大義迷分2 |
雲をつかむように高く伸ばされた腕は、例外なく衰えを語っていた。 「テオ様!」 「赤月帝国、万歳!」 絶え間なくかけられる凱旋を祝う声にも、どこか張りがない。 愛馬に跨がり、穏やかな視線を振る舞いながらテオは敏感に腐敗を感じとっていた。 皇帝からの勅命で帝都を旅立ってから、一年と経っていない。そのわずかな時間で、黄金の都にはひたりと影が澱んだようだった。 「荒れたな」 喝采をくぐりながら、ひたりとテオは笑みを刻んだ。それは決して場に相応しい明るいものではなく、自嘲にも見えた。 だが、目先の勝利にくらんだ民衆には、そんなものはとらえることができない。 万歳、万歳と。 振り絞るような声と、救いを求めるように伸ばされる腕に答えながら、一軍はゆっくりと轡を並べて進んでいく。 テオの両脇を固めるアレンとグレンシールはずっと口を閉ざしたままだった。 彼らは全員が既にテオの嫡男であるリン=マクドールの反乱についての報告を受けていた。 最初こそ信じがたい情報であったが、隠棲していたマッシュ=シルバーバーグを引っ張り出し、大富豪レパントを味方にし、さらにはクワンダ=ロスマン、ミルイヒ=オッペンハイマーを自軍に組み込んだという時点で疑う余地もなくなった。 機略に優れた軍師がいるといっても、彼を適当に使いこなすことができるような人間はそうそういない。特にマッシュは国事の表舞台から退いた男だ。 彼が従うような人物が、疲弊しきった民間から現れるとは考えにくい。それよりも、それだけの教養と器を持った者が帝国から流出したと思うのが妥当だろう。 その条件に、幼い頃から英才教育を受けたテオの息子はぴたりと一致していた。 未来の帝国将軍という地位を、『家』にかける多大な迷惑をリンが考えなかったわけではないだろう。 にも関わらず、彼を反乱へと駆り立てたものがテオの部下たちにはわからなかった。 しかし、テオはてのひらに汗をかく思いだった。 とうとう、あるいはついに。それかもしたら、やはり。 ひとつの言葉では表せない、感慨。 父親だから、いつかはこうなるのではないかと考えてはいた。 息子の性格を考えれば、ウィンディに唯々諾々としている皇帝と腐臭の漂い始めた宮廷にリンが従うことをよしとしないだろうことはうすうすと理解していたのだ。 だが、テオにもわからないことがある。 何故、あの時だったのかだ。 あの時に何が起こったのかだ。 リンならば、解放軍という国を疲弊させる手段ではなく、もっと他の効果的な手段でウィンディの勢力を削ぎ、政権を回復できたはずだ。 父親のうぬぼれではない評価で、テオはそう見ている。 最初の皇帝との謁見を終えたあとも、息子は皇帝に対して反抗的な態度や否定的な言動はとっていなかった。 たしかにクレイズというどうしようもない上司に当たったが、そんな個人の不満で帝国に歯向かうわけがない。 だとすれば、テオが都市同盟軍の制圧に向かっているあいだである。 テオの知らないあいだに、息子が帝国を裏切るような重大な事件が起こったのだ。 それがウィンディに因るものか、バルバロッサに因るものか。 はっきりはしないが。 (私には、それを知る義務がある) 未来の帝国将軍を生み出すための家に生まれた者として。 厳しく見据えた先には、黄金の都の要の門。 皇帝の住まう宮城の守り。 左右に掲げられていた旗がテオの馬足に合わせて割れていく。 まっすぐにのびた道の先。 扉の前で馬を下りる。 「帝国将軍、テオ=マクドール。我が偉大なる皇帝陛下に勝利の報告を」 堂々と告げれば、堅く閉ざされていた扉が開かれる。磨き上げられた床を進む深紅の絨毯。左右に腹心を従えるテオの姿に、出迎えに現れていた士官や官僚たちから感嘆のため息がもれた。 階段を上り、控えの間に通される。いかに帝国の重鎮といえど、皇帝の招きがあるまでは御前に出ることはできない。 いつものように玉座の間の近くにある小部屋に入る。 武人としての習性で、素早く部屋を確認する。アレンとグレンシールも同様だった。控えの間、と一言でいっても、身分によって階級がある。帝国貴族のなかでも屈指のちからを持つマクドール家の通される部屋は、平民にとって夢のような空間でもある。 一通りの確認をしたあと、置かれていた椅子に腰を下ろした。