いくら本拠地が水辺に建とうとも、夏の日差しは万物に容赦ない。 ゆらゆら揺れる湖面に反射する太陽は綺麗だと言えば綺麗だが、風のない午後においてはそれを見る者も稀だ。 住人の多くは中庭の木陰や図書館、釣り場の桟橋などへと僅かな涼を求めて避難していた。 「ああ、お風呂のお湯を全部入れ替えて、プールでもつくったら涼しいと思いませんか?シュウさん」 「別に構いませんが、苦情処理はそちらに回します。それよりも、本日までにお願いしておいた書類の」 「肝試しもしたいなあ。考えてみれば、この本拠地って墓地の上に建っているようなもんだし」 「その許可はビクトールにとるべきでしょうね。遊び半分ではどうなっても知りませんが。それよりも、本日までにお願いしておいた書類の裁可を」 「でも、流しそうめんも捨て難いですよね。デュナン湖の水って大丈夫かなあ。どう思います?」 「……」 立て板に水といわんばかりの流暢さで返されていた声が止まる。 それに気づいたが、構わずに少年軍主は言葉を継いだ。 「ウナギをクスクスの街から仕入れてきて、掴み捕りというのもどうでしょう。これなら子供から大人まで楽しめます」 「……」 「西瓜割りもおもしろそうですけど、人数分の西瓜を集めるのは大変かな。元交易商の伝手でどうにかならないですか」 「……」 「でも、やっぱり資金がかかると難しいのか。そうだ、盆踊りなんてどうでしょう。これなら元手もそんなに必要じゃない」 手を叩いて、リクは椅子を蹴った。すちゃりと片手を挙げて、黙ったままの正軍師に挨拶をする。 「じゃあ、僕はこれで。盆踊り大会の準備をしないと」 大股に歩き出した少年のまえに無言で差し出される足。 引っかかりかけて、それでも持ち前の運動神経で回避するが、間髪いれずに次の足が、しかもやや高めに伸びてきた。 さすがにこれはその体勢では避けきれず、執務机に逆戻りする格好でからだを支える。 「やだなあ、シュウさん。なにするんですか」 「それはこちらの台詞です。本日の夕刻までに裁可をお願いしていた書類はどうなりましたか」 「えーと」 言いよどんだ主を男は容赦なく追いつめる。 「別に難しいことを要求したつもりはないはずです。一読して疑問点がなければサインをと、お願いしただけです」 「それはぁ」 「まさか、読み終わってないわけではないと思いますが」 たかだか三ページの書類を。 無表情で告げられて、少年は陥落した。 無駄に広い机に突っ伏すと、じとりと上目遣いでシュウを見上げる。孤児時代に養った必殺技である。 これをすると、たいていの人間は罪悪感から彼に甘くなる。 だが当然と言うべきか、その作戦を熟知している軍師には通じない。そのくらいでほだされていては、この奔放な主には対応しきれない。 「だあってさあ」 リクの口調が変化する。 「こんっなに暑いんですよ。なのに、狭い部屋でカンヅメで、しかもシュウさんなんかとふたりっきり!」 なんだかあんまりな言われように、シュウも眉をひそめた。 「見てるだけで暑苦しいんです!」 びしいっと、シュウを指差して断言する。 長そでのジャケット。幾重にも着込んだシャツとベスト。たしかに真夏の格好ではなかった。 実際は、夏仕様に生地は相当薄くなっているのだが、見た目と心理の問題である。 「暑くて、脳みそだって茹だります!正確な判断だってできません。そうしたら困るのはシュウさんです!」 シュウが詰まる。 会戦下ではその勇姿で軍の士気をこれ以上ないほどに引き揚げる軍主だが、デスクワークはからっきしで、ほとんどの雑務は軍師と各兵団長が分担している。それでも最終的な決裁は必ず軍主が目を通しておくべきだとしていた。その軍主がだらければ、最終的にしわ寄せを被るのは正軍師であるシュウだ。 多分、このままでは状況は改善しないだろう。ならば、早々に休みを取らせた方がいい。それも、すこし間を置いて。 「わかりました」 わざとらしくない程度に、シュウは溜息をつく。 「ただし、一週間後に二日だけです。それ以上は予定は詰められません」 告げて、シュウは改めて持ってきた書類を渡す。 「それでは裁可をお願いします。できなければ、休みはないと思ってください」 軍主、一勝と見せかけて。 結果的に一週間で普段の十日分の仕事をさせた正軍師の一勝。 そして三日後。 本拠地中にカラフルなビラが舞い踊った。 『各市対抗!料理対決』 * * * ビラを手に、シュウが最上階の軍主の部屋の部屋の扉を開け放った。 「リクどの!なんですか、これは」 部屋にはリクの他にトランの英雄と魔法兵団長が居座っていた。 「あ、シュウさん。言っておきますけど、シュウさんは強制参加ですから」 冷たい麦茶を飲みながら、リクは書類にペンを走らせていた。 「サウスウィンドウ代表です」 「だから説明を」 「見てのとおり、料理対決だよ」 声を荒げるシュウをルックが遮った。シュウよりも薄着だが、長袖の複雑な法衣にもかかわらず汗ひとつかいていない。 「審査員をやりたいんだってさ」 簡潔な解答に。 「それなら料理対決の本番だけに同席すればいいからね。