花咲か爺さんの行進


 窓からすべりこんでくる風の温度が変わった。
 眠気を呼ぶ、ぬるまった空気。にわかに小鳥たちのさえずりが耳に届く。
 伸び上がって外を見下ろせば、わずか薄紅をにじませた風景が目に飛び込んできた。
「あれって、サクラ?」
「あんたが指差しているのが、窓から見える五本の木のなかの真ん中のやつならそう」
「それそれ。そうか、サクラか、花見できるなあルック」
「僕はどうでもいいよ。人質の身分で花見とは優雅なことだね。その桜餅で満足できないわけ」
 しかも両手に、と。
 完全にあきれを含んだ視線にもテッドはひるまずに、ピンクの餅をほおばりながら、再び視線を外へとやった。
「けっこうつぼみがふくらんできてるな。あと二、三日ってとこか」
 あー、こんな状況じゃなければ。
 ゴザ持参して、重箱に弁当詰めて、酒飲むんだけどなあ。
 延々と続くつぶやきに、とうとう耐えきれないといわんばかりにルックは書類を整理する手を止めた。
「あんた、ほんっとうに緊張感ないね」
「おまえこそなあ……。城だぜ?宮廷だぜ?!そんなすばらしい場所で花見できる機会なんか、俺の人生三百年で一回もなかったの!」
「あ、そう。だから?」
 そっけないルックの言葉と表情に、思わず突き上げていた両手プラス桜餅を力なくおろしつつ、テッドはしんみりと息をはいた。
 思い返せば、この友人はハルモニアの神殿育ち。 彼にとっては、赤月帝国で一番贅を凝らした場所であるこのグレッグミンスター城ですらも、 ふふんと鼻であしらって終わりにできてしまうレベルだという恐ろしい可能性もある。
「たしかに一本きりじゃ、なんつったっけ、あのハルモニアにある有名な桜並木……」
「……クリスタルバレーからちょっと東にある?」
「そうそう、そこ」
 肯定に、ルックが地名を述べた。テッドが話したそこはハルモニアでも風光明媚で有名な土地だ。
「……よくも、真の紋章を持った身でハルモニアに行けたもんだね」
 それも賑やかな観光地に。
 巷でまことしやかに流れる紋章狩りの噂のために、ごく一部の物好きを除いては、 ハルモニアに積極的に足を踏み入れようという継承者はいないだろう。
 台詞にテッドはにやりと笑う。
「俺はけっこう行ってたぜ? ハルモニア。ウィンディから逃げるには一番良かったんだよ」
 ハルモニアへの憎しみと警戒ゆえに、かの魔女が決して手を出さない安全地帯。ハルモニアの紋章狩りと、ウィンディの紋章狩り。 天秤にかければ、テッドにとってはウィンディのそれから逃れることのほうが重要だった。
「それに、一番最初に行ったときには、シエラも一緒だったし」
 さらりと出された名前に動揺して、ルックの手が滑った。 指先が湯飲みを捉えきれずに、容赦なく床に緑茶をばらまいた。
「あああ、おまえ何やってんだよ!」
 調理場からもらってきた『とっておき』を……!
 慌てるテッド以上に、惨事を引き起こしたルックが動揺している。 しかも、その対象はこぼした茶ではなくテッドの出した名前による。
「……あ、あんた、つ、月の御方と知り合い?」
「一時期、一緒に旅をしてたけど。ルック、おまえ、よほどシエラと嫌な思い出でもあるのかよ?」
「べ、別に……」
 あからさまに外された視線にやれやれと思う。これでは見るからに、だ。
「未来の神官将なら、もうちょっと修行したほうがいいぞ」
 ごまかし方とか。
 指摘にルックは転がった湯飲みを拾いながら、重い口をひらく。木に染みた茶を憎々しげに睨みつけている。
「あんたは、そういうけど。一度や二度や、……いや、十度も二十度も血を吸われて貧血になって倒れたのが、 どこをどう考えれば『嫌な思い出』でなくなるのかを教えてほしい」
「すまん、俺が悪かった」
