奏幻想滸伝
          臥竜天青9


 靴音も荒く、ウィンディは扉を開け放った。玉座の間に通じるその先には、当然のことながら黄金皇帝が物憂げに収まっていた。
「どうした、ウィンディ?そのように顔色を変えて」
「陛下!」
 護衛が控えているために体裁を整えて女は呼びかけた。もし二人きりであれば、呼び捨てにして、しかも罵る勢いが抑えられていた。
「何故、空中庭園に反乱軍の手の者を入れたのです?!」
 乗っていた竜ごと撃ち落としてきたとはいえ、黒竜蘭を奪われた。賊自体は仕留めたとは思う。
 しかし、問題はそういうところではない。
 竜騎士、それも見習いがやすやすとグレッグミンスター城に侵入し、かつ皇帝がそれを見逃した節があるという、そこだ。
 ブラックルーンを宿しながら、どうしてこうも裏切るような真似をするのだ。
 帝国将軍も、皇帝も、あの元継承者も!
 やり方は間違っていないはずだ。
 彼女は確信していた。
 人間のこころは移ろうもの。いくら声高にハルモニアとの敵対を叫んでいたとしても、自分の望みが果たされるのであれば裏で手を結んだりする。 あれほど相容れないと主張していたのに、どうしてと思うほどにあっさりと。
 そうやって裏切られた幾度の経験から、彼女はブラックルーンを生み出した。
 絶対に自分を裏切らない存在を作り出した。
 それのどこがいけなかったのだろう。
 まだ、ブラックルーンの力が足りないのだろうか。
 もっともっと、支配力を強くしなければいけないのだろうか。
 だが、わがままなことにウィンディは完全な人形が欲しいわけではない。命令を下さなければ一挙手一投足も動けない人間など、邪魔なだけだ。
 冷たく彼女は男を眺める。
 やがて、気怠く男は口を開いた。
「そなたはおかしなことを申す。竜洞は我が赤月帝国の盟友。その危機となれば援けるは道理であろう?」
「竜洞は反乱軍と通じております!陛下はみすみす敵に塩を送る真似をなさったのですよ」
「そのような報告は私は受けていない」
 断じられて、ウィンディは愕然とした。たしかにその通りだった。
 もとから彼女は竜洞は味方として引き入れられると勘定していた。もちろん、竜を眠らせたことについては伏せておいた。 卑怯な恐喝を用いたなど周辺に知れれば、国の格が問われる。 あくまで自発的に新たに同盟を強化するつもりで、その段階になってから皇帝に話を持ちかけるつもりでいたのだ。
 ウィンディの画策を知らぬ皇帝がとった行動は、彼としては当然のものだった。
 責めるべき相手を間違えていたことを悟って、ウィンディは立ち尽くす。世界からいっさいの色彩が抜け落ちた。
 これは自分の失策。自分の過ち。今までの方法はもう通用しない。ブラックルーンに頼る方法では、負ける。
 無意識が囁きかけた。
 意識が拒絶した。
 これは自分の失策ではない。皇帝が人形としてまだ完成していないからだ。もっともっと今までの方法を強化しなければ。ブラックルーンをもっと強く。
 女の内で相反するふたつの声がぶつかり合う。無意識/意識が拮抗し。
 世界に改めて色彩が満ちる。
「陛下」
 零れ落ちるそこに迷いはない。
「竜洞は反乱軍と手を結びました。これは我が国への裏切りかと」
 ひたすらに冷厳に、玉座の間に声は割れる。
「つきましては、竜洞への抗議と帝国へ逆らう者は誰であろうと容赦はせぬという見せしめに、グレッグミンスターに常駐しております竜騎士たちの処刑を」
 言葉ひとつひとつに魔力を込める。言霊。ブラックルーンの支配で縛る。
 彼女に一寸たりとも逆らえないように。
 しばらくの間があったが、皇帝は確かに頷いた。
「うむ……他ならぬおまえが、それを望むのであれば」


