「そこでいつまで立っているつもりだ?」 やはり止めようかと踵を返しかけたジェイドをまさに留めるタイミングで、扉越しに声が発せられた。男がかつて聞いていたものと同質で、しかし限りなく落ち着いた――からかうような余裕さえも伺えた。 これが逆行した者と巡行した者の違いか。だが、あのルークが多少の時を戻ったからといって扉の向こうの人物と同様になるとはどうしても思えず、やはり経験の差ということだろう。 「では、遠慮なく」 扉が内側から開かれる様子はなかったが、許可されたには違いない。 一歩踏み込めば、まるで彼の訪問を予想していたよう。……ティーポットは別として、一人で飲むのにティーカップを二脚用意する人間はあまりいない。 そして、肝心の『彼』といえば、片頬をゆがめるように頬杖をつき、椅子に深く腰掛けていた。 「どうした?」 「いえ」 素直に従ったジェイドを眺め、彼の瞳は笑ったようだった。 「どうかしましたか?」 「いや」 似たような会話の繰り返し。ただし、こちらはふと思い立ったように、会話を打ち切るのを止める。 「そういう聞き分けの良い姿を見たことがないから、何か魂胆があるのかと思ってな」 「逆らっても何の得もないでしょう」 「聞き出せなくなるからか?」 それは心外だ。 『彼』の喉の奥だけでの笑い方は変わっていない。だが。変わってしまった外見。あるいは、近づいた年齢よりも、あるいは地位よりも。はるか根本の部分で決定的な決裂が生まれている。 ジェイドは目の前の男の名前を呼ぶ。 「ローラ=アシュレイ=カンタビレ」 「何だ?」 「なぜ、そんなにわかりやすい偽名にしたのです?」 単純なアナグラム。ジェイドでなくてもディストあたりが、……否、ヴァンですらも気がついたかもしれない。 しかし、それに答えることなく。フルネームで呼ばれたことも気にしていないとでもいう感じにアッシュは緩く首をかしげる。紅の金の髪。天に昇るローレライと同じ。 しばしの無言。 聞きたいのは、そんなことではないだろう? 「知りたいのは、『正しい歴史』とやらだろう?」 「……その通りですよ」 預言に支配されたジェイドの知る歴史と、預言を外れたアッシュがいた歴史。ふたつが複雑に絡み合ったものが、おそらく実際の歴史だ。ならばヴァンが目指した歴史とやらは、とっくに実現していたのではないかとはきっとジェイドの邪推だろう。 歴史が逸れた、その引き金の瞬間を知りたかった。 フォミクリーを生み出したジェイドか。 フォミクリーを使用したヴァンか。 「起点は、残念ながら俺にもわからない」 「おや、ローレライにもですか?」 「ほざけ。あれだけの事象に単純な起点を求める方が間違っている。ただ、」 ローレライと呼ばれたことは否定しなかったアッシュになんともいえない感情を抱くが、それを分析することをジェイドはあきらめた。 そんな彼の一種感傷など彼には関係ない。淡々とジェイドが求めた回答をーーローレライの知る星の記憶に刻まれたかつての未来を詠み上げた。 ユリアの預言とは異なる、アッシュが詠んだ歴史。 「求めるのであれば、導師イオンだな」 作られるはずのなかったレプリカ。七人のイオン。 導師イオンが死した後、その位は空位となる。導師イオンは後継者を指名しない。 最高指導者を失ったダアトの迷走と弱体化。 よりいっそう進むモースとヴァンによる教団の私物化は止まらない。 そしてND2018。 聖なる?の光ーールーク=フォン=ファブレとローレライの<大爆発>によるアクゼリュス崩壊。 「ちょっと待ってください。アクゼリュス崩壊は、聖なる?の光による事故、または人為的なものではないのですか?」 ジェイドがついと人差し指で眼鏡を持ち上げた。彼はアクゼリュス崩壊はルーク=フォン=ファブレがマルクトの手に狙われての事故、あるいは未曾有の繁栄を信じて国家に暗殺されるか、自ら国家の人柱になると考えていた。 「万が一の事故でも、超振動を暴走させるような柔な訓練は受けちゃいねえよ」 さらりと述べられたのは、おそらく真実。このあいだの、彼の正体がばれることになった暴走は、アッシュのというよりも深層のローレライのものだろう。 完璧な制御をもたらした、訓練がどんなものであったのか。胸が悪くなるような推測はアッシュの淡々とした声に遮られる。 「俺とルークのあいだで起こった<大爆発>までの期間が、同調フォンスロットをつないでから一年弱だ。