最後の瞬間は、あなたに会おう。


 軽く閉じていたまぶたを上げた。
 自分を地に縫い止めるローレライの剣に流れ込む第七音素の量が明らかに跳ね上がったのだ。
 この時代のローレライーー自分と大爆発を起こす前のローレライ、自覚はまったくないがいわゆる過去の自分ーーがルークの手で解放されたのだろう。
 感じ取ったアッシュは迷うことなくローレライの剣に手を伸ばす。
 ここにローレライの剣があると、ルークたちに行くべき第七音素がこちらに流れてきてしまう。警戒していた相手はもういない。
 対応は迅速に。どうせ刃に触れたところで、持ち前の癒しの能力で血が流れることはないのだ。それでも生じる指を断つ痛みに耐えて、力任せにそれを抜く。からんと音を立てて転がった剣は、次の瞬間には光に溶けた。イオのところへ還ったのだろう。
 久々に身を起こす。すこしだけ視界が揺れたが、すぐに治まった。普通はあれだけ動いていなければ筋肉が衰えて当然だが、自分にはやはり当てはまらなかったかとアッシュは苦笑した。

(もうすぐか)

 ゲートの内部からは天に昇るローレライは見られない。しかし、何よりも近しい音素の流れだ。視界など必要ない。上半身を起こし、足を投げ出した体勢で緩く仰ぐ。
 あの思い出の瞬間まで、ここで穏やかな時間を過ごすのも悪くない。
 そんなことを思っていた矢先だった。
 感じ取れるわずかな異物、音素のぶれ。本来ならば第七音素集合体と相容れないだろうもの。弾かれて、自ら霧散するとも勝手にアッシュが考えていたそれは、まるで引きずられるように昇っていく。

(冗談じゃねえ)

 自分の経験を踏まえれば、あんなものはなかった。つまり、あれは自然に消滅するということか?
 だが、それを期待してもいいものか?

(大爆発の中に、あんな危ないヤツを置いておけるか!)

 いらだちをそのまま光に置き換えたように、彼の足下に輝く譜陣が広がり。
 遥か上空へ飛び立とうとしていたそれをアッシュの目の前に引きずり下ろした。



 今頃、遥か音譜帯で繰り広げられているだろう「どちらが生き返るべきか」の大口論を思い出しながら、アッシュは目の前の第七音素の塊を蹴飛ばした。
 問答無用の超振動で、記憶粒子と音素に分解してしまっても良かったのだが、さすがにそれは思いとどまった。

「起きやがれ、ヴァンデスデルカ」

 げしっ
 
 ぼんやりとした輪郭ながら、それがあの男であるとわかる。
 短くもない間、ローレライを捕らえていたせいか、あるいは彼が優れた第七音素士であったせいか、それともユリアの大譜歌のせいか。原因などどうでもいい。とにかく、アッシュの前には『そう』としか呼べないものが存在した。
 もっとも、それは吹けば飛びそうだった。乖離を起こしていたレプリカよりも儚い風情。
 けれども、あのままにしておけば聖なる焔の光の大爆発に溶け合ってしまっていた可能性がある。
 想像したら、それだけで背筋が凍る。
 気色悪い。

「お、き、ろ!」

 げふっ

 変な声が聞こえた。

「起きたな」

 もう死んでいる相手である。もとから持っていない遠慮は、さらになくなっていた。

「その声は……ローレライか」
「……同僚の声も忘れたのか」
「……カンタビレか」

 声質は一緒だが、男の知るローレライとは決定的に口調が違う。それから、同僚というキーワードをヒントに、なんとか正解を導く。

「今更、何だ」
「別に死んだ貴様をどうこうしようなんざ、思ってねえよ」

 ヴァンたちが計画を実行に移す中、姿をくらまして居場所さえつかませなかった――ローラ=アシュレイ=カンタビレ。
 邪魔されないのを良いことに放置していたが、ずっと気になっていた存在。
 彼は軽く肩をすくめて(たように見える仕草をして)、答えた。

