解放軍の部屋事情 |
「お願いですから、どうにかしてください!」 とっぷりと日も暮れた夕食後。 見張りに立っていた兵士たちもなんのその、解放軍本拠地でももっとも警備の厳しいはずの場所に乗り込んだのは、思いきり非戦闘員の地図職人の少年だった。 「テンプルトン。ノックくらいして欲しいな」 書類にさらさらとペンを走らせながら、軍主のリン=マクドールは顔を上げようともしない。 仕事中の乱入者が顔見知りだからといって、ここまで動揺しないのはどうかと思ったのがマッシュとクレオ。 やはり坊ちゃんはどんな時でも落ち着いていらっしゃるのですねと、保護者フィルターのかかり過ぎた感心を示したのがグレミオ。 すいませんすいません、おれたちプロなのに蹴り倒されてと扉に縋りついて悔しがっているのが見張り番である。 どうやらテンプルトンは地図職人持ち前の脚力を利用して大の男を排除したらしい。 ぺたんと朱印を押して、リンは傍らのマッシュに書類を渡す。マッシュが軽く頷いたのを見届けて、大きく伸びをした。手袋に覆われたままの両手で肩を揉む。 「それで、何の用なんだい?こんな夜更けに」 言外に子供は寝ている時間だと告げられて少年の顔に紅が走った。が、大人げないと思ったのだろう。努めて冷静な顔を装う。 「部屋を変えてください」 静かにテンプルトンは要求する。 「部屋?」 「そう、部屋です」 鸚鵡返しに少年は強く頷いた。 リンは素早く頭の手帳をめくった。 テンプルトンは先日のパンヌ=ヤクタの戦での被害状況を確かめるためにエルフの村へ赴いたときにスカウトした人材だ。 正確な地図というのは案外少ないもので、しかも非常に高価だ。どこで学んだのかは定かではないが、きちんとした測量技術を持つ少年は解放軍にとっては欠かせない。 年齢が近いということで、彼は石版守を務めているササライと同室にしてある。未だ荒くれ者の多い大部屋に放り込むのは躊躇われたのだ。 ササライも同様の理由で個室を使っていたのだが、必死の増築ペースも虚しく部屋が足りない状況。 この二人なら問題はあるまいというマッシュの判断もあり相部屋と相成ったのである。 テンプルトンは外を測量のために駆け回ったり、部屋でその数値を紙に起こす作業をしている。対してササライは一日中石版の前に立っている。 もしふたりの反りが合わなくとも、共有する時間がほとんどなさそうだし、 なによりテンプルトンの性格上、気にしないフリをしてくれるだとうという希望的観測もあった。 が。 この状況を見る限り、そうは問屋が卸さなかったようである。 とりあえず原因だけは聞こう。 新たな部屋割りをどうしようかと悩みつつ、リンは口を開いたのだった。 「どこに問題があるんだい?」 「彼のすべてにです。僕はもうあんな生活に耐えられません」 まるでアル中の夫との離婚を望む妻の台詞は、紛うことなきテンプルトンから放たれた物だ。 そして、彼から語られる部屋の状況は……。 「あ、君が地耗星のテンプルトン君だね。よろしくお願いします」 にこやかに微笑んでササライは右手を差し出した。 テンプルトンが荷物をすべて運び終えたところで、仕事を終えたササライが戻ってきたのである。 ササライは先日のパンヌ=ヤクタ戦で魔力の高さが認められ、魔法兵の要としてマッシュから注目されていた。 今では石版守だけでなく、軍師から用兵についての講義も受けたりしている。 事前に彼についての情報は集めていたし、実際に対面しても悪い印象はない。 ひとつの噂で「ササライは非常に片づけが下手だ」というものを耳にしていて、それが最大の心配事だった。 けれども部屋を見る限りきちんと整頓されていて、まったく気にならなかった。 ほとんど部屋にいないからそれほど散らかりもしないのだろう。 満足したテンプルトンの前に、最初の驚愕の事実が訪れたのだ。 「で、なにが驚愕の事実なんだ?」 「勝手にたたまれるんです」 「は?」 「勝手に、彼が脱いだ服がたたまれるんです!」 「さーて、もう寝ようかな。テンプルトン、灯を消してもいいかい?君はまだ仕事がある?」 マッシュから与えられた課題の消化に勤しんでいたササライが時計を見た。 テンプルトンもさっそくトラン湖畔の地図の作成に取りかかっていたのだが、根をつめた作業に目が霞んできたところだった。 ひとつ計算の数値が合わないところがある。どちらにしろ計測をやり直さなければいけない。今日は寝てしまおうか。 「うん。僕も寝ようかな。……洗面所って、部屋を出て左にまっすぐ突き当たりだっけ」 「そう」 返事を聞いて、タオルを取り出す。鞄の奥にしまったので取り出しにくい。どうせならタオル掛けを自分でつけてしまおうか。戦争が終わるまで数年はかかるはずだ。 この部屋にも長く世話になるだろうし。うん、そうしよう。 そう決めて顔を上げた。 