いかに生まれたときから同調フォンスロットが通じていたとはいえ、人間と音素集合体では存在が違いすぎる。<大爆発>が生じるまでの18年は妥当なところだろう」 二つのものが一つになるときに放出される莫大なエネルギーが、ルークとアクゼリュスを消滅させる。だから、秘預言は聖なる?の光を『消滅』と称するのだ。死ではなく。 「アクゼリュスが崩壊したからといって、普通なら即座にマルクト・キムラスカで戦争が起こせるわけじゃねえ。いかに一触即発の状態が続いていても事実関係くらい調べるだろうし、ローレライ教団も一般人の避難くらいの猶予はひねり出すだろう」 教団は預言の遵守を求めていても、いたずらな命の消費を望んでいるわけではないのだ。 けれどもモースは戦を起こすことを念頭に置いている。急いている。人命までは頭が回らない。預言に反しようとして、預言に縛られるヴァンも同じく。 彼らを止めることができる唯一の立場の人間、導師がいないのでなおさらだ。 なにより、アッシュの目には導師を失った後に内部分裂をくり返したために二大国の抑止力となるどころか、もはや崩壊寸前のダアトが見える。 「キムラスカはルグニカ平原を攻め上る。マルクトの滅亡は止められない。マルクトから流出する人民を受け入れる余裕はダアトに無い。結果、……キムラスカとダアトはマルクトを閉鎖し、処理しきれない死体の山が生み出される」 疫病を生み出す屍。これをダアトが放置するのは、預言のためもあるが、対応するだけの余力がないのだ。あくまでも預言の遵守に固執するモースと、『疫病を発生させない』ことで預言を覆そうとするヴァンの対立が生じるがゆえに。 「なるほど。その手であればヴァンの計画もうまくいったかもしれませんねえ」 「……俺が最初に聞かされていた計画も、あくまでそれだったからな。俺がレプリカを代用にして生き延びた後、マルクトの疫病を……俺の第七音素を用いて治癒師が一掃する」 そうでなければ、誰が。小さくアッシュが呟く。 ジェイドはそれを聞かなかったふりをした。 預言を覆す。手段を選ばないのであれば、ルーク=フォン=ファブレを十八の前に殺してしまえばいい。だが、そうはされなかった。その理由、どうして彼が預言より長く生かされようとしていたのか理解できたからだ。 「その場合、あなたの命はないように思いますが?」 「王族は所詮、国家の贄だ。これ以上ない最高の使い方だろうが」 「どこぞの陛下に聞かせてやりたい言葉ですねえ」 「やめておけ、後悔するだけだからな。そもそも本心じゃねえだろう、この眼鏡が」 友人をなくす後悔。民のために効果的に命を捨てる主君を失う、臣下の後悔。 逸れた話をもとに戻すように、アッシュは息をつく。 「生み出された疫病は、世界中に蔓延する。折しも外郭大地の耐用年数が想定を超えて、障気がそこら中から吹き出す。こうなっちまえば人間の力ではどうしようもない。いくらヴァンがもがこうが、モースが新たな預言を求めようがな。かくして世界は誰にでも平等な死を迎える。以上」 アッシュの言葉は、確かにユリアの預言をなぞっている。 「ですが、レプリカとはいえ『導師イオン』が存在した」 「だから、少なくとも疫病の発生は遅らせられただろうな」 預言と人道。人々がどちらを選択するかは予想できない。だが、預言のために死に瀕した生命を見捨てるような生き物ではないと、人を信じたい。 これ以上、話すつもりはない。 そんな意識の現れだろう。カップに残っていた茶をアッシュが飲み干す。 退出を求める仕草にジェイドも腰をあげた。非常識な時間の訪問で、かつ彼がここまで構ってくれただけでもよしとすべきだろう。 「有意義でしたよ。それでは」 軽い挨拶の後に背を向けた男が部屋を出る寸前、アッシュは思い出したように声をかけた。 「マルクトからキムラスカに病を持ち出すのは、てめえじゃねえよ。ついでに言うと、ディストでもない。……マルクトに密かに救援物資を送っていた、キムラスカの人間だ」 キムラスカは滅ぼされるのではない。 自らの良心の呵責に耐えかねて滅ぶのだ。 扉が完全に閉じる瞬間、男の声が聞こえた。 けれども、アッシュはそれを聞かなかったことにする。 この程度のことで、礼を言われる筋合いなど、少なくとも自分にはない。 発掘されたので掲載。 小説というよりも参考資料。 このシリーズでの正史です。 <2007/10/03>
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