暗中模策2 |
「よく来てくれたね、嬉しいこと」 現れたふたりの異形をウィンディは両腕を開いて迎えた。 「そちらから呼び出しておいて何を言う」 「ウィンディさまのお呼びとあれば、いつでも馳せ参じましょう」 対する態度は対照的だった。しかし、付き合いは百年を軽く越える。彼女も今さら細かいことは気にしない。 「さて、風の噂では麗しき門の魔女殿が赤月帝国をその手に治めたとうかがいましたが?」 ネクロードが機嫌良さそうに喉で笑った。ユーバーはといえば興味なさそうに椅子にどさりと沈んでいる。 「あら、情報が足りなくてよ」 ウィンディも微笑む。 「ねえ、覚えているかしらね。三百年も前になるか、この面子で村をひとつ襲ったろう」 「覚えていますよ。あれは素晴らしかった。そして悔しかった」 「そう、一番の目的を手に入れ損ねたんだわ」 ウィンディの声には微塵も暗い調子がない。どこか満たされた口調にネクロードは口角をつり上げた。 「なるほど。さすがは貴女だ。あの<ソウルイーター>を手にしたと見える」 「ふん」 それまで興味のなかった男があざ笑った。 「ここにあの忌々しい紋章はないぞ。それは『かいほうぐん』とやらの人間が持っていると聞いたぞ」 「あら、お前にしては調べてきたのね」 殺戮にしか興味を示さない異形の言葉とは思えなかった。 「おまえのことだ。かいほうぐんとやらのアジトに俺を送り込むつもりではなかったのか?てっきり皆殺しにしてこいという用件だと思ったぞ」 「違うわ。もっと確実な鍵を手に入れたのよ」 区切ると、ウィンディはドレスの裾を翻した。部屋の壁にかけてあった鏡に触れる。ちょうど指を突いた部分から水面のように波紋が生まれ、ぼんやりと映像を結ぶ。 次第に輪郭が鮮明になり。くっきりと茶の髪を持った少年の姿を映し出した。 「見覚えがないかい?」 「いいえ……いや」 否定し、しばし考えてネクロードはさらに否定した。血なまぐさい話題がなくなったせいか、ユーバーは再び興味を失ったようだ。 「たしか、あの村で見ましたね。もう少し幼かったように記憶していますが」 「そう、あの忌々しいじじいの孫だ。そしてついこのあいだまで<ソウルイーター>の継承者であった人間だよ。 今はあの紋章の代わりに私のブラックルーンを宿しているけどね」 それだけ聞けばネクロードにも理解できる。 「とても有効な手段ですね」 「そうでしょう?」 ふんわりとウィンディは微笑む。 ネクロードが問いを重ねた。 「でしたら、何故わざわざ我らを呼び出したのです?新しく手に入れた人形を使って、さっさと手に入れてしまえばよろしいのに」 「ネクロード」 女が吸血鬼の名を改めて呼ぶ。 先ほどまでの雰囲気はそのまま、だが瞳の色彩だけを極寒の憎悪に染めた顔が壮絶な美を持つ。 「私に意見する気かい?」 「いいえ!」 反射で吸血鬼は応えた。そもそも、ネクロードは真の紋章の継承者ではない。その時点で、ウィンディに決して敵わない。 今にも跪きそうな勢いの男を眺め、彼女の指が鏡を離れた。結ばれていた像が魔力を失って乱れて消える。 その指をそのまままっすぐ、ネクロードに突きつけた。 「ロリマーに行っておいで」 「……」 無言の相手に構わず、彼女は続ける。 「ロリマーで好きにしてくるといい。そうすれば反乱軍もそっちで手一杯になるでしょう」 一方的な命令。傲慢ともいえるウィンディの態度だが、ネクロードは反発するでもなく承諾の意を表す。 一礼すると、黒い蝙蝠へと変化した。そのまま開いていた窓から飛び立っていく。 「ユーバー」 視線だけで見送って、踵を鳴らしながらウィンディは長椅子へと近づく。 がしゃりと金属音を立てて、男が首だけを動かす。 「おまえはクワバの城塞よ。どうやらこの頃、反乱軍へ逃げ出そうという不届き者が多いらしい」 「殺すか?」 「ええ」 ひとりの脱走兵は十人、二十人の脱走者を生み出す。放っておくわけにはいかなかった。 「私たちに逆らえばどうなるか、見せしめとして徹底的におやりなさい」 「俺は殺せればなんでもいい」 ウィンディの言葉を聞いているのか、いないのか。鎧に包まれた身体が立ち上がる。 これがそういう存在であることは知っているので、ウィンディも文句を重ねたりはしなかった。 軽く右手を振ると、そこに宿した<門>の紋章の魔力が冴えた蒼となってこぼれ落ちる。 次の瞬間に、黒い鎧の姿は部屋から消えていた。魔力の様子から、きちんと城塞に辿り着いただろう。 独りとなった部屋で。