奏幻想滸伝
          Idea Idem Ideologie4


「騙されないぞ、まったく。この不届き者めが!!」
 蹴り出されるように、道路に閉め出された。
「ぼぼぼ、ぼっちゃーん」
 肩を押されてよろめいた主の様相にグレミオが抗議の声を上げかけるも、視線でリンはそれを制した。
 溜め息をひとつ落として、門から遠ざかる。
「真の紋章の継承者を騙るなど、二度とするのではないわ!」
 ……嘘じゃないんだけど。
 こころの呟き。
 思い知らせるために紋章のちからをふるってやろうかとの誘惑がないわけではなかったが、それだけのための行為は自分で許せなかった。 制御に自信がなかったというのもある。
 包帯をほどいた右手を眺める。
 乾いた血の色をした、鎌を振り上げる死神。
 親友から継承した真の紋章。<生と死>を司る紋章。
 門にいたのは下っ端だろうから、わからなかったのかと思うが、途中、ひとりの神官が奥へと駆けていったのは見えていた。 おそらく、神官将クラスに……もしかするとルック本人に注進に走ったはずだ。
 それでいて拒否されたということは、正面から向かっても会う意志はないとのこと。
 たしかにそれだけで会えれば、簡単すぎて拍子抜けしそうだ。
 ただ、自分はあきらめるつもりなどない。
 親友の遺志でもあり、自分の意志でもある。
「坊ちゃん、どうするんですか?」
「方法だけならいくらでも考えついてはいるんだ」
 隣から降ってくるグレミオの柔らかい声。
 そう、方法ならいくらでも。
 警備の眼をかいくぐって侵入するとか。
 神官将に取り入って、神殿に入る権利を得るとか。
 目的の人物が外出する機会を狙うのも有りだ。
 宮殿に出入りの商人の護衛役を買って出たっていいし、そういう人物に恩を売ったっていい。
 自分がトランの英雄と呼ばれる身であると、明かすことさえしなければそれでいいと思っている。
 それでも。
 考えつく方法のどれもが、どうもしっくりこない。
「地道に同僚を目指すってのもありか。時間だけはあるし。神官将って他国出身でもなれるものかな、グレミオ」
 ぱ、と横を向いて。
「グレミオ?」
 もう一度、従者の名を呼ぶ。
 隣を歩いていたはずの彼の姿は、いつのまにか十数歩後ろになっていた。
 どうやら誰かにつかまったらしい。
 仕方ないかとも思う。
 この国ではグレミオのような髪は特権階級の証なのだ。リンと並んで歩いていれば、十中八九、黒髪のリンが従者であると思われる。
 苦笑しながら戻れば、青年の背中で隠れていた人影が見えた。
 少女のようだ。
 そう判断したとき。
 彼女と視線があった。底の知れない金。生気を感じさせない、人形のような。
 ぞくりと背中に悪寒が走ったのは、しかし、それが原因ではなかった。
 えたいのしれないまりょく。
 でも、知っている。
 一番しっくりくる表現がそれだった。
 宿している紋章からは真の紋章のような強力な気配や特殊な雰囲気は感じられない。単に、自分が未熟なだけかもしれない。
「坊ちゃん、こちらの方が……」
 リンに気がついて、グレミオが振り返った瞬間だった。
 少女の表情が変わった。くちびるの端から、白くこぼれた犬歯。
 心当たりに彼は従者の名を呼んで、そのまま前へ走る。背負っていた棍へ手をかけた。
「後ろだ!」
 主の注意にグレミオがその場を飛び退いた。鋭い爪が空振った。このタイミングであれば体勢は立て直せないはずだ。 頭でそう判断し、身体は逆方向へと宙で方向転換を計った。
「ほ、勘は良いようじゃ」
 予定していた着地点がえぐれ、白煙がうっすらと立ち上っていた。紋章術による落雷。それも、容赦のない。
 グレミオが少女から距離をとったのを確認する。
 大丈夫だ。あれほど離れれば、巻き込まずに済む。
 関係こそ以前から変わっていないとはいえ、戦闘に関する能力ではリンのほうがはるかに優れている。 そして、どう考えても今の状況ではグレミオは足手まといになりそうだった。
「まさか、こんな場所に吸血鬼がいるとはね」
 棍を構え直しながら、呟く。
 かの有名な神官長のお膝元に、まさか吸血鬼がいるとは考えてもみなかった。また、リンにとって意外なことは、それが少女の姿をしているということでもあった。 どうやら最初に会ったネクロードの印象が強すぎたようだ。
 この吸血鬼を捕らえて神殿に届ければ……。
 ――悪くない。
 じり、と距離を測ったところで、少女はくすくすと笑った。
「そなたのような青二才ではわらわを殺すことなどできぬわ」
 銀の髪が風にそよぐ。
「ましてや、捕らえることなど」
「!」
 言葉と同時。少女が招くように右手を差し出した。何の紋章も刻まれていない白い手の甲。
 なのに。
 リンの右手。包帯の下に隠された紋章がじりじりと存在を訴えていた。
 布の隙間からじんわりと闇の魔力が噴き出してくる。
 少女の紅いくちびるが動く。
「やはり、そなたが<生と死>の継承者か」
 右手を押さえつけて、少女を睨む。
「おまえ、この紋章を……!」
 妖しい微笑が返される。
「欲しいか、か?まったく」
 差し出していた腕を勢いよく彼女は振り上げる。と、それとは逆の手が光を放った。
「短絡じゃな!」
 落雷。
 とっさにリンが後ろへ跳んだ。同時に、さらに前方の石畳に斧が突き立った。雷の軌道が逸れる。
 が、グレミオの機転に感謝できない状況だった。
 首筋に冷たいものを感じる。
 吸血鬼の少女が、ぴたりとダガーを頸動脈に当てていた。
 普通であれば逃げられない。理解しながらも、リンは打開策を探る。相手の体格は少女。紋章は雷鳴。得体のしれないちから有。
 いのちの危機に見舞われながらも動揺を現さない彼の姿に、少女はふっとちからを緩める。
(油断した……?)
 とにかく凶器を急所から外さなければとの思いから組み立てた行動に移ろうとしたときだった。
「まったく……この程度では先代のあやつが嘆くよの」
 それが誰を示しての台詞か。
 はっとリンは顔を上げる。
 あきれの混じった、どこか高慢な少女の表情。吸血鬼、なのだろうが、ネクロードとは決定的に違う慈しみがあった。
「あなたは……テッドの知り合いですか?」
 質問に応えず、彼女は武器を引いた。
「続きは宿が良いな」
 焦げた石畳から立ちのぼる煙に、リンは頷いた。



