「動かないでよね、足手まといはいらない」 「ダアト式譜術は使えます。戦力に数えてください」 「はっ。それで倒れられちゃあ世話ないって言ってるんだよ」 話し声に反応して、アイスウルフが頭をこちらに向けた。 それが合図だった。 巨大な爪が、皮膚を切り裂く。 どうしてかばったのかは分からないことにしておく。 予想したよりも遥かに早い音素の収束は、彼の根底から何かを引きずり出しては揺らした。 共鳴。それを感じた途端、イオから巨大な音素が形を成すのを理解する。 焦点を絞ったダアト式譜術。肝心のその部分が劣化した自分には使うことができなかったものなのに、肌で感じるそれにかつてとは違って不可能は感じない。 ただの一撃で中を舞った獣に追い打ちをかけるように、焔の金が動く軌跡。 威力の大きさのせいで滅多に見ることのなかった超振動だった。それも、アクゼリュスを滅ぼした力の奔流とは違う。繊細に制御された力の柱はその瞬間に空中に浮いていた魔物のみを消し去った。地面も雪も変わらずにそこにある。 「シンク、大丈夫ですか?」 尋ねられて初めて、彼は怪我をしたことに気がついた。 向こうから人影が駆け寄ってくる。 「このくらい慣れてる。まあ、ヒーラーがいないから治りそうもないけど」 「シンク!」 「そっちこそ、元気そうでなにより。アンタ、劣化治ったんじゃないの?オメデトウ」 自分の状態をわかっているだろうに、表情もいっそ清々している。その様がイオには気にくわなかった。 「これでお荷物は僕だけってことじゃないか」 「……劣化は治っていません。気がつかなかったのですか」 繋ごうとした言葉はアッシュに遮られた。 「傷を見せろ」 「見せたところで、アンタ、何もできないだろう」 ローレライと同位体でありながら、彼はまったく第七音素に関わる譜術を使えなかった。譜術として音素を集めようとすれば、自身の音素振動数と共振し、超振動を引き起こしかねない状態になる。それを六神将は知っていた。 「ファーストエイドくらいなら何とかなるかもしれない」 それ以上の術は危険。後ろの少女を見遣り、構えていろとアッシュは命じた。たかがファーストエイド、されどファーストエイド。細心の注意で臨んでも、彼が第七音素の塊である以上、擬似超振動という失敗の確率が減るわけではない。 「これ、ファーストエイド一回で治るとは思えないんだけど。危険な賭けをするくらいだったら、放っといてくれない?どうせ僕なんて別に生き返りたくもなかったわけだし、これからしたいこともないし」 放っておかれても困らない。 そう続けようとしてシンクは頭に衝撃を感じた。 「ごちゃごちゃうるせえ!」 怪我人に手を上げたのはアッシュで、そのまままくしたてる。 「音譜帯で消える覚悟もできずにしがみついていて、さらには何か?一番最初に目が覚めて、さらには宝珠通じて構って欲しいとばかりにいちいちいちいちそっちの気分を伝えてきて、そのくせ放っておけだ?」 「は?誰が何だって?」 「とぼけるな。てめえが苛つくたびに耳鳴りがする。宝珠通じて屑並みの鬱回路がだだ漏れだ。イオみたくきっちり制御しやがれ、いや開き直れ?!どちらにしろ、俺は生きようとしない人間を生き返らせるような芸当はできねえよ。口で何と言おうがお前は生きようとしてるんだよ、ファーストエイド!」 息継ぎもなく、繊細な構築もなくアッシュは譜術を放つ。 「少なくとも、お前が一番生きることにしがみついてる。そうでなきゃ、どうすればザレッホ火山から這い上がって来れたんだ?」 それに見てみろ。おかしなまでにファーストエイドが効いたじゃねえか。 アッシュの差した先、シンクの傷は見事なまでに塞がっている。ありえないくらいに。 キュアかリザレクションか、そのレベルの技を使ったと言わなければ逆に信じられない。 「アッシュ、アンタ……」 「はいはい、その話題は後です。――シンク」 ぱんと手を叩いて、イオが逸れそうになった本題に戻る。 「かばってくださったうえに、ダアト式譜術に手を貸してくれてありがとうございます」 「?」 「やはり気がついていないようですね」 理解できないと眉をひそめたシンクを見て、イオは微笑む。 「僕の劣化は治っていません。さっき、もし一人であの術を使ったのであれば、確実に倒れていたでしょうね。そうならなかったのは、シンクが側にいてくれたからです」 前にいた彼から、何かが流れ込んでくるのを感じた。術を「ひとり」で使っているのではなく、「ふたり」で使ったのだ。シンクがどう主張しようとも、イオはそう信じる。彼が自分を補ってくれたのだと。 「シンクも、僕と一緒であればダアト式譜術が使いこなせると思いますよ」 「あのね、それとこれとは問題が違うだろう」 「じゃあ、こう言い換えましょうか。