「アッシュとローレライの大爆発に余分なものを混ぜたくないだけだ」

 そううそぶく彼の名前がヴァンの思考で分解され、統合される。
 ローレライ。アッシュ。カンタビレ。
 導きだされたそれに、ヴァンは呻いた。
 そんな彼を見て、アッシュは、つい直前の台詞を否定した。
 大爆発を滞りなく終わらせたい。それもあるが、それ以上に。

「あんたに会いたかったんだ」
「私を笑うためか?あれだけのことをしながらも、収穫をすべてルークに持っていかれた私を」

 ヴァンは預言を否定し、理想を実現させるために動いた。預言のない世界をめざして。しかし、皮肉なことに。ヴァンを否定したルークたちによって世界は預言を否定した。何年も周到に用意してもできなかった人々の意識の改革は、ルークと言うイレギュラーな要素にもたらされた。喜ぶべきところかもしれないが、そうはできなかった。
 自嘲の呟きにアッシュはゆるく首を振る。
 言いたいのはそんなことではない。ヴァンの主張する理想などとは関係ない。
 もし、エルドラントで自分がヴァンの前に立ったならば言おうと思っていたことがあったのだ。

「八ヶ月」
「何?」

 アッシュは数えた。

「アクゼリュスで消滅するはずだった俺が、生き延びた時間だ」

 実際には時はループし、アッシュはカンタビレとなった。それ以上の時間が与えられたが、あのとき生きていた自分にとっては八ヶ月。そこでどれだけのことができたか。したことといえば数えられるほどだが、わずかな自己満足は得られた。
 けれども、そうするには生き延びた時間と、大爆発の方向を変えたレプリカの存在が不可欠で。
 すべての理由は、結局のところで目の前の男に帰結する。

「感謝しています」

 本心からの言葉にヴァンの音素が揺れた。驚き。

「……やはり、根源は同じか」

 呟きはため息に似ていたが、すぐに詰問に反転する。

「それで、私をどうするつもりだ?」
「こうする」

 アッシュの両手に穏やかな金の光が生まれる。もちろん、ヴァンはそれがなんだかわかった。
 超振動。すべてを消し去る……優しい手段だ。
 ヴァンは、彼が彼である限り、この世界と共生できない。もしできるのであれば、頭の良い彼がそうしようとしなかったはずはない。世界を変えるのではなく、世界をコントロールしようとしただろう。それをしなかったということは、この世界で彼がらしくあろうとするのは不幸なことだ。
 生きていさえすればいい。やり直せばいい。
 ひとはそういうかもしれない。
 しかし。
 ルークとして。
 アッシュとして。
 カンタビレとして。
 ローレライとして。
 様々な角度からこの男を見つめた自分には、そんな意見は頷けない。
 だから。

「さようなら、師匠」

 これ以上、世界を憎まなくてもいいように、あなた自身が音素へとめぐって、世界となってください。

 金の光の洪水。
 物音ひとつしないうちに、目の前の第七音素は記憶粒子と第一から第六までの音素へとそれぞれ分解した。虹の欠片のようにきらめいて溶ける。
 師に引導を渡した両手を見つめ、アッシュは空を見る。
 いつのまにか、遥か上空にあった『ルークとアッシュとローレライ』の気配が消えている。大爆発は無事に完了し、それぞれの時代に飛ばされたということだろう。

「さて、かえるか」

 自分もいかなければいけない。
 踵を返して数歩。
 名残惜しく背後を振り返り。
 何もない空間を確認して。
 彼は二本の足で地上に向かって歩き出した。





 ようやく書けた!なお話です。
 ルークと違って、アッシュはゲーム中ではヴァンと向き合う機会をもらえていないんですよね。
 シナリオ上、仕方ないのですが(アッシュが向き合うと、ルークがヴァンと対峙できなくなってしまう可能性が大)、アッシュ自身がきっと心残りがあっただろうなあとのことでのカンタビレ補完です。
 にしても、何年経ってもやっぱりアッシュは師匠のことを理性で否定しつつも、感情では好きでしかたないらしいよ(笑)。

<2008/03/20>






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