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整然と人々は並んでいるように見えたが、混乱の跡は感じとれた。 しかし、それ以上に嫌な雰囲気を察することができてルックは内心で眉をひそめた。 今回の<覇王>の継承に関わることを許された神官将は三人。うち二人がルックについて『知って』いて、排除する機会を眈々と狙っている。 ある意味一般市民である学生までもが候補者として挙げられていたことから、ヒクサクが出てくることはない。 こんな好機を見逃すはずがない。現に、ルックがこの部屋から弾き跳ばされる前までなかった奇妙な連帯が二人に漂っていた。 ある意味、非常に予想通りな展開に知らずルックの頬が緩んだ。 気がついた神官将のひとりがすかさず話しかける。 「おやおや、罪人を捕まえたのですか?先ほどまでここにいたあなたの護衛官とは異なるようですが」 早速口撃を開始してくれたが、この台詞はルックにとっては予想外に重要だった。どうやら、この部屋に集っていた全員が犯人を取り押さえることに失敗したようだ。 無言のルックの態度を勘違いしたのか、男は得意げに続ける。 「あなたの護衛官……いえいえ、<覇王>を奪った罪人ですか。あの者についてはきちんと調査したのですかね?それとももしや、<風>と<門>では飽き足らず……」 「ディーゼル神官将」 得意満面に語る男をルックは制する。どこか冷ややかな笑みさえ浮かべて。 「あの男が僕の護衛官だと、どうやら勘違いなさっているようですね?あの者の身元は既に調査済み。 真の紋章を狙っていたことも、ヒクサク様もご了承の上で、僕の近くで監視を行っていたのですが」 すらすらと出てくる台詞。普段の自分からは信じられないくらいの滑舌の良さだ。 とにもかくにも、頭の中で論法を組み立てる。このディーゼル神官将はまだ良い。 ルックの分析では『小悪党』。たちが悪いのはディーゼルの後ろで一見穏やかそうにしている神官将セビエの方だ。 「護衛官ではない?しかし、それはおかしいですな。 あなたには万が一にでも『不慮の事故』があってはならないと、議会の全会一致と神官長の御意のもと、護衛官が最低でもひとりはつけられることが決められていたはずですぞ」 「だから、これが僕の本当の護衛官」 背後に視線を遣る。どうやら英雄で鳴らした経歴は飾りではない。 突然の事態にも関わらず、あたかも最初から予定されていた事項のようにリンは落ち着いて、軽く頭を下げさえした。 「本当に、その者が護衛官だという証拠は?少なくとも、私は円の宮殿内でも、その周辺でもその人物を見たことはありません」 「何より、まだ子供ではないか。護衛官など務まるのか?」 セビエの言葉にディーゼルが便乗してくる。 彼の主張はもっともだ。 (実際、これが護衛官だったことなんてないし) ルックのそれは、正真正銘、ひとりだけだ。ルックが転移のための術を構築する、最も無防備な瞬間を狙って竜王剣を奪っていった、あの男だけだ。 もし、あの男が取り押さえられていたらルックには申し開きの仕様がなかっただろう。 彼の背景を調べ、護衛官として円の宮殿に出入りするのに問題がないと判断したのは、ヒクサクではなくルック自身だ。 また、ヒクサクの意図がどうであれ、この男がちょうどよく転移した座標の先にいたのも幸運だった。リンがいなければ、もう少し言い訳を考えなければならなかった。 「……彼も真の紋章の継承者ですよ?」 答えれば、絶妙の間で右手の手袋を外した。あらわになる手の甲には、くっきり赤黒い紋章が刻まれていた。 <生と死>。<ソウルイーター>。特性ゆえに明かすのは得策ではないと考えてか、ちらりと見せるだけですぐにリンはそれを隠してしまった。 だが、わざと瞬間的に制御をゆるめたおかげで部屋に濃密に立ちこめた闇の気配が、ただの紋章ではないことをありありと証明していた。