「軍主殿、ご報告が」
 最終決戦を終え、制圧した黄金の城の一角。すぐにでも玉座を薦めそうなレパントをなだめすかして構えた司令部にひとりの兵士が息せき切ってやってきた。
「なんだ」
 手にした台帳から視線も上げずにリンは答えた。
「お探しになっていた部屋が見つかりました」
 ぱたんと台帳が閉じられる。強い視線が最大級の興味を持って、兵士に注がれている。
「場所は?いや、すぐに案内して欲しい」
 やりかけの仕事を放り出しての台詞だったが、その場にいる誰もリンの振る舞いを止めようとはしなかった。


LAST WORD LASTING


 塔の中は極寒だった。
 少なくとも、テッドにとってはそうだ。
 石造りの尖塔の天辺近くにあるこの部屋に、冬はひしひしと圧力をかける。ルックのおかげかどうかわらかないが、冷たい風が吹き込んでくることはない。だが、ろくな暖房器具がない。ここ数年、マクドール家のあたたかな空間に慣れを覚えていたテッドの身体にはひどく堪えた。
「お前、寒くないのか」
 我関せず、という風に本のページをめくっていたルックはふふんと笑った。テッドに対してというよりむしろ、自嘲。
「僕がどこで育ったと思っているのさ」
 北の大国。しかも生まれて数年間、冬になれば水も凍るような地下牢に転がされていたのだ。
「この程度、どうってことないよ。あんたこそ、情けない」
 人生の大半を野宿三昧の放浪生活を送っていたくせに。
「野宿は焚火できるだろ。それになんだかんだで身体を動かしてりゃ、自家発電できるんだよ」
 だから、それとこれとは別。
 断言して、テッドは少し考える素振りを見せた。
 実は、前々からやりたいと。やってみたいと思っていたことがあったのだ。
 はっきりいってくだらないことであるし、しかも一人でやるのは少々つらい。
 テッドはルックの読む本の題名を盗み見た。よし、これならなんとかなる。
「なあ、ルック」
 ぽん。
 肩を叩かれて、少年は緑の視線を上げた。不愉快そうに。
「なに。邪魔」
 しないでくれる?と続けようとして、言葉を先回りされる。
「して悪いんだけど」
 にやりと頬を歪めて、テッドはずいと顔を近づけた。至近距離。息が白い。まったく、どうしてこれで寒さを感じないのか。ここは仮にも室内だぞオイ。
 反射で引きかけた相手の身体を、腕を掴む。
「一緒に、あったまることしないか?」


***


「こちらです」
 軍主が案内されたのは、グレッグミンスター城の数ある尖塔のうちの一つだった。
 ぐるぐると回る螺旋階段。人ひとり通るのがやっとだろう。のぼっていけば丈夫そうな木の扉。部屋に不釣り合いなほどの大仰な錠前がひっかかっていた。
「ご苦労。部屋の調査は?」
「まだです。軍主殿が立ち会いを希望していると伺いましたので」
 そのままにしてありますとの返答に頷いて、リンは扉を開けた。長らく閉めっ放しだったせいか、ぎしぎしと軋んだ音が耳にうるさい。
 一歩足を踏み入れれば、ほこりの匂いがした。
 懐かしい気配だと、紋章が感じた。右手が訴える。
「何もない部屋だな」
 感じとれる魔力の残滓以外、何も。
「そうですね」
 むき出しの寝台がふたつ。粗末な棚と机。それだけ。人間が生活していたようには見えなかった。城で働く使用人の証言がなければ、城の中で数多くある空き部屋のひとつだとしか思わず、見過ごしていただろう。そんな部屋だ。
「姿が見えなくなってからすぐに、品物は処分されたようですから」
 帝国軍も必死だった。刻々と勢力を増していく解放軍と裏腹に、彼らは痩せ細っていったのだ。彼らが……親友が残した僅かな品でさえも無駄にはできないと流れていったに違いない。
 想像して、リンは密やかに落胆の溜め息を落とした。
 自らが喰らったテッド。ウィンディに捕まりシークの谷で再会するまで、どのような生活を送っていたのか。それを知りたくて、彼が城のどこに監禁されていたのか調べた。最初は地下牢かと思ったのだが、偶然に生家で見つけた父の記録から、それが間違いであったことがわかった。
 そして見つけたのが、ここだ。
「そううまくはいかないか」
 死人の遺産など、いつまでも無駄に放置しておくような状況ではなかった。わかっていたけれど、期待した。テッドと一緒に、あの少年がいたと知ったから。
 少しだけ、淡い願いを抱いたのだ。
 かすかな落胆とともに、リンは堅い寝台に転がった。背中が痛い。天井の染みを数えることもできずに、身体を横にする。
 そこで、ふと違和感を覚えた。
「どうかなさいましたか?」
 兵士が控え目に声をかけた。感傷に浸る英雄を邪魔しないようにとの配慮からだったが、リンはがばりと起き上がった。
 壁をじっと睨みつける。
「なあ」
 ややあって、彼は指差した。
「あそこ、色が違っているように見えないか」
「そう言われれば、確かに……動かしてみますか」
 壁が一筋、日に焼けていない。ちょうど隣の棚を動かしたら、ぴたりと当てはまるのではないか。
「ああ、そうしてみよう」