僕のために生きて側にいてくれると嬉しいんですけれど。僕は、シンクが空っぽだろうがなんだろうが構わない」 「空っぽの方が俺は楽なんだがな」 綺麗にまとめようとしたところをアッシュが遮った。イオが非難の視線を送る。けれどもそれに負けず、鮮やかに言葉が紡がれる。 「さっきも言ったが、空っぽなら耳鳴りも何もしない。楽でいい。どんなのであれ、そこまで感情豊かなくせして『空っぽ』と言い張れるのは驚きだな」 シンクはアッシュを見上げた。これは慰めてくれているのか、ただの厭味か、本音なのか。判断できない。どちらにしろ、こんな彼を見たことはなかった。 そして、自分の主張を否定する根拠も初めてのものだった。 死ぬなと言われたことはある。が、死んだら困ると告げられた経験はない。 今まで彼の言い分を否定する人間は何人もいた。けれども、所詮は他人だ。他人だから口ではどうとでも言えると思っていたし、彼らの言葉がこころに引っ掛かることもなかった。 このふたりは違う。……他人であって、他人ではない。同じ導師のレプリカだとか、蘇生したものと蘇生されたものとだとかではない。個としてはどこまでも他人のはずなのに、繋がっている。その感覚で否を突きつけてくる。 「おい、何とか言ったらどうだ?」 まるでどこぞのちんぴらのような物言いに、悩んだ挙げ句にシンクは言ってやった。 真面目に答えてなどやるものか。 とりあえず、アンタたちに付き合ってやってもいいかと思ったことなど、絶対に教えてやらない。 気の効いた言葉を探しながら、彼はくちを開いた。 *** 「導師様、あの方々、すごいですね!」 街に帰るなり、シェリーはイオンに興奮気味に報告した。 あのあと、周囲一帯の主となっていた魔物を倒したおかげで、それまで敬遠していた魔物たちが押し寄せたのだ。 「アッシュさんもシンクさんもほとんど一閃で魔物を倒してしまわれるし、イオさんに至ってはダアト式譜術まで」 「ふうん、そう」 イオ、減点。 ダアト式譜術は導師しか使えない。それを人前で使うとは言語道断。 それしか譜術を知らないというのであれば、これからじっくりと他の術を覚えてもらわねば。 少女は気が昂っていて不自然さに気がついていないようだが、後で口止めの必要がある。 「連携攻撃に穴はないし、それにアッシュさん、滅多にいらっしゃらないほど優れた第七音素士ですね!」 「そうでしょうね」 彼はローレライである。第七音素集合体に勝る存在がいるわけがない。 そう思って導師は聞き流したわけだが、シェリーはあらと目を見開いた。 「知ってらしてのことだったんですか?」 「そうでなければ、教団への依頼を振ったりはしませんよ」 微笑んだ導師の言葉は確かだった。 「そうですよね。たった三人であの凶暴な魔物討伐に向かわせられたんですもの。万が一に何かあっても、アッシュさんのあの非常識なまでの癒しの力があれば切り抜けられそうですし」 「非常識?」 「ええ。だって、ただのファーストエイドなのにキュア並みの威力を持っているだなんて、非常識じゃないですか?」 たぶん、ハートレスサークルでリザレクションどころかレイズデッドが起こせそうですよ。 少女の言葉を吟味しながら、少年は適当な表現を探す。 彼を推薦するとき、どんな風にすれば教団の中枢へ食い込ませることができるだろう。あの預言だけでは弱い。 来年預言で死が確定しているイオンにとって、彼らを末端からじわじわと出世させるだけのゆとりはなかった。 「よほどユリア様に祝福されているんでしょうね。イオン様、まるで人間版エリクシールのようですわ」 「それです、それ!」 少女の言葉に、イオンは手を打つ。 その反応に驚いて固まった少女に構わず、イオンはさくさくと論法を立てていく。 まずは彼女の報告が正しいのか確かめてみる必要はあるが、これも預言が解決してくれるかもしれない。 その名を『生命を歌うもの』と称する 名をカンタビレとするならば、こう呼ぶのもきっと相応しいのだ。 生命の水ーーエリクシールと。 最後はやっぱり長くなった……。 とりあえず、二つ名拝命編、終了。 アッシュの説教は支離滅裂。本人も何を言おうとしてるか作者すらもだんだんと分からなくなってますが(おい)、気迫は伝わった模様です。 ちなみにイオは制御できているのではなく、生きる事、自分が存在していることに対する迷いがないために揺らがない→アッシュへ動揺が伝わらない。ということです。 このあたりについては、アッシュに負担をかけないように、そして己のプライバシーを守る為にそれぞれ影で猛特訓してくれるでしょう。 <2007/3/12>
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