奏幻想滸伝
          Idea Idem Ideologie8


 親愛なるお兄様

 困った事になりました。
 私たちの抱えていた困難については、先日、お兄様とお話しした通りです。私の決意に揺らぎはありません。
 困った事というのは、お嬢様がどうやら私の事を調べているらしいのです。友人に聞き回るだけではなく、私たちの故郷の北の村へさえ人を寄越したようなのです。
 これが原因で解雇されたら……訴えられでもしたらどうしましょう。身分の詐称はとても重い罪です。
 とにかくお嬢様やご主人様に一矢報いる為にも、今まで通りに手は尽くすつもりですが、お兄様まで巻き込むわけにはいきません。 本当であればあなたと一緒に仇をとりたかったのですが……。
 私からの手紙は全て燃やしてください。繋がりはすぐ分かってしまうかもしれませんが、何もしないよりはましなはずです。
 状況が変わり次第、追って報告いたします。
 それでは、くれぐれもお気をつけになって。

あなたの妹、シャルテ


***


 部下からもたらされた情報は、彼の予測を裏付けていた。
「ふむ、これで決定か」
 男の呟きに、報告を持ってきた男は一言も発さない。また、男も意に介さない。男の頭の中では既に部下の存在は抹消されていた。
 近々行われる神殿の権力遊戯。どう臨むかによって、勢力構図は大きく変わる。
 必ずしも勝たなくて良い。今回の勝利は条件がかなりきついし、そもそも勝利と呼べるものが現れるかもわからない。 だから、大切なのは失敗しないこと。……今度こそ、失敗しないことだ。
 マイナスを取り戻すことだ。
 前回の屈辱を思い出す。
 考えに考えた無理難題。したかったのは時間稼ぎだ。
 目障りなあの姿だけはお綺麗な化け物がこなせるとは思っていなかった。所詮は、円の宮殿で育った命だという侮りもあった。 あれが神官将になるのを……自分と同じ地位に上ってくるのは仕方がない。あれは歪んだ真の紋章。世界を滅ぼすモノ。 だが紋章を求め続けるハルモニアの国策が続く限りは有効な手札。使わないのは宝の持ち腐れ。 二律背反を感じるが、当面の彼にとって重要だったのは神殿内の自分の権勢をより強固にすることだ。そのための時間が欲しかった。
 かつてハルモニアが諦めた<門>の紋章を回収してくるという任務は、単独行動ということも相まって不可能なはずだった。 それを口実にあれの神官将就任を一年でも二年でも延ばす。その間に足固めをするのが彼の計画でもあったのに。
 あっさりとあの少年は<門>を持って返り、あまつさえもその主に治まってしまった。さらには遥か昔に持ち去られたままであった<覇王>も取り戻してきた。
 これでは面目丸潰れである。
 しかし、今回のこれではうまく取り戻せそうだ。注意深くすれば、危惧していることが起こる前にあれを始末できるかもしれない。
 頭が良く、若く、弱みがある人間。成功したら報酬は大きく、失敗しても危険は少ない。使いやすく御しやすく、何より捨てやすい。 こんなに条件の整った人間が都合良く彼の手元に転がり込んでくるとは。
 本当に運がいい。
「<覇王>の剣は良く斬れるかね……」
 <夜>を宿した星辰剣は吸血鬼を始めとした闇の住人を滅ぼすという。
 では、<覇王>は何を殺すことができるのだろうか。