 告げられたあんまりな回答にテッドは素直に謝った。確かに自分も、稀に非常食にされていた記憶がある。 嫌なことはさっさと忘れる質なので、詳細は覚えていないものの。
「月の御方とはどのくらい?」
「……けっこう長く?毎年、冬に会って、旅して、初夏には別れてた」
 告げられた変則的な内容に、ルックは首を傾げた。 数年間ずっと、という連続した単位ではなく、季節ごとの断続は意味不明だった。
 本気で考えている少年の様子に、テッドは微笑む。
「サクラって、南から北に向かって咲いていくだろ」
 国境をまたぎ、春の訪れを人々に告げる花。
「毎年、追っかけたんだ」
 ふたりで。
 大陸の南から北へと向かって、サクラの後を追って旅をした。 人間の足ではどうしても限界があるから、見届けることができなくなったら次の春までその町で待機。 それを数年間、飽きるまで繰り返した。
 なぜそんなことをしたのかと問われれば、たぶん、ヒマだったからだ。吸血鬼の始祖も自分も。
 馬鹿にされるかと思ったが、意外にもルックは言った。
「いいね、そういうの」
 時間ができたらおまえもやってみろよ。言いかけ、テッドは止めた。 ルックの立場を考慮すれば、そんな真似はできないし、彼も実際にはしようとはしないだろう。
 だから、これはおとぎ話。
 どんなに現実離れした提案でも。
「同じことを二回もやるのは、能がないだろ?」
 まず、右手に持っていた桜餅をすべて口へ。飲み込みながら、にやりと笑う。
「どうせだったらさ、サクラと鬼ごっこしろよ。サクラが鬼で、俺らが逃げるの」
「サクラが咲く前に出発して?」
 ルックも片方の頬だけを持ち上げた。 一見して皮肉に見える表情も、実は面白がっているときのそれだと、テッドは既に知っている。
「そうそう、南から全力でスタートして。ひたすらに逃げるわけよ。で、追いつかれたらその年はおしまい」
「次のサクラの季節までそこで過ごすわけ?僕、そんなにヒマじゃないんだけど」
「おまえはさ、一度ハルモニアに戻って、来年の春にまた戻ってくるんだよ。転移の術が使えるんだから一瞬だろ?」
 それを飽きるまで繰り返すのだ。
「気の長い話だね」
「そうか?けっこうすぐに終わると思うぞ。なにせ逃げ足ぴか一のテッド様がいるんだからな」
「なに、あんたついてくるつもり?」
 面白がるように、本当に呆れたように。
 それでも、ありえない未来を語るテッドをルックは否定しない。それがこのゲームのルールだ。
「あたりまえだろ。あ、シエラもつけるか。どうせヒマしてるだろうし」
「止めてくれ。どうせだったら、あんたの親友でもつけたほうがいいよ」
「お。それ、いい!」
 今度は残りの桜餅も口に放り込む。見届けてルックが言葉を繋げる。
「きっと延々と続く愚痴を聞かされるんだろうけれど」
「それを言うか?よし、おまえが貧血でふらふらしてたら頭から灰をかけてやる」
 もぐもぐとテッドの言葉の意味不明さに、ルックは眉をひそめた。
「どうして、灰?」
 水をかけるとか、土を浴びせるとか、百歩譲って真の紋章で攻撃してやるとかならわかるが。
「だって俺たち、花咲かじいさんだろ?」
 俺とリンで灰を撒いて、おまえが風で飛ばすんだよ。月の御方はなにするわけ。あのひとが仕事をしてくれると思うか。 じゃあ、なんで。……まあ、彩り?爺さん四人じゃ、華がないだろ。僕たち、不老じゃなかったっけ。それはそれ、これはこれだ。
 ふたりの脳裏に光景が映る。真円の満月。少年たちの手から、次々と灰が風にさらわれていく。 それが枝に触れるたびに、ふくらんでいた蕾から花びらがこぼれていく。
 絶対に現実にならない、幻想の未来。
 わかっているけれど、たまにはこんな遊びもいい。


 束の間の、春の白昼夢。


<2005.4.10>