帝国軍の相部屋事情


 知らないあいだに物が増えている。
 これが個室であればミステリーだが、相部屋ならば話は簡単だ。自分の身に覚えがなければ、それは残りの人間の仕業である。
 つまりこの二人部屋で、ルックが持ち込んだのでなければ、テッドが運び込んだのである。
 基本的に部屋からの外出が禁じられているテッドだが、常日頃から城内を歩き回っている。 ウィンディに見つからないようにいちおうの気はつけているようだが、ルックはあきれるしかない。 ちなみに最初のうちこそ注意していたものの、無駄だと悟った現在では放置している。
 おかげで彼の持ち物は日に日に増大し、部屋の隅に積み上げられいく。挙げ句、先日、ついにルックの机にまで進出してきたのである。
「どうにかしてよ」
 文句をつけたのは三日前。
 そして今日。
 仕事から帰って扉を開ければ。
 仁王立ちしたテッドが待ち構えていた。
 しかも、軟禁されている人質とは到底考えられない有り様で。
「あんた、何してるのさ」
 これには如何なルックとはいえ、無視することはできなかった。
「してる、んじゃない。これから『する』んだ」
 テッドが手にしていた物体を振り上げる。反射的にルックが一歩飛び退った。
「危ないね、そんなの振り回さないでよ」
「このくらいじゃ何も切れないって」
「気分の問題だよ。だいたい、なんであんたが刃物を手に入れられるんだよ!」
 そう、テッドが手にしているのは立派な凶器の一種である。
「テッド様300年の企業秘密〜」
「……」
「おいおい、沈黙が痛いぜルック君。家畜小屋の親切なお姉さんにもらってきたんだ」
「……だから」
 なんのためにと。再度、睨みつけてやれば。
「そりゃあ、日曜大工をするために」
 にやりと笑い。テッドは手にした鋸で、これまたどこから運び込んだのか、背後に積み上げられた木の板を示したのだった。



 そして秋晴れの日曜日。
 なんで僕がと呟きながら、ルックは部屋を囲むよう結界『もどき』を張り巡らせた。正式な手順を踏んだものではウィンディに気づかれてしまう。 そこで、部屋と外とを区切るように薄い真空の空間を創ったのだ。
 気配や行動を隠す意図はなく、単に音を遮断すればいいのだから、この程度で充分なのである。
 何故なら。
 彼らが、とにかくどうにかしたいのは鋸をひくその音だったのだから。

 ぎいいい ぎいいい

 耳障りな音が室内に響き渡る。白いタンクトップ、肩からは水色のタオルを下げたテッドが鋸をひく。 それだけの薄着にも関わらず、容赦のない陽射しは室内に降り注いで暑さを意識させる。

 ぎいい ぎいいいいいこ こん

 すぱん、板がふたつに分かれる。断面は見事に真っ直ぐ。
「あちい」
 床に落ちたひとつを拾い上げ、テッドは汗を拭う。手伝うこともなく、窓の縁に腰掛けている緑の少年に視線を投げる。
「おーい。どうにかならないのか?」
「あんたが勝手にやってるんだろ。障壁張ってやってるだけ感謝してよね」
「でもなあ、おれがこれをしなければ」
 くいとこの部屋唯一の机を示す。 整然としたエリアを侵食していくかのように、混沌が欠片と存在していた。境界には、すでに温まってしまった麦茶のポットとコップがふたつ。
「あの状態が全てを覆い尽くすわけだ。それは嫌だろう、ルック」
 返事の代わり、顔をしかめた少年にげらげらと笑う。ひゅ・と鋭い風がテッドの髪を数本、犠牲に吹き抜けて消滅する。
「っぶねぇなあ」
「あんたが何も持ち込まなきゃすむことだろ」
 至極もっともな少年の訴えは、もちろん却下だ。 第一、テッドはこの無関心な少年が、幾つかの品には興味を覚えてこっそり手をのばした事実を知っている。もはやルックの言葉には説得力がない。
 それに、ルックは自分の未知の分野に積極的に興味を示す性質だ。
 今も無視しているようでしっかりと、テッドの作業を盗み見ている。ちらりちらりとした視線が、まるで子猫のようだ。 じゃれつきたい、ならぬ。自分でやってみたい、と。言い出さないところが両者の決定的な違い。

