奏幻想滸伝
          出会接触2


 突如として道を塞ぐように現れた少年に、一行は立ち止まった。
 彼らがグレッグミンスターの城下町でよく見かけるのとは違う、風変わりな青い衣服を纏っていた。 宙から降ってきたような異様な出現もさることながら、精巧に整った造作が余計に少年を人間でないもののような印象を与えていた。 わずかに首を傾げた時に揺れた朽ち葉色の髪と目の瞬き。周囲から浮き上がりながらも、その仕草が少年が生きた人間であることを示した。
 反射的に攻撃の構えをとったパーンを視線だけで止めて、リンは一歩進み出た。
「はじめまして、私は帝国近衛隊に所属しておりますリン-=マクドールと申します。 占星術師レックナート様から『星見の結果』を受け取るようにと皇帝陛下からの命で参りました」
 得体の知れない子供に彼がこれほどまでに丁寧な対応をしたのは、この島にいるからにはかの占星術師と縁あるものだろうと判断したからだ。 レックナートは盲目だという話も聞いている。身の回りを世話する役目にこういう少年がいてもおかしくない。
「リン、こんな子供にそんな馬鹿丁寧にする必要あるのか?」
 テッドが囁く。否、本人は小声のつもりだったのだろうが、見事にそれは筒抜けとなっていた。
「そうですね」
 何でもない調子で返されたのは、少年から。
 どうやら気にしていないと表情から判断したのもつかの間、次の瞬間に少年はさわやかな笑顔のまま言い放つ。
「そのような無礼な帝国の使者の方もいらっしゃらないでしょう。確かめさせてもらいますよ」
「確かめるって、おい、俺、身分証明書とか持ってない……」
 思わず地の口調で弁解するが、時すでに遅し。
 少年の右手が淡く光っていた。膨大な魔力を感じられる。そこには見たこともない紋章が浮かび上がっていた。
「我が真なる土の紋章よ。不動の動者に命を与えん。我が身を守る盾となれ」
 ぼこりと地面が蠢く。反射的に飛び退りながら、リンは不用意な発言をした親友の頭を叩いた。
「なにするんだよ、リン」
「反省しろ、テッド。おまえのせいで面倒になっただろうが」
 むくむくと形作られる泥人形に視線を固定したまま文句を言うが、その表情は台詞を裏切っていた。
「やーねえ、そういう楽しそうな顔をしながらじゃあ、説得力の欠片もなくってよ、ってな」
 矢をつがえながらの彼もやはりどこか面白がっている。ふざけた口調がその証拠。後方で狙いを定める気配を感じながら、リンは確認する。
「テッド、狙うならでかい人形の方だからな。子供は狙うなよ」
「はいはい。常に元凶狙いのリンにしては珍しいご意見」
「レックナート様の関係者ならあとあと面倒だろ」
 言い残してリンは駆け出す。大振りの攻撃を身軽に躱す姿と、巨体にも関わらず存外に敏捷に動くクレイドール。
 少年の姿はいつの間にか視界から消えていた。




「はい、とどめ。っと」
 言葉だけは軽く。高く飛び上がって上段から重力とともに打ち降ろした棍の一撃。
 うまく急所を突いたのか。 あるいは強度の限界を超えたのかは不明だが、最後の足掻きとばかりに腕を高く振り上げた姿勢を名残とクレイドールがぐにゃりとひしゃげ、そのまま地面に崩れて広がった。 文字どおりの泥となり、原型はもはやわからない。
「ぼっちゃ〜ん、無事ですかあ?」
「俺は無傷だよ。グレミオ。お前の方が足もと危ないぞ」
 よろよろと駆け寄ってくる付き人と肩で息をしているパーンを見れば、どうやら二人には怪我はないようだった。 後方から攻撃をしていたテッドとクレオも大丈夫だろう。
「それにしてもとんでもないガキだったな、リン」
 テッドが疲れを微塵も感じさせずに隣に並んだ。肯定のかわりに彼の肩を叩いた。お互いに目が合うと、自然と満足に顔がほころんだ。
 と。
「悪かったですね、とんでもないガキで」
 再び、少年が道の真ん中に佇んでいた。今までどこにいたのかはわからないが、おそらくは魔術を使っている。 同じ場所で姿を現したり隠したりしているだけなのか、あるいは他の場所とを瞬間移動しているのかは定かではないが、尋常でない使い手であることは明白だった。
 テッドの表情が凍りついたが、少年は更なる行動に出る気はなかったらしい。
「まあ、僕の作ったクレイドールを倒す実力があるのは帝国の近衛兵レベルは必須ですからね。身分証明として受け取ります」
「ああ、助かったよ。ところで君は?レックナート様の世話係とか?」
 どうやら理解してくれたらしい少年に、リンは気さくに話しかけた。
 それが第二の地雷だということを知らずに。
 ぴくりと少年の細い眉がつりあがった。ただし、ほとんど見かけの穏やかな笑顔は変化がないのが逆に恐ろしい。
「あ、あの。……少年?」
 明らかに温度を下げた変化。名前がわからずに思わずそう呼びかける。
 地を忍び寄る影。ちらりとそんな表現がリンの頭を掠めていった。
「レックナート様のいらっしゃる塔はこの道をまっすぐ行ったところにあります。最上階でお待ちしていますよ」
 ぐん、と彼のまわりを濃密な魔力が取り巻いた。右手の紋章が光を放っている。
「それから僕の名前はササライ。レックナート様の一番弟子です。絶対に世話係でも付き人でもありませんから」
 台詞とともにかききえる。
 唐突な退場に一同はぽかんとしていたが、テッドの呟きに我に返った。
「そういえば、あのササライとかいう奴は何をしにきたんだ?」
 また一匹、ヒイラギ小僧が草むらから飛び出してきた。今度はもさもさ付きである。
 グレミオがポンと手を打つ。
「お迎え、だったんじゃないでしょうか」
「迎え?一本道なんだろう?迷いようがないじゃないか」
「そうです、ぼっちゃん。でも、今みたいな魔法で、残りを本当は送ってくださる予定だったんじゃないでしょうか?」
 グレミオの指摘は的を射ていた。
 未だに辿り着かぬ魔術師の塔。興味本位の顔見せや物騒なもてなしのためだけに彼が現れたとは思えない。
 だとすれば、リンたち帝国の使者ご一行を迎えにきた、と推測するのが正しい。
 彼らは無言で。遠くにそびえる魔術師の塔を仰ぎ見た。
「これからまたヒイラギ小僧相手にあそこを目指すのか……」
 テッドが乾いた笑いを零した。全員が同じ心境だった。


