志操堅互3 |
ソニアに会うのは、実際、これが初めてではない。 だが、ウィンディはまるで今日初めて、彼女に会ったような感覚を覚えていた。 金色の、長い髪。 それはあたかも。 憎しみを宿した、青い瞳。 彼女自身を見ているようだった。 以前に見えたときには感じもしなかった雰囲気の激変に、ウィンディはああと思い当たる。 色彩は同じであれど、造作が決して似通っているわけではない。にもかかわらず相似を醸し出すのは暗い憎悪。愛するモノを奪われた。 「ご機嫌よろしゅう、殿下」 「私は陛下に仕える一介の魔術師にすぎませんわ、将軍」 殿下、などという称号は身に余る。悪い気はしないが、こういうところはきちんと抑えておかなければならない。 「けれども、今の帝国で国を守るために動いているのは貴方です、ウィンディ様」 律儀にソニアは言い直したが、台詞に込められた毒は増していた。曰く、誰よりも帝国のために働くべき皇帝が、既にそれを棄ててしまっていると。 赤月帝国が紛れもなく自分の所有物となっていっている実感に喜びを覚えるとともに、刺すようなつきりとした痛みを覚えた。 その正体がなんであるのか吟味する前、ソニアが入る。 「ウィンディ様、次の反乱軍の標的はどこなのでしょうか?」 帝国にとっての防衛線はもう、ふたつしかない。どちらを突破されても、帝都に山賊崩れの軍隊がなだれ込む。 「現在のところ、反乱軍に動きはないそうです。ただ、これがどこまで信用できるかは怪しいところですけれど」 クワバの城塞が陥ちたとき、あの男はまんまと踊らされている。今回もそうであるという可能性は否定しきれない。 「将軍、シャサラザードの備えはどうなっています?」 「普段と変わらず、です。本当は軍備を拡充したいのですが、それすらもままならない状況で……」 帝国が住民を叩いても、彼らは物資を提供しなくなっている。何も持っていない者もいれば、反乱軍へと横流ししている者もいる。 「わかりました。グレッグミンスターから出しましょう」 ここでケチって帝都へ攻め込まれてしまっては本末転倒だ。 迷いなく決断を下した彼女に、ソニアは感謝で一瞬だけ瞳を明るくさせた。 「どちらにしろ、反乱軍には攻撃に足るだけの船がありませんわ。各個撃破も不可能ではないはずです」 「了解しました。……ところで、ウィンディ様」 歯切れのいい返事の後、彼女は声を潜めた。滲み出る、隠しようもない闇にウィンディは触れた。 「何故に、あの反逆者を殺してはならないのでしょうか?」 反乱が始まった初期から、徹底して通達されている事。「リン=マクドールを生け捕りにせよ」。 その制限さえなければ、もっと簡単に。もっと早く彼を捕らえることができたのではなかろうか。反乱軍がこれほどの規模を持つ前に。 生かしたまま転がすことは、死体を引きずり出すよりも数十倍も難しいのだから。 「殺してしまっては、正式に陛下に処断をいただくこともかなわないでしょう。 それに、いくら反逆の頭とはいえ、元はと言えば筆頭将軍家嫡男……いえ、テオ将軍亡き今、彼の存在自体がマクドール家に値します。 貴族を、詮議もなしに裁くことはできません」 彼女は公にしている理由をすらすらと述べた。 ソニアが何を言わんとしているのかはわかる。彼女が、戦でリン=マクドールと刃を交えたときに何をしたいのかも。 だが、それだけは許すわけにはいかない。 ソニアの境遇に同情する。自分だと思う。かつての自分を見ているようだと。 だからといって、一時の感情に流されて判断を誤るわけには断じていかなかった。 冷徹な思考が、魔女の戦い方を決めさせる。 ソニア=シューレン。帝国軍の魔法兵団を率いる将軍。彼女では、シャサラザードを守りきることはできない。 反乱軍には、ササライがいるのだから。憎きハルモニアの神官長の複製、真の土の紋章を宿す義妹の弟子が。 この戦い、彼は今まで真の紋章を使用してはいない。けれども、今度も遣わないとは限らない。ひとたび五行の根源が解放されればあっけなく砦は瓦解するだろう。 その対抗策として、ウィンディはソニアにブラックルーンを授けるつもりでいた。復讐に燃える彼女のこころに、かの紋章はさぞ馴染むことだろう、そう考えて。 が、女はその考えを放棄した。憎しみが何よりも強い感情であると女は身に覚えている。ならばブラックルーンで支配しようとしても、ソニアがテオの仇を取りたい一念で肝心の支配を弾いてしまうことだってあるかもしれない。 万能と思っていたブラックルーンにも隙間がある。 シークの谷で嫌というほど学んだ。 だから。 「いくら綱紀が乱れているとはいえ、進んで律を破るわけには参りませんわ。とにかく貴方はシャサラザードを落とされぬように守り、リン=マクドールを捕らえれば良いのです。……息がありさえすればいいのですから」 生きていれば、どれほど痛めつけても構わない。それで溜飲を下げろ。告げたつもりだったが、ソニアは言葉を受け取らなかった。 「ええ、かしこまりました」 瞳を伏せると、暗い笑みがくちびるに浮かんだ。 澱んだ青。 「けれども戦闘には不測の事態がつきものですから。例えば、伝達がうまくいかなかったり、ちょっとした手違いが起こるやもしれません」 ああ、この女は。 渡さないことに決めたブラックルーンの入った小箱を握りしめ、ウィンディはなんとか優雅な表情を保つ。 「その時はご容赦のほどを」 なんて。かつての自分に似ているのだろう。 *** 「ルック」 反乱軍の動きが隠しきれぬものになり、水上砦が標的であると明らかになった。 