それまでうっすらと漂っていた瘴気は、その瞬間、コルクの栓が外れたように溢れ出す。
 爆薬や、第五音素による爆発とは似て非なる力の発動。
 すべてを消滅させる超振動。
 残るのは底の知れない不気味な穴。
 辺りの緑に覆われた部分は瘴気に触れるや否や、次々と鮮やかさを失っていった。



 瘴気の這う大地。夜空も曇り、月も星も紫の霞に侵されている。
 死の土地となったアクゼリュス。
 普通の人間であれば五分も保たないようなところをアッシュは歩いていた。
 零れるのは譜歌だ。
 ユリアの譜歌。
 かつて数える程しか聞いた事のないそれは、アッシュのなかにごく自然に息づいている。おそらくそれはローレライの記憶なのだろう。
 本当は苦々しく思っていいはずだった。
 アッシュが「人間」としての一生を終えるまで、ローレライは彼に干渉しない。そして彼の「死後」は、本来の大爆発の手順に従って記憶のみをローレライに残してアッシュが消える。
 理論に抵抗したルークと、理論をねじ曲げようとしたアッシュと。理論を覆すことのできなかったローレライの慈悲か憐れみか。ともかくもぎりぎりのラインがそれだった。
 従って、アッシュはよく知らないユリアの譜歌について「知っている」状況に怒ってもいい。
 けれども、決してそんな気にはならない。譜歌の旋律はとても優しくて、苛立ちを鎮めていってしまう。
 そして自然に口から流れるのだ、その音は。
 唄は空気に溶ける際、ゆっくりと瘴気と反応しては金色に光って消える。浄化の旋律。
 譜歌自体の効果なのか、あるいはローレライが歌っているからこその効果なのかはわからないが、このことに気がついてから彼はたびたびアクゼリュスに訪れている。
「やっぱりここにいたね」

 探しにきた人物にそう言われるくらい。

「シンク」
「いくらアンタでも、不死じゃあない。人間として生きられない状態にその体が置かれれば、アンタは消えるしかないんだよ」
「わかっている」
「わかっていての無茶ね。イオも心配してたけど。噂になってるよ」

 やれやれと溜め息をつきながら、シンクはアッシュがアクゼリュスの崩壊口から離れてくるのを待った。いくら彼の体がローレライの宝珠で守られていても、アッシュの隣に立てる土地ではなかった。
 無意識のうちか、やはり歌を口ずさみながらアッシュはシンクの隣まで歩いてきた。彼が近づいてくるだけで、シンクは空気が軽くなるのを感じる。

「噂とは何だ?」
「アクゼリュスの亡霊だってさ。崩壊に巻き込まれて死んだ若くて髪の長い女性が、夜な夜なうろついているって」

 女性、と聞いてアッシュは眉をひそめた。男と女とでは声がまったく違う。聞けばわかるだろう。

「幽霊といえば若い女性が定番だからね。崩壊直前にヴァンの妹が出入りしてたのもあるし」

 音律士は数が少ない。さらにキムラスカの王女、親善大使、さらには導師イオンにマルクト軍大佐という豪華な顔ぶれに随行していた彼女は思いのほか目立っていた。

「あの女は生きているだろうが」
「この付近の住民には、それがわかると思ってる?」

 彼らは今頃は魔界のユリアシティにいるはずだった。魔界の存在を知らない一般人にとって、彼女たちが生きている事の方が想像もつかないだろう。
 人命を救う為に訪れた少女が、理不尽な出来事で命を奪われる。結果、幽霊となって夜ごとに彷徨い出る。音律士であった彼女は、嘆きを歌にする。
 崩壊の裏の事実を知らない者がどう考えたのか、想像に難くない。
 真実といくら掛け離れていても。
 遠い視線で瘴気立ち上る彼方を見るアッシュに溜め息をつく。
 彼の気持ちはわかるのだ。
 ヴァンは『預言から世界を解放する』計画の第一歩としてアクゼリュスを崩壊させねばならなかった。
「カンタビレ」は『彼らの知る歴史』を変えない為にアクゼリュスを崩壊させねばならなかった。
 どちらが罪深いと訊かれれば、もちろんどちらもだろう。
 しかし、「民のため」という大義名分を掲げたヴァンたちと比べれば、自分たちの理由はどこまでも利己的。また、止めようと思えば止められたのにそれをしなかったという事実が、重い。

