「ねえ、アッシュ」

 病床にあって、未だに導師の瞳は強い。
 預言に従えば、おのれの寿命があと何ヶ月なのか。どころか、何日と何時間と何分何秒なのか。そこまで正確に情報を持っているとは思えない落ち着き。もしかしたら、そこまで知ってしまったからこその落ち着きなのか。
 どちらにしろ、死を目前にした病人らしからぬ覇気を持ってイオンは傍らに控える者を呼んだ。

「なんだ?」
「先ほどまでね、ヴァンがいたのですよ」

 喉の奥でくつりと笑い、それすらも苦しかったのか表情を歪ませる。

「無理はするな」
「この期に及んでは何をしても無理になりますよ。それに、あなたがいてくれるおかげで、だいぶ良いんです」

 そう言われては、アッシュは黙るしかない。音素の性質を考えれば、どれだけ気を遣って制御していても第七音素が彼の周りに集まるのは仕方がない。その癒しのちからが多少なりとも導師の病状を安定させていると思えば反論するものでもない。
 どう表情を作ったらいいのかわからない、といった彼の表情をイオンは穏やかに見つめた。

「預言を憎まないのかと聞かれました」
「どう答えたんだ?」
「預言で決められてようとなかろうと、自分が死ぬんだろうというのは実感としてわかりますと」
「呆れられたろう」
「それはもう」

 死の淵にあって、病を治すための研究をするのではなく『預言に従って』後継たるレプリカの作成を指示した導師をあの男は理解できないだろう。

「結局、レプリカの真意については伏せるんだな」
「話したら困るのは、あなたたちでしょう?カンタビレ」

 彼らの話を聞く限り、ヴァンにとってのレプリカイオンの存在は『預言通り』だったはずだ。

「それから、こうも聞かれました。『もし仮に、預言が詠めなくなったとしたら、人間はどうすると思うか?』と」

 ヴァンが計画を実行に移した時、それが成功した暁に。人は何を思うのか。男の理想とするように自らの足で意気揚々と歩み出すのか、それとも。
 ふと、嫌な予感がしてアッシュは眉をひそめた。
 果たして、導師がそのような理想的な答えを男に与えるだろうか、と。そんな甘い夢よりも、どろりとした沼のような答えを見せつけるのではないかと。

「僕はこう答えました」

 額に縦じわを刻んだアッシュを、試すように。息を区切って歌うように告げる。

「『人が預言を詠めなくなったならば、人は預言を詠むための音機関を開発するでしょう』」
「それが作れなかったら?」

 ヴァンが尋ねただろうことを、アッシュもなぞった。

「『預言の源を捕まえようとするでしょう』」
「捕まえられなかったら?」

 預言の源とは、星の記憶。あるいはローレライ。

「『ダアトは預言を自ら作り出して、演じるでしょう。そして、誰もがそれに疑問を持とうとはしないでしょう』」

 ある意味、すでにイオンが行っていることだ。預言のひとことで、誰もレプリカを作る事について異論を挟もうとはしない。
 現実を踏まえているから指摘は適確だ。それを知らなくても、ヴァンのように頭の良い人間が、イオンが何を言わんとしたのか理解できないはずがない。

 預言はなくならない。
 人々が今のままである限り。

 アッシュのなかで思考が組み立てられる。
 かつての、未来の師の行動。預言から人々を解放する、と師は言った。預言という麻薬に浸った人々を切り捨て、そこから生み出されたまっさらなレプリカで世界を創る。あれだけ聡明だったくせに人間を消してレプリカで代用するという、無茶な理論。
 預言にない存在で、解放の世界を。そう宣言しながら、レプリカを……それこそルークを認めようとはしなかった矛盾。
 最後まで理解しがたかった根底が導師の言葉で解けていく。
 ヴァンは結局、人間だとかレプリカだとかに関係なく、『預言に頼ることを知る存在』を消したかったのではないだろうか。

 イオンはアッシュの表情の変化を見ながらも、何も話さなかった。
 彼が何を考えたのか、予想はできるつもりだ。
 目の前の人間とも音素集合体ともいえない不可思議な存在と出会ってから、その実、一年と経っていない。けれども、彼はイオンと思考を共有する事の出来る、貴重な存在――共犯者だ。
 だから、これからの未来でも、自分が死んだ後でも、きちんと共犯者らしく生きてもらわなければ困る。
 ややあって、呻くようにアッシュは呟いた。

「イオン、てめえ……」

 やはり理解してくれた。それでこそ、導師たる自分が選んだ人間。

「良かったですね、これで確実にあなたの知る歴史通りになりますよ。ローラ・アシュレイ・カンタビレ」

 親愛なるローレライ・アッシュ。
 その意を込めて、彼は最期の楔を打ち込んだ。





 一騎打ち直前グランコクマのアッシュではありませんが、人間全部をレプリカに置き換えようと言うヴァンの意図がよくわかりませんでした。あんた、無茶苦茶だ。
 あれだけ頭のいい人なので、もっと別のやり方も考え出せたと思うわけです(そうなったらゲームとして成立しなかったかもしれませんがね)。
 それができなかったのは、何かミスリードの原因があったのでは……と考えたら、私的にはイオン様しかいなかった。
 実はED後のルクアシュ再会編へ絡むネタが混じっているんですが、果たして書けるんだろうか。
<2007/3/21>






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