雨往左往3 |
心配のありありとわかる表情で覗き込んでくる親友。 初めて会った時には。そんなに素直に感情を表してそれで宮廷貴族なんてやっていけるのかと、不安だったことを思いだした。 一緒に笑って、暴走して喧嘩して。時間とともに知った彼の本質。 瞳を伏せて、すでに決意を固めている自分を認める。 これから自分がしようとしていることは。 正しいのかどうかなんてわからない。 けれどもテッドは知っている。 この親友が誰よりも信頼に値することを。 想像するよりも、もっとずっと強いことを。 この紋章を宿していながらも、笑っていられる人間であることを。 あまり幸せとは言い難い人生だったけれど、リン=マクドールという人間に出会えたことは。 誰かに殺される前に、自らの意志でこの紋章を託すことのできる人間に出会えたのは。 間違えのない幸運。 迷いは捨てろ。 自らに言い聞かせて、テッドはリンを改めて見つめ直す。 「リン……。迷惑、かけちまった……みたいだ、な」 これから、それ以上の重荷をおまえに課す。 弱々しくも、確かに紡がれる言葉にグレミオが身を乗り出した。 「そんなことよりも、さっきの話はどういうことなんですか?<ソウルイーター>というのは?」 ああ、グレミオさん。あんたの心配は正しいよ。あんたの大切な坊ちゃんに、世界で最大級の呪いを今からかけるのだから。 意識して男の問いを無視する。時間がない。ウィンディは自分の今の身元を知っている。筆頭将軍家という抑制があの女に効くわけがない。 いつ乗り込んできてもおかしくない。 「リン……一生のお願いだ……。お、おれの頼みを……聞いて――くれるか……?」 「なんだい?テッド」 ああ。そんなに簡単に聞くもんじゃないだろ? だけど、それでこそのおまえだよな。 微笑んだつもりだったが、きっと顔は引きつっているんだろうなと冷静に思う。 「リン。……おれの、……右手の手袋を……外して、くれ」 偽りの右手を、暴いて。 雨でごわごわになった手袋がゆっくりと外される。そういえばこいつには火傷があると言っていたんだっけ。当たり前だけど、初めて見せるんだよな。 最後まで、見せたくはなかった。 最後に、教えることができてよかった。 相反する感情の処理は後回しだ。 外気にさらされた手を見て、リンが動きを止めた。視線の先には紋章がある。鎌を振り上げたような独特な形をしたそれは、乾いた血の色に酷く似ていた。 「これは?」 尋ねてきたのはグレミオ。 「まさか」 正体に思い当たったのは、クレオだった。リンももしかすると知っていたかもしれない。 「27の真の紋章?」 「そう……。これは27の真の紋章のひとつ……<ソウルイーター>……」 肯定。 これを受け継いだ日のことがまざまざと思いだせる。すべてが炎の海に消えた日だ。 「こいつが……すべての、始まり……。おれが宮廷魔術師……ウィンディに、狙われたのも……こいつの、せい、さ……」 「ウィンディが?なぜ、そんなことを」 リンが呟く。彼女は既に強大な力を持っている。さらに力を求める理由がわからないのだろう。 おまえはそんな感情、わからないままでいてくれとテッドは願う。 「さあ……目的はわからない……が、あの女魔法使いは……この紋章を……狙っている……だから。 ……おれは、300年のあいだ、世界を放浪して……に、逃げ続ける……はめに、なった……。でも、こんなところで……見つかるとは……運が悪かった……ぜ」 「清風山のクィーンアントを吹き飛ばしたのは、この紋章の力だったのか!」 女戦士の呟きに、テッドは小さく、だがしっかりと頷いた。 視線は親友を見据えたまま。微動だに動かさない。 逆光で、リンの表情はよく見えない。もしかするともう視界が霞んでいるのかもしれない。 あるいは、いつもは意志の力で遠ざけている「あの世界」の姿が映り込んだか。 