制心誓意2 |
退出したウィンディを転げるように追いかけてクレイズが走っていった。弁解を並べるためだ。 それを見送って、テッドは傍らを眺めた。 前を向いたままに立っている少年に、右手は握られたままだった。 「なあ」 返事はない。 「手、いい加減に放してくれないか」 無言のままに繋がれた手が解ける。どうやら話は聞こえているらしい。 「おまえ、何者だ?」 「ウィンディに名乗っただろ。あんた、その耳は飾り?」 先ほどまでの言葉遣いはどこへやら、ぞんざいな調子で返答があった。 「たしかに聞いたけどさ、ルックさん。おまえ、魔術師の島のササライ君と兄弟とか?」 尋ねたのは、テッドにとって当然の疑問だった。これほどまでに似た人間が他人であるわけがない。 それにレックナートはウィンディの姉だというのだから、ササライの兄弟が帝国の魔法兵団に在籍しているのは別に不自然ではない気がした。 が、その名前を出した途端に空気が変わった。 気温が一気に下がったようだった。ずしりと身体が重くなったようだった。 比喩ではなく、それが現実だと気づいてテッドの脇が湿った。 「せっかく助かったのを無駄にしたいんなら答えるけど」 「……いや、遠慮しとくよ」 「そう」 テッドの返事に満足したのか、空気が軽くなる。 おっかねー。 内心呟く。 呪文もなしにルックは空気密度を変えたのだ。それもこの室内だけ。 はっきりいって並の魔術師にできることとではない。ただし、彼が右手に宿しているのは何の変哲もない風の紋章である。 もしかして。 こいつ、持っているのか? 疑惑が浮かぶ。 テッドは300年の間、逃亡生活を送ってきた。そのため、紋章の気配を隠すことに関しては自負がある。 逆を返せば、他人がどんなに上手に隠していても自分ならばわかる。 そうして注意し直して探れば。 「……持ってるのな……」 そう、確かにルックからは真の紋章の気配がする。 ひどく巧妙に隠しているうえに何やら不思議な気配で覆われているから、ウィンディは気づいていないのだろう。 「ふうん。あんた、わかるんだ?」 「どうする?おれを殺すか?」 「今あんたを殺したところで、怪我が悪化して終わりになるだろうね」 淡々と呟くと、しかし面倒くさそうに肩を竦めた。 どうやら実行に移す気はないらしい。 「ウィンディに黙ってるんなら、それでいい。こっちはあんたの生死に関係なく目的があるんだ」 「へえ、じゃあ個人的に聞くけれど、あんたは何を持ってるんだ?継承者さん」 答は行動で示された。 ふわりと温かい風がテッドを取り巻いた。次の瞬間には、彼が身体中に負っていた傷が幻のように消える。 癒しの風だ。 「ありがとな、ルックさん」 「礼を言われることじゃない。こっちにも事情があるだけだ」 素っ気ない言葉とともに、腕をとられる。立てと言いたいらしい。 「それとその呼び方やめてくれない?」 慣れていないから気持ち悪い。 じゃあと考えて、テッドは首をひねる。 見かけこそ子供だが、いったい何歳なのかと思ったのだ。自分のような例もある。 何か目的があって魔法兵団に所属しているようだが、それは彼の意志なのか、あるいは他者の意志なのか。 「参考までに、今までなんて呼ばれてたんだ?」 「七歳までなら適当に。七歳で名前をもらってからは呼び捨てか様付け」 いったいどんな環境で育ったんだ、と突っ込みたくなる衝動をテッドは抑えた。 最初の疑問を思いだす。そうだ、年齢とそれに見合った呼び方。 思ったままに尋ねれば、見かけ通りだと返された。ならば多く見積もっても十五にはなっていないだろう。 ますますもってわからない。 しきりに首をひねっているテッドを引っ張ってルックは歩き出した。言い付け通りに城へと連行するつもりらしい。 破壊された廊下には既に人影はなかった。 「あーあ、見事に破壊してくれちゃって」 テオ様が戻ってきたら悲しむなあと呟くと、呆れたようにルックが振り返った。 