***


 息を荒くして寝台に倒れ込みながら、ルックはテッドを見上げた。額にうっすらと汗をかいてしまった。まったく、汗をかくのは大嫌いだというのに。
「あんた」
「ん?」
 満足げなテッドに呆れつつ、それでも言いたいことを言う。
「もっとマシなのは考えつかないわけ?」
「ええ?けっこういい感じじゃねえ?」
「いつの時代の人間だよ……」
 それ。
 ルックが視線を遣る先を眺め、にやりと意地悪く笑ってみせる。
「それは何か?おれが生きる化石だと言いたいわけか?」
 確かに真の紋章歴300年。そんじょそこらのご老人にはかなうまい。
「それもあるけど、それをやりたいがために僕を動かした根性が気に入らないね」
 わざわざあんな大きくて重い物を動かす必要なんて全然なかったんじゃないかと指摘され。
 だからといって、机の引き出しの裏など安易な場所では、ウィンディに気づかれる可能性がある上に、いざというときに処分されてしまう可能性もあるではないかと逆に返してやった。
 子供っぽい屁理屈にも似ていたが、ルックは反論は無駄だと思ったのだろう。
 後始末は自分でやってよ。わからないように元に戻しといて。
 声と同時に毛布をかぶった金茶の頭。本当は汗をかくのが嫌いな彼が、そのまま眠ってしまうわけがないのは承知している。けれども、わがままに付き合わせてしまった申し訳なさはあるわけで、テッドは微笑んでそれを許した。体力のまるきりないルックがここまでしてくれただけで、明日は遠くトラン湖が凍結するかもしれない。
 そうなった時の親友の慌てぶりを勝手に想像しつつ、テッドはふむと思った。
 壁を眺める。
 たしかにルックの言うことも一理ある。
 なんというか。
 これではちょっと。
「物足りない」
 どうせなら。
 考えながら、テッドは立ち上がった。
 もそりと背中の毛布が動いた気配を感じながら。


***


「軍主殿……」
「……」
 ふたりがかりで棚を動かした。
 凹凸のある灰色の石の壁。そこに残された。
 なんというか。
「落書き?」
 背後から突如として、それを適当に現している言葉が投げかけられた。
「シーナ。心臓に悪い登場の仕方はやめろ」
「どうせ気づいていたくせによく言うなー」
 ひらりと放蕩息子は手をふった。レパントか誰かの遣いだろう。
「で、これは何なわけ?」
 落書きを指差しながら、シーナは話題を戻した。
「見る限り、テッドの筆跡なんだが……」
 というか、こんな馬鹿なことをするのはテッドだと断言できてしまう。人質だったというのに、なんなんだ。この……能天気さは。
 隣でシーナもどう反応していいのか困っているようだった。
 そりゃあ、いくら人の機微に敏感なシーナでも困るだろう。
「『テッド参上』って、……いつの人間だ」
 壁に墨で遺された言葉。
 いや、300年前の人間だとは理解しているんだが。
 これを、こんなところにわざわざでかでかと残した親友よ。お前は何が言いたかったんだ。
 親友のこの城での痕跡を見つけたかった。しかし、こんなものを発見してしまうと、少々複雑だった。
 テッド、君という人間は……。
 思考の淵に腰掛けたところで、ふとシーナが声を上げた。
「こっちにも何か書いてあるぞ」
「え?」
 それは壁のずっとずっと下だった。大きな文字に気を取られていて、気がつかなかった。
 しゃがみ込んでみれば、それは確かに文字だった。言葉だった。


 お前に託した言葉が、いつまでも続く限り。


 先は、霞んでよく読めなかった。瞬きして視界が透明になって、初めて文字が滲む原因が自分にあると気がついた。


 おれはお前とともにいるから。


********


 書き忘れたエピソードその1。坊はやっぱり探すと思うんだよね、テッドの監禁場所。そこまで想定して、テッドは先回りしている。
 最初はルックにもメッセージを残させようと思ったのですが(一緒に棚を動かしたから、テッドが書かせるかなあとおもったんですけど)、いざ書いたら「この暇人」と脳内で書きやがったので、消去させていただきました。それじゃ授業中にノートで会話してる学生と変わらない。
 最後の言葉は反転させないと読めません。念のため。


<2006.7.3>