暗中模策5 |
「皇帝バルバロッサ。真の紋章を身体に宿しているわけではないあなたには僕がどういう状態かはわかりにくいかもしれない」 ルックは続ける。カップの紅茶の残りは、乾いて底に茶色い輪を作っていた。 「そうだな、私はそれほど魔力が強いわけではない。しかし、非常に不自然なだとはわかる」 「そして、その状態をできる限り早く解消しなきゃならない。そのために、竜王剣が使えるかを知りたい」 単刀直入にルックは会話を重ねた。 ふむ、とバルバロッサは顎をなでた。考え込む仕草に、ルックは沈黙で待つ。 「<覇王>の力が役に立つかはわからぬが、ハルモニアで調べればまた何か新たな発見があるかもしれぬな」 もともとこの紋章はハルモニアより持ち出されたもの。代々ルーグナー家が引き継いできたが、この国では畏敬の対象となるばかり。 詳しくどのような力があるかはほとんど明らかになっていない。 「どうせ、我が血も絶えるのを待つばかりだ。私に子はなく、<覇王>が好むような人間もこの国にはいないであろう」 すでに敗北を受入れている発言に、ルックは埋めようもない遠さを感じた。 こんな。 こんな皇帝のために、テオが死んだのだ。陛下の意に添うと断言した将軍。 彼はバルバロッサの真実を知っていたのだろうか。 ウィンディの望みを叶えるために、彼女を最後まで見届けるために降伏しないなんて。それまでの短くない期間にどれほどの血が流されることか。 国と独りの女とを天秤にかけて。唯一の存在をとる彼をルックは理解することができない。 言い返すこともできずに、密やかに重ねた手を強く握った。バルバロッサはルックの返事を待っているのか、それ以上続けようとはしなかった。 停滞しかける時を動かすように夏の匂いを含んだ風が過ぎる。涼やかなはずなのに、なぜか嫌な汗を誘う。 凝視するほどに居心地が悪くなる。最初に感じた、すべてを受入れるような、という表現が塗り替えられる。受容するのではない。咀嚼もせずに呑み込むのだ。 出会ったことのない種類の人間。分類できない。気持ち悪い。ここから逃げ出したい。 なんとかして絞り出した言葉は虚ろに響く。 「だったら、僕が<覇王>を貰い受けます」 「ああ、好きにするといい」 打てば空々と響く。 耳に言葉を拾って、ルックはすぐさま立ち上がった。 彼と同席している事自体が苦痛だった。 いちおうの演技を忘れない程度の早さで部屋を後にすると、人気のない部屋に飛び込んだ。 扉を閉めると、糸が切れた人形のように床に膝をついた。絹でできたドレスの布地を裂く勢いで掴む。 深呼吸を幾度か繰り返す。どうにか心を落ち着かせる。 首尾よく<覇王>を持ち帰る言質を得たが、気分は最悪だった。 最後に大きく息を吐いて立ち上がる。 見渡せば今は使われていない部屋のようだった。ちょうどいい。しばらくここで休ませてもらおう。 夕食の席はウィンディとして再びバルバロッサと顔を合わせなければいけなくなる。 それまでになんとかして繕う方法を考えなければ。 思考を巡らせたところで、胸元に落としていた指輪から魔力を感じた。こんなときに、と思うが相手は主である。無視はできない。 「なんですか、ヒクサク様」 やや乱暴に鎖を引っ張り出すとルックは声を荒げた。どうせ誰も入ってこないし、ウィンディも城にいない。苛立ちも手伝って声は大きくなった。 「いや、バルバロッサをどう思うかと聞こうと思ったんだがね」 笑みを含んだ声が鼓膜を震わせる。 「どうやら聞くまでもないようだ」 「……わかっているならなんなんです」 理解不能。きもちわるい。 先ほどの印象がぶり返して刺々しくなる。いくらヒクサクが自分に甘いと知っていても、これは甘え過ぎだと心の声が聞こえた。 「正直、あれほどまではなくても、それに近いようなのをお前には見つけて欲しいと思っているんだけどね?」 なんのことかと問うまでもない。 ルックには常にヒクサクに言われ続けていることがある。世界を考えて決着を急ごうとする彼を押しとどめるためにヒクサクが出した条件。死ぬための条件。 「必要ありません」 すっぱりと捨てるルックにヒクサクは微笑ましいといわんばかりの声を伝えてくる。 「友人など必要ないと言っていて、今は<生と死>の元継承者殿がいるだろうに……」 やれやれと肩をすくめている様子が想像できてしまう。 確かにハルモニアにいた頃に常々そう告げていた記憶があるので、テッドの件についてはどうしようもないかもしれない。 が。 「それはそれです」 「強情なことだ。まあいい。くれぐれも情に流されて試験を放棄しないように」 最後の最後で釘を差して、ぷつりと音声が途切れた。こちらから呼びかければ通じるが、子供っぽい平行線をたどる会話を続ける気は起きなかった。 