どちらにしろ、ありがたいと思う。 決心が鈍らずにすむ。 「リン……」 呪いの宿る右手を緩やかに差し出す。この手を取って。取らないで。 「……おれは、この傷じゃ……あの魔女から……逃げ切ることは……で……できないだろう……。 ゆ、友情にすがって……こんな、こと言うのは……あつかましい、こと……かも、しれないし……」 ああどうか。 「と……友に……不幸を……もたらすと……知っていて……それを、するのも……。だけど」 わかっているから。おまえを誰よりも知っているから。おまえならば紋章に振り回されることなく、ありのままに在れるだろうと理解できるから。 見つけ出した唯一だから。 「でも、おれにはおまえしかいないんだ!」 力の入らない手で、袖を握りしめる。 「一生のお願いだ。この紋章を守ってくれ」 選択肢をここまで奪っておいて、それでも切に思う。おまえが選んでくれ。お前自身で決意してくれ。 この紋章を受け継ぎ、守ってきた者としては言葉にできない望み。リンの意志などおかまいなしに本来ならば継承させなければいけないのだ。 そうやってテッドも祖父から紋章を渡されたのだから。 「この紋章を……ウィンディに……渡すわけには、いかない……。だから、おれはおまえに頼むしかない……。お願いだ」 「この紋章を、……<生と死>を司る紋章を受け取ってくれ」 言葉はなかった。 降り積もる雨の音がすべてを飲み込む中で。 リンは笑みさえ浮かべながら、テッドの冷えた手をとった。 それがすべての答だった。 紋章がじわりと紅に染まる。 そうだ、それでいい、ソウルイーター。300年の道連れ。おまえはまったくおれを理解しているよ。 「この紋章は……おまえに……不幸を……もたらすだろう……そのときは、おれを恨んでくれて、いい。 でも……ウィンディにだけは……そ、それを……渡さないでくれ」 赤光が室内に満ちる。闇を押しのける血の色。生命の光。 光がおさまるのと同時に、テッドは名残惜しく繋がれた手を離した。 さらなる脱力感に見舞われながらテッドは右手を目の前にかざした。何もない手は、たしかに大切なものを手放した証だった。 ゆっくりと瞼を閉じる。 終わった。 否。これから自分は自分にしかできない大切な役目を負わなければならないのだ。 かすかな物音を耳が捉える。来たようだ。 ばたんと扉が乱暴に開け放たれる。玄関だ。予想的中。 グレミオとクレオが我に返った。どうやら展開についていけずに呆然としていたようだ。 「見てきます、坊ちゃんたちはここにいてください」 「一緒に行きます、クレオさん」 言葉だけが残されて、部屋にふたりきりになる。 「テッド……」 リンが顔を近づけてきたのがわかった。けれども、さきほどよりも視界が暗い。 どんな顔をしているかなんて簡単に想像がつくけれど、実際には見分けることなんてできなかった。 話すのも億劫だが、それと悟らせないようにゆっくりと語る。 目、きちんと合わせて話せているのか?おれ。 まあ、演技力には自信があるし、大丈夫だろ。 こいつ、聡いから。おれの状態に気づかないフリをしてくれているかもしれないけれど。 「リン、……おれは300年の間……ゆっくり眠ったことがほとんど……なかった……」 「テッド。ゆっくり眠ってろ。300年分。ただ、きちんと目は覚ませよ」 「だな……。それと、リン。紋章はできる限り隠しておけよ」 見つからないこと。継承者が身を守る基本中の基本だ。 「ああ。……ふたりとも遅いな。ちょっと見てくる」 後ろ姿を見届けて、テッドは息を整えた。 近衛隊の追っ手が押し寄せてきたのだ。グレミオたちが食い止めてくれているのだろう。 けれども、所詮は時間の問題だし、なによりも長引くほどに迷惑をかける。 慎重に身を起こすと、途端に激痛が走った。しかし、動けないほどではない。