 ぎいいい ぎいいい
 ぎいいい ぎいいいいいいこ こん

 うん。だいぶ、この鋸の癖にもなれてきた。
 軽快な音を響かせて、テッドは作業を進める。
 床に溜まっていく木屑が、ふわりと巻き上げられて、少年の頭上を飛び越えて風景に溶けていく。
「なに?」
 驚いて見遣れば、不機嫌にぷいと顔を反らす。
「ありがとな」
「別に。そのままじゃ、部屋が汚れるだろ」
 ルックの言葉は正論。綺麗好きの彼には、うず高く積まれた木屑など。 特に床の隙間に詰まってしまったらと想像するだけで、親の敵のように憎らしいものに間違いない。
 密やかに笑いながらテッドは切った板の数を数える。あらかじめ用意できた釘の本数と長さを確認して、頭のなかで設計図を描く。……このくらいでいいか。
 机の麦茶で喉を潤し、次の作業への気合いを入れる。
 鋸を脇に置き、板を床に並べる。
 ちょっとだけ、ルックが身を乗り出して尋ねた。
「終わり?障壁、解いてもいい?」
「いや」
 簡素に否定し、テッドは金槌を構えた。
「ここからが本番だ」
 口を僅か開きかけ。疑問を発しようとした少年を、実演を以て押しとどめる。
 がんがんと空気を叩く音。打ち付けられた釘が床まで振動を伝えては、窓枠さえもびりりと震える。
 知らず、ルックは耳を塞ぐ。緑の瞳がすがめられたが、閉じられてしまうことはなかった。テッドの大きな動きを追い続ける。
 板を繋いでは引っくり返して、また繋ぐ。
 彼の仕事に躊躇いはない。
「……器用だね」
「まあなあ。 俺ってば外見がこんなんで止まっちまっただろ。 おかげで逃亡生活300年、まともに仕事ができたことってほとんどないんだ」
 傭兵というには年齢が決定的に足りなかった。魔術師と名乗るには、真の紋章はむしろ邪魔だった。 狩りをしながら生計を立てることはできたかもしれないが、定住はできなかった。 成長期にある少年の身体がいつまでも変わらないのは不自然だし、追っ手に捕まる可能性を増すだけだった。
「で、旅をしながらできることってこういう雑用ばっかでさ」
 例えば、漁や猟。宿の手伝い。料理の配膳や荷運び。壊れた雑貨の修理修繕。
「おかげで、なんでもできるが極められない器用貧乏テッド君が誕生してしまったわけだ」
「それ、自慢になってないし」
 胸を張ったテッドにすかさずルックが釘を刺す。ついでとばかりに毒をひとつ。
「じゃあ、あんたのこの棚も、いつかぼっきり壊れるんじゃない?」
「ああ、流れゆく年月の前にいつかは倒れるだろう」
 芝居がかって切り返す。
 まったく、ああ言えばこう言う。
 結局、作業終了の日暮れまで、際限のない掛け合いと沈黙は交互に繰り返されたのだった。



 完成した棚が壁際にぴたりと据えられる。それはまるで、最初からの作りつけのように指定位置に収まった。
 今までのテッドのコレクションを棚に並べると、ルックの領域は元のままに秩序を取り戻す。
 満足してルックは障壁を解く。ついでだが、室内に風を呼んでぐるりと一周させた。
「ありがとな」
 さすがに疲労して寝台に転がっているテッドが笑う。彼も大作の完成に満足しているように見えた。
 別にといつもの調子で答えようとして、ルックは鼻を刺す臭いに気がついた。
「汗くさ……」
 発生源は明らかにテッドである。朝からぶっ通しで動き続けたのだ。室内とはいえ夏の太陽の下。 今まで窓枠に座って、しかも自分だけ暑くないようにと空気を循環させていたルックは気がつかなかっただけで、おそらく長い間こもっていたに違いない。
 時計を眺めて、テッドが入浴を許されているまでの時間を確認する。だめだ、まだかなりある。
 ゆっくりと息を吐き出して、ルックはするりと扉へ向かった。ためらいもなくノブを回す。
「どこに行くんだ?」
「図書館。こんな汗臭い部屋、一秒だっていたくないよ」
「それを言うならおれだって……」
「あんたが外に出るわけにはいかないだろ」
 ぴしゃりと言葉とともに扉が閉められる。がちゃりと外から鍵を閉める音。
 あーあとテッドは頭の後ろで腕を組んだ。あんな鍵程度、開けるのは簡単だが、外に出るわけにいかないのは事実だった。 あれだけ汗にまみれたあとでは、城のなかを下手にうろつくのは詮索してくれと言わんばかりだろう。その程度はわかっている。
 喉が渇いたな。
 のそりと思い、コップに手をのばす。
 指先がひやりとした感触を伝え、驚いて反射で手を引いた。
「え?」
 よくよく見れば、コップの表面にはびっしりと水滴が貼りついている。存在するわけのない氷が、からりと崩れる涼しげな響き。
 出ていった少年が風を紡いだことを思い出す。彼ならばコップの周りだけを集中的に冷やすことだってできるかもしれない。
 らしくもない気遣い。あるいは、らしすぎる気遣い。
 なにはともあれ。
「ありがとう」
 なんだかんだ言いつつも、最後まで付き合ってくれて。



 追記。
 この日作製した棚からテッドコレクションが収まりきらずに溢れ出すのは、きっかり半年後のことであった。


<2005.2.12>