「言われなくてもわかってますよ」 最優先の任務はウィンディの真の紋章を持ち帰ること。忘れるほど愚かではない。なのに言うに事欠いて、放棄するな?しかも、『情に流されて』? ウィンディに同調してしまう部分があるのはルックだって承知している。だからといって、本分を忘れるだなんてありえない。それこそ、彼女に対して失礼だと思う。 全力でハルモニアに対抗するウィンディに情けをかけるならば、行動として全力でハルモニアとしての態度を貫くべき。 そんなルックの思考回路くらい知り尽くしているだろうに。 何を言っているのだろう神官長は。 隠された意味が在るのだろうと予感しつつも、ルックは正体に届かなかった。 どうせいつものことだ。大概にしてその場にならなければ、彼の真意に触れることはできない。 そちらについては待ちの態勢に入りつつ、ルックは別の方向へと作戦を展開させていく。 議題はもちろん、いかにしてバルバロッサを躱すかであった。 ウィンディが帰還したのは予告通りの三日後。 隠そうともしない不機嫌さであったが、ルックにとってはやっと皇帝から解放される安堵が勝っていた。 久しぶりの階段の感触を確かめた先にある扉を開ける。 「……テッド?」 部屋の中にかすか残る闇の魔力にルックは訝しげに問う。 自分がいないあいだに何があったのか、何をしていたのか。 寝台に腰掛けて両足をぶらぶらさせていたテッドはそれには応えなかった。 「お帰り」 「何をしていたの?」 「ちょっと秘密の特訓を。ウィンディ、戻って来たのか」 「うん」 曖昧にはぐらかされるが、ルックもあえて深く知ろうとは思わなかった。法衣を脱ぐと椅子の背にかける。 かつてないほど精神的に疲れてしまっていて、さっさと寝てしまいたかった。ウィンディの身代わり状態では、満足に寝ることもできなかったのだ。 と。 服をかけた拍子。衣擦れとは違う乾いた音を耳が拾った。気になってポケットを探ると、折り畳まれた紙片が出てくる。 別れる前にテッドにもらったメモだ。彼が借りて来て欲しい本の一覧。 「ごめん、さすがに借りれなかった」 思っていたよりもウィンディの生活は多忙なもので、ゆっくりと図書館を探すヒマなどなかったから。 「あ、別にいいや」 「そう?本当に読みたいなら今からでもどうにかしてやってもいいけど」 「いや、本当にいいから。よくよ〜く胸に手をあてて考えたら必要なかったし」 やっぱり天才は最小限の知識で正解を導くのだな。 大げさな仕草にルックは疑いの眼差しを送ったが、結局はあきらめた。どこか、普段のテッドとは違う気がしたが、それがどうであるとははっきりと言えなかった。 今はおかしな消耗の仕方をしていることだし、自分の気のせいだろう。 「それよりウィンディが戻って来たんだろう。どうだった?」 「不機嫌の塊。何もこっちに話さないってことは失敗したってことだろ」 彼女の性格ならば。うまく事が運んでいれば聞かなくても教えてくれる。機嫌だって、言うまでもなく良いはずだ。 抑えきれずに漏れ出した乱れた魔力の影響で、体調までどこかおかしい気がする。もうさっさと眠ってしまおうと、そのまま倒れるようして天井を眺めた。 そんなルックを楽しそうに覗き込みながら、テッドが爆弾を投下する。 「おまえは疲れてるみたいだな。三日間も女装してればそうなるか」 「当たり前だろ……て」 すでに寝台に沈ませつつあった身体をがばりと起こす。噛み付かんばかりの勢いで言葉を叩く。 「あんたがなんで知ってるんだよ!」 教えてなかったはずなのに。 危うくぶつかりかけた額を退いて、テッドがにやりと頬を歪めた。 「この三日間のテッド君の冒険の軌跡を教えてあげようか、少年よ」 「い、いらない!」 知りたくもない。聞いてはいけない。これは確信。だいたい、テッドが本当のことだけを話すわけがない。 あることないこと、それはもう真しやかに騙してくれると予想できる。 「ほら、遠慮せずに」 「いらないって言ってるだろ!」 企む表情のまま顔を寄せるテッドを躱すため、たまらずルックはシーツを被った。みの虫のような状態で、さらにしっかと両耳を塞ぐ。 だだをこねる子供そのものの様子に、微笑ましいとテッドの目が緩んだ。もっとも、ぐるぐる巻きのルックには見えるはずもなかったが。 ふっと、それが翳る。見られていないとわかるからこそ、零れる感情。 頭があるとおぼしき位置に、そっと手のひらを置く。ぴくりとシーツが固まるのが、また。 こころでだけ、溜め息。 少しでも声帯が空気を震わせてしまえば、風と大気の頂点に立つ少年にはすぐに知れてしまうだろう。 だから。本音、言葉にしたいのをぐっと堪えて。 ごめんな。 彼の最後の幕が開く。 <2005.9.18>
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