「我々は、断固として台所を要求する」

導師に叩き付けられたそれには、カンタビレ三人分の署名が几帳面に入っていた。


***


最初に食べたときは吐くかと思った。
どうしてこれを忘れていられたんだろう。

「アッシュ……あんた、覚えてた?」
「覚えてたら最初から口にしてねえよ……」
「すみません……僕、抜けます……っ!」

口元を抑えてイオが消えた。
脱兎のごとくのその姿勢を二人は咎めることもせずに、乾いた笑いを漏らした。

「あいつは知らなかったよね……きっと」
「だな」

神託の盾の食事はものすごく不味い。
不味い、というのは語弊があるかもしれない。
これでもかというほどの量。そして油。
教団を守る為の過酷な訓練を日々こなしている兵士たち、特に若者にとってはちょうど良いのかもしれないこってりメニュー。
しかし、そうではない人間はいるのである。

「導師なんてやってたんだから、きっといいもの食べてたよね。あーうらやましー」
「うらやましがってても仕方ないだろう。それよりも、この事態をどうするかだ」

アッシュもシンクもかつての六神将。暗殺などをを防ぐ為かは知らないが、六神将はダアトに駐在している時は、一般兵とは食事内容も完全に別だった。
だからといって、一度も口にせずに終わったと言うわけでもなかったので、今の感想があったりする。

「今の僕たちの扱いってどうなってんの?」

ケテルブルクからダアトへ来てまだ初日だ。
導師の話では彼らは最初から第六師団長として扱われるらしい。
まったく、実力重視なはずの神託の盾内で大笑いだが、どうやら彼らがこの時間軸に現れた際に詠まれていた預言が大層な内容だったこと、さらにはケテルブルクで何人かの兵と手合わせしたときの実力やら、アッシュとシンクが未来の六神将であることを知った導師の口添えなどから、あれよあれよという間に師団長就任が決定してしまった。
これには裏もある。
彼ら三人についての預言を詠めないのをいいことに、あろうことか導師が預言を捏造し、モースへと進言してしまったのだ。
こうなると、この時代の流れとして断るわけにいかない。

「師団長は確実だ……が、六神将になるつもりは、ない」
「当たり前だよ」
「でも、六神将には備え付けの台所があっただろうが」

会議室の横に、何故かあった台所。

「アッシュ、しょっちゅう料理させられてたよね」
「お前もな」

年長組の六神将は、料理があまり上手ではなかった。良く言えば豪快、悪く言えば大雑把。
見かねて年少組が料理担当となってしまっていた。
貴族暮らしが長かった為に舌が肥えていたことに比例して、アッシュの腕前はかなりのものだった。
几帳面な性格だったシンクは、材料の計量や調理時間が正確無比だったせいで、お菓子作りが得意になってしまった。
当時、非常に理不尽な思いをした元凶の場所であったが、今となっては感謝せざるをえない……かもしれない。

「師団長権限で、台所ってもらえるかな」

そして、上の会話に戻る。


***


「いくらカンタビレたちでもえこひいきはできませんよー」

にっこり。
腹黒さを見事隠しきった笑顔で導師は告げた。
赤い判子を勢い良く押そうとしたその手をシンクが留める。
これを押されては、でかでかと『却下』の文字が捺印されてしまう。それに、神託の盾では同じ案件を何度も提出することは禁じられているのだ。
食地獄から抜け出す機会は永遠に失われてしまう。

「良くやったシンク!」
「あ、僕にペンを回してください!」

二年のあいだ、導師として生きてきたイオにとっては署名などお手の物だ。

「……くくく、たてつきますか」

手を抑えられながらも導師が笑った。音素が彼を中心に凄まじい勢いで収束し、その手元にダアト式譜術が展開する。
思わずシンクが手を離し、歯止めを失い判子が書類へとどめを刺す。
その寸前。

「シンクお手製クッキー」

アッシュが呟いた。
ぴたりと導師の手が止まる。
それに気がついて、シンクがはっとしたように続けた。

「アッシュのカレー」
「シンクの絶品フルーツケーキ……あれはアリエッタの誕生日だったな」
「アッシュのチキンサンド、遠征のときにヴァンとリグレットが感涙してたよね」

ある意味恥ずかしい、忘れたい過去。
しかし、これを今利用せずにどうする。

「「あれを食べようとしないなんて、なんてば」」


「許可します!!」

却下印が空を飛んだ。
代わりに流麗なサインが書類を彩った。

彼らの心はある意味でひとつになった。

カンタビレに台所を!


「では、これからはお茶請け、お願いしますね」

導師の理不尽な要求も、今回ばかりは喜んで呑む。
彼らに異存はなかった。
勝利に間違いはなかった。


こうして、食堂にさえ姿を現さないカンタビレについて、今日もまた伝説が作られていく。


曰く、『カンタビレ様は料理が趣味で、腕前は宮廷料理人をも凌駕する』。





料理ネタをやりたかっただけ、です……すみません(汗)。
アッシュはメインディッシュ専門。腕前上等。
シンクはデザート専門。レシピ通りのお味。
イオと導師は食い専門。別の意味でのグルメマスター。
<2007/1/14>






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