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親愛なるお兄様 元気でお過ごしでしょうか。 こちらはだんだんと温かくなってきました。円の宮殿はいかがでしょうか。 私の方は苦戦しています。お嬢様はなかなか気難しい方です。私たちのようなメイドのことを気にかけてくださっているのは体面上だけのようです。同じように貴族に仕えている友人も同じように言っていました。 私たちの困難について、お話しできる雰囲気ではありません。どうしましょう。最初からご主人様に訴えていれば良かったのかもしれません。 時間がありませんが、できるだけ目にかけていただけるように努力します。 神殿にもお祈りに行く予定です。お祈りが神様だけでなく、お兄様にも届きますように。 お兄様の仕事は順調なようですね。その報告も楽しみにしています。 それでは。 あなたの妹、シャルテ *** 僅か数ヶ月の差。 しかし、リンは過去の自分の未熟さに恥じ入りたくなった。 その様子を隣で横目で窺っていたシエラが、面白そうに肩眉をあげた。 「ほ、どうやら自覚はできたようじゃ」 「――仰るとおりですよ」 円の宮殿は、大国の現人神が住まうにしては、警備もリンが知るグレッグミンスター城と大差ない。むしろ、それにも及ばない。頼りないようすら見えた。暗殺者などを警戒していたトラン城のほうが、まだ物々しかったような思いさえあった。 だが、まったくの思い違いだ。 目に見える体制に惑わされるのは、愚か者の証だ。 ここに張り巡らされているのは、警邏や歩哨だけではない。むしろ、彼らはおまけだ。 一部の隙もなく、容赦なく、どこまでも繊細に宮殿を覆う魔力。 それが真実の神殿の鉄壁の守りだ。 ネズミや鳥などの小動物だって、その探知網をくぐり抜けることはできないだろう。いわんや、人間も。 「ここまでの警戒とは……」 凄まじい。 否、何よりも恐ろしいのは。 この魔力が単一である事。 魔力には個性がある。似た魔力はいくらでも存在するが、まったく同じ魔力はありえない。魔法兵団での攻撃紋章術のように要となる一人に魔力を集め、術を行使するという方法もあるが、その場合の魔力はどこか雑然とした気配というか、はっきりとした個を感じられなくなる。「ああ、一人ではないんだな」と感覚的に分かるものだ。解放軍で揮われていたササライやヘリオンの魔力をリンは思い出す。 そして、それとこことは全然違うのだ。 唯一人が支える結界。明らかに感じとれる。この魔力の主がヒクサク。<円>の紋章の継承者。謎多き独裁者。 「あの男の取り柄は魔力くらいじゃ。これでも有事の際の余力程度は残しておろう、かわいげのない事に」 さらりと恐ろしいことをシエラが補足する。 「おぬしはこのようになろうなどと考える必要もない」 「国を放棄したからですか?」 同じ継承者。建国の英雄。同じような条件を経て、ヒクサクは国を継ぐ事を選び、リンは捨てることを選んだ。 もし。神官長と同じく国に残ることを選んでいれば、リンも守るためのちからとして手に入れなければならなかったのか。 「国一つ程度であれば、必要ない」 うっすらと微笑みすら浮かべて、始祖は断じる。 「ならば」 「妾は先に行って、話を付けてくる。戻って待っておれ」 怪訝な表情で問うたリンを無視して、シエラはばさりとマントを跳ね上げた。手首のブレスレットがきらりと光った。 「許可なくば、足を踏み入れることも適わぬからな」 誰の、とは聞かなくても分かった。 話題を逸らされたことも分かったが、こうなってしまえばシエラは答えてはくれない。行動を共にした数ヶ月で彼も飲み込めていた。それとも、自分の頭で考えろということだろうか。 どちらにしろリンに残された選択肢はない。 棍をもてあそびながら、彼はグレミオの待つ宿に戻ると告げて彼女に背を向けた。 近くて遠く。 神殿の門のところ、求めた色彩があった気もしたが気のせいだろう。 都合良くも、神官将ともあろう彼が姿を現すわけもない。 (疲れているかな) それとも焦っているか。 石畳に八つ当たりすれば、足の裏に響く。痛い。