志操堅互2 |
「だから、本当に見たんですってば!」 珍しくもないが呼び出しを受けて軍主の執務室に赴いたササライが見たのは、歩兵らしき男たちが口々にそう訴えている姿だった。 呼び出し主の天魁星の姿はない。 自分の用件はこれが終わってからに違いない。 素直にそう考えて待ちの姿勢にはいったとき、軍主と軍師につっかかっていたうちのひとりがササライに気がついた。 「おまえ、よくも……!」 「はい?」 顔も知らない一般兵に憎悪の声をかけられて、彼はきょとんとするしかなかった。 「とぼけても無駄だ!俺たちはこの目でしっかりと見たんだからな!お前が帝国軍の密偵だということはバレてるんだ!!」 「はあ?」 予想もしていなかった単語の連打に、ササライはそれこそ首を傾げるしかない。その様子にかっとなったのか、男たちが彼の方へと足を向けかける。 「……止めなさい」 絶妙のタイミングでマッシュが割って入る。 勢いを削がれた男たちが不敬にならない程度に不満げに軍師を眺めた。 「だけど、マッシュさま……」 「この件については、私たちがきちんと取り調べを行います」 一兵卒に過ぎない男たちに「出しゃばるな」と声の表情で知らせると、迫力に圧された男たちをなだめるように打って変わった穏やかな音。 「さあ、あなたたちは持ち場に戻りなさい」 退室を促す台詞に、男たちは引き下がるしかなかった。この軍師には、軍主とはまた違う『逆らってはいけない雰囲気』があるのだ。 意見が聞き入れられなかった彼らがすごすごと歩き出す。 ササライと擦れ違う際にざらつく視線を刺していったが、少年は気にしなかった。 その程度を受け流せないようでは、この年齢で魔法兵団団長などという大層な役目には耐えられない。 幼少の頃に居たハルモニアでも「なぜこのような子供に」という胡乱な視線をさんざん受け止めてきた経験もある。 扉がしっかりと閉められるのを確認して、ササライは改めて天機星に向き直った。 「あれは何ですか?」 「見た通りですよ。彼らはあなたが帝国軍の間諜ではないかと疑っているのです」 「僕が?」 意外をありありと浮かべて、目を開いた。そんな疑いをかけられるような行動した覚えはなかった。 あるとすれば、ひとつか。 「たしかに僕の師であるレックナート様は赤月帝国お抱えの星見ですが……」 だからといって、帝国に。ひいては、自分の命さえも狙っている姉・ウィンディに、今更あの師が与するわけがない。 それに、そういうことは既に上層部のなかでも結論が出ている話だ。だからこそ、ササライは魔法兵を束ねる立場に就くことができたのである。 「ええ、それはわかっています。それでひとつ質問です。あなたは昨日の昼過ぎにどこへいましたか?」 「図書室で魔法兵団の資料作成を。クロウリーとロッテが一緒です。ふたりに確かめてください」 どうやらアリバイを求められていると察して、さらりと答える。マッシュが頷いて、側に控えていたひとりの兵士を呼んで耳打ちした。 彼は頷くと、そのまま出て行く。裏付けを取りに行ったのだろう。 「どうしましたか?僕の偽物でも出たんですか?」 「話を聞く限りはそういうところですね」 先ほどの男たちの話の要約はこうだ。 先日のモラビア城攻略前から疑われていたことではあったが、解放軍に――それもかなりの中枢部分に帝国軍の間諜が紛れ込んでいる可能性が現れていた。 そこへ、トラン湖の漁師の話でシャサラザードに近い湖に面した土地で、ときどき怪しげな人影を見るという情報が入った。 間諜ではあるまいか? この真偽を確かめるべく、先ほどの男たちを見張りとしてこっそりと配備したというのだ。 「それで?もしかして現れた間諜というのが、僕だった、とでも言い出すんですか?」 「と、彼らは話していましたね」 肯定しながらも、マッシュはまったく信じていない口調である。 転移で現れたのはササライだった、と彼らは語った。