今日はきっと良いことがある。
 目が覚めた瞬間、フローリアンはそう思った。
 彼の大切で大好きなアニスは用事があってダアトを留守にしているし、教団全体はどちらかといえば沈んでいる。フローリアンは、その理由も聞いていた。
 今日は世界を救って死んでしまった英雄の生誕の日。世界中が英雄を偲ぶ日なのだ。
 だが、彼はそれが間違いだと気がついた。
 彼の根底に流れる導師の能力が世界を聴いていた。

 ……第七音素が、歌っている。

 歓喜、祝福、慶賀。ひたすらに嬉しいと。
(帰ってくるんだ)
 ひらめけば、それは確信に変わる。
(帰ってくるんだ!)
 じっとしていることなんてできない。
 ベッドから起き上がるとすぐ、フローリアンは声を上げる。
「アニスのママ!」
「なあに?もう起きたの?」
「うん、あのね、今日はともだちのところに泊まってきてもいい?」
「お友達?じゃあ、お土産にケーキを焼いてあげましょうね」

 おっとりとしたパメラは、アニスと違ってうるさくない、というのがフローリアンの感想だった。ともだち。その一言で、許してしまう。 どこの誰とも聞かれない。こんな日に遊びに行くなんてとも言わない。
 アニスが留守でよかった。彼女だったらこうはうまくいかないだろう。
 これから行こうとしているのが誰かなんて、みんなとの秘密だから話しちゃいけないのだ。

「ありがとう!」

 心から、フローリアンは頭を下げた。


***


「イオー!」

 フローリアンは扉の前に立っていた人物に突撃した。そのまま抱きつく。

「フローリアン」
「イオ、元気?」
「ええ、おかげさまで。フローリアンは今日はどうしたのです?」
「お泊まりするっ。今日は楽しいことがあるんでしょう?」

 お祝いのケーキもあるんだと手にした箱をかざす。
 その様子と言葉に、イオはああと頷いた。今となっては厳密には違うけれど、やはり彼は自分の『兄弟』だ。 今日、これから何が起ころうとしているのか、本能で察している。

「イオは部屋に入らないの?」
「ちょっとアッシュとシンクが取り込み中でして」
「とりこみちゅう?」

 単語の意味がわからないらしい。

「話し合い中というか、シンクの一方的な痴話喧嘩の最中というか」
「ふうん」

 やはりよくわからないようだが、イオの態度からここで待っていた方がいいとは理解したらしい。
 素直な、けれども面白くなさそうな様子に、イオはふむと頷く。
 中で繰り広げられているやりとりは想像がついている。――単にシンクが拗ねているだけである。 この世界に『ルーク』が還ってくる予定日(むしろ確定日)ということで、アッシュが無表情のまま浮かれているのである。 他人が見ても変化はわからないが、カンタビレどうしの場合はある程度、感情の流れが察知できてしまうので筒抜けだ。
 もっとも、アッシュにとってこの世界に戻ってきた経緯と方法を考えれば、彼の最優先がルークであったのは想像できる。
 シンクだって理解しているだろう。
 が、わかっていることと納得できることは違うのだ。
 結果、シンクは拗ねてアッシュにつっかかり、アッシュが原因がよくわからないままになだめている。 ちなみにイオが部屋の外にいるのは避難しているというよりも、どうせだったら二人きりにしてあげようという親切心である。
 その親切心も、二時間が過ぎた。
 時計を確認して、隣のフローリアンを見る。この少年もアッシュが大好きだ。まるで歳の離れた兄や従兄になつくかのように。

「そのかわいい弟分を放置しておくのもいただけないですよねえ」
「何か言った?イオ」
「いいえ。……僕も待っているのに飽きてしまったので、入ってしまいましょうか」
「いいの?」
「フローリアンが扉を開けてくださいね」

 ちゃっかりと弟を盾にする元導師の最強笑顔。疑うことを知らないフローリアンはノックも遠慮もなしに扉に飛びついた。
 とたん、ずざざっというか、がたんというか飛び退くような音と何かにぶつかるような音がイオの耳に入る。

「アッシュー!」
「ふ、フローリアンか」

 呼吸が不自然なのはアッシュだ。彼は執務机の椅子にきちんと腰掛けている。 なぜか床に書類が散らばっているが、フローリアンは気にせずにそれを器用に避けて、飛びついた。

