考。 持て余すなか、視界が翳った。 「……さっき、言ったこと。どうする?」 ルックだった。 いつもと立場が逆転して、彼がテッドを覗き込んできた。 「できるのか?」 「できるよ」 僕を誰だと思っているの。 「それに、時間もちょっとくらいある」 テオとリンが対決するまでには。 今は冬だ。大きな戦はできない。加えて、それだけではない情報をルックは持っている。 「ウィンディがロッカクを攻める」 挙げられた地名は、赤月帝国が長年にわたって使っていた忍びの里の名前だった。バナーの峠、都市同盟に近い場所に存在する。 「口実としては、ロッカクの忍びが都市同盟に通じているという情報があったから。けれど、それだけじゃない」 「……解放軍に、ロッカクが手を貸しそうだから?」 「そう。最近、ロッカクに対する帝国の扱いを彼らは不満に思ってる。竜洞もだ」 そうなのかとテッドは思った。城内を歩き回っても、さすがにそのような情報を得ることはできないから初めて聞く事実だった。しかし、ウィンディの性格を考えれば、彼女がルックの挙げた組織をうまく活用することができないと想像がついた。 「ロッカクの忍びの何人かが帝国軍を裏切ろうとしているらしい。簡単に言えば、こっちの機密情報を手土産に解放軍の一員になろうってこと」 「……」 差し出された腕をテッドはおとなしくとった。立ち上がると、ルックと視線をひたと合わせる。 「戦は情報が命だ。ウィンディもその程度はわかっている。だから、手遅れになる前に、できるだけ早くロッカクを潰すつもりだ。そうなると、すぐに動かせる、しかも確実に任務を行える人間なんてそうそういない」 「テオ様が」 ルックが頷いた。 「そう、テオ=マクドールが出る。……僕もね」 付け加えられた一言に、テッドは瞬いた。 「おまえが?」 思い切り疑わしげな口調にルックはそっぽを向いた。目線だけじろりとテッドを睨みつける。 「文句ある?」 「……いや」 ルックが多忙なのは知っていた。ウィンディに重宝されていることも、である。だが、そこまで戦力として信用されているとは予想を超えていた。 「前線にウィンディは出れない。監視は覚悟してるけど、それでもグレッグミンスターで接触するよりは危険は少ない。だから」 ルックは言葉を切った。 固めた決心をそのままに表した声音で、少年が約束する。 「僕が、あんたの願いを叶えてあげる」 テオ=マクドールに真実を告げること。 それを、絶対に邪魔をさせない。 「どうして」 意外な強い言葉に、テッドは返す。 さっき、ウィンディのもとへと強制的に転移させられる前に聞いた言葉。 (どうにかするから、待ってて) まさかそんなことを言われるなんて思ってもいなかったから、反射で問い返して。 今、再び言われたことすらも、実は信じがたくて。 この少年がそこまでしてくれるのが理解しがたくて。 けれども、その理由を少年は語らない。 ただ緑の視線を柔らかく、おずおずと、もう一度尋ねた。 「……不満?」 テッドは答えなかった。 ただ、目の前の体を抱きしめた。 遠い親友にしていたのと同じように。 それが、一番正しいような気がしたからだ。 <2005.5.20>
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