バチカルの午後。 ファブレ公爵邸の中庭へ椅子とテーブルを出して、アフタヌーンティーを楽しんでいたナタリアは極上の笑顔でルークへ報告した。 「こちらは順調ですわ」 「ほんとか?!じゃあ……」 「ええ。アレはそれほど数があるわけではありませんもの。正規ルートを押さえましたから、あちらにはいっさい流れないはずです」 流れれば、それこそ密売ルートがあるというもの。ついでですからあぶりだしましょう。 優雅な仕草でカップを口に運びながら、ナタリアは宣言する。 彼女の手腕にほれぼれしつつ、ルークはでもと不安になる。 「俺たちの名前が出ると、それこそ逆効果なんじゃねーの?」 「そちらも問題ありません」 彼の心配を吹き飛ばすように、王女は微笑む。 「ユースレースト伯爵とフェイ子爵にそれとなく協力をお願いいたしましたから」 出された両家は遠く王家と血縁があり、さらに年頃の子息がいる。ルークとナタリアの婚約が事実上凍結された現在、売り込みに必死だ。すでに女王然としたナタリアがどのような方法を使ったかは知らないが、ルークたちの名前が出ることは決してない。 「うまくいくといいなあ」 皿のガトーショコラはルークにはちょっと苦い。 *** アッシュは機嫌が悪かった。 別段、仕事にミスや問題があったわけではない。 正体がばれてから一時期はうっとうしいほどに届いた手紙も、週にそれぞれ一通の許容範囲に落ち着いている。来週、キムラスカからダアトへ公式訪問があるから、そのときはうるさくなるかもしれないが。 施策上の敵対勢力がいるのは当然。組織が健全な証拠だと思っているし、そういった輩は討議の場で処理済みだ。 教団に対する民の態度だって、特筆することもない。 ではなぜか。 それは至極単純でもあった。 ただ、アッシュ自身がそうと認めたくないだけで。 「アッシュ〜」 前触れもなく開いた扉にアッシュは目を上げる。 「フローリアン。入ってくるときはノックをしろと言っているだろう」 「う……。ごめんなさい」 謝る少年を追いかけるように、ぴょこんとツインテールの頭が覗いた。 「しつけ不足だな」 「ええ〜っ?アニスちゃんのせいじゃありませんよう。……フローリアン、何したの?」 「せめて言い逃れはフローリアンの行動を確認してからにしろ」 文句をつけながらも、アッシュはペンを置いた。このふたりが来るということは頼んでいた件について、何かしらの報告があるということだ。 ひょっとするとひょっとするかもしれない。期待がひたひたと胸をのぼる。 あまりにも個人的な理由過ぎて、だったらと最近やたらと「仕事」というものに関心を持つようになったフローリアンに頼んだことである。ちなみに彼の背後にはアニスがついているので、依頼料はきっちりとポケットマネーからいただかれてしまったアッシュだった。 「で、依頼してたものは?」 「それが残念でしたあ。どうやっても押さえられません!」 大げさにアニスが首を左右する。 ぴくりとアッシュの眉が動いた。 「ほう。となると報酬の半分はなしだな。残りの半金は例の物との引き換えの条件だ」 ちょっと期待してしまっただけに、アッシュの機嫌は急降下した。 そんな男の様子をうかがいつつ、アニスはくるくると髪をいじった。 「でも、アッシュの希望でいくとー、今回一回きりってわけじゃあなくって、ダアトへのルートを確保したいってことでしょ?それはどうやら無理そうなんだよね」 確かにそうだ。 けれども、彼女の言い分にアッシュも納得できる訳がない。なにせ、彼が幼少時に誘拐されてダアトへ来てからずっと――それこそ逆行してからの現在までの時間、どうやってもそれが手に入らないという異常事態はなかったわけで。 じっとりとした緑の瞳に何を見たのか、アニスは続けた。 「あたしが調べた限りだと、それってナタリアも好きなんでしょ?それを知ったどこかの馬鹿貴族が買い占めて献上しまくってるみたいなんだよねえ」 「馬鹿貴族……?」 「言っとくけどファブレじゃなかったよ?」 アニスに押されるまでもない。ちょっと考えれば、それがルークの好みからはやや外れているとわかる。 「もともとがキムラスカ国内でもけっこう手に入れにくいみたいだし、作ってるほうも老舗のプライドが高いから闇ルートもなさそうだし。どうせだったら、漆黒の翼に頼んでみる〜?」 彼らであれば、このようなかわいらしい頼みであれば二つ返事で引き受けてくれるだろう。 けれども、アッシュのささやかなプライドがそれを拒んだ。 彼らのことだ。一緒に旅をしていたあいだに気が付いていただろうそれに明確な証拠を与えてしまえば、喜んで――自分をいじりにくる。 じゃあ、アニスとフローリアンならばいいのかと言えばそうでもなかったのだが。 ある意味「身内」であるフローリアンには、自分からではなくても残りのカンタビレから話が漏れるのは時間の問題だと思ったし、それをフローリアンが彼の保護者に伝えないはずがないと思った訳で。 それならば、いっそのこと小銭(では済まなかったが)で味方に引きずり込んだ方が早いとアッシュの理性は判断した。 にしても、どうするか。 このままダアトに居座る限り、アッシュはずっとイライラを抱えることになる。 ダアトから離れられない自分の変わりに、イオとかシンクとかフローリアンとかを直接買い付けにいかせてもいいわけだが、今のアニスの話を聞く限り、確実という言葉はない。 