 高い壁を見上げてリンは歯噛みしたい思いだった。
 円の宮殿の中と外を隔てる壁だ。
 彼が先ほど突破することができなかった、もの。
 ここへシエラが入っていったのは一時間ほど前のことだ。何かを衛兵に見せただけで、彼女はなかへと入っていった。
 真の紋章を奪われた継承者と、真の紋章を宿している継承者。
 どちらもほとんどかわらないはず。
 けれど。
 悔しさを再び起こせば、知らず拳が壁を叩いていた。
「くそ」
(そなたが……真の紋章の継承者がこの国に居れば、あの神官長が知らぬはずがないわ)
(それでも、そなたが放置されているのは)
(その紋章を制御しきれていないからじゃ)
 二十七の真の紋章。扱いを誤れば、種類を問わずに未曾有の被害が生じる。
 だから、万が一に備えて神官長たるヒクサクの居城には入れない。
 ここ数十年ほど、ヒクサクが民草のまえに姿を現さないのは、彼が作り上げている国内の真の紋章同士の絶妙の均衡を迂闊に崩さないためだ。 紋章の共鳴に引きずられた相手が、紋章を暴走させないための。
 特に相手がリンのような未熟な継承者であれば危険は増すというもの。 ヒクサクにとって他人が持つ真の紋章への干渉など難しいことではないが、危険と利益とを天秤にかけた結果、リンを捨て置くことにしたのだろうと彼女は告げた。
 そして、それに納得してしまった自分が腹立たしかった。
 叩きつけた拳の痛みごと握りしめる。
 絶対に、この中に入ってやる。
 シエラの出した条件をのめば、時間はそうはかからないはずだ。



