臥竜天青7 |
黙り込んだまま動こうとしないテッドを苛ついたウィンディがけしかける。 「何をしているのかしら?テッド。はやく<ソウルイーター>を取り戻していらっしゃい」 命令に、テッドが軽い足取りで進み出た。解放軍の面々は緊張したように武器を構えたが、リンは姿勢を変えることはなかった。 「テッド……」 「やあ、リン。久しぶりだな。元気そうでなによりだよ。そうそう、おまえに預けていたそれ、返してくれよ。それがないと困るんだ」 リンの視界はすでに戻っている。 にもかかわらず、目の前で作り物の笑顔を浮かべるテッドと二重写しになって何かを伝えようとしている親友の姿がある気がしたのだ。 本物のテッドは<ソウルイーター>が近くにあることで、先ほどのような芸当をしてくれた。テッドがごちゃごちゃ言っていたが、もちろん、諦めるつもりなんてさらさらない。 <ソウルイーター>が近くにあれば問題ないのであれば、ずっと一緒にいればいいだけだ。気絶させて、担ぎ上げてでも連れ去ってやる。 考えて、閃く。 そうか。 「わかった、渡そう」 ゆるりと右手を持ち上げる。 「ふふ。ものわかりがよくなったじゃないの。さあテッド、紋章を取り戻すんだよ」 女の声。 「坊ちゃん!」 「リーダー!」 クレオとフリックの慌てた声。 構わずにいつもは外さない包帯をするすると解いた。 陽にさらされる深紅の紋章。 ウィンディに見せつけるように差し伸ばし。 本物のテッドが口を笑みにした。 彼の手が差し出された手をとり。 次の瞬間、テッドを中心として闇の魔力が膨れ上がった。 「な」 予想外の事態に、とっさにウィンディはテッドに宿したブラックルーンの支配のちからを強めようとし。愕然とする。 彼女に対してテッドが右手の甲を掲げていた。そこには、なにも刻まれていなかった。只人と同じ、空の手。 これにはリンも驚いた。こんな裏技があるのであればどうして先ほど、あれほど躊躇ったのか。 「悪いな。<ソウルイーター>のちからで吹き飛ばさせてもらった」 「なにを……。そんなことをしたら、お前は」 ウィンディを遮って、テッドは強く続けた。 紋章学の本などでは知ることのできない、彼が<ソウルイーター>と生きた経験。 リンに伝えること。 紋章の意志。 呪い。 最大の呪い。 「おまえは、その主人のもっとも近しい者の魂を盗み、ちからを増していく!」 吐き出される真実。 じゃあ。今まで、オデッサは。グレミオは父上は。 リンの右手に。 ずしりと紋章が重くなった気がした。肯定されている、と。感じた。 だいたい、この期に及んでテッドが嘘をつく理由がない。どうやったって真実なのだ。 「テッド!何をしているの、はやく<ソウルイーター>を」 動かないリンを見届けて、ウィンディが叫ぶ。 彼がブラックルーンの支配下にない今、命令しても無駄だということは、目の前にぶら下げられたエサに完全に抜け落ちてしまっていた。 自ら奪いに行くとの選択肢も思いつかないらしい。 金切り声に、テッドは彼女を振り返った。清々しい顔をしていた。 彼女の乱れた顔を見て、ほんの少しだけ哀れむような視線を向け。 リンに向き直る。 「<ソウルイーター>の近くにあることが、おれに力を与えてくれた。ほんの少し、からだを自由にする力を……。さあ、<ソウルイーター>!」 テッドが声を張り上げた。 最後の宣戦布告。 「かつての主人として命じる!今度はおれの魂を盗み取るがいい!」 自慢ではないが、新たな主人の一番の親友。これ以上のエサはないだろう! 命綱のブラックルーンは破壊した。あとは尽きるだけの命。崩れるだけの肉体。 命じられるのを待っていたように、リンの右手から闇が溢れるのが見えた。 テッドの言葉に呆然としていたリンがなんとか留めようと右手を抑える。 だが、甘い。それの扱い方なんて、三百年もともにあった自分の方が長けている。 死神の鎌が、確実に自分の命を刈り取るのをテッドは感じた。 途端に、体中から力が抜けた。支えること叶わずに、地面に落ちる。受け身をとる余裕も当然なく、叩き付けられる痛み。それもどこか遠く。 視線だけはリンをしっかりと捉えて、テッドは吐き出す。 「そうだ……それでいい……。自分の……自由にならない命なら……おれはそんなものは……いらない……。 三百年ものあいだ……おまえが……引き延ばしてきた……命を……、返すぞ<ソウルイーター>」 満足だった。 自分の魂を喰らった<ソウルイーター>も満足したのか、安定しているようだ。さんざん迷惑をかけた分くらいは役に立っただろうか。 その場の誰もが呆然としているなか、最初に我に返ったのはウィンディだった。<門>に魔力を込め始めている。 「くっ……なんてことなのかしら!こうなったら」 させない。 見とがめて、テッドは思った。しかし、自分がどうにかできるものではない。力尽きて倒れているだけの身に何ができるだろうな、<ソウルイーター>。 