起承点結2 |
テオ=マクドール勝利。 知らせは速やかにグレッグミンスターに届けられた。 玉座に座ったバルバロッサは淡々と、一方で背に控えたウィンディは目を輝かせて使者を迎えた。 「なんて喜ばしいこと、それで将軍はどうなさっているのです?」 「は。テオ将軍は反乱軍に占領されていましたセイカの村を解放し、住民に手厚い保護を与えております」 「そうではありません。身柄を拘束したのか、と聞いているのです」 ぴしゃりとウィンディは言い切った。寵妃の剣幕もバルバロッサは意に介していないようだった。使者に目を合わせてはいるが、焦点は合っていない。 「いえ、反乱軍軍主はトラン湖湖上にある本拠地に退いております。軍主の首級をあげたという情報や捕虜としたという話もありません」 これに対する言葉はなかった。 無礼に当たらないように視線を床に下げていた使者は、そろそろと顔を上げた。 そこには既に女の姿はない。扉が開いた気配はおろか、人間が動く気配も感じなかった。着飾った女性がドレスの衣擦れすらさせずに部屋を出るのはいくらなんでも不可能だ。 「ウィンディであれば、そのまま消えてしまったよ。思うところがあったのだろう」 「消えた、とは……」 「あれには転移という魔術がある。瞬間移動で帰っていった。いつものことだ、気にすることなどない」 聞いたことのない魔術に使者のからだが強張った。ウィンディが卓越した魔女だと知られていても、実際の実力を見たことがある者はほとんどいない。 ……目撃者はすなわち、帝国の敵。宮廷魔術師である彼女の手にかかっている。 畏怖にうたれている使者に向かって、皇帝は物憂げに続ける。 「下がってよい。引き続き任務を続けよ」 「は」 再び礼を示して、使者は玉座の間を後にする。 それを見送って。 バルバロッサは愛する女性の行く先へと思いを馳せた。 「まったく、情けないこと」 転移すると、ウィンディはいらいらと金の髪を乱した。 退却に追い込んだ、というのは朗報だ。今までの将軍たちがその段階までいかずにことごとく失敗していることを考えれば、快挙だといえる。 しかし、最終的な目的を達しなければ意味はない。 成果は、全か無か。どちらかの二択しかない。 「ウィンディ様。とうとう反乱軍を追い込んだとか。いやはや素晴らしい」 両手をもみながらすり寄ってきたのは情報部のトップだ。 「どこがすばらしいものですか。リン=マクドールを捕らえなければ意味がないのですよ」 乱暴にいえば、すぐさま男はなびく。 「ああ、そうですな。さすがはウィンディ様。元凶を断たねば、また不逞なことを繰り返そうという輩も出ましょう」 「……そうよ。あの子供を捕らえなければ、終わらないわ」 ハルモニアへの復讐が。 彼女の願いが。 終わらせることができない。 この呟きが、歯車を回した。 いつもの場所で、男は手紙を受け取った。細くたたまれて木の枝に結びつけられた紙片は、反乱軍深くに潜り込んだ人間からの情報だった。 「火炎槍……?」 初めて聞く言葉だが、文面から武器であることがわかった。それが手に入らない限り、反乱軍に勝ち目はないと書いてあった。 つまり、今のうちに仕掛ければ帝国軍は勝てる。あるいは、軍主が自ら入手のために城を空けるというから、不在のあいだに本拠地をおとしてしまえばいい。軍主ひとりが生き残ったところで何もできまい。帝国の勝利は決定的だ。 本来ならば、速やかに前線を指揮しているテオ将軍に知らせるべき内容だった。 だが、男はその手紙を湖に捨ててしまう。にやりと企む表情を浮かべていた。 彼はずっと帝国の情報部として働いていた。必要に応じて、標的の暗殺も行ってきた。腕にも自信はある。 反乱軍を率いるのは二十歳にもならない少年だ。しかも、貴族のお坊ちゃんである。間近で探り続けて、武術の実力も知っている。 