 だからアッシュは毎晩歌う。
 イオもシンクもそれを止めなかった。

 けれども。

「そろそろ南ルグニカで戦端が開く」
「……」

 シンクの一言は、何よりも現実を示していた。
 誰もが断ずるだろう、大罪。いくら直接手を下したのが彼らでないとはいえ、これは彼らの罪でもある。償わなければという気持ちはわかる。
 でも、そこで止まってしまうわけにはいかないのだ。
 秘預言という引き金は引かれてしまった。――教団は、キムラスカ=ランバルディア王国は未曾有の大繁栄を目指す。
 その流れを止める事を、やはりカンタビレはしない。
 しないけれど。

「アンタに言われると思ってたんだけど。後悔しないように動けって」

 できることはいくらでもあるはずだ。たとえば、将来の大地の崩落を見越した陣の組み方。崩落が始まってからの避難経路のあらかじめの確保。各地に散らばる第六師団の後援体制の整備。

「……おまえに言われるとは思わなかった」

 ややあって評されて、シンクは肩を竦めた。

「方向性が過去と違うだけだよ」

 かつては死なせる為に動いた。現在は生かす為に動いている。命にかかわるという根幹は変わっていない。目指すところが違うだけ。想いが違うだけ。

「アンタは変わんないだろう?」

 今も昔も、結局は生かす為にしか動けない。律儀で頑固で優しい。あの頃疎ましく思っていたアッシュの性格を、全然違うように感じることができるのは、やはり自分が変わったせいだろう。こんなところでも、自分がもう空だと主張しなくても生きていけるのだと実感する。
 あきれを滲ませながら。どこか誇らしささえも滲ませたシンクの声にアッシュは隣を見上げる。
 悔しい事に、いつのまにか逆転していた二人の身長差。
 しれっとした様子だけは、昔のシンクと変わらない。
 アッシュは苦笑する。自分の半分も生きていないような、否、シンクに諭されるとは思わなかった。
 それでも、この感傷は捨てようとは思えない。
 あの頃の自分はぎりぎりの崖っぷちだった。崩壊したアクゼリュスに訪れようともしなかった。前しか見えなくて、見ようとしていなかったから。
(違う)
 崩壊を止められると考えていて、そのくせ何もできなかった自分を見せつけられるのが嫌だった。
 そんな愚かな自分を忘れない為に、ここに来るのだ。

 けれども、そこに留まり続けるのもまた愚か。

「無駄に大きくなったわけではなかったようだな」
「まあね」
「頭を撫でてやりたいんだが、手が届かない」
「そんなのいらないよ」
「そうか」

 子供を褒める方法をアッシュはあまり知らない。
 じゃあ何が欲しいかと目で問われて、いっそキスでもせがんだらどんな反応をするだろうとシンクは考える。
 結局、出てきた言葉はまったく別物。

「歌ってよ。アクゼリュスのためじゃなくて」


 この日を最後に、歌は聴こえない。






 なんだか初めてカプっぽくなった!
 シンクが頑張った!アッシュ、気がついてないけどね。
 アッシュはやる気になれば一人で超振動で瘴気中和できます、ローレライだから。過去を歪めることになるのでやりませんけど。
 超振動で瘴気中和>譜歌で瘴気中和。あくまでも「ユリアの譜歌」だから、ローレライが歌ってもあんまり威力は出ない+ヴァンに気付かれないように威力は最低出力だとうことにしといてください。
<2007/2/23>






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