出会接触1 |
これが、ひとつの出会い。 やわらかな陽射しが石造りの部屋を照らしている。 わずかな風にそよぐカーテン。 生けられた香しい花。 湯気の立ち上るカップと上品に盛りつけられた菓子。 優雅な動作でペンを走らせる少年。 まるで絵に描いた世界である。 少年が無心に寸法を測り、様々な角度から観察し、事細かに記録しているのが薄汚れた得体の知れない仮面でなければ。 空になったカップにいつの間にか注がれていた紅茶に気づかないふりをしていれば。 そして、彼が描き損じる度に適当に床に放り投げる紙を追いかけて右往左往している溢れかけたゴミ箱の存在さえ無視すれば。 もっとも、部屋の中心にいる少年はそんなことにはまったくもって無頓着である。 それも当然で、彼にとっては決してなくならない茶も、おろおろするゴミ箱も、ついでにいうと食べこぼしを目敏く発見して床を突進していく箒の存在も日常だ。 興味は、師の物置きから偶然に発掘された仮面に集中している。 「この寸法、彫り幅……。歪曲率の数字の法則性を考えると……」 呟きながら数字を紋章学に当てはめていく。 複雑な方程式をいくつか書いた後に、ひとつ計算間違いを発見し、紙をぐしゃりと握りつぶして背後に放り投げた。 駆けつけるゴミ箱。 「側面部分のシンダル文様。すり切れてしまっている部分はどうなっているのかな」 もっとよく観察しようとしたその時。 傍らに置いてあった呼び鈴が、やはり手も触れていないのにけたたましく鳴らされた。 考察を中断されて名残惜しそうに。それでも、呼び出しを無視することなく、彼はテーブルの上にかたりと仮面を置く。 「……こんな時間にお呼びとは珍しい」 時計を見れば、午後のお茶にもまだ早い。 午前の教練の時間からはだいぶ経ってしまっているから、課題の追加ということもないだろう。疑問に思いながらも、少年は転移の術式を編む。 幾ら不審に感じようと、拒否するという選択肢はもとより彼にはありえない。 テーブルに散らかしたままの筆記具がするすると片付けられていくのを、わずかに名残惜しくも。 彼は師のもとへ身体を運ぶ。 魔術師の塔、そう呼ばれる彼の住処の最上階へ。 部屋の入り口に質量を伴って現れた気配に、彼女は机に落としていた視線をあげた。 「来ましたね、ササライ」 「お呼びになったのはあなたでしょう、レックナート様」 わずか首を傾げる仕草。 「それで、本日はどのようなご用件ですか?」 「今日が何の日が、覚えていますか?」 問いかけに問いかけで返されて、そこで気づく。 「帝国の使者が星見を受け取りに来る日ですね。……塩でも撒いておきますか?」 ササライが魔術師の島に来てから数年しか経っていない。けれども、その数年に著しく使者の質が落ちた。 ハルモニアの一糸乱れぬ忠誠と礼儀作法、典法を知っているだけに、地位が高さだけをかさにかざす馬鹿にいらだちを隠せなかった。 「その必要はありません」 きっぱりと断言し、口元に淡い笑みを浮かべる。 「今年のお客さまは『特別』ですから」 「特別。ですか」 「ええ、特別です」 静かに告げて、あろうはずのない視線を弟子のそれと絡ませる。 「この地に、星の集う兆しがあります」 ほし。 それが何を意味するのか、理解できないササライではなかった。 世の流れが乱れた時に現れる者。天と地の百八の星。 「これからここに来るのが、その星に選ばれた者なんですね?」 確認。 「ええ。既に運命は彼を捕まえています。そこから逃れようとすれば、彼の道は閉ざされるでしょう」 厳かな言葉は、運命の管理者としての彼女の託宣。 「わかりました、丁重にお迎えしましょう」 「彼はあなたの『運命』ではありませんから、ほどほどにしておきなさい。 けれども、あなたの『運命』があなたを絡めとった時のために、手は抜かないように」 無言で肯定し、彼は踵を返した。師の意志を受け取った以上、既にここにいる意味はない。 だが、ふと問いがこぼれ落ちた。 「レックナート様」 「なんですか?」 「ひとつよろしいでしょうか。……教えてください」 身体ごと師に向き直る。 彼女は運命の管理者。天秤の支柱。物見ぬ目で未来を見るもの。 言い聞かせられた言葉。植え付けられた知識。それでも確信などだれが抱けるのか。 「運命とは、定められたものでは……」 「例えば」 ササライをレックナートは遮った。 「最初の重要なボタンを掛け違えたならば、それでも運命は定められたものであるといえますか?」 「は?」 予想外の内容に気の抜けた音が零れ落ちた。師が盲目でよかったと思う。きっと自分は今、これ以上ないほどに間抜けな顔をさらしているだろう。 対照的に、彼女の顔は真剣そのものだった。 強い調子にササライは混乱する。内容を吟味すれば、まるで師は運命を信じていないようで。だが、そうすると彼女の存在そのものが否定され。 構わずに彼女は続ける。 ただし、今度はこのうえもなく優しく。子供に言い聞かせるように。 「あなたは自分で考える前に答を求めてしまう。