反論を封じるには十分な程に。 「真の紋章の継承者が見た目通りの歳ではないことなどご承知でしょう」 「う、うむ……」 黙り込んだ男とは対照的にセビエが肩を竦めていた。 「私の質問に答えていただくには不十分ですが……まあ、よろしいでしょう」 「それよりもね、セビエ神官将?」 ぼろを出す前に論点をずらしてしまおうと、ルックは姿勢を正した。 本来であれば、このように部外者が多くいる場所で裏のいざこざを見せるつもりはなかったが、構っているのも面倒だ。 「あの男は、逃がしたのですか?神官将が三人もいて、真の紋章を奪った大罪人を」 こちらのほうがよほど重要ではないのか。 三人の神官将の顔を順に見ながら、ルックは攻勢へ転じる。これによって、中立を保っていた人物が敵に回るかもしれない。 ちらり頭をかすめたが、どうでもいいと思い直す。最初から、この世界で完全な自分の味方なんていないのだから。 けれども、さすがというべきか。責められても彼らは動じた素振りを見せようとはしなかった。 「最初はあのような趣向かとも思いましたからな」 「そうそう」 「すぐに念のための追っ手をさしむけましたが、相手は真の紋章を持っております。一般兵には荷が重過ぎましょう」 もちろん、神官将とはいえ只人に過ぎぬ己らにも。言外に滲ませる。 まったくよく言う。 緑の視線をすがめる。 ルックの表情を少しでも見れば、否、それ以前にあの光景を見ていれば事態はわかったはずだ。ルックは一度、竜王剣を取り戻そうと手を伸ばし、はねのけられたのだから。 中立のひとりはともかく、二人はルックの失態にここぞとばかりにつけ込む為に、わざわざ追跡を遅らせたに違いない。 どちらにしろ、責任は彼らにかぶらない。 真の紋章。 それ自体が正統な理由になる。 持たぬ人間にはどうにもならないという、このうえもない理由に。 半ば予期していた答えだった。享受することを決めていたことでもあった。 「それで?継承者についてはどのようになさるのです?」 「続行しますよ、セビエ神官将」 さらりと述べれば会場がざわめく。 「クリスタルバレーに警戒線を張ります。あの男は首都から逃れられない。捕まえて、竜王剣に認められれば、その人物が<覇王>の主だ」 表向きは対象がルックから変わっただけである。この機会に追われるルックに暗殺者を差し向けようとしていた人間にとってはとんだ事態だが、清々する。 せいぜい利用させてもらう。 「では、僕は今からそちらに回りますので。……皆さま、健闘を祈りますよ」 警戒線云々はとっさの出任せだが、やらねばならないことでもある。 絶対にクリスタルバレーから紋章を出すわけにはいかない。 悪いことに、動揺しているせいかのか、ルックには<覇王>がどこにあるのか気配を辿ることが出来なかったので、物理的に閉じ込めるしかない。 踵を返せば、至極当然といった風にリンが後をついてきた。 背中に<生と死>の気配を感じる。懐かしく、新しい。テッドがまとっていた残り香とはまったく違う。 部屋から出ようとした瞬間、見透かしたようなセビエの声。 「今から警戒線を張るのですか?杜撰な準備ですね」 ルックはただ、無言を返答とした。 それ以上、できることはなかったからだ。 *** 親愛なるお兄様 それだけは、できません。 お嬢様自身には罪はないのです。 お嬢様を手にかけることだけは。 代わりに、きちんとあなたに<覇王>を *** 必要な諸々の手続きをし、ようやくルックが部屋に戻れたのは夕方近くになってからだった。 その背後をリンは実に護衛官らしくぴたりとついて回り、問われれば有無を言わさぬ笑顔で答えていた。 その間、ルックは終始無言であったが、それは何も考えるところがなかったわけではないらしい。 証拠に、部屋に入ったルックは扉が閉まるや否や実に刺のある視線でリンを睨みつけた。 