しかも、こちらが油断して話しかけると紋章術で攻撃してきたのだと訴えた。 詳細を聞いて、彼は首を傾げた。 「その割には怪我をしているようには見えませんでしたが」 出血のあとも、包帯すらも巻いていなかった。 「瞬きの紋章の術だとヘリオンに確認しました。この時点で、どちらにしろあなたは無実です」 マッシュの言葉から、ササライが呼び出される前にある程度の調査が終わっていることがわかった。 ササライが宿しているのは大地の紋章だ。瞬きを宿しているのは解放軍ではビッキーのみ。 しかも、紋章の付け替えをするために頼らざるをえないジーンも、ササライの関与を完全に否定している。 それだけではなく、少なくとも半年以内で瞬きの紋章を人に宿した記憶はないと断言している。 「そうすると出てくるのは、非常に低い可能性ですが、あなたと同じ顔をした人間が近くにいるということでしょうか」 「まさか」 笑い飛ばす調子でササライは反論した。 「たしかにこの世界に『同じ顔の人間は三人いる』と言いますけど、そんな偶然はそうそうないと思いますよ」 トランの人間とササライとでは人種的なものから顔立ちが全然違う。系統が異なるのだ。 当然、理解はできているのだろう。 参考までに、と前置きして尋ねた。口調の軽さとはどこまでも裏腹な真剣な瞳で。 「ササライ。あなたの出身は?」 「ハルモニアです」 隠すことでもない。流石に円の宮殿ですと言うのは躊躇われるが、幸いにもマッシュはハルモニアのどこでとは聞いてこなかった。 すこし考える素振りを見せたが、すぐに顔を上げると彼は言った。 「ありがとうございます。どちらにしろグレッグミンスターにはロッカクの生き残りを派遣している。あなたの偽物の正体がわかったら、すぐに知らせますよ」 「ええ、ぜひそうしてください。僕も自分にそっくりだという人の顔を見てみたいですから」 にっこりと微笑んだところで、先ほど部屋を出た兵士が戻ってきた。ササライに視線を遣ると、マッシュへ二言三言ぼそぼそと囁く。 マッシュが頷く。 まっすぐに少年を見返した。 その眼差しから疑惑が晴れたことを感じ、ササライは踵を返した。 そこへマッシュの声がかかる。 「ササライ」 「なんでしょう?」 「この件について、あなたからあの方に報告をお願いいたします」 マッシュが誰を指しているのかは明らか。そういえば、軍主の執務室にも関わらず、部屋の主は最後まで現れなかったと彼は思った。 「わかりました。……で、どこにいるんです?」 「さあ?」 珍しく、はぐらかす返事。 ああ、マッシュはどうしても自分に軍主に会いに行かせたいのだろうなとササライは感じとった。 彼の複雑な頭脳に流れる理由などわからない。知る必要も感じなかった。自分には理解できないことだろうと予測がついたから。 これ見よがしに溜め息を吐き出して、ひらりとササライは右手を振った。 了解の印。 場所など尋ねなくても、この右手が教えてくれる。 迷うことのない足取りで、ササライは湖の岸を歩いていた。 トラン湖の岸辺は砂浜がほとんどなく、ごつごつとした岩場ばかりだ。それは解放軍本拠地の防衛性を高めている。 帝国軍がシャサラザードから船を出しても接岸できるポイントが少ないため、カクやコウアンといった拠点を守りやすい。 そんな足場の悪い土地もササライには関係がない。封じているとはいえ真の土の紋章を持つ彼にとっては、しっかりとした平らな大地も同じだった。 導かれるままに歩いていくと、視界の先、湖へと突き出す桟橋が見えた。相当、古い。 地元の漁師が使っているのか、あるいは彼らからすらも見捨てられたのか。そんな風情だった。 その先に、ぽつりと黒い染みのような影があった。 誰何するまでもなく、その人物の正体などわかっている。 ぎしぎしと板を鳴らしながら近づくと、気配を察しているだろうに振り向きもしない少年に向かってササライは声をかけた。 