私が是であれ否であれ解答を与えれば、あなたはそれで満足してしまうでしょう」 言葉はさらに。 「答を知りたいのならば、まず自分で見極めなさい。いかに無力を感じようとひとは意味なき存在ではないということを」 そして途切れ。 「わかりました」 望むものは得られない。師の態度から判断して、ササライは自分から問いを断ち切った。今から現れる未来の天魁星。 どんなもてなしをしてやればいいのだろう。宿星でもない自分がちからを貸すのだ。それなりの実力がなければ困る。 釈然としない気持ちは残っているが、転移しようと紋章に魔力を注いだ。術式を完成させる瞬間、それでも本音がこぼれた。 「いつかは教えてもらいますよ」 我ながら、まるで捨て台詞のようだと思った。 弟子が消えた後を見つめ、レックナートは言葉を続ける。誰もいないのはわかっている。部屋に残されたのは彼女独り。 「ええ、いつかは示してもらいますよ。ササライ、あなたたち自身に」 * ** 霞がかった空を仰ぎ、リンは溜息を落とすつもりが盛大な欠伸をもらした。 視線の先には天を貫くかのような石造りの塔。 彼らの目的地である魔術師の塔だ。 「けっこう近づいてきたかな」 「こんだけ歩いてるんだ、近づかなかったら泣けてくるぞ」 親友の突っ込みはもっともである。 彼らがこれから訪ねるレックナートが住んでいる島には海流と地形の関係上、竜でしか近づくことができない。 ただ、竜も巨大な生きものである。安全に着陸や飛翔のための空間を確保することができる場所は、わずかに一か所のみ。 それも塔からは非常に離れている。 選択の余地のないそこから、彼らはひたすらに塔を目指して歩いているのだ。 幸い、足下はけもの道のようではあるが『道』の体裁を保っており、森のなか抜きん出て高い塔は目印として間違いようがない。 どこかのんびりとした気分で歩き出したのは、一時間も前のことである。 時折出てくるモンスターといえばヒイラギ小僧などの雑魚ばかり。それらだって血の気にはやったパーンや護衛に命をかけているグレミオが一掃してしまう。 ときに為損じたものもクレオが的確に仕留めていた。 護衛役の大人にしてみれば当然の行為であるのだが、守られる方にしては退屈で仕方がないというのが本音だった。 背負った棍の重みを確かめながら隣を歩くテッドを見る。彼もどことなく手持ち無沙汰なようで、意味もなく矢をもてあそんでいた。 「あー、棍がさびる」 「毎朝毎晩、磨いているだろ。それよりもおれの弓矢が腐る」 「テッドのは鉄製だろう。腐るわけないだろうが」 冷静に突っ込んだつもりだったが、テッドはにやりと笑うと人さし指を振った。 「わかってないな、親友よ。金属腐食という言葉を知っているのかね」 「……そこに至るまでの時間をその弓矢が経験しているとは思えないぞ」 テッドは背負った矢筒を確かめるように振り向いた。重さを確かめるように揺すり上げると、笑顔はそのままに言う。 「それが経験しているんだな。なんてったっておれの人生三百年の半分を共に過ごしてきた逸材だぞ」 「はいはい」 呆れつつ肩をすくめる。テッドのそれは何度も聞いたものである。その度に「なぜ三百年なんだろう」と思わずにはいられない。 テッドもこれ以上この話題を続ける気はないらしい。 リンがしていたのと同じように塔の先端を仰ぐ。 「あと一時間か二時間ってところか」 「うげ」 概算に潰れた悲鳴を上げたのはパーンだった。体力的には問題の全くない彼だが、この単調な任務に飽き飽きしているのだろう。 もっとも、この声は全員の心境を代弁したともいえる。 クレオも顔を上げて空を眺めた。 「今までの道のりと時間を考えますと、城の閉門に間に合うか微妙ですね。理由が理由とはいえ、上司がアレですから」 「困りましたねえ。まだ春先ですから冷え込みも厳しいですし。一枚外套を持ってきたほうがよかったですねえ」 グレミオもげっそりと呟く。内容はややずれていたが。 「ぐちぐち言っていても仕方がない。さいわい手強いモンスターは出てこないんだ。さくさく行って星見の結果とやらを受け取ろう」 リンの言葉に応えるように脇道からモンスターが飛び出してくる。お定まりのヒイラギ小僧だ。 体力が有り余っているパーンが突進し、一瞬にして勝負はつく。 「それにしてもここまで人の手の入っていない島で、出てくるのがこの程度のモンスターだけというのも不思議ですね」 人間がいなければモンスターも繁殖しやすいだろう。 「さあ、誰も来ないから凶悪化しなくてもすんでるんじゃないか」 興味なさそうにリンは肩をまわした。このままだと今日の仕事は本当に占いの結果を受け取るだけになりそうだ。 その横でテッドの消え入りそうな声が耳をかすめた。 「モンスター以上に凶悪なのがいるから、賢い奴らは逃げてくんだよ、ここ」 問い返す暇はなかった。 突如として、彼らの前にひとりの少年が現れたからだ。 <2004.11.7>
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