「もう帰っていいよ」 「え?」 突然の台詞にリンは目を瞬かせた。きょとんとした、年齢よりも幼い表情にルックは重ねる。 「だから、帰れ」 短く告げて、長椅子に座る。 有無を言わさぬ調子であった。おそらく普通の人間であれば一も二もなく従っていたであろう。だが、あいにくと英雄経験まで持つリンはその範疇には入っていなかった。 「俺はルックの護衛なんだけど?」 「必要ない。ここからは僕ひとりでやったほうが効率がいい」 本当にそう思っていて、疑っていない口調だった。 きっと、今まで彼はずっと独りでなんでもやっていたのだろう。緑の瞳には自信しか窺うことができなかった。 「しかもヒクサク神官長とシエラ様に頼まれたんだけど?」 「……あんたが言ってるだけだろうし、こっちから丁重に断っておくよ」 二人の名前を出した途端に少年の整った顔は不機嫌に歪んだが、拒絶の意は変わらなかった。 けれどもリンもここで引き下がるわけにはいかない。それに実のところ反論を封じられるように短い間にも行動してきたのだ。 「あのさあ、ルック」 「気安く呼ぶな」 「じゃあ、ルック神官将。俺、ずっと『新しい護衛官です〜』って言いながら今日一日歩いてきたし? あの部屋にいた三人にはルック神官将が『護衛官です』って言ってしまったし?」 台詞を継げば継ぐ程、少年の雰囲気は険しくなっていく。彼自身にも理解は出来ているのだ。最大の危機を回避する為に、妥協せざるをえなくなっていることを。 ああいう事件があったばかりだし、あまり知らない人間を側においておきたくないという感情はわかる。 わかるが、リンは認めない。将たるものが感情で動いてどうするという冷徹な目もある。ルックもきっと、そう思っている。であれば、感情ではなく理で落とせば良い。 特に彼のような人格には有効だろう。半日のやりとりでその程度見抜けなくては、解放軍など率いてはこれなかった。 「ここで俺がいなくなったら、それこそ付け入る隙を与えると思うな。さらに言えば、俺が継承者だっていうのまで明かしたからね。ここで俺までも手放したら、ねえ?」 <覇王>のみならず、<生と死>に関しても責任問題が生じる。 「……その場合のあんたのメリットは?」 しばしの沈黙の後、ルックは問う。 内容にリンは悲しくなった。 利害関係で信を計ろうとするルックに。彼をそう育てた環境に。 そうでなければ宮廷で生き抜くことができなかったのかもしれないが、同じ顔をして、純粋に人の好意を純粋に受け取ることを知っているササライをなまじ見ているだけに。 ササライがこの国を出た理由は知らないが、どうしてレックナートはルックを一緒に連れて行かなかったのかと思う。 「親友の遺言を果たせる」 虚飾のない回答。他の人間であれば、一笑に付したに違いない。 けれどもルックはそうはしなかった。逆に、今までにない真剣さ。深く下ろしていた腰を浮かせさえした。 「……の遺言?」 最初は聞き取れず、理解できた。テッド。確かに彼はそう言った。 頷くだけで済ませれば、さらにルックの表情は厳しくなった。自分の知らない親友を見せつけられるようで複雑だった。 「それは何?」 「<覇王>を奪った犯人が捕まるまでで良いんだ。それまで俺をルックの護衛官でいさせてくれたら、犯人が捕まったら教えてあげる」 あえて期限を区切るのはルックの為ではなく自分の為。親友の友人が自分の友人になれるとは限らない。最期の言葉を伝えるに値する人物だとも。 テッドには悪いけれど、ルックについて見極めさせてもらおう。 そんな密やかな決意は知らず。 少年は諦め含んだ表情で朽ち葉色の髪をかきあげた。 それが、了承の合図。 <2007.5.2>
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