「探したじゃないですか、リン」 どこにも疲労のない口調に、リンはうっすらと口元を歪めた。笑みにならない、いびつ。 「心にもないことを」 「そうですね、それは失礼」 淡々と返しながら、ササライは驚きを抑える。ここまであからさまに毒を抑えない軍主も珍しいと思った。 「僕が間諜ではないかと言う疑いが出たそうですね」 「ああ」 「でも、あなたは疑っていないとか」 「そうだな」 「どうしてです?」 軍主という立場であれば、軍を瓦解させる可能性のあることはどんな些細であっても、検討するべきなのではないのだろうか。 少年の疑問に答えず、少年は竿を引いた。 ぽちゃりと音が引き攣れて、鈍色の針が空を切った。 「湖に」 沈黙の後に、リンが静かに発した。 「釣り糸を垂れた。狙っていた魚は誰かが既に釣ってしまっていた。それでも、ここで釣りを続けなきゃいけない」 「理不尽ですね」 相手が何を言いたいのか、朧げにとらえつつも少年は正直に答えた。 「狙う獲物がいないのに、そのポイントにとどまる理由はありません」 断じると、ササライはきしむ桟橋、軍主の隣に腰を下ろした。木材の悲鳴。 エサのついていない針が水に沈むのを見て、彼は軍主に告げる。 「欲しい獲物がいるポイントにさっさと切り替えた方が良いですよ。相手が目を離した隙に。 ……そうでないと、いつまで経っても空っぽの湖で釣りをしなければならなくなります」 「……」 返答はなかったが、ササライは気にしなかった。 自分が何を求められて彼の元へ遣わされたのか。マッシュの意図はつかめなかった。 だから、せめて。 思うがままを述べる。正解かどうかなんて知らない。構わない。 「昔話をしましょうか」 ブーツの底が濡れないように注意しながら、ササライは足をぶらぶらと揺すった。 「あるところに子供がいました。子供は何不自由なく育てられていました。食べ物も、着る物もそれはそれは贅沢でした。 子供はそれが普通だと思っていましたし、別に不満もありませんでした」 閉じた箱庭。ハルモニアの宮殿。貧困に喘ぐトランの人々から見れば、右も左もわからない幼子に用意されたそれは、殺意を覚えるほどだろう。 「子供は、そのまま大きくなって、箱庭の世話をしていくのだと思い込んでいました。別にそれで良いと思っていました」 大きくなって、神官将となり。神聖国の秩序を支える柱の一本になるのだと信じていた。それしかないと思っていた。 ポチャリと水音。 「けれどもある日、子供は言葉をもらいました。……そして、出て行くことにした」 レックナートはササライに『外』の存在を教えた。自分だって足りない頭で考えた。ここを自分が出て行けば、どれほどの人間がその咎を受けるのだろうか、とか。 奇蹟の子供を逃がしたとあれば、皆に迷惑がかかると思った。 しかし、一度外を知りたいと願ってしまった自分の心には嘘をつけなかった。 「それはお前が部外者だから言えることだ」 リンが苦く述べた。普段の自信に満ちた声とは異なっていたが、これこそが今の彼の真実の姿であるとササライは思った。 ああ、そうだ。 自分は部外者だ。赤月帝国に深い縁を持つわけでもなく、宿星でもない。 だからこそ、言える。彼を英雄として求めないから、斬り捨てられる。 「部外者だから言いましょうか。僕は今のリンが治める国には住みたくありませんね」 空気が凍った。肌でわかった。 あえてそれに気がつかないフリをする。 「支配者が迷う国は仕方がありません」 迷わない支配者は危険である。 「支配者が民衆を欺くのも、仕方がないと思います」 安定を保つために、時に民衆を操作する必要もあろう。 だが。 「支配者が民衆を憎む国はご免ですね」 「おれが、民を憎むとでも?」 「自分の意志よりも民の望みを、官の望みを、優先させて叶えられるほど。君はできた人間ではないと思いますよ?」 革命は、彼が望んだこと。それゆえに耐えられるし、率先する。 