ダアトかマルクトで代わりを探すか? いや、無理だ。 なんといっても、二十年以上生きてきてあれ以上のモノに出会ったことがないのを忘れたのか。そうでなければ幼い頃にヴァンにおねだりしたこととか。バチカルへ行く同じ特務師団の女性兵士にこっそり頼んだこととか。恥ずかしい記憶の雪崩はどうしてくれよう。 ちらりとアッシュは机の右上、雑多に積み上げられた紙の束に視線をやる。 不自然にへこんでいる箇所は、見たくないからとルークからの分厚い封書を押し込んだ部分である。 覚悟を決めて。アッシュはそこへ手を伸ばすと、山が崩れないように封書を抜き出した。 鮮やかな紅の封鑞を見つめ、ため息を落とす。 「アニス」 「なに?アッシュ」 「お前のことだ。来週のナタリアの訪問について、ルークから何か聞いているだろう?」 「それはもう。ただ、アニスちゃんが考えるに、そのぶっとい手紙の全部にほとんど同じことが書いてあると思うけど〜」 「『アッシュ!お願いだからナタリアにくっついていく許可ちょうだい!』って?」 「そうそう。フローリアン、よくわかってる!」 ふたりに言われるまでもなく、アッシュだってなんとなく見当はついていた。 ダアトとしては救世の英雄であるルーク=フォン=ファブレの訪問を拒む理由はない。ナタリアと一緒に、というのも問題なし。仮にあったとしても、将来国政に関わる王位継承者であることをフルに生かせば、機密事項云々の壁はオールクリア。 彼ら個人の間では、力関係はルーク<アッシュ。けれども、世間的にみればルーク>カンタビレ。この図式を応用するとルーク+ナタリア>>カンタビレ。 公式訪問の際は何かにつけの理由でダアトから逃げようと思っていたが、そうするにはちょっとばかり分が悪い。 (あきらめて、今回はつきあうか) とすればやることは一つ。 このルークの悪筆で長ったるい手紙を読み、返事を書く。しかも、それとなく目当ての物を手に入れるための要求をさりげなく潜ませる。 キムラスカで買い占めをしている貴族がどこの誰だかは知らないが、現在、ファブレ イズ ナンバーワン。バックにはナタリアもいる。 どうにかできなきゃ嘘である。 ルークの読解力が不安だが、とにかくできなかったら屑だ。屑以下だ。ホコリ決定だ。 決意を胸にアッシュは封を溶かした。 「アニス、フローリアン」 「なに?」 もう帰っていいのかなとそわそわしていた二人に、アッシュは未決済の書類のうち、一番右の山を指差した。 「フローリアンはそれを内容ごとに分類しろ。アニスはそれを読んで、要約をレポート。隣の部屋を使え」 「え、いいの?!」 「俺が許す」 「やったあ、アニス、がんばろう!」 ぱあっと顔を輝かせるとフローリアンは示された山を腕に抱え込んだ。空いている手でアニスの手をつかむ。 「ちょ、フローリアン」 張り切った少年にひきずられつつ、アニスは猛然と手紙と格闘し始めるアッシュへ叫ぶ。 「追加料金もらうからね!」 「出来高制だ。採点はシンク。評価がよければボーナスへ反映させてやる」 「! 了解でーす、カンタビレ様っ」 その姿が消えてしばらく。 アッシュは勢いよくペンを走らせ始めた。 *** バチカルの午後。 ファブレ公爵邸の中庭へ椅子とテーブルを出して、アフタヌーンティーを楽しんでいたルークは極上の笑顔でナタリアへ報告した。 「ナタリア!とうとうアッシュからの返事がきたんだ!」 「まあ、ルーク。やりましたのね」 「うん。あきらめないでよかった」 今までの何十通にも上る返事のない手紙を思い浮かべてルークはしみじみと呟いた。よかった。あきらめないで本当によかった。 「それで肝心の内容はどうなのです、ルーク。アッシュのことですから、来るなと言う返事をわざわざ書くようには思いませんけれど……」 「ああ、うん。ナタリアについていっても良いって」 「例のことについては何か書いてありましたの?」 「いや……。あ、えーっと、そうだ!」 濁して、ルークは立ち上がった。聞くと、手紙の中によくわからない言い回しがあったのだと照れたように笑った。部屋から手紙を持って来る、と席を外す。 ルークの背中を見送って、ナタリアは今日のお茶請けを眺める。 この間と同じガトーショコラ。 毎日食べていても飽きないのはもはや感嘆するほかない、子供の頃から変わらない味だ。 ホールを切り分けるとき、さりげなさを装いつつ、アッシュが一番大きなピースを選ぼうとしていたのは幼なじみの間では公然の秘密だ。 「ナタリア、これなんだけど」 そっと差し出した手紙のくだりを読んで、ナタリアは微笑む。 たしかにこういった『貴族の』手紙のやりとりをした経験の少ないルークにはわかりづらいかもしれない。 だが、王女にとってはアッシュが何を求めているのかは明白。 「ルーク、わたくしたちの勝利ですわ」 そうして皿から一切れ。上品に口へ運ぶ。 人間、懐かしい味――それも、美味しいお菓子には敵わないものだと温かい気持ちになりながら。 アッシュは甘い物好きというよりも、気に入った味をしつこくリピートするタイプ。 逆行前から誕生日とか昇進祝いとか、全部同じケーキを強請ってればいい。 師匠も知ってて、終いにはファブレ邸からの帰りに予約もしっかりいれて、お土産に買ってけばいい。 <2007/10/23>
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