 すべての指示を終えて、ウィンディが仕事部屋へ戻ると、影に溶けるようにして少年が佇んでいた。
「……ルック」
 そういえば、帰還のための<門>を開いてやってから放置していた。黒竜蘭の騒動があったから、忘れてしまっていたのだ。
「ただいま戻りました、ウィンディさま」
 台詞はいつもと変わらないようだったが、どこか微妙に違和感を感じる。喉に刺さった魚の小骨のような代物だったが、気になりすぎる前にルックが言葉で流した。
「本日の任務はもう終わりですよね?自室に戻ってよろしいでしょうか?」
「え?ええ、構わなくてよ」
 ルックは丁寧に腰を折り、扉へとむかった。
 あえて彼女の顔を見ないようにしている風情に、ウィンディは思い当たる節があった。
「ルック」
「なんでしょう?」
「おまえは怒ってはいないのかい?」
「何にです?」
 少年の足は止まった。だが、こちらを振り返ることはなかった。
 華奢な背中に女は質す。
「テッドを使ったことによ」
 いくらルックがその年齢にしては弁えているとはいっても、まだまだ子供だ。テッドと見かけの歳はいくらも変わらなかった。情が移ってもおかしくはない。
 あのようにテッドを使った彼女に対して、場違いな怒りを覚えているかもしれない。
「どうしてそこで僕が怒らなければならないのです?」
 数秒の沈黙の後、ルックが振り返った。緑の視線はいつもと同じで澄んでおり、いつも以上に挑戦的でもあった。
 笑みのかたちのくちびるから音が紡がれる。
「彼は元からああいう風に使うおつもりだったのでしょう?でしたら、ウィンディさまは当然のことをしただけではないですか。第一」
 淀みない連なりは、ウィンディの意識を押し上げる。
「最善を尽くしたウィンディさまを責められるわけがありません」
 では、と改めて頭を下げると少年は出て行く。
 残された女のなかで言葉が回る。刷り込みのように。
 最善を尽くした。
 最善を尽くした。
 そう、自分は間違っていない。
 ウィンディは微笑んだ。
 まったく、その通りだ。
 自分は一体、何を悩んでいたのだろう。
 この道を進むのだ。それしか、目的を果たすための道はない。



 一歩一歩、足を進めるために繰り返す。
 ごめん、ごめん、ゆるして。
 くるくると落ちる謝罪は、空気を揺らすこともない。ただ、ルックの中で完結している。
 よくもまあ、演技とはいえあんなに酷いことが言えたものだと自分に吐き気がする。
 あんな暴言に対してでも、テッドは笑いながら手を振るだろう。立っている者は親でも使えって言うだろう?おれくらいで役に立つんなら、じゃんじゃん使えって。
 それはルックの願望に過ぎない。本物のテッドであれば、絶交されてもおかしくないような気もする。
 それでも。
 決めたから。
 道をいけば、辿り着く部屋の扉。
「ただいま」
 返事がないのは、奇妙な感覚だった。ぬくもりの欠片のない空気。
 独りきりの部屋。
 改めてテッドが勝手に作った戸棚をまじまじと眺めた。どうやって手に入れたのか予測もつかない雑多な品。
 溢れ出したそこに、一枚の札を見つけてルックは手を伸ばした。火炎の札だった。いったいどうやってこんな貴重で物騒な物を拾ってきたんだか。
 ちょっとだけ悩んで、ルックは動き始めた。テッドが使っていたシーツに彼のコレクションの大半を突っ込んでくるむ。 ただし、マクドール家からいただいてきたティーカップなどの特に思い入れの深そうな物は自分の机へと動かした。
 そのまま包みに札を貼付けると、窓を開けた。
 夜の澄んだ風が頬を切っていく。まるで、本当にいいのかと愛し子を責めているようだった。
「いいんだよ」
 言うと同時。
 窓から包みを差し伸べて、躊躇いなく。
 落とした。
「焼き尽くせ」
 魔力のキーワードに反応して、札が発火する。一気に炎に包まれると、落下しながら灰となる。風が天へとさらっていく。
 あれはテッドのだから、返したかった。
 感傷だろう。間違いなく。
 テッドの魂は<ソウルイーター>のなか。天に還るわけがないのだから。
 それに、ウィンディの支配下にあるあの城に縁のものを残して置きたくなかったのもあった。
 いつかルックも彼女から離れる。そのとき、残していくのが嫌だった。
 それくらいなら、いっそ。
 強い瞳で夜空を見る。
 篝火に隠れて輝く星。
「あんたの代わりに僕が見てるから」
 この国の行方。ウィンディの結末。リン=マクドールの未来。
 誰よりも因縁の深かったテッドの代わりに、自分が見届けよう。決着を。
 その代わりに。
「あんたもそこから見ててよ。……あんたに叶うかどうか」



 竜洞騎士団と解放軍の同盟が成立。
 これに抗議の意味をこめて、皇帝バルバロッサの命に従い、宮廷魔術師ウィンディが帝都に駐留していた竜騎士数名を処刑した。 その方法は容赦なく冷酷で、暴虐に慣れた帝国の刑吏でさえも顔を背けたと伝えられる。
 これを機に竜洞は長年にわたって蜜月を築いてきた赤月帝国と完全に対立することになる。


 道は完全に分たれた。


<2005.12.11>


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