けれどもその後はどうだろう。 国は英雄を望む。 この。 自由であったが故に、旧体制に叛旗を翻した存在を縛る。自由を奪い、彼自身を奪うに違いない。……それはリンがリンであるという根幹を揺るがしかねない気がした。 傍らから声を発しようとする気配を感じた。 しかし、ササライはそれを聞きたくはなかった。これ以上、彼にかける言葉はササライの中で見つからなかったから。 立ち上がりしな、少年はあと一つだけと考えて。 水ばかりが満たされたバケツを見下ろしながら言う。 「いつまでも空っぽのバケツで満足できるような主を、国は必要とはしませんよ」 正しかったのか、否か。 そんなことは理解できない。求められた役割を果たせたかも疑問だ。だが、自分にはこれしかできない。 究極的には部外者であるからこそいえる、規格外の台詞だったように思う。 しかし、自分にはああいう言葉しか生まれなかった。 なんとも釈然としない気分でササライは歩いていた。 気持ちを切り替えようと、軍師との会話を思い出す。 自分と同じ顔の人間。しげしげと眺めて間違えるだけの。そんな存在が本当にいるのだろうか。 また、瞬きの紋章をつけていたというのも気になる点だ。あの紋章は暴発しやすい。 ビッキーが思いもよらぬところへ人間をテレポートさせる事故をときどき起こしているが、あれは彼女のぼけらっとした性格だけからきているのではない。元々、そういう不安定な紋章なのだ。それゆえに一般的な紋章とはいえない。少なくとも赤月帝国では。 聞く話から考えて、それを使いこなしていた。相当の制御力だ。おそらく魔力も高いはず。 (ハルモニアから誰かが遣わされている?) ない話ではなかった。 ハルモニアは紋章狩りを行っている。ウィンディが<門>の片割れを持っているだけでなく、バルバロッサは<覇王>の紋章を所持しているのだ。 <門>は以前からの標的であり、<覇王>も貸与しているだけのつもりであるのは間違いない。 ササライは自らの右手を眺めた。今はそこに大地の紋章が宿っているが、その奥底では真の土の紋章が息づいている。危険だからという師の言葉に従って、現在は封じていた。 彼とてハルモニアに追われる理由はある。なにしろハルモニアの天敵とまで謳われた魔女の手をとったのだ。 神殿のなかだけでは学べないことを知りたいという単純な子供の好奇心からの行動だったが、この歳になって考えればそう簡単に片付く問題ではないと痛感している。 (僕にそっくりな人間) それは、暗に自分を捜していることを表しているのではないか? ササライは思うが、そんな都合のいいこと。 軽く笑いながらも彼は考えた。 (血縁者?) ササライは自分の両親の顔を知らない。物心ついたときは既に円の宮殿にいた。 真の土の紋章を宿していたからだと今まで疑問を感じたことはなかったが、そもそもそれがおかしい。 人間が木の股から生まれるわけがない。必ず、自分にも両親がいるはずだ。 紋章ゆえに引き離されたか、あるいは手放されたか。 そのあたりは知りようもないが、血縁者の線は捨てきれない。自分が知らないだけで兄や弟がいるかもしれないのだ。 想像してちょっと楽しくなった。 が、石版の間に辿り着いて顔を引き締める。 役目を忘れてはならない。 今の自分はレックナートの弟子。宿命の星を刻んだ石版を守るもの。 残る宿星はただ一つ、天寿星。 そこに誰の名が顕われるのか。半ば予想はついていた。 きっと百八の宿星は集う。 そのとき奇蹟が起こる。 自分は宿星ではないけれども、彼らを支えてきた存在として。 それを阻もうとする者は許せなかった。 たとえ祖国であろうと、会ったこともない兄弟だとしても。 「邪魔はさせない」 必ず、ソニア=シューレンは手に入れる。 <2006.03.05>
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