意識を集中して身の内の魔力を探る。 大丈夫だ。紋章に通じていない、それも真の紋章など見たこともない追っ手を引っ掛けるくらいの魔力は残っている。 <ソウルイーター>を継承したばかりのリンは強すぎる紋章の気配を消せない。ウィンディがその気になれば、簡単に親友を手に入れることができるだろう。 そんなことはさせない。 「300年も華麗なる逃亡生活を送ったおれだぜ?大丈夫、信じろよ」 それでも動かない友に向かって怒鳴る。 「早く行け!!」 最後まで、疲れさせないでくれよ親友。 ああ、こんな最後は嫌だけどさ。 紋章の気配が屋敷を出るのを確認し、テッドは口角をつりあげる。 「このテッド様を簡単に捕まえられると思うなよ、腐れ役人!」 *** 「ふうん、そういうこと」 暗く広がった闇にルックは呟く。 黒いマントを羽織っているだけで土砂降りの雨にたたずむ彼はまったく濡れていない。やわらかい空気の膜が、すべての水滴を弾いていた。 同僚の魔法兵たちは雨の中をかけずり回っているのだろう。ご苦労なことだ。 そんな非効率的なことをしなくても、紋章に語りかければすぐに居場所など知れるというのに。 自然に浮かんだ考えがこころの底をひっかく。 それに気づかなかったフリをして、やりすごす。 <生と死>の継承はなされた。誰に継承されたかどうかはわからないが、初心者らしくまるで気配を隠していない。 前の継承者がカモフラージュに気配を前面に出しているが、それもどこまで保つことか。 (あの女が<生と死>を手に入れられるわけがないけど) 念には念を、という言葉がある。万が一を阻止しておくのも重要だ。 性根の腐った役人が数人死んだところで問題はないだろう。そもそも、自分はこの国の人間ではないのだし、駆けつけるのが少々遅れても構わない。 要はタイミングだ。 瞳を閉じて、自らの抱える紋章を呼ぶ。身体の奥から引きずり出す。 同時に<生と死>の気配を追うことも忘れない。新しい継承者がどのような行動に出るかは知らないが、できるかぎり追っ手から引き離さなければ。 (適当に、数カ所に跳んで気配を残しておくか) それでも捕まるようなら、よほど運が悪いのだろう。 まあ、そんなことになったなら。 (僕が<門>と<覇王>と一緒にまとめてハルモニアに持って帰るけど) マクドール家にて問題の人物を発見したとの報告を受け、ウィンディは立ち上がった。 「じゃあ、行ってまいりますわ」 談笑していた皇帝に一言断りを入れる。 茶器を傾けていたバルバロッサはいぶかしげに彼女を見上げた。 「なにも、そなたが行くことはなかろう。他の者に任せればいいではないか」 「相手は近衛兵に重傷を負わせた魔力の持ち主ですわ。 ソニアさまがいらっしゃればまた違いますけれど、今、この国で一番の魔力を持つわたしが行かなくてどうするのです?」 下手なものを出せば、逆に逃げられてしまう。 外出用のマントを羽織り、逸る気持ちを抑えながらウィンディは城を飛び出した。 城下の数カ所に、自分の持つ真の紋章の気配を残存させてから、改めてルックは屋敷の前に降り立った。 すでに現在の<ソウルイーター>の持ち主の気配は遠い。いるのは、前の宿主とそれにだまされている近衛兵たちだけだ。 背後に視線をちらりと流す。 <門>が動く気配がした。ここ数カ月でなじんだ魔力はウィンディのものだ。 やはりというべきか、他人に任せておくわけにはいかずに直々に出てくるつもりなのだろう。 そろそろ行動を起こせば、ちょうどよく事を進められそうだ。 どうせ紋章を手放して、長くは保たない命だ。 だったら、せめて自分と世界のために役に立てばいい。 無表情に、少年は一歩を踏み出した。 <2004.11.17>
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