自嘲気味に呼びかけて、目を見開く。 テッドに応えるように不自然な動きでリンの腕が掲げられていた。そこから溢れ出た<ソウルイーター>の魔力が新しい主を守るように結界を形成していた。 ウィンディも気がついたのだろう。魔力を攻撃ではなく開門へと向けた。 蒼のローブを翻す。 「忌々しい。いつか必ず私のものにしてやるわ」 現れたときと同様、彼女は光の輪の中に消えた。 女の気配がなくなり、テッドはほっと息をついた。 守りきった。 紋章は守ったよ、じいさん。じいさんの言った通り。 それにしてもリンは大丈夫かね。もう姿勢を変える体力もないんですけれど、おれ。 だんだんと思考が散漫になってくる。 視界に広がるのはどこまでも抜けるように青い天。晴れてどこまでも高い。 地下牢でも拷問部屋でもなくて、こういうところで死ねるのも日頃の行いが良いせいに違いない。 何羽かの鳥が頭上をくるくる旋回している。自分が死んだら食べようとして狙っているのか。でもあれ、そういう種類のじゃないよなあ。 ……ああ、ルックの使ってるやつらか。真の<風>の継承者だけあって、あいつ、やたらと鳥になつかれるし。 そういえば、この谷の裏にいるんだっけ。このおれの有様、鳥から聞いたら、どうするかな。 あいつのせいじゃないんだし、泣かないでくれるといいんだけど。でも、泣いてほしい気もする。 それにしても空が青い。 不意に視界が傾いだ。抱き起こされている、と認識したのはリンの顔が目の前にきてやっとだった。どうやら、もう本当にダメらしい。 リンの表情は強張っていた。わななくくちびるが何度か躊躇った末に、言葉を紡ぐ。 「テッド、……もしかして俺のせいで」 自分が主人であるばかりに、<ソウルイーター>はお前を殺した? 「ばあか」 そんなわけないだろうが。 「そんな顔するなよ……リン。おれが選んだことだ……」 もっと言いたい。おまえのせいではないと。自分で決めた想い通りの結末だと胸を張って。 けれども、いくらテッドが言葉を重ねてもリンが納得できなければ意味がなく。それを成し遂げるには長い年月が必要だと、継承者のひとりとしてテッドは知っている。 太陽に水晶が反射したのか、きらきらとした眩しさ。まるで波のように。 まとまらない思考はさらに流れていく。 そういえば宿星絡みだって言ってたっけ。 えーと、おれの星、……なんだっけ。 「そういえばさ……。宿星戦争なんだってな」 「は?テッド、だんだんと言っていることがめちゃくちゃになってるぞ」 「いやさあ……懐かしいね……百……五十年前のおれも……さ」 「テッドくん、気をしっかり保って!」 クレオさん、もう無理だって。長過ぎた肉体は、どうせ砂に還るだけ。 「なあ……リン……」 「なんだ?何でもいいから話してろ」 まるでそうすることでテッドの命が延びるとでも思っているようだ。まったく無茶を平気で言いやがる。 「おまえの……天間星……だれ?昔の……おれの……ほし」 静寂が降りる。 解放軍内の一部では有名だった。姿を現さない宿星。どこの誰であるのか、名前以外はいっさいの不明。軍主しか知らないだろう存在。 「……ルック」 なんだ、あいつか。 返事は言葉にならなかった。 道理で構ってやりたくなったわけだ。星回りであれば、彼は弟に違いない。血のつながりも何もないが、同じ星に繋ぎ止められた兄弟。 よかったな、ルック。きちんと選ばれているよ。 かつて天間星であるおれがいたのに。『同じ』だっていうササライもいたのに。星はおまえに宿った。おまえが選ばれている。 もう、過去を引きずる必要なんてないじゃないか。 伝えたいけれど、時間がない。 どうすればいいのだろう。 不意に思いつくのは、死にかけているゆえの荒唐無稽。馬鹿げているが、そうなったらいいという願望。 「……なら、あいつに伝えてほしい」 こぼれた言葉にリンが目を見開く気配があった。 「『それでも星はお前に降りたんだ』……てな。……最後の、お願いだ」 こんな伝言でも、リンが本気を出せば必ずルックに辿り着く。 親友が頷いたのが、震動でわかった。 ほっと気が緩んだのか、ますます思考が溶けた。本当に終わりのようだ。 「リン……今度こそ……本当に……お別れだ……」 手を上げて親友に触れたいと思ったが、鉛のように重くて動かせなかった。 「おれの分も……生きろよ……」 願わくば、友よ。 目を逸らさないことを。 逃げ出さないことを。 立ち止まらないことを。 歩み続けることを。 この目で確かめることはできないけれども。 切に願う。 しばらくの沈黙を破ったのは、ミリアだった。 月下草を手に取って、呟く。 「持って帰りましょう。みんなが待っているわ」 動き出す一行を、鳥がじっと見つめていた。 <2005.12.7>
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