軍主が審査するとなれば、各都市のやる気もあがるだろう」 トランの英雄が後を続ける。 「いくら『シリウス軍』というひとつの軍のもとにいても、長年培われた各都市の対抗意識だけはどうしようもない。 戦争中に妙な行動を起こされるよりは、こういったイベントで時々ガス抜きした方がいい」 リクがにこりと最後を締めた。 「競争原理ってやつですよね」 各都市の代表として二人がひとつのチームをつくり、料理を競う。 「サウスウィンドウ、ミューズ、トゥーリバー、グリンヒル、マチルダ、特別ゲストとしてトランで競ってもらいます。 あとでチーム表とお題を渡しますので、よろしく」 一気に言うと、また書類に戻る。ちなみにこの時点ではティントとは音信不通である。 「あ、ルック。さっき言ったこと、よろしくね」 「……わかったよ」 その他代表というわけのわからない肩書きで参加させられるよりましか、と呟いている。どうやら彼らの間には何らかの裏取り引きが成立しているらしい。 「シアンさんも、ルックの護衛、よろしくお願いします」 「大丈夫大丈夫。お願いされなくても勝手に守るから」 「あんたに守られるようなへまはしないよ。じゃあ、僕は行くから」 すたすたと歩き出す彼の後をついて、シアンも歩き出す。もっとも、こちらは扉を閉める時に丁寧に笑顔を残していったのだが。 シュウは頭を抱えていた。 やれと言われれば炊事洗濯掃除なんでもできる彼であるが、これはある意味未知の領域である。 彼としては勝ち負けなどどうでもいい。そもそも『味』が問題になるかどうかもわからない勝負に手間をかけるつもりなど毛頭ない。 しかも、何故サウスウィンドウ代表になっているかが疑問だ。かの都市の代表であれば、フリードに任せるのが妥当ではないだろうか。 ただ、参加する以上は、やはり正軍師としてあまりに不甲斐ない姿をさらすべきではないだろう。 これは一番無難な人材に助力を求めるべきだ。 無言で彼は立ち上がり、執務室を後にした。 フィッチャーは困っていた。 軍主主催のイベントのためである。 ミューズはハイランドの侵攻で壊滅的な損害を受けた。このため軍に対してまともな兵力を提供できていない。 諜報員としての自分、名医ホウアンなど、個々としては優秀であるが、実際の戦場では数の論理に頼らざるを得ない状況では、 軍の主力を担うトゥーリバー等に対しては引け目を感じていた。 ここは、都市同盟盟主としての実力を示さなければ。 密やかに拳を握りしめると、彼はある部屋を目指して歩き出した。 リドリーは唸っていた。 なぜ、軍主主催の『料理大会』なのだろうかと。 同盟軍では一、二位を争う兵力を誇るトゥーリバーのコボルト/ウィングホード混合部隊。戦力比べであれば、負けない自信はある。 だが料理となれば話は別だ。 コボルトパイ、黒いポタージュ、赤アイス。彼らの愛する味は、なぜか人間には理解してもらえない。 いや、これを好機とするべきではないのか?! 文武両道、食文化からもコボルト流を広めるべきではないか。 決意を固めると、リドリーは上機嫌に尻尾を振るのだった。 テレーズは悩んでいた。 軍主じきじきの命令である。 軍事のうえでは瑣末事だ。しかし、各都市対抗ともなるとそうはいかない。グリンヒル市長の誇りにかけて、なんとしてでも良い評価を得なければ。 もとから戦争において、彼女の部隊は後方支援型である。その特質を知らずして、女だからと陰で囁かれていたのを知らぬ彼女ではない。 けれども、台所は女の戦場。女の武器。 ここはインパクトある料理でグリンヒルの存在感を知らしめるべきであろう。 彼女は微笑むと、側近にある人物を連れてくるように命じた。 騎士たちは途方に暮れていた。 彼らは弱きもののために剣をふるうのが仕事である。当然、包丁とは無縁の生活を送ってきた。 今回の料理には包丁もまな板も必要ないが、それでも圧倒的に不利である。 負けたところで何ら恥じることもないのだが、そうもいかない。 他の都市が首長を中心として『都市』として同盟に名を連ねているのに対し、マチルダ騎士団は違うのだ。 騎士団の首領であるゴルドーはハイランドに反目しつつも団領を保持することに執着している。 どうにかして、その汚名をすすぎたい。 だとすればやはり。 二人は決意を新たに頷きあった。 放蕩息子はどうしたものかと考えていた。 彼は都市同盟の人間ではなく、同盟と長く対立関係にあった元・赤月帝国の、トラン共和国の人間である。 つまり、シーナは部外者であり、たかが料理対決でも勝つわけにはいかない。かといって負けるわけにもいかない。 なにせ、この軍には非公式とはいえ、彼の悪友である『トランの英雄』がいるのだ。わざと負ければ後でなにを言われるかわかったことではない。 それとも、ここは受け狙いでいくべきだろうか。要は強烈なインパクトを残せればいいのだ。 インパクトと言えば、あそこだろう。 とりあえずの目処がたち、彼は鼻歌を歌いながら交渉に乗り出した。 それぞれがそれぞれなりの決意を固めた数日後。 お馴染み、フータンチェンの口上が響き渡ったのであった。 |