「これはこれは……」 無骨な石造りの天井いっぱいに広がった色彩。 びっしりと平面を埋め尽くしたそれが、もし「荘厳にして華麗」という言葉に当てはまるのであれば、ありがたみもあったかもしれない。 しかし、物事はそうそううまくいくものではない。 呟いたまま固まった男の顔面に雑巾が見事命中する。 「そんな所に突っ立っていられたら邪魔だよ。どうせヒマなんだろう?居候英雄サマ」 「……いただけない台詞もあるけど、君の今のその格好に免じてゆるしてあげるよ。で、何をすればいいのかな、泡だらけの石版守さん?」 ぎろりと睨まれたが気にならない。 いつもきっちりと法衣を纏っている少年が、あろうことか襷をかけて膝までズボンをたくし上げ、裸足でモップをかけている姿は貴重である。 不機嫌のパラメーターをますます高くしながら、ルックは告げる。 「犯人、引きずってきて」 怒れる少年の背後には水に濡れた石版。 どうやら命知らずなこの犯人、あろうことか約束の石版にも手を出していったらしい。 この前衛的なクレヨンアートを。 酒場に生息している熊の証言。 「あ?あいつか?見てねえよ。ずっとここで呑んでるけどな。フリックも一緒だったから確認してみるといい」 女学生に追われる青い男の証言。 「その時間ならたしかに酒場にいたが、見てないな。……悪い、そろそろ時間が」 宿屋の美人女将の証言。 「ええ、たしかに私があげたのだけれど。いつも息子が遊んでもらっているし、お礼代わりに」 名だたるナイフ投げの名手である美少女の証言。 「たしかに見たよ。ちっこい子供たちと一緒にあっちにすごい勢いで飛んでったからね」 危険な笑みを浮かべる紋章師の証言。 「うふふふ。そこの天井を見ればわかるんじゃないかしら?ねえ?」 こだわりの逸品、ほかほか風呂職人の証言。 「お?泥まみれのチビたちなら特製ドラム缶風呂にはいってるぜ?違う?ああ、ならそこの階段のぼってったぜ?」 炎の全戦全勝料理人の証言。 「見てないよー、来てないよー。ところで新作ランチできたよー、今度ふたりで食べにくるよー」 ヒツジを探して西へ東へ、育成スペシャリストの証言。 「うんんー?ユズは見てないよ。あ、今度ハイ・ヨーさんにあったら『メンチカツ』が食べごろになったって言っておいてね!」 ひらめきは激突だ!在野の天才発明家の証言。 「ふむ、三時間ほど前にそこの階段で見かけたぞ。どうせならばこの素晴らしき『えれべーたー』を使えというのに、けしからん」 「で?あんたはなにをのこのこと戻ってきたのさ」 相変わらずの不機嫌全開ぶりに、トランの英雄は苦笑する。どうやら手ぶらでもどってきたのが気に喰わないらしい。 いらついたように未だ乾かぬ床をブーツで叩く。 「やだなあ、用があるからここに来たんじゃないのか」 「あれから一時間と十七分も経って収穫なしのいいわけかい?」 ここでの収穫とはイコール犯人をさすのであろう。 「俺だって無駄に過ごしてたわけではないんだけどな。というわけだから、転移をお願いしてもいいかな」 「勝算がないからって高飛び?ビッキーにでも頼みなよ。面倒くさい」 ひらひらと手を振る石版守に大げさなジェスチャーを返してやる。彼の気に障るであろうことを見越して。 「高飛びするのに逃げたい張本人に頼んでどうするんだ。第一、行き先が城内だから頼んでるの。犯人の先回りをするんだから」 ビッキーの瞬きの魔法は『街』や『建物』などの、わりあい大きなモノを目印としている。 本拠地内での移動を考えるならばルックに頼むしかない。 言いたいことがわかったのだろう。 それに、もともとこの男に八つ当たり気味に犯人探しをおしつけたこともあるせいか。 わざとらしい溜息のおまけはついたものの、ルックはやや高い位置にある男の顔を見上げた。 「で?どこに飛ばして欲しいのさ」 了承を得られたことに、彼はにっこりと笑った。 「屋上」 本拠地の天井は高い。 あそこに落書きをするのならば、はしごでは足りないだろう。 そうなってしまうとたいていの人間には無理だ。……空でも飛べない限りは。 けれども、この軍のなかにはあそこに届くことができる者もいるのだ。 そして、いろいろな人間に聞きまわった結果から推定される犯人のルート。 彼の推測が正しいならば、できうるかぎりの長い距離を制覇するつもりなようだ。 屋上でフィニッシュ。 『えれべーたー』を使うことも考えたが、ぎりぎりの範囲だろう。ならばゴールで待ち伏せした方が早いし確実だ。 (まあ、正解だったみたいだな) 犯人が辿り着いていない屋上で、彼は棍で肩をたたいた。これから来る相手は場所柄のせいで一筋縄ではいかない。 