本来であれば事前になぜ探り出すことができなかったのかとの叱責の対象になりうるが、クワバの城塞の例がある。 呼び出した魔女の声は優しかった。 告げた内容は、優しさからはほど遠かったけれど。 「もし、勝手な真似をするようであれば気取られぬようにソニア=シューレンを処分しなさい」 すなわち、彼女を殺せと。 ウィンディは窓の外へと視線を馳せたままだった。 若葉の芽吹く季節、だが今年は春が遅い。霞のような光に裸の枝が寒々しい。 「よろしいのですか?」 少年の確認を背後に聞く。 「ソウルイーターを逃すわけにはいかないわ」 限りなく低い確率であろうとも。ソニアが本懐を遂げてしまう可能性がわずかでもあるのであれば、芽は摘み取らなければいけない。 ここまでやって、目当ての紋章に逃げられるなんて冗談ではない。 それに彼女の代わりなど簡単にたてることができるのだ。 特定の人物を挙げるのであれば、彼女の背後に佇む彼。 少年の突出した魔力は、帝国魔法兵団団長であるソニアを軽く凌駕している。 もしかしたら、未だに目にしたことがないあの憎い男の複製に匹敵するかもしれない。 ソニアの損失は確かに痛い。だが、それ以上の収穫を見込める可能性もあるのだ。 血にまみれる前線。正しい能力を欠く魔法兵団。そこから隔離し、ウィンディの目の届くところに置いて、知識を授けた。幼い外見とは裏腹な強力な戦力。 夢物語の存在ではなく、現実に部屋に居る、それ。 それを新しく立てた方がよほど良いかもしれない。問題は年齢と身分であるが、そのようなものは彼女の鶴の一声でどうにでもなる。 「ウィンディ様がそうおっしゃるのであれば……」 どこか躊躇いがちな返答も、彼女の気を良くさせた。おそらく、少年自身も主の思考を正確に辿っていて、同じ懸念を抱いている。 きっと、ブラックルーンなどで支配せずとも思い通りに動く重要な駒になってくれるだろう。 いっそ、体力のみに突出したユーバーと組ませてみるのもおもしろいかもしれない。 次々に計画を練っていく彼女は、控え目に声をかけられる。 「そろそろ、行ってもよろしいでしょうか。いろいろと準備をしなければなりませんので……」 「ええ、そうね。行っても良いわ」 了承を表し、彼女はくちびるに微笑みを現した。 「くれぐれも、今の話は内密に。実行も同じことよ」 「わかっていますよ。僕だってまだ死ぬわけにはいかないんですから」 冗談じゃない。 部屋に戻るなり、ルックはベッドに背中を預けた。 ウィンディの意図はわかる。 わかるが、そのままに動いてやる気はさらさらない。 たしかにソニア=シューレンを監視する役目は、ルックの個人的な目的をかなえるためには好都合だ。 しかし、その命を左右するつもりはまったく、ない。 ルックの最初の計画ではソニアが解放軍に下るか、帝国、否、テオ=マクドールに殉じるかを見届けたうえで……つまり、水上砦の結末をウィンディに報告した後に、グレッグミンスターから姿をくらませる予定だった。 それも、今回の拝命によって練り直さなければいけなくなった。 (いつだ) 自分の希望と、本来の任務との上手な折衝は。 密書から手に入れた情報を展開する。 出陣予定は五月の上旬。小回りのきく小舟で水上砦へ突入し、砦を鎮圧。ソニア=シューレンを捕縛。可能であれば協力要請。 肝心な情報は伏せられている。モラビア城のときと同じだ。 出陣日については天候に左右されることもあろう、仕方がない。 けれども。 出撃する兵士の人数は? 船の数は? 具体的な大きさは? 突入ルートは? 鎮圧のための兵の行動は? 捕縛の方法は? なによりも、何をエサとして協力を求めるというのだ? 軍主は、彼女の最愛の人間の息子は、彼女の最愛の人間を殺した憎い仇でしかないのだ。まともに考えれば、すんなりと事が運ぶとは考えられない。 混乱しかける頭から、なんとかルックは論理を組み立てようとする。 舟といっても、それほどの数を用意することはできないはずだ。どこかの港で密かに数を揃えているにしても限度があるはず。 兵士の数は舟の数に縛られる。総力戦にはならない。 少人数で砦を制圧する……。 (混乱に乗じるしかない) だが、砦に詰めている兵士がそう簡単に取り乱すことはないだろう。威嚇攻撃程度、彼らは軽く押し流せる。 テオに倣っている彼女が、兵士をそのように訓練していないはずがない。 大きな動揺を呼ぶ、作戦。少人数でも、できるもの。 水か、火か。 仮にシャサラザードは水上砦だ。水に対する備えは万全であろう。 火をかける事で、兵士を混乱させ。その間に内部を制圧。 単純で効果的。危険も高いが切れ者と噂の高いシルバーバーグの軍師のこと、難なくやってのけるに違いない。 彼自身の離脱の契機もそこか。ソニアの結末を見届けた後、一度この部屋にこっそりと戻り、行方をくらます。 理性で考えれば、戻ってくることなく消えてしまうのが一番良い。だが、それだけはしたくない。たとえ、感傷にすぎなくても。 ぼんやりと視線を天井から窓際のテーブルに動かした。そこにある物。 事前に準備できれば最良。でも、ウィンディが見逃すとは思えない。 時間との勝負になる。 右手を天に掲げ、手の甲を見た。 確固として刻み込まれている紋章。 こんなところで、死ぬつもりはない。 この神から逃れる方法を実行するまで <2006.03.05>
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