靴底が薄くなってしまったのか。そろそろ新しく買い替えるべきなのかもしれない。 旅路自体は過酷ではなかったが、シエラの特訓はそうではなかった。 解放軍では、主にササライに真の紋章の扱いを教わった。だが、いかんせん戦時下のことである。時間も圧倒的に足りなくて、必要最低限、例えば紋章の制御方法などを押さえただけだった。それを知ったシエラは伊達に800年も生きていないというべきか。継承者として生きていく知識を叩き込んでくれたりしたのだ。 感謝してもし足りないくらいだが、正直、思い出したくはない。 でも、これでようやく会える。 思い出すのは水晶の谷。 抱き起こした親友。 (テッド) おまえが何を本当に伝えようとしたのかは、わからない。色々と考えたけれど、どうしてもわからない。 途切れ途切れの言葉。 宿星戦争。150年。天間星。 繋ぎあわせるにはキーワードは少な過ぎて、満足な物語も作れやしない。 あの最後のお願いの意味。 テッドは何を本当は言いたかったのだろう。 知りたかった。 それはきっと、自分に対してはほとんど見せる事のなかった、300年間継承者として生きたテッドを表しているのだ。 そうして、継承者としての親友を知っているだろう、彼。 気がつけば、既に宿の前まで来ていた。 一階の食堂で所在なさげにしていたグレミオがリンに気がついて柔らかく迎える。 「お帰りなさい、ぼっちゃん」 「ただいま、グレミオ」 隣にいないシエラを探して視線を左右するグレミオに苦笑して、リンは手近な椅子に腰掛ける。 「あ、コーヒー一つ」 「コーヒーひとつですね、かしこまりました。彼女さんはどうなさったんですか?お連れ様も心配してらっしゃいますよ?」 「本命のところにちょっと帰るって。俺は火遊び担当だから」 注文を取りにきた女性を軽くあしらえば、グレミオが泣きそうな顔でぼっちゃ〜んと呟いた。 エプロンのリボンの裾がひらり揺れながら遠ざかっていくのを眺めて、やれやれとリンは溜め息をつく。 「グレミオ、おまえを尊敬するよ」 シエラが吸血鬼で、しかも800歳だと知っていてなお、どこか見当違いな夢を見れていたグレミオはすごいと思う。 まあ、実の息子以上に愛情をかけて育てていた人間が、自分で納得しているとはいえ突然に不老になってしまったのだ。普通の相手では伴侶に迎えることも難しい。そんなときに見た目も釣り合う同じ境遇の美少女が現れたとあっては、期待しないでいろというほうが無理なのかもしれないが。それにしたってすごい。 「でも……」 「だいたい、見かけからしてシエラの趣味じゃないんだ、俺は」 あがくグレミオを諭して、リンはバンダナから零れる髪を引っ張って主張する。 「まあ、そういうことでしたら仕方ないんですが……。ぼっちゃんの方はどうだったんですか?シエラさんはどこへ?」 「俺の実力は問題なくなったけど、神殿に立ち入る許可をもらってくるって」 「許可?」 「うん」 頷いたところで、ちょうどコーヒーが運ばれてくる。笑顔で礼を述べると、十分に距離が離れたのを見計らってからくちを開いた。 「ヒクサク神官長に、直接、もらうって」 「……」 「グレミオ?」 「……」 「ああ、グレミオのそういうところ、好きだなあ。俺は大きくなったらグレミオと結婚するよ」 「いいいいけません、というかできませんぼっちゃんけっこんは!」 「冗談に決まってるだろう」 瞬間的に固まっていたグレミオが動けるようになったのを確認して、リンは頬杖をついた。 「それにしても神官長に直接とは俺も驚いたけれどね。色々と飛び交っている噂は嘘、人に会えるほど元気ってことかな」 ハルモニアの主が民の前に姿を現さなくなって数十年。様々な憶測が飛び交っているが、とりあえず、実はもう死んでいるというのは嘘らしい。 あの結界を見る限り、病に倒れて臥せっているというのもなさそうだ。 「早く許可が下りると良いですね」 「そうだね」 早く会いたい。 (ルック) 君はテッドの『何』で、『何』を知っていた? <2007.4.15>
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