***


 こころの中に湧きあがったありとあらゆる罵声がくちから飛び出なかったのは、何もルックの忍耐力の賜物というわけではない。
 告げられた内容を理解するや否や、脳裏が真っ白になり文句すらも焼き尽くされてしまった感じだ。
<門>を持ち帰るよう命じられた時は、それを思いついた神殿の重鎮どもの意地の悪さ、それ以上に条件をのんだヒクサクの性格に相当な理不尽を感じたわけだが、今回の比ではない。
「始まる前でこの体たらくか。大丈夫かのう」
 言葉を呑み込んだかたちで固まっているルックを眺めて、シエラが評する。
 その視線にルックの硬直が溶けた。思わず立ち上がった姿勢を、のろのろと元に戻す。
「始める前も何も、無茶苦茶だと思いますが……それ」
 むしろ面倒くさい。それを正直に言ったところで聞き入れてもらえないのはもちろん、倍返しどころか十倍返しになってくるに違いない。 黙っているのが得策と溜め息だけを盛大に吐いた。
「そうかな?一石五鳥だと思うけれどね」
「その内訳は?」
「一、うまくいけば<覇王>の継承者を見つけられる。二、それぞれの神官将がどう動くかで権力構図が丸分かり。 三、候補者のなかから掘り出し物。四、どさくさにまぎれて刺客も始末できる」
「ひとつ足りてませんが」
 四については異論がある。刺客なんて途切れもなく湧いてくるものなのだ。まとめて出てきた者をまとめて片付けたところで、いなくなるかと問われれば答えは絶対に否だ。 つまり労力が増えるだけ。
 反論したところで無駄なことについては労力を使いたくないので、ルックは残りの気になることへ気分を振り分けた。
 が、ヒクサクは意地悪く笑む。
「それは開けてみてのお楽しみだ」
 絶対に、楽しくはない……。確信してルックはじとりと神官長を睨んだが、流石にどこ吹く風。その隣で静かにしているシエラを見ても同様だ。
 この席にいるということは彼女も何か知っている。もっとも、ヒクサクと同じで彼女が素直に教えてくれるとは思えなかった。 条件として出してくるだろう献血は、興味の割りにあわないので却下だ。
 どちらにしろ自分に逃げ道はない。
 あらかじめ反撃を封じられた不機嫌さからルックは顔が渋くなるのを止められなかった。 神官将として動く以上、ヒクサクの命令にだけは従わなくてはいけないことは理解しているのだが、今まで長く節度を保ちつつももっと近い距離でいたために、 どうにもうまくいかない。
 気を紛らわせようと手にしたクッキーは、食感はさくさくとしていたが味はなんとも寝ぼけていた。
(……また、進んだ)
 色からして南方の高級品であるカカオをふんだんに使っているだろうに、その風味はほとんど感じられなかった。 その事実に気がつかなければ良かったと、もう手遅れなのにやはり味のしない紅茶で胃に流し込んだ。
 いつも通りの仏頂面を崩したつもりは彼にはなかったが、神官長はおやというように眉をあげた。 ただし、何かに感づいていようともわざわざ言葉にすることはなかった。事情を知っていながらも、シエラはルックの微妙な表情の変化を見分けられる程の付き合いはない。
 まったく気付かぬ風に、三人が囲んでいるテーブルに広げられた資料を拾い上げた。
「一回で済ませるつもりかえ?紋章は甘くはないぞ」
 どのような基準で神が代行者を選ぶか、それは研究を重ねても明らかではない。 シエラに至っては、<月>の紋章を盗まれたままで真の紋章の呪である不老は絶賛最長記録を更新中なのである。
 ふとヒクサクがくちもとを緩ませた。
「何も一度で終わらせる必要はない。それこそ混乱してしまう。今回は神官将たちの選りすぐり。各2名ずつしか選んでもらっていない」
「しか、って……。ヒクサク様、ここに何人神官将がいると思ってらっしゃるんですか」
 こともなげな主だが、ルックとしてはそれどころではない。
「五十人ですよ、五十人!それが2名ずつ候補を出してきたら……」
 単純計算百人。実際はそれよりも多くなるはずだ。何せ便乗刺客が送り込まれてくるはず。
 それだけの数を一度に相手にする……しかも、選考の方法からして死人を出さずにだ……のはいかなルックでも難しい。 不可能、と言い切らないのは、相手が余裕さえ与えてくれれば、適当なモノを<門>で召喚し、全員を床に沈めることはできそうな気がするからである。 確かめたことはないが、今度、試してみる余地はありそうだ。
 ずれはじめた思考をヒクサクが修正する。
「五十人のうち、お前は候補なんて出さないだろう?それに、今回の告示に間に合うのは円の宮殿に一年中詰めている連中だけだ。 無名諸国やグラスランド周辺地域にいる連中は間に合わないだろう。そして、その中でも果たして何人が候補者を出せるものか。
「実際には10人も出てくれば良い方であろうさ」
 候補者ひとり出すのでさえも駆け引きだ。
 円の宮殿は大きく二つの派閥に分かれている。候補者を出せるような実力がありそうなのは、各派閥に2、3人といったところか。 派閥のなかで下っ端が提案した者が偶然にでも継承者となってしまえば上の面目が立たない。 その場をうまくコントロールできてこその実力者であるが、思い浮かんだ彼らがその度量を示せるかは甚だ疑問だった。
 政治の表舞台に全然出てこないくせに、ヒクサクは正確に今の自国の状態を把握している。誰が動けて、誰が動けないのか。ルックにも見当はつく。
「それに、私であればそのなかにルックに対する刺客も混ぜるね……何も、そのものが実際に手にかけなくてもいい」
 候補者が神官将を殺すことは、はっきりいって言語道断。しかし、外側に配置された仲間の暗殺者のためにうまく立ち回ることは可能だし、有効な手段だ。
「それから、国民の人気取りのことを考えれば著名な騎士や神官。今後のことを考えれば、実力のある傭兵や……将来有望な学生」
 後者に対しては、推薦するだけで将来の忠誠を買う事も出来る。対価としては安い。
「学生まで巻き込めますか?」
「今の時期だ……各神官将につけてあるだろう、士官学校からの研修生を」
 これはと思う人材があれば、子供でも闘争に巻き込むのに躊躇いはない人間ばかりだ。
「子供の方が扱いやすくもある」
 面倒な予想ばかりを披露する主に、ルックはもう止めてくださいとばかりに肩を落とした。
 そんな少年に微笑みながらシエラは顔を寄せた。耳元でからかう。
「安心するがよい。そんなお主に妾がとっておきの助力をしてやろうぞ」
「……いりませんよ。それこそ高くつきそうですから」
 吹き込まれた息から逃れてのけぞりながら、少年は心底嫌そうな顔をわざわざ作った。
 あからさまな警戒に始祖は。
「基本はただじゃ。あれは、下僕ですらないからのう」
 どうやら拾いはしたものの、彼女の好みではなかったらしい。気に入った人間を『下僕』として側に置いておくのがシエラの趣味とはいえ、その人間も災難な事だ。
 どちらにしろ。
「要りません。ひとりで十分ですから」
 再度の拒否。
 そう、側に誰かがいるなんて邪魔なだけ。ずっと一人でやってきたのだ。
 ――それこそテッドのような人間でなければ、危なくて近くになんて寄せられない。相手にとっても己にとっても。
 頑な拒絶に、神官長はなだめるようにルックを一瞥する。
「月の姫の好意を無駄にすると後が怖いんじゃないかな?」
「知りませんし、要りません」
「会ってみれば、案外使えるかもしれないとは考えないのかな?」
「……ヒクサク様もシエラ様も」
 主の雰囲気に、ルックも流石に感じとるものがある。
 この二人、<覇王>の主を探すというのすらも建前にしている。多分、新しい継承者なんてどうでもいい。もっと他を望んでいる。
「僕に何をさせたいんですか?」
 絞り出した問いに、男は簡潔。
「五鳥目を」
 それが何を示すのか、ルックはとうとう分からなかった。


<2007.4.22>


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