「……死んだらどうするんですか」
 憮然としながら、ルックは目の前の女性を睨みつけた。だが、険しい視線もどこ吹く風と、雷鳴を放った吸血鬼の始祖は笑うのみ。
 まったく、書類を届けに来ただけであるのに、なぜシエラがここにいる。
「勘が良くなったの」
「実戦で鍛えたからねえ」
 感心するシエラにヒクサクは自慢げにのたまう。
「やはり獅子は我が子を千尋の谷に落とすという諺は正しいと」
 ……結局は自画自賛であった。
「実戦とはどこぞへやりおったのか?」
「赤月帝国……今は、トラン共和国か」
「ほほ。それはまた遠くへ」
 まあ、転移の術式さえどうにかなれば距離など関係ないが。
「国内ではルックも顔が知られてしまっているからねえ。奇蹟の子だ何だとで、鍛えられるような場所が限られて困ってしまうよ」
「僕のほうはいっこうに困っていませんが。ところで、おつきあいするべきですか?」
 うんざりとした様子を隠そうともせずに書類をの目の前に突き出せば、神官長は渋々と退出を許す。
「まだ仕事中なのだろう?」
「当然です」
 きっぱりと声にして、ルックはシエラにちらと視線を投げた。警戒心丸出しのそれに、彼女は子供をあやすように告げる。
「取って喰いやせぬよ」
「始祖様には前科がありますから」
 思い切り血を吸われた過去を思い出して、ルックは風のように部屋を後にする。
「もう少し腹芸を覚えてくれればいいんだが」
「あやつには似合わんから、仕込むでないぞ」
 これ見よがしのヒクサクの溜め息にシエラは釘を差す。目の前の青年が、性格までもそっくり増殖する未来は楽しくないし、できれば来て欲しくなかった。
 淡々とした物言いからそんな本音を感じとって、ヒクサクは本題を切り出す。
「月の姫。そういうわけで姫の眷属の始末であれば、あのヒヨッコ神官将を貸し出しするが?」
 数ヶ月ほど前から、よりにもよってクリスタルバレーの郊外で吸血鬼がらみと思われる事件が頻発していた。 一般兵には荷が重いが始末できないこともなかったこの件を放置していたのは、ひとえにシエラの存在を考慮してだった。
 シエラは吸血鬼の始祖として、不始末を起こした眷属の処分と奪われた真の紋章の奪還を目的としている。
 騒ぎの中心の吸血鬼が何らかの情報を持っている可能性を考えれば、迂闊に始末するのもまずいと考えたのである。
 だが、そんな説明では被害にあっている住民は納得がいかない。不満は動こうとしなかった神殿へと向けられている。 それを和らげるためには、遅くなったが確かに神官将が動いた、という印が欲しいところであった。
 彼女もそれを理解している。
 が、やんわりと微笑みながら断りの台詞をくちにした。
「せっかくだが、下僕は間に合っておるわ」
「ほう。せっかく鍛えたあの子では物足りないか?……やはり、すぐに死にそうだと」
 低く続いた問いに、シエラは表情を変えない。テーブルの中央、生けてあった薄紫の花を指先で弾く。
「そうは言っておらぬ。少なくとも心境の変化はあったようだから」
 さきほどの、『死んだらどうするんですか』は。
 彼女の知るあの子供であれば、出てこない言葉。
 以前に会った後によく漏らしていた「すぐに死にそう」な雰囲気とは格段に違っていた。
「トランで何かあった?」
 閉塞した円の宮殿内で、少年を変えるような事件は起こらないだろう。なれば、先ほど話題に出ていた土地で何かがあったのだろうか。
 問いにヒクサクは楽しげに喉を鳴らす。
「今まで放置していた暗殺者を片っ端から排除していく程度には」
 分かりにくい肯定。詳細には語ろうとしない。
 こうなってしまっては答えは期待できないとシエラも覚悟したところで、ヒクサクが話題を戻した。
「ところで、間に合っている『下僕』というのは、もしやクリスタルバレーに滞在中のヒヨッコ継承者のことかい?」
「その通りじゃ」
 紋章の扱いも、魔力の制御も未熟なばかりの<生と死>の継承者。理由は聞いていないが、円の宮殿に入りたいと語っていた。
「闇属性の紋章じゃあ、吸血鬼退治のお供としては不合格だと思うがね」
「実戦中の魔力制御の特訓に真の紋章など使わせぬ。烈火でもつけさせる。とにかくあの魔力垂れ流しの状態をどうにかせねば、こちらの紋章も疼いて仕方ないわ」
 身に宿していない状態であれど、真の紋章との繋がりを保っているシエラにとっては迷惑にもほどがある。せいぜい鍛えてやらねばなるまい。幸いなことに、血は美味そうだ。
「私も期待しているよ、月の姫。<生と死>が宮殿に来る日をね」



 きっとそれは、必要なことだと思うから


<2006.10.15>


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