彼女は詰めていた息を吐くと、呼び鈴を鳴らした。駆けつけてきた侍女に冷たい果実酒を命じると、椅子に背を預ける。 (これでいい) ネクロードの性癖は分かっている。ああしておけば、ロリマーで騒ぎが起こるのは必至。住み着いた吸血鬼は帝国の将軍。 となれば、彼をどうにかするために住民は反乱軍に泣きつく。それを反乱軍は無視することはできない。 外道であるとはいえ真の紋章を保持するあれと対峙するには、やはり真の紋章を持つ軍主は不可欠。リン=マクドールはロリマーにかかり切りになる。 (その間に、竜洞を抑える……) できれば手に入れたい。竜騎士の力があれば、ハルモニア相手にも有利に戦うことができる。 侍女がおそるおそるグラスを差し出す。それを手に取って一気にあおった。 冷たい感触が冷静な思考を促し、アルコールが感情を高ぶらせる。 そのまま空のグラスを盆に返すと、脱兎のごとく侍女は部屋を出ていった。どう思われたかはわからないが、ろくなことではないだろう。 けれども、ウィンディにとってそんなことは問題にすらならない些細なこと。 彼女の頭は戦いで占められている。 竜洞の魅力は騎士団だけではない。真の紋章、<竜>。 今の彼女に、さらに真の紋章が加われば。ハルモニアの滅亡がいっそう鮮やかになってくる。 逆に。 敵にまわせば厄介なことこの上ないだろう。 (手に入らないなら、いっそ潰してしまおうかしら) しかし、それももったいない。 どうにかして、彼らを意のままに操ることはできないだろうか。 ブラックルーンを使うことも考えたが、継承者である騎士団団長に宿させるには難しい。 同じように真の紋章を宿していても、亡き王妃と自分を重ねてみることで隙だらけだったバルバロッサや、紋章をすでに手放した後だったテッドとはわけが違う。 妙案が思いつかずに暗い顔をしていると、扉をノックする音が聞こえた。 はっと顔を上げる。 濃く漂う紋章の気配から相手を判断すると、ウィンディはドレスの裾をさばいて立ち上がった。 呼吸を整えながら扉に向かうと、とろけそうな笑顔を浮かべながらノブをまわした。 「バルバロッサさま。どうなさいました?」 そこにたたずんでいたのは、この国の王にして彼女の僕。問いかけに、バルバロッサは片手に持っていた籠を持ち上げた。 「出入りの商人がカナカンのワインを持ってきたのだ。ぜひ、お前とともに味わおうと思ってな」 「まあ、光栄ですわ」 手を打って喜びの顔を作ると、彼女は皇帝を招き入れた。 バルバロッサを部屋に導き、歩を進める。 本当に、この男のように楽だといいのに。 死んでしまった人間にこだわるあまりに、それと似ているというだけの赤の他人にあっさりとこころを譲り渡した弱い人間。 ふとウィンディの脳裏にひらめくものがある。 弱い人間。そう、どんなに強く見えても、人間は誰しも弱い部分があるはずだ。そこをうまく突けば、竜を意のままに動かすことも可能なのではないだろうか。 めまぐるしい速度で計算が行われる。答がはじき出される。 彼女の薔薇色のくちびるに、笑みが浮かぶ。 偽りではない本物の。 「ねえ、バルバロッサさま」 それゆえに。 皇帝は彼女に応える。 「何か僕の顔についていますか?」 珍しく不機嫌さを滲ませて、しかし完璧な造形の笑顔を浮かべて。 約束の石版の前で少年が首を傾げた。……いうまでもなく、ササライである。 魔法兵団長という仕事があり、それを行うための机を与えられているにも関わらず、普段のササライは石版の前にいる。 城の人間が増えるに従って、他の部屋に納まりきれなかった老人などが石版の間には見受けられるようになった。 けれども元の育ちがいいササライはそんなことはまったく気にしない。 逆に老人の長々しい話にも丁寧に受け答えるために、若者に邪険にされがちな彼らの癒し系人気者になりつつある。 そんなササライの顔をしげしげと眺めていたのは、若々しい戦士のふたり。 テオの遺言に従い、解放軍の軍門に下ったアレンとグレンシールである。 彼らが石版の間に来ることは珍しい。そして、さきほどからずっと石版の名前とササライの顔を見比べているのだ。 「いや、なにも……」 「では、ご用件は?」 にこりと少年は畳み掛ける。 彼らの表情になぜか怯えが走って見える。ササライの錯覚だろうか。 「だから、なん」 「この石版にある名前の者は」 またも否定の言葉を重ねようとしたアレンを遮って、グレンシールが石版を指差す。 「解放軍の味方なのか?」 