「今日、泊まっていい?」
「保護者の許可はとってきたのか?」
「うん。はい、これ、アニスのママのケーキ」
「ありがたくいただこう」

 フローリアンのあとからゆったりと部屋に入ったイオは、ソファに寄る。そこではシンクが何喰わぬ顔をして本を読んでいた。

「できたてカップルの台詞ですねー。妬けません?」
「うるさいよ」

 何気なさ、今までずっとここで読書していました的な雰囲気のシンクだったが、明らかにそれがカモフラージュなのはイオも突っ込まない。 明らかに動揺している。手にした本の上下が逆さまだったりくらいには。

「大丈夫ですよ。僕もフローリアンも何も見てませんから」
「……」
「二時間の間に何をどうしてたのかなんて、勘ぐりもしませんから」
「……っ」

 シンクの眉間がぴくりと動いた。
 もう一押しして遊ぼうかなと思ったイオをフローリアンの無邪気な質問が止める。

「ねえ、アッシュはルークをむかえにいかないの?」

 空気が止まる。
 シンクが思わず立ち上がりかけたのを、イオは手で止めた。ふたりは事情も心情も知っているが、フローリアンは知らない。 そして、一方的に叱ったところでフローリアンは引き下がらないだろう。最悪のパターンとして、何かの拍子にアニスの耳に入ることもありうる。
 どう答えようかと固まったアッシュを視界の端に、どう助けようかと二人が考えていると、ちょうどフローリアン自身が救いの手を差し伸べた。

「それとも、鬼ごっこ? かくれんぼ?」
「かくれんぼだ」

 間髪入れずに、アッシュが答える。

「今日からいつまで?」
「ルークたちが自分から見つけるまで、だ。それまで、じっとここで隠れてなけりゃならない」
「じゃあ、やっぱり秘密?」
「無論だ」

 フローリアンの年頃の子供は『秘密』が大好きだ。今までもそれを利用してアニスの目から逃れている。 ……そうでなければ今頃は、少なくとも多額の口止め料を払うという被害を被っていたに違いない。

「ボクは?かくれてなくていいいの?」
「フローリアンはもうアニスに見つかっているでしょう」
「そっか」
「だから心配しないで、外から見て楽しんでりゃいいよ」
「シンク、そこまでフローリアンはすれてないでしょう」

 さすがにこれから右往左往するであろうルークたちを見て愉快がるような人格ではないだろうとたしなめたイオだったが、続く発言に凍る。シンクも同様だ。

「ルークたちにウソをついて、面白くしてもいいの?」

 やはり導師のレプリカ。記憶やら感情やらはコピーされないはずなのに、どうしてだかそんなところだけが忠実にレプリケーション。

「嘘はやめておけ」
「うん」

 ひとり動じなかったアッシュに、フローリアンも素直に頷いた。言ってみたものの、日頃の教育――嘘をついてはいけません!――を思い出したらしい。
 が。このままではぼろを出す瞬間も近い。
 誰がって、アッシュが、である。
 悟った二人の行動は早かった。

「とにかく、久しぶりのパメラのケーキです。ちょうど良いですから、三時のおやつにしましょう」
「せっかくだから、今日くらいは紅茶をいれてやるよ」
「アッシュも、お祝いです」
「お祝いー」

 腰を上げたシンクとそれについていくイオとフローリアン。
 聞き捨てならないことをもあったが、ここで動いては墓穴を掘るだけだろう。
 それにどうやら、やらなければならないことができた。

(フローリアンにばれる程度じゃ、眼鏡あたりに気がつかれるな)

 大至急の課題。
 浮かれきった第七音素をどうにかしなければ、平穏なカンタビレの日常が失われてしまう日も近い。
 執務机でじっと考え込んだアッシュを振り返って眺めて。
 こちらとしても、どうにかして対バチカル&グランコクマ用の落とし穴をアッシュにばれないように掘っておかなければと。
 他の三人がこっそりと笑みを浮かべつつ頷いたのは言うまでもないことであった。


ルーク帰還日。
アッシュは浮かれてると思います(きっぱり)。
シンクはイライラしてると思います。
イオとフローリアンは外から眺めて楽しんでいることでしょう。
とりあえず、ルーク帰還から半年くらい、いろいろと仕掛けておいたおかげでアッシュは自由の身でいる予定。
その後はまあ……帰ってこいコール合戦が始まるということで。

<2008/07/22>






BACK