***


 星見の結果を受け取りながら、リンは思う。
 似ていない、と。
 先日、皇帝と謁見した時、その傍近くに控えていた美貌の宮廷魔術師、ウィンディ。
 彼女は目の前の占星術師の姉だ。
 だが、教えられなければわからなかっただろう。それほどに彼女らは似ていない。
 たしかに似ていない姉妹など世には掃いて捨てるほどいるだろう。 色彩も顔立ちもまったく異なっているが、それ以上に二人を決定的に裂いているのは雰囲気だ。同じ家庭に育った者の共通点が感じられない。
 いくらレックナートの目が見えていないからとはいえ、じろじろと眺めるのは失礼だろう。
 結果を懐にしまい、一礼して背を向ける。
 そのタイミングで彼女が静かに声を発した。
 名前を尋ねられ。
 未来について語られ。
 運命について言われたが。
(言う相手を間違っているんじゃないですか?)
 そういう言葉は、言われて有効な人物に語るべきだ。
 運命を信じていない自分に告げたところで、意味を成すことはないだろうに。
 付け加えるならば。
 自分が世の大きな流れにさらされているのは生まれた時から決まっているのだ。
 赤月帝国六将軍、「百戦百勝」テオ=マクドールの息子として生まれた瞬間から。
 何を言われたって、既に覚悟などとうにできている。
 たとえ玉座が空虚となろうとも、この地を守る。


***


「はー、まだ腰が痛い……。あの、こまっしゃくれ、よくもおれだけ落としたな」
 騎竜に括りつけられた籠のなかでテッドはしたたかに打ちつけた腰をさすっている。
 あまりにも、その仕草が。
「じじくさい」
「なにか聞こえたぞ?リン」
「気のせいだろう、テッド」
「じじくさいと耳に入ったんだが、聞き間違いかな」
 狭い籠のなか、逃げ道はない。にじり寄るテッドを片手で抑えつつ、リンは退き気味だ。
「聞き間違いだ、テッド。耳でも遠くなったんじゃないのか?」
「ほほう、今度は『耳が遠く』ときたか。この永遠の美少年に対して、ひどいじゃないか」
 にやりと笑って、テッドは首根っこをとらえる。ちょうど大人がイタズラ小僧を捕まるように。
 すわつかみ合いになるかというところで。
「テッド君、大人げないですよ」
「ぼっちゃんもぼっちゃんです。身内しかいないといっても今は任務中です。帝国軍人としての自覚を持ってください」
 グレミオとクレオのふたりが畳み掛けるように双方を宥める。
 この程度、諍いというほどでは全くないが、やはり任務中ということを考慮すればあるまじき態度だったかもしれない。
 自分の子供っぽさを反省しつつ、事の発端となった親友をちらりと眺める。
 テッドは、何事もなかったかのように天を眺めていた。どこかひたすらに遠くを。
「テッド、何かあるのか?」
 つられてリンも空を仰ぐ。今、竜は空を駆け、さらには雲をも越えている。見つめる先を定めることなどできない。
「ああ、星がさ」
「星?」
 まだ空は明るい。突き抜けるような蒼穹には煌めく欠片もない。
「星が降りた時のことを思いだした」
 テッドはしばしば、こちらには理解し難い言葉を使う。そういうときに問いつめても、それを『通訳』してもらえることはほとんどなかった。
 今回も真意を知ろうとしても無駄だろうな、と感じた時。
 ぐいと身体に加速がかかった。
「降りるぞ、グレッグミンスターだ!」
 急速な重力とともに幼い竜騎士見習いの声が響いた。


<2004.11.7>


          逆奏目次