今回の遠征は敵との戦闘での疲れだけでなく、心労も大きかった。 ここでほとんど待たされることはないだろうが、少しでも座って休みたいというのが本音だった。 しばらく、沈黙の時間が流れる。 こん・と静かなノックが響いた。 「入れ」 腰掛けたまま、テオは告げる。 すべらかに扉が開かれ、現れた人間が一礼した。その姿にテオは目を見張った。 顔を上げて、少年が口を開いた。 「皇帝陛下、並びに宮廷魔術師ウィンディ様が謁見の間にてお待ちになっております。案内をいたしますゆえ、どうぞ」 小姓ではないだろう。彼らは一様にお仕着せの衣装を着ているものだ。だが、この少年は明らかに私服だった。とはいえ、貴族の服装ではないし、帝国貴族で知らぬ者はテオにはいない。 よくよく見れば、ゆったりとした緑の衣は魔術師が好んで着る法衣だった。 ぴたりと少年の前で足を止め、テオは尋ねる。 「ウィンディの部下か」 声音は、自分でも驚くほどに冷たかった。 少年はしかし、それを理解したであろうに。まったく動じることはなかった。 表情を変えずに、続ける。そこに多少の微笑の調子が混ざったのは気のせいではないだろう。 「皇帝陛下が、お待ちですよ?」 からかいこそ感じとれる口調に、控えていたアレンがかっとするのがわかる。さりげなく掌で制して、テオは黙って歩みを進めた。 すれ違い様に感情を抑えていたろうグレンシールからも冷たい視線を投じられても、少年は慣れているといわんばかりの態度を変えなかった。 控えの間を出て、十分に距離をとったあと。テオが振り向きもせずに部下に確認する。 「ふたりとも、あの子供を見たことがあるか?この城内で」 「いいえ、テオ様。見たことはありません。少なくとも、我々が陛下の勅命で都市同盟の征伐に向かう前にはいなかったはずです」 「そのとおりです。噂を聞けば、ウィンディは自分の好みにあった人物を陛下の断りなしに次々と登用しているとか。……あの少年も、その口なのではないですか」 「あれが、か?あの外見を買われたのか?」 身分の高い女性によく見られる趣向かとアレンが渋い言葉をもらした。不用意な発言を控えるようにと彼の相方も眉をひそめたが、否定はしなかった。 彼らはウィンディのことを『陛下をたぶらかす女』だとは認識しているが、その実よくは知らないのだ。 憶測を否定したのは、意外にもテオ自身だった。 「気づかなかったのか、お前たちは。……外見のことならば、いざ知らず」 「え、なにをですか?」 「あの子供の魔力にだ」 端的に言うと、初めてテオは歩調を緩めて後ろの気配を探った。控え室には既に魔力の存在はない。 訓練を積んだ武人であるテオには、ある程度は人間の気配を読み取ることができる。 あの少年のように気配を断つような真似をしていない人間だったら、なおさら簡単に動きをつかむことができるはずだった。 しかし、彼はどこにもこの階に存在を感じとれない。 つまり消えてしまったのだ。人間がひとり、理由もなく消失してしまうわけがない。それを考えれば、答えはただひとつ。 紋章術のなかでも高度であるとされる転移術を、あの年齢にして使いこなしているということだ。 魔術師であるウィンディが、魔力の高い子供をあまい言葉で手なずけ、利用する。あの女ならば、こともなくやってのけるだろう。 従来の徴兵制度を無視したウィンディの行動から、彼女が宮廷内での権力をさらに強固なものにしたことがうかがえた。テオのいないあいだに。 グレッグミンスターに帰還してみれば、長年の友であるクワンダもミルイヒも都を離れていた。 ウィンディが国を私物化し始めるには十分な準備が整ってしまっているのだ。 (陛下はなにを考えておられる) 偉大なる皇帝バルバロッサ。 止められない都の洛陽。 噴き出す疑念は、かの方が魔女によって操られているのではないかと言うただ一点。 今の状況は、本当に皇帝が望んだ結末なのか。 厳しい顔をした将軍を認めて、謁見の間の両脇を守る兵士が高らかに告げる。 「テオ=マクドール様、入室!」 「テオ=マクドール。ただいま、都市同盟討伐より帰還いたしました」 「おお、ご苦労であった。既にウィンディより報告は受けている。