「ええ、そうです」 「たとえ、その人物がこの湖の城にいなくても?」 「そうです」 頷いたササライは逆に問い返した。わずかに首を傾げれば、明るさを含んだ茶の髪が揺れた。 「それがどうかしましたか?」 「……ここにある名前の中で、顔を見たことがないのがいると思っただけだ。ありがとう」 少年が言葉を継ぐヒマを与えずに、グレンシールは踵を返した。アレンも慌ててそれに倣う。 部屋を出て、階段を下りて外へと向かう。十分に石版の間と距離をとって、アレンが尋ねた。 「あれは、……あいつのことか?」 「そうだ」 あいつというのが誰を指すのか。音にするまでもなく通じる。ロッカク攻めに加わった少年魔術師。 帝国軍での表立っての働きに加わっていないことから、解放軍で彼を知る人間はいないはずだ。 だが、テオの葬儀の後。将軍の言葉によって解放軍へ入り、宿星とやらが刻まれるという石版を興味半分で見てみれば。 見間違いもなく、彼の名が記されていた。 もちろん、本人がいるわけもない。代わりのようにいたのがササライだ。 魔法兵団とは最前線に出ることはないから、解放軍に入るまで、これほど――まるで双子のように似ているとは考えてもいなかった。 最初は、ふたりが本当に血縁であり、ルックは解放軍から帝国軍へと送られた密偵ではないかと疑った。 それはすぐに打ち消された。というのも、密やかに『謎の天間星』という噂が流れていたためだ。 テオが討ち取られて数日後、ある朝、忽然とその名前は浮かび上がったという。一夜の出来事のあいだに軍主は城から出ていない。 となれば『天間星』は城に訪れたということだ。その形跡がない。本人はいっこうに現れない。思わぬ事態に、当の石版守のササライが呆然としていたという。 「どうする?教えるべきか?」 どのような経緯があって彼が名を連ねることになったのかは、わからない。わからないが、なにも報告しないというのは後味が悪い。 真面目な思考のグレンシールをアレンがなだめる。 「必要ない。あれはテオさまも可愛がっていたようだ。こちらが知らないということは、関係がないということだろう」 「しかし」 なおも言い募ろうとする同僚に彼はぴしゃりと断じる。 「軍主が本当にテオさまを超える人間であれば、その程度のこと、自力で辿り着いてもらわねば困る」 「あ、おい!」 ずんずんと歩き出したアレンを。グレンシールはその後を慌てて追った。 かけがえのない主を失った。その主の実の息子であり、そして主の遺言があるとはいえ。 仇であることを割り切ってしまえない心境が、彼らの中でこの件を決定づける。 いわく。 帝国軍に属する少年魔術師について、一切を口にしない、と。 ふたりの背中を見送って、ササライは息を長く吐いた。 問いかけが反響する。 石版に名前があれば、味方。 たとえこの城にいなくても。 では、自分はいったいどうなのだろう。 石版に名を刻むことはなく。 この城に、戦場に立つ。 レックナートから助力を命じられて解放軍に身を投じたのは確実。 けれども釈然としないのだ。 ある朝、起きて。日課のように石版を確認した。何の変哲もない一晩で、変化が起こるわけがない。ないと思っていた、のに。 見つけてしまった名前。ありえないはずの時間に刻まれた、天間星。 その名を持つのがどのような人物であるかなんて、欠片すらも知る機会がない。否、知る機会を避けている。 星の連なりなくして、宿星は目に見えない。たとえ運命が選んだとしても、同じ陣営に属するという、いわば『言質』なくしては、ひとの目に認められない。 ということは、確実にその人物が誰であるのかを知っている人間がいるのだ。 それは軍主だと見当はつく。つくが、尋ねることができない。また、師に対しても同様だった。運命の管理人である彼女には、モノ映さぬ瞳には映っているだろうが。 どうしても訊けない。 傍観者でいいと言っていたのは自分なのに。 宿星とはどのようなものであるのか、天魁星はどのような存在であるのか。 いつかの未来のために。自分が宿星となるその日に備えて、この場に身を置くことを決めたのに。 城の皆は、石版に名前がなくとも自分こそが仲間だと認めてくれている。わかっている。わかってはいるのだが。 ぬぐうことのできない寂寥感。 初めて味わうそれは、この先、思い出したようにササライについてまわるものとなる。 <2005.9.1>
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