志操堅互5 |
「将軍、来ました!」 伝令が息せき切って駆け込んでくる。 「数は?」 「それが……」 躊躇うように男の口が開閉した。それでも先を促せば、知らせないわけにはいくまいと観念したように呻いた。 「総勢で、舟の数は500を越えております!」 「なに……?」 想定外の数字に耳を疑い、ソニアは窓に駆け寄った。見下ろせば、青黒いはずの水面が白く染まっている。……その全てが、反乱軍だというのか。 「何をやっていたのだ。あれほどの材木を集めていたのに、気がつかなかったというのか?」 「お言葉ですが、将軍。あれは、木ではありません」 「何?」 目をすがめてよくよく見れば、吹き付ける風は季節を間違えたと思うほどの冷たさを含み。陽光を弾いての時折の反射は、まったく木材のそれではありえない。 「氷……だと」 ソニアは苦々しく呟くが、光明を見つけた思いでもあった。ならば、水温を上げて溶かしてしまえばいい。 帝国魔法兵団の中心地でもあるここ、シャサラザードの力を尽くせば可能である。 「火の紋章兵を集めて、湖の水温をあげよ。なんとしても上陸を阻む」 迷いのない女将軍の命に、それまで張りつめていた空気がとけた。 「おお、紋章兵がぞろぞろと」 軍主自らが先頭に立っていていいのだろうか。 額に手を当て対岸を望む軍主の様子は緊張感の欠片も感じられなかった。 なんのかんのいっても常識人であるササライは頭が痛い。 「で、魔法兵団長?氷の状態は大丈夫なんだろうな?水温を上げられた挙げ句、底に穴があきました、というのはご免なんだが」 「ご心配なさらず。たとえ力押しになってもこちらが勝てます」 岸で魔力をまとめている敵を見ながら、ササライはゆったりと呟いた。あの程度であれば、解放軍の魔法兵団の方が強い。 「ササライ、この辺がポイントその三」 隣で湖の地図を広げていたテンプルトンが顔をあげた。地元の漁師と地図職人が作り上げたトラン湖の地図は、完全に水の流れを読んでいる。 「わかりました。では、リン」 返事をして、彼は腰を上げた。 氷の舟をできるだけ長く維持するためには、ササライは戦場に乗り込むよりも少し離れた地点から確実にちからをふるったほうがよいと判断されていた。 そもそも、相手の主力も魔法兵団なのだ。弓兵をぶつけるのが定石である。 横付けされている舟に乗り込む。 「ご武運を」 「はいはい」 軍主の声は、どこか軽さを含んでいた。数日前の会話にあった虚ろさとは違うそれは、一体どうしてなのだろう。 疑問に思ったが、このような場で興味本位に尋ねることではないだろう。 だが、そんな少年の思いを読んだかのように。 体勢を整えたササライの腕を引いて、軍主は呟いた。 「もし」 この底の見えないトラン湖のような声。 「おまえと同じ顔の人間を見かけたら、どんな方法でもいい。そいつを捕まえておけ」 それは、その人物が間諜だから?あるいは、他になにか理由があってのこと? 返そうとした問いは、距離によって阻まれる。 すでに風にひらりと揺れるバンダナのみを視界に収められるだけ。 それでも、彼は叫んだ。 「捕まえておきます!」 了承の返事を背に聞いて、リンは静かに正面を見据える。 『彼』がこの場に出てくるかは、正直わからない。そうして、もし会うことができたとしても、何を言いたいのかもわからない。 けれども、言うべきことはある。 テッドからの伝言。 リンにとって理解の範疇を超えた言葉も、あの少年には染み込むのだろうか。 だとしたら、悔しい。 シークの谷で教えられた真実なんかでは到底足りない。親友が何を思って、この不可解な伝言を自分に託したのか。 否、テッドの思考回路など読める。彼は、ルックと自分とを引き合わせたいと考えたのだ。 何故。 その答えが知りたい。 そのためにはまず彼に会わなければいけない。ここでなければ、次の戦場で。さらにその次で。 ただ、もし、戦争が終わってしまったら。 「手を傷つけますよ。今更、緊張するほど繊細ではないでしょう」 すいとマッシュが言葉をはさんだ。 知らず拳を強く握っていたようだ。 苦笑して、リンは続ける。 「いや、緊張しているよ。相手は何せ、架空の『お義母さま』だからね」 シャサラザードを預かるソニアがいずれはテオと結婚するのではないかと言う噂は、ほぼ真実であったことを息子であるリンは知っている。 手にかけた父親の愛した女性を討つ……それに躊躇うのは自然なことのはず。誤摩化すのにあげた話題は適当だ。 しかし、今回は相手がまずかった。 「……」 どうやって切り抜けるか、それ以前に、そもそもこの天才軍師を出し抜くことなど不可能なのではないか。 諦めすらもって立ち向かおうとしたところ、マッシュ自身が助け舟を出す。 「いいんですよ、出ていらしても」 「は?」 それは、リンの思考の過程のいっさいをすっ飛ばした結論を肯定するものだった。 