面を上げよ」 「は」 ごく自然に流れ出たウィンディの名前にテオは舌打ちしたい気分にかられた。いくら優秀な魔術師であろうとも、ここで出てきていい名前ではなかった。 この分だと、彼女は城内のほとんど全ての情報経路を抑えていると考えていいだろう。 許しに従って顔を上げ、バルバロッサを正面から見据える。 他の誰もが行っても無礼と言われるようなことであっても、テオには当てはまらない。 留守中に主に変わったことがなかったかと観察する目線に、気づいているのかいないのか。皇帝は苦笑いを浮かべた。 「テオよ。そう睨みつけるでない」 「失礼いたしました。しかし、このテオの留守中に不穏な動きでもなかったかと」 「心配することもない。グレッグミンスターには優秀な魔術師がいる」 その魔術師が問題なのだと、面と向かって弾劾することもできずテオは沈黙を守った。 そこで、いつも影のように皇帝に張り付いていたウィンディの姿がないことを気がついた。 「陛下。その彼女は?」 「おおそうだ。テオ、ウィンディが直々に話がしたいと言っていた。このあと、すぐに向かってくれ」 「……承知しました」 暗いこころを抑えて、テオは一礼する。 バルバロッサは構わずに続ける。 「テオよ、このたびの戦の被害は軽微であったと報告があったが」 「はい。都市同盟の卑劣な方法にも我らが同胞は勇敢にして慎重に戦い、大きな打撃を受けることなく帰還することができました」 「そうか。……非常に命じがたいことであるが、本格的な冬が訪れる前にひとつ頼まれてくれないだろうか」 苦々しい調子で、バルバロッサが切り出す。 反乱軍のことか。 テオは緊張する。 宮城にあがってから一度も話題にのぼっていない、解放軍を称する叛徒たち。今の国勢で彼らに触れないことは、はっきりいって不自然だった。 腫れ物に触るがごとく。あるいは触らぬ神に祟りなし。そう思ったのだろう。誰も彼もが避けて通ったのだ。 だが、国を支配する要の皇帝ともなればそういうわけにはいかない。身内の膿は、出し切ってしまわなければならない。 放置すれば、都市同盟をはじめ、領土拡大を狙う諸外国へ付け入る隙を与えてしまう。 それが国内で重んじられている一族であろうともだ。 テオはそれを理解していたし、皇帝にそうである態度を望んでいた。むしろ、どんな厳罰でも受けたいと考えている。 名門中の名門であるマクドール家でさえも、専横や謀反に関して温情を賜ることはない。 どのような者であっても例外は存在しないということを、近頃目に余る特権階級の人間、とりわけ貴族たちに知らしめなければならない。 既に決意はできている。 無言で先を促せば、気怠い仕草で彼は玉座に肘をついた。 「ロッカクのことだ」 挙げられた意外な単語に、テオは気をそがれた。 「忍びたちが、どうかいたしましたか」 「うむ。どうやら厄介なことを企んでいる。問題の芽は早めに摘み取らなければ」 そこで、一息。 男は続けた。 「首尾よくいたせば、マクドール家については取りはからおう」 「陛下!」 無礼も忘れて、テオが立ち上がった。 玉座の両隣を守る衛兵が動くのを皇帝が片手で制する。 「陛下、何をおっしゃっているのかわかっていらっしゃるのですか?!」 これでは、反乱軍を放置すると明言しているに等しい。暴徒を増長させるだけだ。 地方を巡ってきたテオだからこそ、現在の民のこころの動きを理解している。反乱軍の首魁を皇帝が罰しないとなれば、彼らはバルバロッサを侮り、増長する。 だが、皇帝もきちんとわきまえている。 「この私が裁きを下すまでもない。テオよ、自家の問題は当主であるおぬしが決着せよ」 赤月帝国を巻き込む巨大なうねりを「お家騒動」の一言で表したバルバロッサにテオは頭を垂れた。 かつてのテオであれば、皇帝の言葉を頼もしいものと判断しただろう。 黄金皇帝がその名にふさわしき存在であり、その威光が帝国の隅々にまで届いていた頃であったならば。 けれども、小さな火種が所々で見受けられる現在。これをどうとらえればいいのだろうか。 百戦百勝の将軍がどのような表情をしているのか、見た者は誰もいない。 皇帝も、自身でさえも。 <2005.5.11>
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