ここからが肝心、と彼女はその尖った先端を見つめた。 深く、一気に、潔く。 手順を何度も確認する。 それを突き刺して。引き抜く。 わずかの外傷も残さずに、仕事を済ませなければいけない。 端から見て痕がわかるようでは駄目だ。中身が粘りついてくるようでも失敗だ。 真剣な表情で手にした得物を見つめる彼女は満面の笑みを浮かべる。 目の前にはふんわりとした茶色い物体。 深く、一気に、潔く。 「……よっし」 大きく振りかぶって。 ぶす。 刺して。 引き抜……。 「あっれー?ナナミちゃん、何してるの?」 背後から突然かけられた声に。 ぐらり。 「あああーっ!!」 ずれた。 ナナミの悲鳴に呼応するが如く、パウンドケーキの焼き具合を確かめていた竹串は見事、使命を果たすどころか使命をぶっ潰したのだった。 「ごめんね」 そろそろお茶の時間ということで、人が目立ちはじめたレストランでニナはひたすら謝っていた。 「せっかくナナミちゃんが焼いたのに、最後の最後で邪魔しちゃって」 「ううん、気にしないでよ!もう一度作り直せばいいんだから!」 そうはいっても、それがカラ元気だとわかる。 この頃、進軍のために無理を重ねている弟を気づかって、それなりに忙しいナナミが時間をひねり出してようやく焼き上げた特製パウンドケーキだった。 ちょうど仕上げで焼き具合を確認していた時にニナが声をかけたため、驚いてその竹串を倒してしまったのである。 それもさすがナナミというべきか、抉りとるように、それはきれいにケーキを斜めに横断して。 「ホント、ごめんね」 かわりに作ってあげられればいいのだが、そういうわけにはいかない。 どんな味であろうと『姉』が『弟』に作るからこそ意味があるのだ。 実際のところ、ナナミに時間がないわけではないということをニナは知っていた。 幹部級の人材のスケジュール把握は軍師にとって必須である。 ニナはテレーズ付きであるから彼女に所属するシンなどの一日の動きは完全に頭に入れているのは当然のこと。 さらに同盟軍最高幹部たちのそれは問答無用で叩き込んでおくようにシュウに言い付けられていた。 その中にナナミの存在はあるものの、基本的に彼女は重大な肩書きを背負っているわけではない。 軍主の支えとして常に同席しているのは、あくまで彼女の強固な意志だ。 どんなことがあっても弟を護るという。 わかっているからこそ、自分のしたことが申し訳ない。 もうちょっと考えてから声をかければ良かった。 後悔しても潰れたケーキは元に戻らない。 目の前でタルトをつついているナナミを見ながら、頭を回転させる。 彼女の予定は軍主の予定。他の幹部、特に最高軍師を含んだ会にはナナミは意地でも同席する。 だめだ。 なぜ、こういう時に限って絶対出席の会議ばかりなのか。 まとまった時間が取れるのは、姉弟が道場で行っている朝の鍛錬くらいだろう。 あれは二人が自主的にやっていることでもあるから抜け出すことはできる。 でも、そうしたら一人で修練することになっちゃうもんね。 ナナミの性格上、そんなことは到底できないだろう。だが、材料を量るところから始めていたら朝議に間に合わない。 あ、量って置いておくだけなら誰がやっても同じだよね。 一緒に料理をしたことがあるニナとしては、なぜナナミがあそこまで「てんさい」的な味を出せるのかわからない。 見ている限り材料も分量も正確なのだ。 きちんと準備してあるにも関わらず、いざボウルに放り込みかき混ぜる段になると「何か」怪しげな化学反応が起こっているとしか考えられない風味を醸し出す。 混ぜて焼くだけなら時間はそうかからないし。 パウンドケーキはその手軽さが売りなのだから。 いざとなったら焼いている間のかまどの火加減はハイ・ヨーに頼んでしまえばいい。 彼になら安心して任せられるし、じいっと焼き上がるまで待っているのはナナミの性に合わないだろうし。 やっぱり問題は朝練かな。 どうすればいいのだろう。 考え込んだところで、ふと隣の席から単語が耳に飛び込んできた。 ムササビ。 どうやら先日、玄関ホールをを震撼させた緑のムササビ事件について語っているらしい。 ムササビと少年魔術師のあいだで背筋も凍るほどの無言の戦争が繰り広げられたのは記憶に新しかった。 無謀にも魔法兵団団長に戦いを挑んだムササビの裏には協力攻撃でいつもついでとばかりに切り裂かれている二人組がいたという。 次の日に仲良くホウアンのところに運び込まれたのをニナも目撃していた。 いや、それよりも問題はダメにしてしまたケーキをどうするかだ。 視線を彷徨わせるように、やや上に向ける。 そして。 目の前にはタルトをつつくナナミのピンクのはちまきが。 「ごめんナナミー。寝過ごしたー」 大慌てで謝りながら、同盟軍軍主・リクは道場の扉をがらりと開けた。 朝の道場は凛として足下からひんやりとした冷気が漂う。 人のいる気配はしなかった。 「あれ?ナナミ?」 きょろきょろと首を左右に振るが、義姉の賑やかな声の欠片もない。 どうしたんだろう。 よく考えてみればいつもナナミは寝坊しがちな弟の部屋まで起こしにきていたのだ。 それがなかったというだけで、実は大問題なのではなかろうか。 「部屋、見てきたほうがいいかな」 不安に駆られて上半身をねじる。 その瞬間を見計らったかの如く。 ぼすんっ 勢い良くなにかが頭に激突した。 しかも不意打ちなのでまともに食らった。 が、あまり痛くない。 「っ。いったいなに……」 条件反射で後頭部を押さえつつ、突如現れた気配の主をみる。 ムササビだった。 「あれー?メクメクだ」 ピンクのマント。 なぜかピンクのはちまき。 なぜか下半身にはゆったりとしたズボン。 それが誰を表しているかなんて一目瞭然。 「もしかして、ナナミの代わり?」 恐る恐る尋ねればこくりと真剣な頷きが返る。 どこから取り出したのか、ムササビは小さな手に白い紙切れを握って差し出した。 手紙である。 おとなしく受け取って文字を追う。 リクへ 今日はやらなくちゃいけないことがあるので、お姉ちゃんは朝練に出れません。 代わりにメクメクと特訓するように。 さぼってないか、ちゃんとあとでメクメクに聞くからね! 追伸:お昼は食べ過ぎないこと! ナナミお姉ちゃんより その日の午後、ひとりレストランでパウンドケーキを前に涙する軍主の姿があったとか。 |