「この国を動かすことができる人間は、見つけようと思えばいくらでも見つかるでしょう。難しいのであれば、育てることもできます。けれど」 湖の向こう、霞むシャサラザードを見つめる顔は真剣だった。 「貴方の望みを叶えることができるのは、貴方しかいない」 「でも」 自分は軍主だ。赤月帝国を打ち倒して、それで終わりにすることは簡単だが、してはいけないと思う。 苦しげな一言を、マッシュはいとも簡単に打ち砕いた。 「望みを民に抱けない者を上にいただくつもりはありません」 マッシュの言葉は、いつかの過去に聞いた言葉。ああ、そうか。 「……ササライにも似たようなことを言われたよ」 「まあ、彼なら言うでしょうね」 納得するマッシュは、続きを畳み掛ける。 「後継者がどうのこうの貴方が悩んでいるあいだに、身動きがとれなくなりますよ。レパントなど、貴方を次の国の頂点に乗せることばかり考えていますから」 「……だろうな」 日頃の彼の言動から、容易に推測できていることだったが。 「おれは第二のバルバロッサになるつもりはないんだっていうのに」 新しい国に皇帝は必要ない。次の国はみなで作り上げたものになる。ならば、唯一の存在に権力を集めて統治する、帝国の体制を覆してしまいたい。 権力に溺れる一握りの貴族よりも、国を憂うものが誰でも治めることのできる国に。 「貴方が迷えば迷うほど、この国も迷うのです。残るかどうか。今、この場で決断しなさい」 大丈夫です。男は微笑んだ。 生涯でおそらく最高の弟子であり、主に向かって。 大丈夫です。どんな決断をしても、誰も貴方を責めない。 自分の欲ゆえの出奔ならば詰られようが、国を思ってのそれならば誰も批難はできない。 「いえ、もう決断は終わっているのでしょう?」 沈黙をもって肯定するしか、彼にはできなかった。 ああ、まったくこの軍師には。 苦笑したところで、慌ただしい気配が届いた。 どうやら、先発の船団が接岸したらしい。 「ソニア様、ご命令を」 「わかった。魔法兵は全員退がらせること。ただし、いつでも紋章術を放てるように待機せよ」 言いながら、彼女は机に置いてあった剣を取る。立ち上がったソニアに、副官が蒼白に制止する。 「ソニア様!」 「前線へ行く」 迷いのない言葉。ためらいのない視線。 「ですが、それでは……」 「危険だとでもいいたいの?」 笑い飛ばす勢いでソニアは申し出を蹴る。 「戦場で司令官が居竦んでいてどうする?テオ様であれば、そうおっしゃる」 断ずると、彼女は青いマントを翻しながら、作戦室を後にする。 その背中を呆然と眺め。 はっと気がついたように副官が彼女の後を追った。 (そう、テオ様なら) (テオ様ならこうするはず) 一番の切り札である魔法兵団の有効性を著しく削られたソニアは、ただひたすらに縋る。 尊敬し、誰よりも愛した男の面影に。 とにかく現状を確かめようと階段を下りると、つんと独特の臭いが鼻にこびりつく。 「これは」 「どうなさいました、ソニア様」 やっと追いついた副官が、表情を変えた上司に伺いを立てる。 「この臭い……」 下から漂ってくるそれに、副官もふんと鼻を動かした。 「油……!あやつら火をつける気か!」 「魔法兵に伝令。すぐに水と風をまとめろ。あとは土を」 単に消火だけでは足りないだろう。合成魔法で水竜をぶつける。それでも足りなければ、消火のために燃え出した一角を土魔法で潰してしまうしかない。 砦という頑丈な守りを失うのは惜しいが、うまくいけば反乱軍ごと潰すことができるかもしれない。 「了解しました。代わりの警護をすぐに呼びましょう」 「頼む。それが来たら、私はすぐに水門へ向かう」 油を効果的に流すには水門を閉じなければならない。どのタイミングで火を放つかは予測できないが、確実にそこへ反乱軍の者は向かう。それも相当の手練が。 うまく捕らえることができれば、有利に交渉できる。 ぜひともなさなければならない。 軽く一礼する副官の後ろ姿を見送りながら、ソニアは剣の束に手をかけた。抜刀する気はない。 (テオ様ならどうする?) 水門へ向かって、捕虜を得る。それを交渉材料にあわよくばリン=マクドールを引きずり出す。 引きずり出せるだろうか。 疑問を決意で塗り替える。 引きずり出してやる。どうあっても、リン=マクドールと対峙する。彼は、もはや自分の知っていた彼ではない。あのテオが敗れたくらいなのだ。 破れかぶれの行動だろう。 愚かな女の感傷だろう。 だが、この砦と共に崩れる身であると割り切って。 あの男に一太刀でも斬りつけるまで絶対に倒れない。 それが復讐だ。 救国の英雄よ、お前が救いから突き落とした存在があることを身に刻み込めば良い。 その志を挫けば良い。 <2006.03.12>
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