天井という名の障害物のない屋上ならば、飛んで逃げられてしまう可能性が高い。 入り口からの死角に移動して、気配を殺す。 やがて、かすかに軽快な足音が聞こえてくる。 さあ、ついに犯人とのご対面だ。 犯人が現れる。一仕事のあとだからだろうか、ううんと大きく伸びをして腕を回していた。 予想通りの人物に、彼は満足した。あとはどう捕まえるか、である。 気配を殺したまま飛びかかるというのもアリだが、下手に不意打ちをするとそれだけで驚いて飛んでいってしまいそうだ。 ちょっと考えて、声をかけた。 「やあ、チャコ」 「うわあああ!って、あれ?」 驚きのあまり、犯人は飛び上がった。もっともそのまま飛び去ったりはしない。 かわりにバラバラと短くなったクレヨンが石畳に散らばる。 「うーん、これは現行犯だね」 証拠物件を爪先で蹴飛ばしながら、彼は呟く。 意図を察したのか、チャコの顔を汗が伝う。 「え、えーと、これは、その」 「俺は同盟軍に所属しているわけじゃないし、君がなにをしようと知ったことじゃないつもりだったんだけどね」 にっこり。 「だったら見逃してくれても……」 じりじりとチャコは後ずさる。 隣国の英雄の笑顔は、それはそれは素晴らしいものだったが、それが逆に恐怖をあおる。 シドの薄ら笑いと張るだろう。 「それが昔なじみに頼まれてしまってね。彼との友情はぜひとも大切にしたいと考えているんだよ」 「昔なじみって……」 「ルック」 ざあっと少年が青ざめる。敵に回したくない、というよりもむしろ城内で逆らってはいけない人間のひとりである。 「よりにもよって約束の石版に落書きをしてしまうなんて。恨むなら自分の迂闊さを恨むんだね」 棍が突きつけられる。冷や汗をかきながら、チャコはようやく思い出す。 ここは屋上だ。 柵を乗り越えて空に出てしまえば、いかに真の紋章を持つ英雄とはいえ追って来れない。 「だからおとなしく……、ちっ」 予測していたことではあったが、勢いよく身を翻したチャコに思わず舌打ちがもれた。 空に出すわけにはいかない。確実に逃げられる。 だが、このときばかりはチャコの方が早かった。その素早さをいかんなく発揮して、宙へと身をおどらせる。 瞬間、男の視界の隅に赤いものが映った。ムササビ。たしか屋上に一匹生息していたはずだ。 「ムクムク!乗っかれ!」 「むー、むむむむー!」 果たしてムササビは理解したのであろうか。 空中へ逃れた黒い翼めがけて突進した。そのままぺちょりと張りつく。 ウイングホードも、はばたくことができなければ重力に従う他はない。 「でかしたっ」 叫ぶ英雄の声を背後に聞きつつ、一人と一匹はゆっくりと落下していった。 数日後。 石版前に、なぜか手を後ろ手に回したトランの英雄がうきうきと現れた。 「ルーック」 「うるさい、用がないならどっか行って」 相変わらずのそっけない友人に、しかし男はめげない。 「ふうん。そういうこというわけかな?誰のおかげで石版損壊犯が捕まったと思ってるのかな」 「……」 都合のいい反論をとっさに展開できず、ルックは溜息をついた。この相手にはいつもそうだ。 「……君、トランの実家に帰るって聞いたけど」 「うん、そろそろクレオも心配しているだろうしね、顔を見せに。リクに聞いたのかい?」 無言は肯定。 「どうせ向こうには一週間もいられないよ。 君の天魁星がそんなに長く放っておいてくれるとは思えないからね。あ、もしかして寂しい?」 「バカも休み休みにしろっ!!」 可愛らしく小首を傾げてみせた相手をルックが怒鳴りつける。 だが、そんなものはすでに慣れっこになってしまっている男には通用しない。 真意の見えない、いつもの飄々とした笑顔を浮かべながら一歩前に踏み出した。 「そんな寂しがり屋の君にプレゼントがあるんだ。ぜひとも受け取ってくれないか」 そうして差し出されたのは。 「なにこれ」 「なにって、見ればわかるだろ」 「むむむー」 茶色い物体、否、生き物。トレードマークは燃える赤マント。ムササビ隊唯一の108星。 「今回の騒動で俺と同じくらいに活躍してくれたんだ。俺がいないあいだは、このムクムクを俺だと思って大切にしてくれ」 沈黙。 ムササビを差し出したまま、彼は首をひねる。 事前のシュミレーションでは1:問答無用で切り裂き、2:いつものごとく怒鳴られる、3:転移による逃亡の三種類が想定されていたのだが、 うつむいたルックの対応は予想外だった。 「あの、ルック……?」 静かに問いかけたトランの英雄は次の台詞に撃沈する。 滅多にお目にかかれないほど綺麗な笑顔を披露しながらルックは言い放った。 「つまり、君はムササビ並ってことなんだね?」 |