だが所詮、それはずっと日の当たる道を歩いてきた人間の、武術の腕。 彼のような黄昏を生きてきた人間の戦い方など知るまい。 だったら、勝てるのではないだろうか。 野望が頭をもたげる。 正面切って戦うからまずいのだ。しかも、今回の相手はテオ=マクドール。百戦百勝の将軍とはいえ、都市同盟を相手にするのとは勝手が違うだろう。なにせ、自分の唯一の息子を手に掛けようというのだ。まともな勝負になるわけがない。 男は密やかに笑う。 いくら解放軍を名乗っていても、所詮は烏合の衆。ならず者や犯罪者の集まりだ。規律もなにもない人間をまとめあげている扇の要はただ一人。そこを壊してしまえば、あっけなく崩壊するはず。 暗殺。 たしかな意志を持って、彼は前進する。 女の呟きがよみがえる。 この世紀の大逆人の首を黄金皇帝とその寵妃に捧げれば、どれほどの名誉が得られるだろう。 会議室として使われている部屋はすぐにわかった。男は確実に情報を持ち帰るという任務ゆえに本拠地に侵入したことはなかったが、間取りは詳しく知らされていたからだ。 幸い、寄せ集めの軍では所属の明らかでない人間がひとり歩いていたとしても警戒されることはない。堂々と歩いていればなおさらだ。 耳に挟んだ話では、まだ軍主は議論の真っ最中、当分出てこないだろうという。城を空ける前に打ち合わせておかなければならないことは山ほどあるのだろう。 ふと思い立って、彼は「約束の石版」とやらを拝んでやることにした。得体の知れないその代物を連中はありがたがってたいそう大切にしているという。専用の守人までつけて。 そんな連中に遅れをとっているなど、情けないにもほどがある。 石版守は帝国の星見の弟子であると同時に反乱軍の魔法兵団団長を務めているという。 顔を見たことはなかったが、今回、反乱軍が大打撃を受けながらも撤退に成功したのは、彼が戦場となった土地に大規模な魔法をかけておき、テオ将軍の追撃を妨害したからだ。 星見は帝国の名誉職だ。しかも、レックナートはウィンディの妹でもある。彼女が帝国と敵対する義理などまったくなく、マクドール家嫡男の反逆よりもよほど不可解だ。 嘆かわしいと思いながらも目的地に到着し、石版とやらを見つめた。ちょうど大人の身長ほどもある。 すべらかな表面には、どのような意味があるのか星の名前が刻まれ、さらに隣には人間の名前が記されている。 これをいちいち彫っているのだろうか。だとしたら、ご苦労なことだ。 最初に刻まれたのは天魁星。リン=マクドールの名がある。 隣にはレパント。反乱軍のナンバー2だ。 天機星とやらに軍師であるシルバーバーグの男の名前。 次は空欄だ。空欄も目立つ。 また、天英星の欄は名があったが、赤黒く変色していた。 ざっと眺めて、帝国が潜入させている人物の名前がないことに気がついた。裏切り者のクワンダ=ロスマンやミルイヒ=オッペンハイマーの文字は認められるのに、なにも気取られずに奥深くに食い込んでいる男の名前は、ない。 さらには、魔法兵団長の名前もない。この石版を守っているくらいなのだから、名前がないというのはおかしいのではないか。だが、何度視線を滑らせても「ササライ」という綴りは見当たらなかった。 どうにも釈然としないものを感じたが、男にとってはどうでもいいことだ。 今から軍主を殺してしまうのだから、こんながらくたに意味はなくなる。 殺気に反応して、反射でからだをひねった。 つい先ほどまで自分のいた場所に刃物が打ち込まれるのをリンはどこか冷めた目で観察していた。 明日から火炎槍を取りに行くために城を出る。何人かは信頼できる者に任せてはどうかと提案したが、これだけは自分が動かなければならないと感じた。 解放軍の母であるオデッサが残した希望。受け継ぐべき自分が、ただ待っているだけでいいわけがない。 