手にしたものの先端を見上げて、ルックは溜め息をついた。糸が日の光を弾いて、白く輝いた。
 さて、これをどうやってあの部屋に運び込もう。
 あんな約束など、それこそ『聞くだけだからね』で流してしまえばいいのに、結局テッドの良いようにあしらわれてしまっている気がする。
 そして、それがあまり気に障ることではないというのが、最大級に困ったことだ。これが一番と判断できる理性を、感情が裏切ってしまうことのしばしばある今日この頃。
「あいつに口で勝とうとするのが間違ってるんだ」
 あれは神官長や月の長老と同類だ。思い浮かべた面々は、数少ないルックのい交友関係のなかでも絶対に勝てない者たち。
「……」
 なんだかむかついた。
 テッドに逆立ちしようと勝てない(かもしれない)というのは、はっきりいって認めたくはない事実であった。
 頭を軽く振って、なんとか初めの考え事に戻る。
 手にしたもの。
 押し切られるかたちで勢いで、買ってしまったもの。
 城の入り口まで持ってきたは良いのものの、素知らぬ顔をして城のなかに運び込むには不自然きわまりない。
 今まで何度かテッドのリクエストに答えて色々と差し入れてきたが、今までにないタイプのものだ、これは。
(こんなもの、何に使うんだか)
 あの狭い部屋では使い道などない。というか、基本的に城から出られないテッドにはどうしようもない。
 どうして自分はこんなことをしているんだ?
 記憶は数日前に遡る。


適材所の法則


「なあ、ルック」
 にっこりと、見かけだけは立派な少年が、中身も立派な少年に微笑みかけた。人のいい笑顔。それは完璧で、だからこそ。
「却下」
 思わず先制攻撃をしかけてしまう程うさんくさかった。
 それでも、相手は怯まない。
「お願いがあるんだけどなー」
「嫌だ」
「そんなこと言わずにさあ、どうしても欲しいもんがあるんだ」
「聞かない」
「そこをさ」
 ころころと転がる言葉の応酬。取りつく島もないとはこのことか。引っかかりもかすりもしない。
 だが、テッドは見事としか表せないような絶妙なタイミングでそこに必殺技をすべりこませた。
「老い先短い俺の頼みをきけないのか……?」
 親友に対しては『一生のお願い』だが、ルックに対しては『老人のお情け(?)』が一番効く。案の定、テッドにしかわからない程度にであるが表情が揺らいだ。
「……何」
「あ、聞いてくれるんだ?」
「あんたが言ってきたんだろう。それに聞くだけだからね」
 叶えるとは言っていない。なんとかそう主張して、少年は視線を流した。けれども、態度からして遠からずルックが陰で奔走する姿が現実になるだろう。
 その様子を目にすることができないのが残念だと思いつつ、テッドは続けた。
「釣り竿が欲しいなあ」
 瞬間、ルックの緑の視線が呆れをにじませた。
 何を考えているのかなんて、簡単に予想がつく。部屋からもできない囚人がどうしてそんなものを欲しがるのか。『あんたバカ?』台詞も仕草も予測済み。
 案の定。
 少し背を反らし気味に、髪をかきあげながら彼は続けた。
「あんたバカ?」


 そして、現在に至る。


「うわ、やったさすがおれ」
 なんだかよくわからない喜び方をするテッドに首を傾げつつ、ルックはなんとか部屋に持ち込んだ釣り竿を渡した。
「川だか海だかごちゃごちゃ言われてわからなかったから」
 適当に気に入りそうなのを買ってきた。
 肝心な部分がぬけている。
 しかし、それを指摘するという大人げない真似はせずに、テッドは受け取った釣り竿のしなり具合を確かめた。よし、これならできそうだ。
 納得するとテッドは竿をいったん寝台に置いた。次に机のうえにあった平べったいきの板を糸の先に括りつける。それから窓を全開。
 謎だ。
 躊躇うことのない動作をルックはただ眺めていた。彼の思考回路ではテッドの行動は彼方である。いわく、理解不能。
 最後に窓際に移動させた椅子の片方に竿を手に腰掛けると、自然な動作で突っ立っているルックを振り返った。
「ほら」
 隣に並べてある椅子を叩いて、ルックに座るように促した。
 そのままに腰掛けて、ひょうひょうとした風情のテッドを眺める。
 何をしたいのか。させたいのか。
 ――聞き出そうにも、どう切り込めば良いのか。
 ぐるぐる悩んでいるとテッドはひょいと糸の先の板を窓の外に投げた。
「ルック」
「な、なに?」
 突然の呼びかけに、つい声が高くなった。それに機嫌の良い笑みを浮かべてテッドが言う。
「風」
 反射的に従おうとして、はっと我に返る。
 座ったばかりの椅子をがたり鳴らして立ち上がる。
 紋章の気配を煌めかせながら、ルックは鋭く尋ねた。
「何のために」
「ちょっと魚釣りの真似事を」
 この板をさー、お前の風でうまーく揺らしたら、この閉じ込められっぱなしの状態でも趣味の魚釣りを楽しめるんじゃないかなーと。
 釣りが趣味のおれと、風の紋章が得意なルックだったら、まあ、……適材適所な遊び?
「冗談じゃない」
 そんな便利屋みたいな使われ方。
「第一、あんたの『お願い』をこれ以上聞かなきゃならない理由はないね」
 釣り竿一本で満足しなよ。というか、それで十分だろ。
 実際に音に出される言葉と、裏で響く思考の攻防戦。
 すべらかに重ねられるのが不思議だけれど、心地よい。
 秘策ありとの思いが見え隠れする企みの声音も、どこか穏やか。
「まさか。あれは『おめでとうテッドくん、一年間よく頑張ったで賞』。今度のは」
 ウィンディに囚われてからすでに一年。いろいろと幸運が重なった賜物であるとはいえ、なんとかいのちをつないでいる。
「『おめでとうテッドくん、三百●歳の誕生日』だ!」
 堂々とした宣言。
 当然とばかりにルックが反撃する。
「今さら祝う年かそれは!」
「何を。ここまでの長生きを祝わなくてどうする」
「ヒクサク様と同じ理屈こねるんじゃないよ!」


 ぶわり、と。


 散らすことをしないまま身体に留めいていた魔力が、風に変わる。
 それは部屋をひとまわり。唯一の出口であった窓から勢いよく流れた。
「お、やった」
 竿がしなる。不規則に。生き物を相手にしているように。


 テッドの様を見て、文句は溜め息に化ける。
 ああ、やっぱり。


 くたりとルックは椅子に戻った。
 指先に集めた魔力。ついと動かして空気を操る。右へ左へ、上へ下へ。
 魚釣りなんて見たことさえないけれど、これでいいのだろうか。
 テッドの視線を感じたが、気づかないふり。


 テッドに口で勝とうとするのは無理なんだから。
 だから仕方ないじゃないか。
 そういうことにしておいてやるよ。



 この居心地の良い空間のために。



***
黒へび様より14000番キリリク、「逆奏でテッドとルックのほのぼの」でした。
仲良くさせようとしたら、珍しくルックが完全にテッドに甘やかされてしまいました。力関係が逆奏っぽくないです。基本的にテッド≧ルックの逆奏設定が、どこをどう間違ったかテッド>>>ルックになってます。ええとどうしましょう??
しかもたいへん遅くなりまして……もはや溜め息ですが、いかがでしょうか(びくびく)。


<2006.7.15>