いつから、自分は、自分の名の綴りをああ変えたのだったか。 <君の名は> 自分の容姿が変わってしまっていたことを。 これほど良かったと思ったことは初めてだった。 (記憶に、ねえ……。覚えていないだけか?) 久しぶりにダアトに戻ってきたところで、かつての自分と部屋にふたりきりになってしまった。 第六師団の近況報告をしろとせっつかれ(地方へとばしたのはおまえだろうが!)、シンクとイオの副団長コンビに団を任せてきた。 そして呼び出された割には面会時間を割いてもらえずに、ようやっとかなったのが今日。 唯一の導師派ということで団はまとまっているが、なにせ八千人の大所帯だ。 ふたりへの信頼とは別に心配事が絶えない。 早く帰りたい。 というか、この空間から出してくれ。 緋色の髪をした子供は、そんなアッシュをちらちらと見ている。 見知らぬ顔がいるのが気になるのだろう。 この歳だったら既に特務師団長を拝命していた。 ダアトでも中枢に近い立場にあるにも関わらず、見知らぬ顔がある。そのことに警戒している、 かつての自分。 造作は変わっていないものの、アッシュの纏う色彩は……特に二つ名の由来ともなっていた見事な赤の髪は、ローレライの焔の色、金の光を帯びた紅となった。 それだけで、誰も今のアッシュと過去のアッシュの関連に気付かない。呼び名が同じことも、偶然で片付けられた。 じっと見ていたせいだろう。 とうとう向こうがいらいら声をかけてきた。 「何じろじろ見てやがる」 なんだか、語彙が変わっていない……。 情けなくなりながらも、若干は沸点が上がったアッシュはなるべく穏やかに声を紡いだ。 「いや。有名な特務師団長殿にこんなところで会えるとはと思っただけだ」 それは本当。 最年少で師団長まで上り詰めた少年は教団内では有名人だった。 「本当に焔の光のような赤だ」 キムラスカ王族にとっては最高の賛辞。 一瞬、特務師団長は顔を輝かせ、すぐに険しい顔に戻った。 「あいにくと俺は燃えカスだ」 答えにアッシュは首を傾げる。たしかにルークたちの前ではそう言う場面も多かったし、あの頃のヴァンやシンクにもよく言われていた。 けれど、真実そう思っていたわけではなかった。 だからその証拠に。 「綴りが違うだろう?」 A-S-C-H あえて『C』を入れた。せめてもの反抗。 そういえば、あれはヴァンへの意趣返しだったつもりだったけれど、そもそも『燃えカス』の名を自分に与えたあの男が、あんな気の利いたことを自分に教えたりしたのだったか。 そこまで考えて、やっと合点が行く。 いつから、自分は、自分の名の綴りをああ変えたのだったか。 答えはここにある。 「そんなに名前が嫌いなら変えちまえば良いだろう」 「変えられるわけないだろう、これは……」 呑み込んだ言葉は予想がつく。 しかし。 「何も呼び名を変えろって言ってるんじゃねえ。AshじゃなくてAschにしとけ」 宙に字を書く。 たった一文字だけれど。 奪われて与えられた名前でも、かつて自分は誇りをもっていた。 それを過去の自分に知って欲しかった。 「それから、その名前には『灰』以外にも意味がある」 続けようとしたところで、人の近づく気配を感じた。 二人同時、そちらへ顔をやれば、活力と威厳を感じさせる男が現れた。 「話が弾んでいるようだな?」 「師匠」 「……総長」 「少し遅刻してしまったが、同輩が仲良くするにはちょうど良かったようだ」 語彙から威嚇を感じて、アッシュは肩を竦めた。 「同輩……?」 呟いた幼い声にヴァンはわざとらしく眉を上げる。 「自己紹介はまだだったのか?」 「それほど話し込んでいたわけではないので」 一言断りを入れて、アッシュは過去に向き直る。 「第六師団長、ローラ=アシュレイ=カンタビレだ。身内はだいたいアッシュと呼ぶが……」 驚いたように幼い緑が見開かれる。 「混同しそうだから、カンタビレで良い」 「間違える機会があるとは思えぬが、まあいい。さて、カンタビレ、第六師団の近況を……」 促されて、ヴァンに続いて部屋に入ろうとする。 と、肝心な一言を告げていないことに気がついた。 「了解した。それでは、またの機会があれば。『世界を支える樹』」 とある国の伝説で、世界を形作り守っているとされる樹は。 ここまで聞けば、『過去の自分』であれば必ず辿り着くだろう。 「……余計なことを」 耳にかすか届いた男の声に、カンタビレは微笑んだ。 『今の自分』にしかできない表情で。 俺設定甚だしい。 アッシュ→トリネコ→ユグドラシル、の連想ゲームの結果。 |