「じゃあ、鍵は……」 開けておいてくださいと言おうとして、テンプルトンは凍りついた。 ササライは寝台の上に服を脱ぎ散らかしていた。それだけならまだいい。その放置された服が。 勝手に、たたまれていくのである。 空中にひょこりと起き上がり、袖がぴっちりと線を引いたように折れる。ぱたりぱたりと正確な動きが繰り返されて、複雑な法衣も見事にたたまれる。 それだけではなく、ご丁寧に洗濯籠に飛んでいく。もちろん、宙をふよふよと移動して。 固まったテンプルトンにササライが怪訝な顔を向けた。 「どうしたの、テンプルトン。あ、もしかしてひとりで行くのが怖いとか?」 見当違いな発言に、ようやく彼は我に返る。 (疲れてるんだ。そうだ、きっと疲れてるだけなんだ) 現実主義者な彼は無理にそう自分を納得させ、タオルを片手に部屋を出た。 予想外の訴えに、部屋は静まり返る。 幻だ、夢を見たんだ、見間違えたんだと説得するには、少年自身が障害だった。 テンプルトンの性格を考えれば、これが一度や二度ではなく、おそらく毎晩繰り返されたのだろうと予想がつく。 「最初、というとまだあるんだよな?」 リンが衝撃に耐える。この程度でへこたれていては軍主など務まらない。 「はい。問題は朝にもあります」 テンプルトンは力強く頷いた。 目覚めは最悪だった。 普段、テンプルトンは時計もなしに決まった時間に起きる。 それがこの朝はいつもより一時間も早く目覚めてしまった。 その原因は。 「起〜きろ、起〜〜きろ。じ〜かんだぞ〜」 何故か節を付けた歌、それも音痴、が聞こえてきたからである。 もっとも音源は自分のいる寝台ではない。ササライの寝台だ。 あまりの騒音に耐えきれずにがばりと身を起こす。なんだかわからないが、大人げないが怒鳴ってやろうかと思って隣を睨みつけ。 動けなくなった。 変な生き物がいた。それがササライの耳元で歌っていた。それも一匹ではなく三匹もいた。形は、なんというかムササビに似ていた。 奇妙に派手な衣装を纏い、手にタンバリンやカスタネットを持った、茶色い生き物。 反射的にテンプルトンは布団をかぶった。何も見なかった、僕は何も見なかった。 そう言い聞かせるも、破壊の歌は隣の寝台が決定的に動くまで、時間にして三十分続いたのだった。 「他にも、勝手に動き回るゴミ箱。ササライがゴミを捨てると自動的にゴミをキャッチするために移動します」 「……」 「なくならないティーカップ。部屋には湯も茶葉もないのに、ティーカップはいつも満タンです」 「…………」 「宙を飛ぶ雑巾。ササライが何かを零すと、戸棚から雑巾が飛んできます」 「………………」 「あとは」 「まだあるのか?!」 常識を遥かに超えた事態に一同が呆然とするなか、リンが叫ぶ。 「ええ、両手でも足りません」 神妙な顔でテンプルトンは頷く。 誰も何も言えなかった。さすがは常識の通用しない魔術師の塔で育てられただけある。常人によって語られる日常は、まさに異世界。 「一度、僕からそういう得体の知れないものを使わないで欲しいと頼んだのですが」 ごくりと唾を飲む音が響いた。 ササライ曰く、異界から召喚した無害なモンスターを使役しているらしい。 レックナートの傍にいるときからの習慣だと言っていたが、やはりこういう人の多い場所で使うのはよくないよねと納得したのだ。 「おそらく、使わないでは彼は一日たりともまともな日常を送ることはできません」 告げたテンプルトンの表情は僅かに強張っていた。 どういう意味かと問うてみたい気もしたが、あんまりにも気の毒で止めた。自分の精神衛生上、良くないのではないかとリンは懸命な判断を下した。 その場の全員がリンに注目した。 ここまで言われてしまっては、どうするもこうするもない。自分だって、そんなワンダーランドは遠慮したい。 「ササライを個室に移そう。近いうちに彼を魔法兵団の団長に任命する予定だった。いくら若くても、団長が相部屋というのは警備上問題がある」 マッシュが了解の意を示し、上質の紙を取り出した。早速任命状の作成に移らなければいけない。 「ありがとうございます、軍主様」 「いや……。君の行動は賢明だった。こちらからも礼を言おう」 おそらくササライと最初に同室になったのがテンプルトンなければ、事態はもっと面倒になっただろう。 彼には悪いが、被害者としての自分を冷静に観察できる、最適な被害者だったかもしれない。 「それにしても、そうか……」 リンは頬杖をついて、窓の外を眺める。そろそろ秋の訪れを感じさせる夜風。 この空の下には、自分の初任務の場所、ササライがこれまで暮らしていた魔術師の塔もあるわけで。 (あの塔も、そういうふうにして維持されていたのか……) まさに異界の門だなと、乾いた笑いを漏らすしかなかった。 <2005.2.5> |