「これから実績作りをしましょうね」と導師ににこり微笑まれてしまったのは、つい先日。教団内で自由に動けるような地位をもらうだけは働いてね、ということ。
 そんなにほいほいと実績など作れるものかと括っていたが、どうやら神託の盾教団は人手不足らしい。
 アッシュの回復を待っていたかのようなタイミングで、ケテルブルク近郊に出没する魔物の掃討を依頼された。

「ロニール雪山なら、パッセージリングの関係上、教団が指揮をとって当然です。が」
「ケテルブルクじゃあ、思い切りマルクト帝国に睨まれるよ。責任取れるわけ?」
「と、言う通りだが」

 と、カンタビレ三段構えの論法にもイオンの方策に穴はない。

「大丈夫ですよ」

 微笑みもそのまま、足を組み変える。

「今は何年です?今年はマルクトに何があった年ですか?」

 未来からきたのだから、その年号を理解できないわけはないだろう。指摘に、アッシュは髪をかきあげた。長さもそのままに色彩だけが『聖なる焔の光』ではなくなった違和感。紅い、金。その色から赤を除けば、彼らの良く知る皇帝の髪と良く似るだろう。

 ピオニー=ウパラ=マルクト9世即位。マルクトはそれまでの好戦政策から、ダアトを通じてキムラスカとの軟化政策に転換している。
 戦争に疲れた民にとって、これは歓迎されている。けれども、戦争を利用して私服を肥やしてきた貴族、商人というのは少なくはない。彼らを処分し、あるいは懐柔するのに新帝は忙しく、地方にまで細やかな手を伸ばすわけにもいかない。それがたとえ、幼少時から自らを育てた街であっても。


***


 着替えようとしていたアッシュの手が止まった。
 イオンから渡されたのは、神託の盾兵団のものではない。まだ彼らの入団が認められたわけではないときっぱりと示すためだろう。ただしデザインは良く似ていて、黒を基調としたものだ。
 もっとも、普通の兵がつけるような大仰な防具の一切はない。イオンの手違いでも嫌がらせでもなく、必要ないと彼らが言い切ったからだ。
 かつて教団内でそれなりの地位にあった彼らは、一般兵に支給される防具や武器とは無縁だった。正しくは、教団から支給されたものをそれぞれ使い勝手がいいようにアレンジしていたのだ。強度はそのままに、軽く、薄く、硬く。時にディストが面白がって手を加えていたこともあったが、悪くなる事は滅多になかったので黙認していた。
 そんな彼らにとって、今更普通の防具は動きを妨げるだけだ。
 どんな魔物が出没しているのだかは知らないが、特務師団長、導師、参謀総長という取り合わせ。当たった魔物が哀れである。

「どうしました、アッシュ?手が止まってますよ」

 そうそうに着替えたイオは『白以外は貴重な体験です』としみじみ呟いていた。自分が『導師』でなくても良い。そのことを実感している風でもあった。

「いや、なんでもねえ」

 さりげなさを装って見える範囲、自分の体を確かめる。
 体中にあった細かな古傷、何よりも致命傷となったエルドラントの剣……人間であれば、もし奇蹟が起こったとしても一生消えないだろう傷。
 そのどれもが消えている。
 まるで幻のように。
 けれども、あれは現実だった。
 傷が消えたのは、それが夢だったからではなく自分が変わってしまったからだ。
 人間ではなくなってしまったからだ。
 どこか呆然とした心地に、ああ自分はショックを受けているのだとアッシュは漠然と感じた。それが意外だった。
 幼い彼はベルケンドで人間として扱われなかった。
 人間のカタチをしているが、厳密には人間ではない。
 だからどんな酷い実験を行っても良い。どんな扱いをされても文句は言えない。
 周囲の考えは、幼い彼に浸透し、そのままずっと淀んでいた。
 ルークと起こった大爆発のさなか。ルークとひとつにならないために、ルークを消さないための案として、ふたりのどちらかがローレライと大爆発をすることを他ならぬローレライから提案された時。
 迷う素振りを見せたルークと対照的に決断したアッシュの根底にはそれがあった。どうせ、今更と。
 だが、一から構成し直した肉を持つ第七音素集合体の体を見れば、じりじり湧きあがるのはショックなのだ。
 元の『アッシュ』の体は『ルーク』の再構成に使ってしまった後悔はないのだけれど。
 むき出しの腕に血が出るほどに爪を立てても、滲んだそれはすぐさま消える。第七音素の癒しの力。
 呪文も譜歌もなく、癒しという性質にただ従っている存在。
 バチカルには戻れない。
 年齢。髪の色。時間。そんな言葉にできる理屈ではない。

 人間の殻さえ失くしてしまった。

「イオン、……いや、イオ」

 悪かったな。

 手を止めたまま、突然謝ったアッシュにイオは目を瞬かせる。

「俺の勝手な都合で生き返らせたり、な」

 大爆発のエネルギーを甘く見ていた。
 オールドラントを壊さないためとはいえ、本人たちの了解も何もなく、アッシュは彼らを作り直した。泡のように第七音素の海を漂う消え行くレプリカたちの意識、そのなかにあってひときわ存在を主張していた。もう一度、カタチにすることができた。ただそれだけの理由で。
 彼の言わんとしていることを察してイオはアッシュの顔を覗き込む。

「アッシュの都合だったかもしれませんけれど、勝手ではないですよ」

 アッシュとルーク、ふたりともが生きようとした、きっと最後の手段。勝手と言い切れるのだろうか。それに、生きたいというのは生き物なら当然のこと。

「それに、僕だって生きたかったんです」

 導師としてではなく、僕は僕として生きたい。

「嬉しかったんですよ。ザレッホ火山で音素乖離を起こして消えたはずだった僕が、もう一度、空を見れたとき」
「だ、だが……」
「それに気を遣ってくれたんでしょう?レプリカとしての不安定さ……いえ、劣化部分をかなり改善してくれたでしょう」
「せめてそのくらいしないと、それこそ許されないだろうが」
「そうでしょうか。まあ、僕としては『生まれ変わり万歳』という感じなので、感謝こそすれですよ」

 反論を許さぬ口調で言い切る。
 導師時代に培った大輪の笑顔を向ければ、どうしたら良いかわからないという様子で髪をゆるくかき回していた。

「シンクだってそうですよ。彼は……、頑固というかへそ曲がりな部分がありますし思い込みが激しいですから、なかなか認めないかもしれませんけれど」
「思い込み、激しいか?」

 アッシュの目では、シンクはどこか世界から一歩退いていたように見えた。
 その彼は着替えるなりさっさと部屋を出て行ってしまっていた。
 まるきり逃げるような態度も、アッシュの思考を落とした一因でもあった。

「激しいですよ。あれだけ自己主張しておいて、空っぽのわけがないじゃないですか」

 それに。

「彼が生きようと望んでいなければ、アッシュが体が再構成してくれても精神が入らないわけですから、ぴくりとも動けません。そのことはシンクだってわかってます」

 断言して、イオは小さく付け加えた。

「ただ、そのこと自体で混乱してるのかもしれません」

 その声はアッシュの耳にしっかりと届いていた。






 一話で収まらなかったカンタビレ二つ名取得編。
 コンセプトは、「ようやく悩むだけの環境が整いました」。
 が、イオは悩んでくれませんでした。おそらく彼が一番適応能力に優れています。
 アッシュは自分で選択した結果なので、じわじわと悶々とする感じ。相変わらず自己完結型なので、周囲に発散できなくて溜め込むタイプ。
 実は何も解決してないよ。
 次はシンクです。
<2007/3/12>






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