「あんた、余裕だね。これからどうなるかわからないのに」 「でも、ルックはおれを殺す気はないんだろ?どうやらウィンディも丸め込んだみたいだし」 しばらくは命の危険はないのだから憂いていても仕方がない。 それきり会話は途切れた。 めちゃくちゃになった玄関を抜けて、雨の降る通りに出る。傘も差していないのに、彼らが濡れることはなかった。 いぶかしんで観察すれば、ふたりの頭上を空気の膜が張っているのがわかった。 こいつ、本当に何者なんだろう。 手足のように紋章を操っているルックを興味深そうに眺めて、テッドは一度だけ後ろを振り返った。 この街のどこかにいる親友を思って。 *** 城に入ると、ルックはテッドを引っ張ったまま廊下を歩いていった。 ウィンディは牢に入れておけと命じていたが、そのつもりはないらしい。仮にも罪人の扱いではない。 疑問の視線を投げれば、ルックはこともなげに言う。 「牢はいっぱいなんだ」 「まさか」 首都の牢屋が満杯だとは、にわかには信じ難い。だが、テッドは思い返す。 そういえば最初の任務の後に大勢の罪人が連行されていくのを見た。おそらくその影響でスペースがないのだろう。 記憶を甦らせ、テッドは気がつく。そういえば、隣を進む少年もあの場にいたのだ。 他の兵士たちが少年少女を引き連れていたのに対して、連れていたのは薄汚れた男ひとりだったが。 「そういえば、おまえが捕まえた男、何をしでかしたんだ?」 言われて、ルックが振り向いた。緑の瞳が意外そうに開かれている。 「強盗放火犯。先月上旬にあった事件の犯人。……覚えてたんだ」 「それは感心。ついでに、最後の台詞はおれのことに気がついてたってことか?」 「まあね。奇妙な気配だったし、気になったから」 隠しきっていたはずの紋章の気配をとって、奇妙とは。それはそうと、やはり侮れない感知力だ。 「そういうおまえも変な気配してるぜ」 ルックがぴたりと足を止めた。ちょうど、ウィンディのものと思われる豪奢な扉の前だったこともあるが、それだけではない雰囲気だった。 こちらに顔を向けると、初めてテッドの顔を直視した。 真剣な表情で、なにかを聞きたげにくちびるを動かした。 だが、それは結局音にならなかった。 躊躇いのままに、消え。 代わりの言葉が零れ落ちる。 「あんた、生きるつもり、ある?」 把手に手をかけた姿勢。ルックの視線は前に。意識はテッドに。 「いちおうは。……できれば、テオ様に説明とかしたいし謝りたいし」 たまたま立ち寄った都市同盟の外れで焼けだされた自分に手を伸ばした将軍。 彼があのとき通りかからなければ、自分を都市同盟の生き残りと勘違いして取り囲んだ帝国兵たちに、勝利の酔いと同盟への憎しみのままに殺されていたかもしれない。 そのうえどこの馬の骨ともしれないを屋敷まで連れ帰って世話をしてくれた。 たとえ、同じ年頃の友人を作ろうとしない息子を案じた父親の行動だったとしても、与えてくれた温かさだけはたしかだ。 テオ=マクドールには自分の口から全てを説明したい。真実を知った彼が激昂して剣をとったとしてもそれは構わない。 テオにはそうするだけの権利がある。 そして許されるならば。 もう一度、親友に会いたい。 リンの笑顔を脳裏に描く。 確実に紋章は彼を蝕むだろう。彼の身近な人間を襲うだろう。それがソウルイーター。 紋章を渡した自分をきっと彼は恨む。会ったとしても、それはもうテッドの知っている「リン=マクドール」ではなくなっているかもしれない。 だが、たとえどれほどに詰られようと。 「約束したんだ」 もう一度、リンに会う。 空っぽの右手を握りしめる。 強い口調から決意を感じ取ったか。 ルックがテッドと同じくらいの力のある調子で返す。 「だったら、どんなに意に添わないと思うことでも誓う決意をしておきなよ」 <2004.11.24>
|