帝国軍がしばらく動かないようにマッシュとサンチェス、ササライとビッキー、テンプルトン、ロッカクの生き残りなどとともに出来うる限りの罠を本拠地とその周辺に張り巡らせることにした。 大まかな枠組みだけを決めたところで、明日は早いのですからとマッシュに休むように言われた。あとで結果を報告するといわれ、部屋を出た直後の襲撃である。 棍で円を描くようにして、相手の刃を受け止める。きりりと漆黒の身に鉄の刃が食い込んだのを感じた。 効果的に払う一瞬を計算しながら、相手を観察する。すぐに勝負を終わらせることは簡単だったが、暗殺者が何者であるのかを見極める時間が欲しかった。 殺してしまうのであれば簡単だが、捕らえて身元を吐かせるとなるとそれなりに気を使わねばならない。 短剣を操るのは平凡な男だった。これといった特徴もない顔。全体の雰囲気が希薄なのだ。 しかし、目だけが違う。暗い沼のような瞳は、リンが想像でしか辿り着けない場所を表していた。 言葉などなく、ただ、死ねと迫ってくる。 リンは棍を薙ぐ。手首を返して、上下の飾り部分で相手の腹を狙う。 寸でのところでこれは躱されたが、代わりに男の肩を突いた。片手から短剣が落ちる。もっとも男は両手に剣を持ち、操っていた。ひとつを失ったところで、戦意までも失ったわけではない。 大きな動きで突撃を掛けてくる。 (本職じゃない) 自動的にからだを動かしながら、リンは断じた。本物の暗殺者であれば、もっと精密に仕事をする。いっさいの無駄のない動きと計算された軌道は、目の前の敵からは感じられなかった。 (帝国の間者か) それが功を焦って仕掛けてきた、というのが妥当だろう。 男がどのくらい解放軍を探っていたかはわからないが、調べる必要がある。漏洩した情報はどれほどだろう? 男の攻撃様式は見切っている。次の次で腹に打ち込めば壁に激突して気を失うだろう。 リンが計算のままに動いたときだった。 背後の扉が開いた。 もっとも、リンの感覚にそれは届いていたが、気にしていなかった。非戦闘員であれば違っただろうが、気配からそれがササライであることがわかったからだ。 いくら非力だとはいえ、仮にも魔法兵団長。しかも土の守護魔法を最も得意とする彼を気遣う必要はないと判断したのだ。 が。 刺客は違った。 リンの背後、整った少年の容貌を認めて。 動作が鈍った。 その瞬間の遅延。 腹を狙うはずだった棍は、男の喉を突いた。 勢いよく壁に激突すると、赤い血が点々と床にこぼれる。 驚きを顔に張り付かせ、何かを呟くようにくちびるが動き。 それで最後だった。 ぴくりとも動かなくなった男にリンは近づくと、注意深く膝をついて、頸動脈に指を当てる。拍動はなかった。 密やかにため息をついて、ササライを振り返る。 「知り合いか?」 「まさか。こんな卑怯な人間に知り合いなどいませんよ。どうしてです?」 「おまえの顔を見て驚いたようだったから」 リンの言葉にササライは首を傾げながら答える。 「もしかすると帝国の使者として魔術師の島に来たことがあるのかもしれません。レックナート様や僕がこちらに味方していることを知らなかったのでは?」 それで一瞬、隙が生まれたのではないだろうか。 ありえそうな気がしたが、リンは素直に肯定できなかった。帝国軍の質が下がっているとはいえ、レックナートの態度やその弟子が解放軍に参加しているのを知らないわけがあるまい。 そのうえ、後方であるとはいえササライは魔法兵団を率いて戦場に出ているのである。 「誰かの名前を呟いたように見えたんだけどな……」 最後のくちびるの動き。思い返しながら、呟く。 しかしいくら考えてもわからない。 リンは立ち上がると衛兵を呼び、死体を片付けるように命じた。 <2005.7.14>
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